第15話 渡部 由佳理
やっかいごとというものは、えてして片づけがたいへんだ。たとえば狭間の店が襲撃された場合、撃退して終わりではない。その後処理のほうが、撃退の数倍めんどうである。
中村親子の営む、寂れた喫茶店に珍しい客が訪れたのは、襲撃から半月ほど後のことだった。華奢な眼鏡をかけて長めの黒髪を後ろでていねいにまとめ、ラフなジャケットをはおった女性……渡部由香里は、営業しているのか不明な扉をおそるおそる開ける。ちりん、とドアベルが鳴った。
中は狭く、奥のカウンターでは華恵が手元でなにやら作業をしている。ベルの音に顔をあげるものの、すぐ目は手元にもどった。いらっしゃいの声すらない。
「……あ、あの、すみません」
「うちはコーヒーしかないわよ」
「えっ? はい、じゃあそれを……」
華恵はひと目で客がふつうの人間であることを見抜いていた。第一印象というより勘である。ふつうの人間というのはつまり、華恵や華南のような、ちょっと特殊な人間ではない、ということだ。
渡部は居心地悪そうに、そわそわとカウンター席に腰かけた。見渡した店内は、かろうじて掃除はされているが、殺風景で最低限だ。言葉を選ぶなら、シンプルである。
客は渡部ひとりのみ。店員はゆるい普段着を着た華恵だけ。それもカウンター内にいるから店員だとわかるだけで、エプロンすらつけていない。
「あの、すみません。こちらに湯川さんというかたは……」
「ちっ」
か細い渡部の声は華恵の舌打ちにさえぎられた。嫌そうな顔を隠そうもせずにコーヒーを淹れようとしていた華恵は、やっと顔をあげて渡部を見た。
「あんた、帰ったほうがいいわ」
「え? えぇっ、なんで」
「湯川のつてで、ここを知ったんでしょう? あのバカ、しばらく出禁よ」
「い、いえ違うんです。妹の残したメモに、湯川という名前と、ここの電話番号が書いてあって」
「妹?」
「はい、半月ほど前から行方不明になっています」
半月、という単語に華恵の片眉がぴくりとあがった。
「警察にも届けてるんですが、ぜんぜん情報がなくて……あの子ったらまた、危険なことをしてるんじゃないかと、気が気じゃないんです……」
「それで自ら探してるっていうのね?」
「はい」
「あ、そ。悪いけど湯川はたまにしか来ない客のひとりよ。妹さんに本当の番号を教えたくなくて、ここのを使ったんじゃないかしら」
「そんな……」
「さすがに客の情報をこれ以上ペラペラしゃべるわけにはいかないのよ。悪いけどあんた帰ったほうがいいわ」
華恵は半月という単語を聞いてすぐ、コーヒーを淹れる手を止めている。といってもまだ粉すら測り入れてなかった。
渡部はわかりました、とおとなしくスツールを降りて出て行く。ずいぶん素直だったので、ほかに当てがあるのか、または後で戻ってくるつもりなのか。華恵はそう予想して顔をしかめた。
「あの子に言って結界の設定を変えてもらわないと……あと、あいつに連絡しといてやってもいいわね……」
華恵はカウンターの隅へ追いやられていたスマートフォンをたぐり寄せると、なにやら操作し始めた。
★★★
華恵の予想は正しかった。渡部が次に向かったのは、竹下動物病院である。渡部の妹……狭間の店を襲い、全身の記憶を鉱石に変えられてしまった女は、自宅で多くの動物を飼っていた。
渡部が妹の部屋へ入ったとき、その半数ほどは死んでいた。飼い主が長期間帰宅していなかったためだ。残り半数は病院へ連れていき、里親を探した。
その際に見つけたのが隙間町にある竹下動物病院の情報である。妹の竹下病院のメモには「要注意」という注意書きが添えられており、その下に書かれた住所がバツ印で消されていた。取り消された住所は、竹下病院のものではなく、隙間町にあるペットショップのものだ。
渡部はすでにそのペットショップへ行ってみた。しかし、ごくふつうの店で、妹のことも知らないという。
そのペットショップからは竹下動物病院より、喫茶店のほうが近かった。そのため渡部は休憩もかねて喫茶店へ寄ったのだ。まったく休憩にならなかったが。
竹下動物病院は、インターネットで調べるかぎり評判のいい病院だ。良心的な値段でベテランの獣医師がそろい、エキゾチックアニマルも診てもらえる。入院設備がないことだけが難点、というレビューを思い出しながら渡部は病院の前で止まった。
入ることをためらわれたのだ。治療が必要な動物がいないのに、入っていいものなのか。迷惑でないのか。やめたほうがいいのではないか。
渡部はごく常識的な人間だ。遠慮がちで弱気なほうで、今回のような行動はとてもストレスだった。今も入り口で悩んでいる。
だからこそ、というべきか妹がどんな人間だったのか、まったく知らない。どうして行方不明になったのか、見当もつかない。この動物病院がなぜ要注意なのか、それもわからない。
「あの、どいていただけませんか」
迷っていたら、中から出てきた小型犬を抱えた女性に注意をされた。あわてて横へよけると、不審者を見る目で女性は通り過ぎて行く。
やはりやめたほうがいいかもしれない。しかし妹につながる手がかりが少しでもほしかった。まだ迷ってるいると、今度は新しい客が入っていった。けれど特に動物を連れている様子はない。
それなら自分もいけるのでは、と後に続く形で渡部は中へ乗り込んだ。中には受付があり、待合室がふたつにわかれていた。動物の種類によって待合室が変わるようだ。
前のひとは、なにかカード……おそらく診察券を渡してすぐに待合室へ入って行く。渡部は緊張しながらも、すみませんと受付へ声をかけた。
妹が行方不明になり、メモにあった情報をもとに来たことを告げる。要注意の単語は言わなかったが、受付の女性スタッフは少し待ってください、といってなにか調べてくれた。
「すみません、そのご住所とお名前では記録がないようです。当院にかかったことのある患者さんではないようですね」
「そうですか……ありがとうございます」
期待していなかったけれど、落胆はしてしまう。渡部は肩を落とすと、とぼとぼと歩き出した。隙間町で行けるところは、すべて行ってしまったが、なにも得られないままだ。
正確にいえば喫茶店の店員は、なにか知っていそうだった。妹のことはわからないまでも、湯川の知り合いであることはたしかだ。渡部は戻ってみることにした。
★★★
「おかしいわ……たしか、このへんに……」
渡部はさっきから、同じ場所をぐるぐるしていた。一度行ったはずの喫茶店が見つからないのだ。調べてメモした住所は合っている。それに、さっき見た風景が広がっていた。
それなのに喫茶店だけが見つからない。おかしいことはわかるが、ないものはなかった。だから同じ場所を行き来して確かめているが、結果は同じだ。
「なんで……」
十分以上そうしていたが、疲れた渡部は足を止めた。そして、ぼうぜんと立ち尽くす。
絶対に見つからないだろう、という妙な確信があった。それなのに、一度はおとずれた喫茶店が幻でないという自信がある。矛盾しているが、それが真実だった。
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