第33話 藤元 将也

 築年数がかさんだ日本家屋は土地を贅沢に使った平屋。家に合わせて作られ、ていねいに整えられた庭。それを塀がぐるりと囲んでおり、門には司口しぐちという表札がかかっている。その家が藤元ふじもと将也まさなりの勤め先だ。

 この家の主人は世界の裏側を知る者で、藤元もまた裏側の人間である。といっても、特になんの力も持たない。ただ知っているだけだ。強いていうなら、危険をいち早く察して逃げ出すことは得意である。


「……私もとうとう命運が尽きたか」


 屋内の掃除が藤元の主な仕事だ。玄関の掃き掃除をしながら、藤元はぽつりとつぶやいた。すりガラスの引き戸の向こうには人影が見えている。招かれざる客だ。

 心拍数があがっていく。藤元は生命の危機を感じていた。

 今、この家に人間は藤元しかいない。庭は週に一度、手入れする業者が着てくれるが、今日は来る日ではなかった。いたとしても、出入りの業者に客を出迎えさせるのもおかしな話だ。仕方なく藤元はどちらさまでしょう、と外へ声をかけた。


「じゃまするヨ」


 カチリと鍵の開く音がする。どうやって開けたのか藤元にはわからない。だが名乗ることもしない客人……狭間は引くつもりがなかった。からりと戸が引かれる。

 藤元の目の前にいるのは、見るからに怪しい黒づくめの服に身を包んだ男だった。サングラスに黒いマスク、黒いテンガロンハットまでかぶっており、表通りを歩いたら職質されかねない風防だ。そしてその後ろに、薄ぼんやりともうひとり男……アオガネが立っている。


「あいにく主人は留守にしておりまして」


 震える声で伝え、手にしていたほうきを藤元は強く握りしめた。武器にするつもりは、もちろんない。ただ強くつかんでいないと、落としてしまいそうだったのだ。


「あァ、問題ない。用があるのは、あんただ」

「わ、私……ですか?」

「死にたくないなら、外へ出な」


 黒づくめの男……狭間は半身になってふさいでいた出入り口をあけると、手で早くしろと示す。藤元に否はなかった。あわてて、もつれそうになる足を動かして外へと転がり出る。

 六十歳を越えてすっかり足腰が弱くなってしまった。つまづきそうになったところを、アオガネが支える。それでようやく藤元は、彼らが自分を害そうとしているわけではないことをさとった。

 それでも一度あがった心拍数はなかなかさがらない。ここから逃げても許されるだろうか。門のほうへ視線を向ける藤元を、狭間がひたりと見すえていた。


「ここには大量の人形があるだろゥ?」

「え、えぇ、まぁ……主人は人形職人でしたので」

「……なるほど、地下にも保管場所があるのか」

「!?」


 なぜ知っているのだろう。それより今の会話は流れがおかしくなかっただろうか。まるで、自分の記憶を読んだかのような……。藤元は混乱した。


「さっさと行きな」

「はっはい!」


 不安がつのりそうになったところで、追い払われる。それ幸いとばかりに藤元は駆け出した。たいして速くはないが、歩くよりマシな速度だ。

 とにかく逃げなくては。藤元の頭の中は、とにかくそれだけだった。だから後ろで、


「影をつけておきな」

「わかった」


 そんな会話があったことを聞き逃してしまったのである。……もっとも、聞こえていたところで、どうしようもなかっただろう。

 門を出たところで転びそうになり止まる。その直後、大きな力が藤元の背後で膨れあがった。思わずその場でへたりこむ。走ったせいで、自分の呼吸音がうるさい。心臓もばくばくいっていて、とうぶんしずまりそうになかった。

 ずしん、とふつうの人間には聞こえない音が響く。なにが起きたのだろう。藤元には理解できない。なにかを感じて振り返るが、藤元の目にはなにも見えなかった。

 それでも藤元の直感がささやく。きっと門の中にいたら自分は無事でいられなかった、と。


 司口家は一見、先ほどとなにも変わりがない。けれど、なにかが決定的に変わってしまっている。ここはもう、藤元の主人の支配下ではなくなってしまった。

 あぁ、だから彼らは去れと言ったのか。そう納得する。見逃してもらえて助かった。おそらく主人は、敵対するべきではない相手と敵対してしまったのだ。

 藤元はぼんやりと考え、落ち着いてきたところで、ゆっくり立ち上がる。ここにいるべきではない。とぼとぼと歩き始める。勤務時間はまだ残っているが、もうそれどころではなかった。


 歩き始めて十分ほど、司口家の最寄駅に向かっている途中だった。不意に藤元の胸ポケットが揺れる。そこには藤元が吾朗からあずかっている紙人形が入っていた。

 それがカサカサいってポケットから飛び出す。なにか連絡があるとき、こうして紙人形が知らせてくれるのだ。藤元の主人である吾朗は表向き人気職人だが、裏ではそこそこ有名な人形使いだ。遠くにある人形を少し操ることくらい、造作もない。

 こうして連絡があったということは、どうやら生きているようだ。主人は先ほど在宅していたから、てっきりやられてしまったとばかり思っていたが……。そうやって藤元は少し安心した。


『……聞こ、えるか……ふじ、もと……』


 しわがれた声は、ずいぶんと弱っていた。かなりまずい状態らしい。喉が枯れているのはいつものことだが、言葉にまったく力が入っていなかった。いつも自信に満ちている吾朗にしては珍しいことだ。

