探偵なんて、うんざりだ。

霧氷 こあ

暗号よりも気になる彼女 Fall between two stools

暗号よりも気になる彼女Ⅰ

 窓から春風が吹き、一枚の桜の花びらが冴木さえきけんの目の前を通り過ぎていった。見つめていた将棋盤から目を逸らして窓の外を見る。

 西校舎四階からでも、中庭の桜の木がよく見える。その桜の根本では、今でもサークル勧誘を行っているのか、男女の声が間断なく飛び交っている。入学式早々から騒がしいものだ、と冴木は鼻白む。

「よそ見とは、随分と余裕じゃないか、賢」

 対面に座る萩原はぎわら大樹だいきが歩を前進させた。だがその手はすでに冴木の読みの範疇。角で敵陣へ一気に攻め込み、竜馬となった。

「ま、参りました……」

 大樹がどっしりと椅子にもたれて項垂れる。冴木よりもガタイのいい大樹の重みで、椅子が小さな悲鳴を上げたが意に介さぬ様子である。駒と同じ茶髪はついこないだ染めたばかりで、髪も短く整っている。

「また、僕の勝ちだな」

 冴木と大樹は腐れ縁で、小学生の時からよくボードゲームで遊んでいた。ミステリー研究会に入るという大樹の強い圧に負けて冴木も入ることになったのだが、結局やることはいつもと変わらなかった。元々人の少ない場所だとは知っていたので、こうして暇を潰せる空間を得られるのは、幸運だったかもしれない。

「三戦三敗か。ちょっとぐらい手加減してくれてもいいだろ」

「真剣勝負だから手を抜くなって言ったのは君だろう」

「そうだっけか」

 冴木は、欠伸を噛み殺して目元をぎゅっと抑えた。連戦すると頭よりも目が疲れる。だが冴木にとって目元のクマと、まるで生気を感じない瞳は標準装備されたものだった。

 冴木が目の疲れを気にしていると、ずっと部室の奥の椅子に座っていた瀬戸せとあかねが顔を上げた。

「あ、会長負けたのね。罰として冷蔵庫にあるコーヒー取ってくれる?」

 医学部の茜は常に白衣を身に纏っており、アンニュイな雰囲気も相まって男女問わず人気ものだ。中には姉御、などと呼ぶものもいるらしい。グレーのインナーカラーを入れた髪を、今は後ろで縛っている。

「ええっ、瀬戸先輩、負けたら罰なんてルールなかったじゃないですか」

「死人に口なし、近いんだからほら」

「勝手に殺さないでください」

 大樹は文句を言いながらも部室備え付けの小さな冷蔵庫から、ペットボトルに入ったアイスコーヒーを取り出して手渡している。

 この活動目的不明のミステリー研究会の会長を務めている大樹は、経済学部二年。対するサークルメンバーの瀬戸茜は医学部四年。結局良いように使われているのである。

 大樹はついでに自分の分の飲み物も取ったようで、手元にはパックのカフェオレがある。上蓋にストローを刺すタイプのものだ。それを見て、茜が口をへの字に曲げた。

「そのタイプの飲み物苦手なのよね、ストロー刺したときに破れた上蓋の部分も飲んじゃったことがあって」

「瀬戸先輩、これから飲む人の前でそういうこと言わないでくださいよ」

 大樹はストローをやや斜めにして慎重に刺している。再び野次が飛んだ。

「うわ、なんか採血するときの採血針刺してるみたい」

「やめてくださいよ!」

 大樹はカフェオレの容器を我が子のように抱いて反論する。

「今日はカフェオレがラッキーアイテムなんですから」

「ラッキーアイテム?」

 思わず冴木が口を挟むと、大樹は細かく何度も頷き返してきた。

「朝の星座占い見ないのか? 賢は何座だっけ」

「みずがめ座だけど……」

「よし、占ってやるよ」

「いや、別にいいけど……」

 冴木の呟きは大樹の鼓膜に届かなかったらしい。笑顔を取り戻した大樹がスマートフォンを操作しているところに水を差すのも悪いかと冴木が黙っていると、茜がすぐさま冷やかした。

