第2話 大島舞子
隙間町の脇道通りの裏。さびれた一角に古い質屋が存在していた。その扉へ今まさに、暗い顔をした若い女が入っていく。そろりと首だけ中へつっこみ様子をうかがってから、するりと身体を滑り込ませた。
扉はがたがたん、と音をたててなかなかうまく閉まらない。やがて、がたごと音を立ててからやっとおさまった。
「悪いねェ、立て付けがよくないンだ」
店の奥から若いけだるげな男が出てくると、店の真ん中にあるテーブルの奥側にある椅子へ座った。客である女は少女に近い年齢に見える。おどおどと視線をさまよわせたあと、いえ……と小さく答えた。
「ここで、気持ちをなくせると聞いて、来ました」
「そうかィ」
「初恋を、忘れたいんです」
「忘れるんじゃァない。失っちまうンだ」
「……はい、お願いします」
「座ンな」
男が顎をしゃくって椅子を示すと、少女はそろそろと座った。その目の前にトン、とガラスケースが置かれる。
「想いや記憶はこうやって宝石になる。あんたの気持ちが価値のあるモンになれば……」
「いいんです、値段なんて!」
突然、大きな声で少女が男の声をさえぎった。
「あ、すみません……そりゃ臨時収入はうれしいですけど。いいんです、タダでも一円でも、失えるなら……それで」
「そうかィ。これをよく読んで記入しな」
「はい」
少女は男が差し出した契約書を受け取って、静かに読み始めた。そしてサラサラと記入していく。すべて書き終えると、お願いします、と男へ返した。
「……そんじゃァ、そっちの取手を握るんだ」
「これですか? これ、なんですか?」
「記憶や想いを宝石にする道具だ」
「へぇ~……あ、うっかり手を離しちゃったら、どうなりますか? 危険って書いてありましたけど」
「あァ、そうだね」
男が少女の手にゴムバンドを巻く。それを見て、少女は何度か手を動かしてからうなずいた。ゴムバンドだけでは心配なのか、握った右手を押さえるように左手を乗せている。
それを確認してから、男は始めるヨ、と言った。その声を引き金に、道具の中央にあるフェルト皿がパチパチと光り始める。少女はそれを食い入るように見つめていた。
やがて、その弾けるような光が終わる。そこにはコロコロと大小いくつもの宝石が転がっていた。透明に近いが、うっすら水色がかっている。大きなものは親指の先ほど、小さいものは直径1~2ミリだ。
「なかなかだねェ」
「……ほ、本当に宝石になった! あれ? でもまだ覚えてますよ」
「ここからどければ失うさ」
ひょい、となにげない動きで男が大きな粒を取り上げた。白い布手袋の手のひらに乗せて、ためつすがめつする。そして横においてあった精密秤へ乗せた。
「二十五カラット超えのアクアマリンか、これなら三十万はくだらねェ」
「そっそんなに?!」
「きれいにみがかれてる……カットもいい。やっぱ初恋の記憶ってェのは上物が出やすいねェ」
「そうなんですか……初恋?」
「あァ、初恋みたいなキラキラした想いは、キラキラした宝石になりやすいのサ。そんであんた、初恋はどんな相手だった?」
男に問われ、少女はんん? と首をかしげる。それからえぇと……と考え込む。しかし男が宝石を皿へ戻したとたん、ハッと目を見開いた。
「ああっ!!」
「おぉっと、手は離すなよ」
「……あっ、危ない……そっか。こうやって失うんですね」
「あァ。取りこぼした小さな記憶が残ってたから、なにか引っかかってただろ」
「そうですね。思い出せるようで、思い出せなくて」
「そりゃァ思い出そうとしてンじゃねェ。残った記憶から、また恋をしそうになっただけだヨ」
ククッと男が喉で笑う。手袋をした指先が大きな石をころころと転がす。宝石は店内の少ない明かりに反射し、キラキラと輝く。男も少女もそれにじっと見入った。
「そんなことがねェように、関係する記憶をすべてもらっちまう。……それで、これはどうする?」
「……やめて、おきます。すみません」
「そうかィ、残念だ。どうだ試しに預けてみちゃァくれないか」
「三十万は魅力的ですけど……さっき、心にぽっかり穴が空いちゃった気がして。失っちゃダメだって感じました」
それだから価値のある初恋の宝石はなかなか出回らない。手放したがらないひとが多いからだ。名残惜しそうに男は指でつん、と大粒の石を突く。パチッと光が弾け、直後宝石はフェルト皿から消えていた。
ふぅ、と少女が息をつく。そしておそるおそる手を離した。こわばった手をにぎにぎと動かし、緊張していた身体からも力を抜く。
「ダメですね、要らないと思ってたのに……いざとなったら失えないなんて」
「まァ、そんなモンだ」
★★★
ほかの記憶は買い取ってもらえないのか、という少女の言葉に男は片眉を跳ね上げた。ニィ、とその口元が歪む。
「どんな記憶だィ?」
「……苦しい、記憶です。そんな記憶でも、買い取ってもらえますか?」
「さァてね……どんなモンになるかによる」
「試しに、見てもらえませんか」
了承する代わりに、男は顎をしゃくって取手を示した。少女はぎゅっと握ると、片手で自らゴムバンドをつける。その表情にはさっきとちがい、思い詰めたような期待があった。
男が始めるヨ、と言うとまたフェルト皿の中央が光り始める。さっきと同じなのに、その光はどこかトゲトゲしていた。パチンパチンと弾けながら、なにかができていく。