 目の前に浮いた人形は不安定に揺れている。ふらふらと落ちそうになるのを、藤元はとっさに手で受け止めた。手のひらに落ちた紙人形が、かさりと鳴る。


「ご無事でしたか、ご主人さま」

『あ、ぁ……問、題……ない……』


 問題ないようには見えないが、藤元は追及しない。吾朗は自分が黒といったものを否定されることを嫌う。たとえ白が正論で真実だとしても。

 藤元の主人はとても慎重な性格だ。臆病ともいえるくらい、念には念をいれて行動する。だから、藤元がこんなにも追い詰められた主人を見るのは初めてだった。


「私はどうすれば?」

『こ……この人ぎょ……を……そ、とへ……』

「外? 外とはどういうことでしょう?」


 藤元はすでに外にいる。意味がわからず首をひねり、周囲を見渡してみた。けれど、よくわからない。


『はや、はや……く、早く』

「はぁ……」


 よくわからないが、藤元はとりあえず歩き出す。しかし一歩踏み出した瞬間、足元へなにかが落ちてきた。目の前の地面に突き刺さったのは、灰色の小鳥だ。

 次いで、横と後ろにもトトッというなにかが刺さる音がする。慌てて振り返れば、地に口ばしを刺した小鳥五匹に囲まれていた。

 藤元に特別な力はないが、なにが起こっているかは予想がつく。なにかに閉じ込められたのだ。おそらく結界とか、そんなようなものに。実際それはアオガネが張った影による結界だった。


「な、どうすれば……」

『っぐあぁ!!』


 助けを求め、手の中の人形を見るが、その人形に黒い影のようなものがまとわりついていた。苦しそうな声が聞こえるが、藤元にはどうしようもない。指で影を払おうとするが、すり抜けてしまい、なんの効果もなかった。


「ご主人さま! どうしました?!」

『ぁが、がっ……やめ、やめろぉっ……!』

「あぁっ!?」


 突然、紙人形が朽ちていく。白い紙の端から黒に侵食され、まるで燃えるように小さくなっていった。しかし炎で燃やしたときのように灰は残らない。


『ぐぁ、あぁぁあぁぁぁ……!』


 藤元が目を見張って驚いているうちに、紙人形は跡形もなくなってしまった。いったいなにが起きたというのだろう。空になった手の中を、呆然と見つめる。

 吾朗は、主人は、どうなってしまったのだろうか。藤元は心配になるが、答えてくれるものはいない。けれどなんとなく察していた。己の主人は、きっともう存在しない。

 しばし呆けたまま突っ立っていたが、あんた、と声をかけられて藤元は我に返った。振り返ると、黒づくめの男……狭間がいる。藤元の周囲を覆っていた灰色の小鳥が飛び立ち、黒づくめの男の後ろにいた、薄ぼんやりした男……アオガネへ吸収されていく。


 ……あぁ、そうか。主人は彼らから逃れられなかったのだ。仕事を失ってしまった。今月の給料は支払われるのだろうか。

 非情かもしれないが、そんな心配が頭をよぎる。藤元はもうずっと長いこと吾朗に仕えてきた。といっても、広い屋敷を掃除してまわり、きれいに維持するくらいだったが。それでも、あの家にいる唯一の人間として、細々とした対応も多く行なっていた。

 それがもう、なくなったのだ。吾朗に命を救われてから数十年、ずっと仕えてきたのに。


「悪ィが、今日の記憶はもらっていく」

「……」


 狭間が手を頭にかざす。藤元はそれを避けようとすら思えなかった。それどころか、これからどうすればいいのか、まったく見当がつかない。

 ぼんやりしているうちに、身体がふわふわとしてきた。さっきまでの不安が嘘のように、心地いい気分になってくる。疲れた身体を風呂に沈めたとき、うっとりと眠くなる感覚に似ていた。


「……うぅ」


 たおれそうになったところを、アオガネが抱き止める。しかし藤元は眠くて目を開けていられない。礼を言わなくてはと思うが、それより先に睡魔に飲まれていく。



★★★



 ……気づいたら藤元は、司口家の玄関で寝ていた。あがりかまちから身体を起こし、こわばった筋肉をほぐすように伸びをする。近くには掃除用の箒が落ちていた。

 いったいどうして自分はこんなところで寝ているのだろう。わからないが、とりあえず掃除を終わらせなければ。そう考える。

 住んでいる人間がいないので、あまり汚れることはないけれど、掃除するのも藤元ひとりだ。計画的に進めなければいけない。

 休憩を挟みながら掃除をして、退勤時間になったら帰る。今日はたしか主人が在宅していたはずだから、一声かけよう。そう思って藤元は吾朗の作業部屋へと向かった。


「!!」


 失礼します、と軽いノックとともに中へ入る。が、すぐに藤元は驚きとともに立ち尽くした。

 目の前には主人だったモノがある。精巧に作られた人形の残骸だ。砕かれ壊れてしまっている。目があった場所はくり抜かれており、うつろだ。

 なにがあったのだろう。藤元は慌ててほかを探しに向かった。吾朗の居所はひとつではない。人形がありさえすれば、どこにでも存在する可能性があった。


 しかし人形部屋も、隠されている地下倉庫も、ありとあらゆる人形が壊されている。屋内に散らばって置かれていたいくつかの人形も同じだ。

 どの人形も砕かれ、目がなくなっている。吾朗が作る人形の目には宝石が使われていた。高価なものだけ取り去る強盗にでもあったかのようだ。

 なかには心臓部分もなくなっているものがあった。内側のつくりを藤元はよく知らないが、きっと値の張る部品がはいっていたのかもしれない。知識のない藤元には、そう推測するしかなかった。

 実際はそこにも宝石が使われており、狭間が抜き取ったのである。


「……ご主人さま?」


 藤元が最後の望みをかけてつぶやいた声には、ついぞ返事がなかった。

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