「あんた結構乙女ねー。あ、今のはおとめ座って意味じゃないからね」

「分かってますよ」

 大樹は画面から目を離さずに答える。

「俺はうお座なんで」

 三連敗してうなだれていたのに、うきうきと星座占いをしている姿は水を得た魚のようだったが、冴木も茜も何も言わなかった。

「出た出た、ラッキーアイテムは蕎麦、そんでついでにラッキーカラーが……ピンクレッドだな」

「ピンクなのか赤なのかどっちなんだ?」

「さぁ?」

 いい加減な占いもあったもんだ、と冴木は溜め息を吐いた。

「そんなことよりさ」

 茜が飲みかけのペットボトルを机に置く。

「ミス研は部員増やさないわけ?」

「まぁ、一応チラシは作ってあるんですけどね」

 大樹は冴木に視線を送る。冴木は自分の後ろの棚にある段ボールにチラシが入っているのを知っていたので、それを一枚取り出す。ほとんど奪い取るように茜がチラシを手にして大樹の頭をぺしぺしと叩いた。

「チラシってのはね、配るためにあるのよ」

「ごもっともでございます」

「さ、行くわよ。人数増えないとこのサークルも淘汰されるわよ」

 現にここ数年のあいだにラクロス部、航空部、かくれんぼサークル、マッスル研究会が儚くも散っていった。しかし冴木にとってミステリー研究会はあってもなくても困らない存在である。そもそもミステリー小説は片手で数えるぐらいしか読んだことがないし、大樹の好きなオカルトミステリーは全くもって興味がない。

「いってらっしゃい」

 冴木がぼさぼさの頭をかきながら言うと、茜に首根っこを掴まれた。

「何言ってんの、あんたも行くのよ」

「僕は別に、ミステリーに興味ないですよ」

「いいのよ、あんたは人数合わせ」

 面と向かってそういう茜に、反駁はんばくする気力を冴木は持ち合わせていなかった。いつだって押しに弱く、たんぽぽの綿毛のように風に任せるままである。

 ほとんど茜に引きずられるようにして冴木と大樹は廊下に出る。もちろん西校舎四階という辺境の地に新入生などいるわけがない。まずは階段に向かって下に降りなければならない。だが、階段の踊り場で何やら揉めている男女がいた。

「まぁそういわずにさ」

 男の声が冴木たちの元まで聞こえてくる。

「ちょうどいいコーヒー豆も手に入ってさ、コーヒーとか好き?」

 男は背がひょろりと高く、耳にピアス穴が開いているのが見えた。女を壁側に追いやり、片手を突き出して逃げられないようにしている。そのせいで縮こまっている女の姿はよく見えない。

「お、リアルの壁ドンだ」

 大樹が面白そうに言う。だが、壁ドンされている女が小さな声で、

「あの、離していただけますか?」と言うのが聞こえた。

 茜が軽く舌打ちして男のほうに歩み寄る。この狭い階段で見て見ぬふりはできないし、茜は普段から正義感が強い人間なのだ。

「ちょっと君、何してるの?」

「なんだよ」

 男が振り返る。小さな顔に、黒髪マッシュが良く似合っている。だが、冴木の目を奪ったのはその端正な顔つきの彼ではなく、今まで影になっていて見えなかった女のほうだった。

 さらりと長い髪の毛。その色はやや赤みのあるピンク色。

 これぞまさしく、冴木のラッキーカラーのピンクレッドだった。

「彼女、なんだか嫌がっているように見えたから」

 茜が先頭に立ち、冴木と大樹は両脇で突っ立っている。これではまるで子分のようだ、と冴木は自分をみっともなく思った。だが、かといって表に出るようなことはしない。大樹はともかく、冴木の戦闘力は殆どゼロに等しい。

