第34話 水野 志津

 学校を早退し結界にとじこめられ、狭間というおそろしい男に手を貸してから一ヶ月。水野はすっかり日常に戻っていた。

 あれから吾朗の姿は見ていない。噂によれば、彼の家にあるすべての人形が壊されていたのだとか。狭間の仕業だが、世間的には犯人不明になっている。

 最初は吾朗の家の使用人(今どき、そんな存在がいることに水野はびっくりだ)が疑われた。けれど動機がなく証拠もないことから、容疑者から外れたのである。


 水野はあのあと、神社へ戻ってきた狭間から手伝ってくれた報酬ということで、結界を張る道具をもらった。狭間から見れば、水野はその能力に対して自身を守る力が弱すぎる。なにかあれば、その道具で身を守れという意味だ。

 道具はかなり高価なものだろうことが、水野からも見てとれた。正直もらいすぎだと思う。断ろうとしたのだが、狭間はかたくなにおしつけた。

 かなり強力な結界が封じられた道具で、繰り返し使えるようになっている。範囲の指定や効果時間も使用時に調整可能であり、使い勝手がよさそうだ。水野はこういった道具の相場を知らないが、百万円しても驚かない。


「こんな高そうなもの、もらえません」

「そう言うってことが問題なんだヨ」

「そんなこと言われても……」

「そいつを一見するだけで価値を見抜く。ふつうの子どもにできることじゃァねェ」

「子どもって……もう十六ですけど」


 水野が反論したら、狭間ハッと鼻で笑った。狭間は人間の寿命以上に生きている。実際の年齢はわからないが、そのくらい水野は見ればわかる。

 それと比べたら、たしかに水野は子どものようなものかもしれない。でももう高校生になったわけだし、結婚できる年齢だし、ひと昔前なら成人している年齢だ。子どもではないと、子どもな水野は考えている。


「言ったろゥ、寿々さんには世話ンなったんだ。その礼も兼ねてる」

「おばあちゃんへのお礼を私にされても……」

「それに、また仕事を頼むかもしれねェ」


 それは嫌だ。反射的に顔をしかめてしまう。それを見ても狭間はおかしそうに喉奥で笑うばかりだ。どうやっても仕事を頼むつもりだからである。困っているのを見て楽しんでもいた。

 最悪だ。水野はうなだれる。もっと最悪なのは、渡された連絡先である。曽祖母の世話になったというのが建前であることを水野は理解していた。これまで、そういう相手にたくさん言い寄られてきたのだ。


「そいつは店の番号だヨ」

「質屋?」

「あァ」


 名刺には『質』というシンプルな一文字と、電話番号しか記載されていなかった。いくらなんでも簡素すぎる。そう感じたが、水野は口にしていいのか迷った。かわりに反論する。


「質に入れられるようなもの、持ってないです」

「くく……そりゃァいい」


 連絡するつもりはないことを伝えても、狭間は上機嫌なままだ。水野には意味がわからない。こういう、つかみどころのない相手は苦手だ。


「こっちは連絡先を教えるつもりないですけど……」

「問題ねェ、必要になったら連絡する」


 会話が噛み合わない。やはり水野は狭間が苦手だ。

 狭間のような裏の存在は、特殊な力を持っているものなので、もしかしたら水野の連絡先くらい簡単に調べられるのかもしれない。水野は自分をそうやって納得させたが、それはそれでいい気分ではなかった。


「とにかく、もう関わるつもりありませんから」

「そう願うヨ」


 つかれる会話を打ち切り、水野は置きっぱなしにしてあった自転車にまたがった。早く帰りたい。


「気ィつけて帰ンな」

「……」


 返事はせずに走り去って以来、水野は狭間にもアオガネにも会っていない。見てもいなかった。近くにいれば、あの強烈な力はすぐにわかる。そして、あれ以降の彼らを水野は知らない。

 帰り際の言葉の意味はすぐわかった。結界が解除されたせいで、よくないものがいたるところに見え隠れし始めたのだ。


 狭間たちと結界の影響は、数日内におさまった。そして非日常の中の非日常が終わり、今は非日常の中の日常を水野は過ごしている。

 先日から何度も読んでほしいとプッシュされた小説は、一応少しずつ読んでいた。いちゃもんをつけられ婚約破棄された貴族令嬢が、実はすごい力を持っていて……という話だ。


「おもしろいけど、前もにたようなのを読んだ気がする……?」

「それがいいんじゃなーい。安心して読めるでしょ」

「そういうものかしら?」

「そういうもんだよ。時代劇とおんなじ!」

「なるほど」


 そういえば、どこぞの黄門さまも一見ただのじじいなのに、実は権力者だ。それに暴れん坊な将軍だって、金持ちのぼっちゃんに見せかけた強くて偉いひとである。このような王道パターンというのは、価値と需要があるということか。

 つまり友人の好む小説は時代劇なのだ。勧善懲悪、わかりやすく安心して読める。水野はそう理解した。

 非日常にいる水野が日常を求めるように、日常に暮らす友人は非日常を求めている。特別な力というものは、そうやって遠くから眺めているくらいがちょうどいい。自分で持つのはめんどうだ。水野はそう思う。


 教室の端っこには、あの日いなかった小さなモノがいる。教卓の上にねそべっているのは、まだ名前もつけられない精霊のようなものだ。風で揺れるカーテンにしがみついているのは、なんの小妖怪だろう。

 彼らはほとんど力を持たない。日常に影響することのない存在だ。しかし非日常の存在である。そんな非日常が見える日常こそ、水野の生活だ。

 友人は非日常に憧れ、そういう小説を好む。水野は日常系の小説が好きなわけではない。でも非日常な小説は楽しみきれないことが多かった。


「やっぱり特別な力なんて、持つもんじゃないと思うけどな……」


 少なくとも、この力がなければ王道時代劇のような小説を楽しむことができたのだろうから。そう考えると、水野はなんだか損をしている気分になった。



★★★



「なあ、あんた!」


 学校の帰り道、水野は急に声をかけられた。のんびり走っていたとはいえ、自転車移動の女子高生に話しかけてくるとは。水野は嫌な予感がする。

 ちらりと見れば、サラリーマン風の男だった。裏の人間だ。水野から見てもあまり力はないようだけれど、関わりたくない。無視して通り過ぎようとすると、男は追いかけてきた。

 ひぇ、と口の中で小さく悲鳴をあげ、水野は自転車をこぐ足に力を込める。しかし男は追いすがってきた。こわい。


「あんた、狭間から宝石もらっただろ?!」


 スピードをあげようとしたところで、背中にかけられた言葉に、顔をしかめる。なぜここで、その名前が出てくるのだろう。水野は理解できない。


「もらってません!」

「でもあんた、寿々ばあさんの曽孫だろ?!」

「しっ知りません!!」


 水野は反射的に否定して、足にぐっと力を込める。しかし男も負けじと並走してきた。こわい怖すぎる。


「助けてくれ!」

「無理です!」


 ちなみにこの男は、狭間が結界内で接触し宝石を渡した男である。とはいえ、水野はそんなことは知らない。


「っきゃぁ!?」


 がくんと速度が落ち、転びそうになるのをあわてて体勢を保とうとする。結局水野は、男に自転車をつかまれ、止められてしまった。


「なにするんですか、もう……知らないって言ってるのに……」

「でもあんたにしか相談できないんだ! おれの宝石を見てくれ!!」

「はぁ……わかりました。見るだけ見ます。でも言っておくけど、私は本当に宝石はもらってないですよ?」

「えっ?」

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