隙間町・脇道通り 〜記憶の質屋〜

@になれない

0章:とある質屋

第1話 谷口 宏

 隙間町の脇道通りの裏に、一軒の古びた質屋があった。昔からそこにあります、といったたたずまいで、木の板に「質」とだけ書かれた看板が出ている。それ以外にはなにも店とわかるものはない。

 その質屋に、まさしく客が訪れようとしていた。貧相な身なりの男はきょろきょろと視線と首を動かし、何度も店を確認している。数分そうしてから、やっと建て付けの悪い扉を押し開けた。


 中の様子をひと言であらわすなら、雑然という言葉がぴったりだ。真ん中に丸テーブルが置かれており、奥と手前に一脚ずつ椅子がある。そして奥側には店主らしき女が座っていた。

 机の上にはよくわからない道具と、お茶のセット、そして宝石の入った小さなガラスケース。ガラスケースに入った宝石は大小さまざまだが、どれも数字が添えられていた。

 点のような小さなものは、「3ツ100円。一番大きなものは「ピンクサファイヤ3.02ct 50万円」とある。そしてケースには「買取価格」という紙が貼られていた。


「……ここで記憶を買い取ってくれるっていうのは本当か?」


 店主らしき女がなにも言わずに本を読んでいるのを見て、男は口を開いた。女はちらりと顔をあげたものの、すぐに本へ視線をもどしながら返事をする。


「あァ、記憶を質へ入れられる」


 女にしては粗野な口調だ。記憶をあつかうなど、現実離れした店なのだから、店員もそんなものである。


「いらない記憶だ、買い取ってくれ」


 質屋というのは、なにかを預け入れて、それに見合うだけの金を借りられる店だ。だが買い取ってもらえば、金を返す必要もないし、借りるより多めの金を手に入れられる。不要と判断されたものを預入ではなく買取に出すというのは、よくある話だ。

 しかし女は顔をあげると男をひたりと見た。そしてゆっくりと確認する。


「いいのかィ? 忘れるんじゃァない。失っちまうンだ。買取だと取り返すことはできねェ」

「かまわない」

「そうかィ、そんじゃァそこへ座りな」


 女は客側の椅子を示すと、空のマグカップを横へよけた。代わりに宝石の入ったガラスケースを前へすえる。


「記憶はこんな宝石になって取り出される。あんたの売りたい記憶が価値のある宝石になれば、高く買う。そうじゃァなきゃ、たいした値段にならねェ。いいかィ?」

「ま、待ってくれ。そもそも本当に記憶なんて取り出せるのか?!」

「そんならひとつ、お見せしようじゃァないか」


 そう言って女が取り出したのはボイスレコーダーだった。カチリとスイッチが入れられる。


「あんた、好きな食べ物は? なんでもいいヨ。ただし嘘はダメだ。取り出せねェからな」

「そうだな……たこわさ。ビールといっしょにやんのがいいんだ」

「そうかィ。そんじゃちょっくら、そこの取手を握んな」

「これか?」

「あァ」


 テーブルの真ん中には、客側と女側に握るための取手がついた道具があった。道具の中央には柔らかいフェルトでできた皿がついている。取手はふしぎな光沢の金属でできており、取手から伸びた金属はぐるりとフェルト皿を取り囲んでいた。

 一見してなんに使うのかよくわからない、変な形をしたものである。客に取手を取らせたことからもわかるように、これは記憶などを取り出す道具だ。といっても、だれでも記憶を取り出せるわけではないが。女も片側の取手を握る。

 始めるヨ、という言葉と同時に、パチパチとフェルト皿の中央が光った。そしてみるみる間に皿の中央になにかがあらわれる。光がおさまったとき、そこには丸い直径一センチほどのなにかができあがっていた。


 それを白い布手袋をした手で女が取り上げる。そしてしげしげと眺めた。透明な灰色っぽい石だ。スモーキークォーツだね、と女が言う。

 そして石から男へ目を移しておもむろに問いかけた。


「あんた、たこわさが好きなんだってね?」

「なんだ、そりゃ」


 怪訝な顔をする男を前に、女はボイスレコーダーを再生させる。


『あんた、好きな食べ物は? なんでもいいよ。ただし嘘はダメだ。取り出せないからね』

『……たこわさ。ビールといっしょにやんのがいいんだ』

『そうかィ』


 男が目を見張った。それはついさっき録音されたばかりの声だ。


「な……んで、これは俺の声か?!」

「そうだ。あんたは今、たこわさを好きだった記憶を忘れちまってンだ」

「というか、たこわさってのはなんだ!」

「まァ落ち着きな。すぐに思い出す」


 女が手に持っていたスモーキークォーツをとん、とフェルトの皿へ戻した。


「あっ!!」


 男が大声をあげる。


「思い出したかィ?」

「あ、あぁ……どうして、どうして忘れて……そうだ、俺はビールとたこわさをやんのが好きで……」

「記憶を失うってのは、今みたいなことだ。このスモーキークォーツなら、まァ五百円ってとこだね」

「そんなに安いのか?!」

「まァ、色も薄いし均一じゃァないし……内包物インクルージョンもイマイチだからねェ」


 女の指先がころりとスモーキークォーツを転がす。


「あんた、たこわさが好きっていっても、それほどじゃァないだろゥ? 記憶が濃いほど、多いほど、好きという想いが強ければ強いほど、きれいな石になんのさ。たとえば、できたばかりの記憶は原石のまンまだ。これは丸く整えてある。それなりに長いことたこわさを愛好してるってことだァね」