パチンパチン、パチンパチン……繰り返し同じ音が鳴った。やがて最後にバチン! と大きな音をたてて光は止まり、
「これは……」
少女ができあがったものを食い入るように見つめる。濁った黄色っぽい、半透明の石だった。ガタガタと不自然な形をしている。
「あんたまだ若いのに、ずいぶん思い悩んできたンだねェ」
「えっ?」
「こりゃァ、ダイヤモンドだ。ま、大きさにしちゃ価値は低いが」
「ダイヤ? これが?」
少女がふしぎがるのも無理はなかった。よく知られるダイヤというのは、白くて透明な輝く石だ。目の前のものは、それとはかけ離れていた。
ダイヤモンドは特別な宝石だ。知名度もさることながら、鑑定基準がダイヤモンドとそれ以外で違う。そもそも鑑定基準が定められているのはダイヤモンドくらいだ。
それくらい、ダイヤモンドは特殊である。
「ダイヤモンドってェのは透き通ってるほど価値があがる。だからこういうのは、一般人にゃダイヤとして認識されづらい。だがこいつァたしかにダイヤモンドだヨ」
黄色く濁った色の石は、無色透明からはかけ離れている。それを確認して少女はなるほどとうなずいた。
ダイヤモンドができる記憶や感情というのは、長期間煮詰めたものや、とても深く思い悩んだものが多い。その中でも色がつき濁った石というのは、嫌な記憶や忘れたいこと、というパターンばかりだ。そう男が説明すると、少女は泣きそうな顔になってうつむいた。
「……ずっと忘れたくて仕方ないのに、こんなになるほど……」
「ちなみにこれでも五十万くらいはすらァな」
「ごっ?! さ、さっきより高いじゃないですか! それに価値は低いって!」
「あァ、これが高品質なら買取価格は五千万じゃァくだらねェ」
「?!」
少女が思わずガタリと立とうとする。その肩を後ろから押さえる者があった。薄ぼんやりとしたふんいきの男だ。少女の目の前に座った若い男は明るいふんいきをしているのと対象的だった。
突然どこからともなくあらわれた新しい男に、少女が目を丸くする。ひっ、という悲鳴は驚きすぎて喉の奥へ隠れたようだった。
「手を離すんじゃァない」
「あっ……すみません」
目の前に座る男は平然としている。
「悪ィな、助かった」
「ああ」
新しく出てきた男は短く答えると、のそのそと部屋のすみへ移動する。よく見ればそこには衝立があった。その向こうへまるで溶けるように男は消える。
照明の都合で暗がりになっているとはいえ、言われなければ気づけないほど、その衝立は目立たなかった。少女は一度目を離し、再度同じ方向を見たが、その一瞬で見失ったのか、何度もまばたきして目をこらしている。
「……この記憶を失うと、どうなりますか」
「いたずらに試すこたァお勧めしねェ。戻すとき、強烈なフラッシュバックがくる。さっきの初恋の記憶でも、そうだったろゥ?」
「なるほど……ちょっと、考えてみます」
「そうかィ」
少女の様子を見て、男はダイヤモンドを消した。つまり、少女の中へと戻した。
「離しな」
「はい」
今度こそ取手から手を離し、少女は息をつく。それから、ありがとうございましたと深くおじぎをした。
「気が変わったら、また来な」
「……はい」
「ところで嬢ちゃん、嫌いだけれど食べられるようになりたいモンはねェか?」
「はい?」
立ちあがろうとしていたところへ質問を投げられ、少女の動きが少し止まる。うーん、と考えたあと、
「レバー」
と恥ずかしそうに答えた。苦手で、と頬をかいて苦笑いをする。男はちィと待ってな、といい置いて壁際にずらりとならぶ棚へ寄った。
少女が待たされたのは数分程度で、男はテーブルへ戻ってくる。そして小さな白いトレイに濁ったピンク色の石を乗せて、少女の前へ置いた。
「ロードクロサイトってェ石だ。まァ千円ってとこか……こいつを買えば、あんたはレバーが好きになる……は言い過ぎだァな。食えるようになる」
「……。……つまり宝石にした記憶は本人だけじゃなくて、ほかのひとにも入れることができるんですね?」
「おつむの回る子は嫌いじゃァねェ、その通りだ。初回だ、施術料はタダにしてやらァ」
「ちなみに施術料はいくらなんですか?」
「そうさなァ、この石なら五百円ってェとこかね」
男が答えると、少女は約3割引きかぁと考えてから、ひとつうなずいた。
★★★
数分後、来たときとは正反対の明るい顔で少女が店を出て行った。早くレバーを食べてみたい! と足取りは軽い。
毎度あり、と見送る男は変わり映えがない。相変わらずくたびれて見える。きちんと閉まっていなかった扉を、がたがたんと無理やり枠へ押し込む。それから今日はもう店じまいとばかりに鍵をかけた。
「……なにも解決してないのに。どうしてあんなに明るくなったんだ。意味がわからない」
衝立の奥から、さっきの薄暗い男が出てくる。やはり先ほどと同じく存在感が薄い。扉の前で閉まった扉を見つめていても、見逃しそうなほどだ。
扉は木と金属でできており、ガラス窓のようなものはついていない。けれど薄暗い男は、まるでその先に、あの少女が見えるかのように目を離さなかった。
若い男はゆるく口元をゆがめて、そんな薄暗い男を眺める。しかし薄暗い男が振り返る前にその笑みも消えた。
「好きなモンってェのは、多けりゃ多いほど人生が楽しいのサ」
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