第3話 狭間とアオガネ
隙間町の脇道通りを、ひっそりと灰色のネコが歩いていく。脇道通りは駅前通りに並行して走る道だが、混みがちな駅前通りを避けて使うひとも多い。ぽつぽつと小さな店や会社がならび、単身者向けのマンションが建設中だ。
ネコは人目を避けるように、物陰をすり抜けて建物の隙間へ入ると、「質」と書かれた看板がある建物の前まで来た。まるではかったかのように、窓がガタリと開く。ネコは飛び上がってそこから入り込むと、屋内へと姿を消した。
ネコが入るとすぐに窓が閉められる。それきり、しんと静まり返った。ひと通りもない。
そんな客足もない質屋の中。
「……帰った」
口を開いたネコから出たのは、日本語だった。質屋の店内は中央に丸テーブルが置かれており、そこでは男がひとり本を読んでいる。男は本から顔をあげることもなく、ネコが日本語を話すことを当然のように受け入れていた。
まだ学生のような若さにも見えるが、三十歳を超えた年齢にも見える、ふしぎな男だ。ひょうひょうとした空気をまとっており、ひょろ長い身体を丸めて細い指で本のページをくっている。
はっとするほど明るいオレンジ色の瞳は、色に反して眠そうな目をしている。影を飲み込んだような黒い髪は伸び気味で、その合間から生っ白い肌がのぞいていた。
男はテーブルに置いていたマグカップを手に取り、飲もうとして空なことに気づくと、ようやく顔をあげた。
「おかえり、太福屋のまんじゅうは買えたかィ?」
「まんじゅうを買いに行ったわけじゃない」
ネコはするりとテーブルの上に乗ると、テーブルの真ん中に置かれたふしぎな道具の前へ座った。金属の取手がついて、フェルト皿がすえられている、変な形の道具だ。その取手にネコが手を置いた。
「早くしろ」
「つまらないねェ」
「頼みごとをしてきたのは狭間だぞ、さっさと終わらせよう」
狭間と呼ばれた男は肩をすくめるとおもむろに、フェルト皿の上へ大きなガラス玉を置いた。ほんのりと色がついた透き通ったものだ。ちょうどフェルト皿にぽこりとはまる大きさで、覗き込むと向こうがゆがんで見える。
それから狭間はもう片方の取手を手にした。ふわりとガラス玉に光がともり、どこかの光景が映し出される。狭間とネコはその映像に目を向けた。
★★★
それは脇道通りから離れた、隣駅の駅前商店街だった。視点は低く、見上げた先には猫背の男がいる。どこにでもいそうな、白髪まじりのおじさんだ。
スーツを着て仕事帰りなのだろう、薄っぺらいカバンを脇に抱え歩いている。その目がちらりとなにかを見て、チッと舌打ちをした。ちょうどすれ違った女子高生がけげんそうな顔をするが、男は気にせず進んでいく。
映される光景はその男に向かって突き進み、近くなったところでなにかを投げつけた。大粒のカルセドニーだ。そのなかでも、ブラッドストーンと呼ばれる宝石だった。濃い緑色のなかに、赤い斑点が浮かんでいる。
宝石ではあるが、そう高価なものではない。とはいえ、握りこぶし大ほどもあるそれは、とても珍しいものだった。丸ではなくいびつな形をしてはいるが、磨かれてつるりとした石はポーンと飛んで、男の手にぶつかる。
いや、ぶつかったと思ったら、ぬるりと手にめり込むようにして消えてしまった。とたん、白髪まじりのスーツを着た男がびくんとのたうつ。
「あぁ! あぁあぁぁあああ!!」
突然叫びだす男を見て、周囲のひとは驚き一歩引いた。映し出された光景は、それをさらに一歩引いたところから見上げ続ける。とさり、と男が持っていたカバンが地面に落ちた。それを気にしたふうもなく、男は頭を掻きむしる。
心配と不安と好奇心がないまぜになった視線が、周囲からいくつも飛んでいる。関わらないようにしようと足早に通り過ぎるものも多い。男がいるのはちょうど八百屋の前で、なかから年配の男が出てきた。
「あんた、だいじょうぶか?」
「ひっ! やめ、やめろぉおぉぉっ!」
「うわっ?!」
声をかけた八百屋の男が、スーツの男によって吹き飛ばされた。振り回す腕に当たって、陳列されていた野菜の中へ落ちる。いたた、なにをするんだ、といううめき声があがった。
だれかが、警察を呼べ、と叫ぶ。救急車が先だ、という声も聞こえる。あたりが騒然となり、何人ものひとで視界がさえぎられた。
ひとびとの足元をすり抜けるようにして景色が動く。そこにはなにかから身を守るように自身の肩を抱いてうずくまる男がいた。
「いやだやめろ……やめろ……さわるな、あっちに行け……やめろいやだ……」
ぶつぶつと口の中で繰り返し同じようなことをつぶやいている。顔は真っ青で目を強く閉じてなにも見たくない、とすべてを拒絶しているように見えた。
やがて救急隊員がやってきて、八百屋の男が運ばれていく。次に警官がやってくると、男を取り押さえようとした。男はそれを振り払おうとし、最終的に奇声をあげて気絶し、やはり運ばれていく。
それを見守ったところで、ガラス玉に映る景色はその場から遠ざかった。
★★★
狭間が取手を握っていない手でポン、とガラス玉を軽くたたく。すると映っていた景色が消えた。
「問題ない。ご苦労さま、アオガネ。それでこの記憶は消してかまわないかィ?」
「ああ」
アオガネと呼ばれたネコがうなずくと、狭間はフェルト皿に乗せていたガラス玉をどかす。それから改めて、アオガネの先ほどの記憶から、ただの黒い石にしか見えないものを作り出した。
それを布手袋をした手でつまみあげる。しげしげと眺めてから、小袋にしまった。袋には今日の日付と「No.14」と書かれている。その袋は「今年度依頼」という札がかかった引き出しへ入れられた。
記憶を取り出されたアオガネといえば、前足を取手から離し、ぷるぷると身体を震わせてから伸びをする。続けてくぁ、とあくびをすると衝立の向こうへと消えていった。
狭間はアオガネを見送ってから、衝立とは反対側に据え付けてある電話機の前に立つ。古いものが多い古い店には似合わない、真新しい電話機だ。なんのことはない、先日二十年以上使っていた古いものが壊れてしまったのである。
受話器を取り、どこかへ電話をかけはじめた。しかし少し待ってから受話器を置く。出なかったらしい。
「まァいいか」
ひとりごちると丸テーブルの椅子へ戻り、また本を広げる。そして店内は静かになった。
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一応、狭間(とアオガネ)が主人公です。たぶん。それ以外の名前は覚えてなくても読むのにほとんど支障ありません。
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