「そんなことまでわかんのか……」

「さ、これは返すヨ」


 女が言うなり、パチッとまた光が走りスモーキークォーツは消えていた。そして頬杖をつくきニヤリと笑いながら男を見る。


「それで? あんたが売りたい記憶ってのは、どんな記憶だィ?」



★★★



 男が売りたいと申し出たのは、妻が浮気したという記憶だった。


「覚えてると、ついカッとなる。いいかげん忘れたいんだ」

「忘れるんじゃァない、失うんだ」

「それでいい、失いてぇんだからな」

「そィじゃァ、これをよォく読んで記入してくれ」


 女が差し出したのは1枚の契約書だった。名前と日付を記入する欄、そして預け入れか買い取りかの選択肢、どんな記憶を失いたいのかを書く場所。そんな内容だ。

 そして注意事項がずらずらと書かれていた。その最初には『ひとつ記憶や想いを失うと、それに関連する記憶や想いも失う』と書かれている。先ほど男がたこわさを好きだった記憶を失ったとき、たこわさのことも記憶してなかったように。

 それを見て男が顔をしかめる。なにか不都合がある、とでも言いたげな表情だ。しかしすぐに首を振ってそれを隠す。


「買取の場合は取り戻せません……わかってる。それからなんだって? 預け入れたものを取り戻したい場合は期日までに札を持ってこい? ま、関係ないな」


 男は存外生真面目にすべての項目を確認していく。そして最後にすべてのことに了承したサイン欄へ「谷口宏」と名前を書いた。


「身分証の確認とかは必要ないのか?」

「本当のことを書かないで困るのは、こっちじゃァなくてあんただ。それでもよけりゃァ嘘を書きな」

「問題ない、これでいい」

「……それじゃァまた、そっちを握んな。言っておくが途中で離しちゃァいけねェ。記憶が不完全になって頭が壊れる」

「注意事項に書いてあったな、わかった」

「念のためゴムベルトをしとこうか」


 女は太いゴムベルトで、男の手と取手を固定した。といっても、そんなに拘束力は強くない。とっさに離してしまう危険は防げるが、強く引いたら手を離すことも可能。そんな程度である。

 女の始めるヨ、という言葉と同時にまたフェルト皿の中央がバチバチと光る。さっきよりずっと長くバチバチという音が続き、中央の石が大きくなっていく。

 やがて数分たって、それがおさまった。終わったとき皿に乗っていたのは、まるで失敗した黒コゲ料理とでもいうようなものだった。とても宝石には見えない。


「ふむ、これだとまァ百円がいいとこだ」

「なんだと? そんなに安いのか?!」

「どうやらきれいな記憶じゃァないようだね」

「うっ」


 図星だったようで、男がひるんだ。まだ石は皿の上にある。それを女の指先がたたいた。


「さっきも言っただろ、どんな記憶かによってどんな石ができるのか決まる。それで、これは本当に買い取っていいのかィ」

「……あぁ、頼む」

「あィよ、毎度あり」


 女が皿から黒コゲ料理もどきをどかすと、男はフッとつきものが落ちたように顔を緩ませた。嫌な記憶を失って、気が抜けたのだろう。もっとも失ったことすら、男はわかっていないはずだ。

 ただ、なにがしかの記憶を売った。それだけの記憶しか残らないのだ。

 男はぱちぱちとまばたきをして、取手をにきる自分の手を見た。その顔面にスッと百円玉が差し出される。


「……いーい気分だ。こんないい気分になって金がもらえるなんて、こりゃいいな」

「そうかィ? そんならよかったヨ」


 女はニィ、と口元をゆがめて笑った。それを見ることもなく男は立ち上がる。ありがとよ、と言ってふらり扉へ向かった。



★★★



 翌日、昨日の男が血相を変えて質屋の扉を叩いていた。ドンドンという音だけが虚しく響き、反応はない。まるで閉店して長いことたっているような様子だ。

 脇道通りの裏はそれ以外はひっそりとしており、うるさいととがめる者もいない。男の後ろには男と同年代の女が立っており、眉の間に深いシワを刻んでそれを眺めていた。


「いないのか?! 頼む! 開けてくれ!!」

「やっぱり記憶を買ってくれる質屋なんて、ないじゃないか。あんた頭がおかしくなっちゃったんだよ。だいたいが結婚した私のことまで忘れるなんて、ありえないだろう?! ほら、いいから病院行くよ! 頭を見てもらわなくちゃ」

「違う! 俺は正常だ! お前が嘘をついてるんだろう?! 俺は結婚なんてしてねぇ!!」


 開かない扉へすがるようにして男が首を振る。


「バカなこと言うんじゃない。役所に行って確認したじゃないか」

「だからそれは、なにかの陰謀で……!」

「陰謀って、なんの陰謀だよ。あんたをだましてなんになるんだい。金もないうえに酒癖が悪い暴力男なんて、騙して結婚してどうするんだか」

「お前みたいなブス、だれが結婚なんかするってんだ! きっとここに、なにかあるんだ! 俺はたしかに昨日、ここで記憶を売ったんだ!! もし本当にお前と結婚してるっていうなら、ここにあるはず……!」


 男と女は言い合いを続ける。しかしついにその日、扉が開くことはなかった。






「だから言ったんだ。本当に買い取っていいのかィ……ってねェ」

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