「俺が話してるときに、この子が興味があるって言ってきたんだぜ」

 男は突然現れたミステリー研究会一行を順繰りに睨みつける。

「なんで俺が悪者みたいになってるんだよ、なぁ」

 男が同意を求めるようにそう言うと、ピンクレッドの髪の女が頷いた。

「確かにそうですけれど、急にうちに来いと言われましても」

 女はもじもじと俯いていて何だか要領を得ない。隣で大樹が口を挟んだ。

「そもそも、何の話をしてたわけ? さっきなんかコーヒー豆がどうとかは聞こえたけどさ」

 問われた男はめんどくさそうな表情をしたあと、語りだした。

「実家の蔵から年代物っぽい金庫が出てきてな。何か貴重なものでもあるのかと思ったけど、ダイヤル式の鍵が掛かってて開かねぇんだよ。で、その金庫と一緒に置いてあった紙切れにそれっぽい暗号みたいなのが書いてあったんだ。それを解読できるやつを探しててな、コーヒーはその、おまけみたいなもんだ」

「開かない金庫ねぇ……」

 茜が目を細める。

「その話のどこに、興味があるって言ったわけ?」

 問われた女はもじもじしていた手をぐっと握り、チームミス研を正面に捉える。まるで子供が初めて動物園にいったような、あるいはクリスマスの日にサンタクロースからのプレゼントを見つけたときのような、純粋無垢な瞳がそこにあった。

「だって、暗号ですよ! 暗号!」

 冴木は喜々として話すみれいをみて、心の底から思った言葉を返す。

「暗号のなにがいいわけ?」

「分かりませんか? 第三者が見ても分からないように施された手法のことですわ」

「いや、それは知っているけれど」

「それを紐解こうなんて、知恵あるものの特権ですわ。ああ、まさしくミステリー……」

「いや、ただの防犯だろう」

「失礼、少々取り乱してしまいましたわ。それでえっと……」

 女は冴木の顔をじっと見た。

「わたくしは、今年入学しました。有栖川ありすがわみれいと申します。あなたは?」

「ああ、えっと、冴木です。冴木賢」

 みれいが順番に目線を送るので、それぞれが名前を言い合う時間となった。みれいに絡んでいた背の高い男は、宇津井うつい蒼宙あおひろと名乗った。経済学部三年で、冴木よりも先輩だった。

「それで、なんだってわざわざ解読しようとするわけ?」

 大樹が頭の後ろで手を組みながら言う。

「開かない金庫なら鍵屋に頼めばいいんじゃないの?」

「それが、実家ってのは母方の爺さん家で、金庫も爺さんのなんだよ。勝手に俺が開けるわけにもいかないだろ? でも、うちの爺さん去年から老人ホームに入居してて、ちょっとなんだ、ボケてんだよ。金庫のこと訊いたら、にやにやした顔で知らんっていうしよ」

「なるほどね」

 茜が頷いた。

「それで、その暗号を頼りにしているわけだ。でもなんでわざわざ家に招いたりする必要があるわけ?」

 宇津井先輩は目線を逸らして罰が悪そうにしている。例えば、ペットを飼いはじめたから見に来ないか、などという誘い文句もあるにはあるが、開かない金庫があって暗号を解きにこないか、とは随分とニッチな誘い文句だ。

「それはまぁ、いいじゃねぇかよ。俺が交友関係を広げる口実に使ったってよ。それに、先月は新聞部のやつらが二人来たんだぜ」

「その方たちは、暗号を解けなかったということですわよね?」

 みれいが質問すると、宇津井先輩はそうだ、と自信ありげにうなずいた。

「だからどうだよ。ちょっと見て行かないか。良いコーヒーメーカーを買ったばかりってのもあってな。よければ、瀬戸さんも」

 そういって宇津井先輩は茜に微笑みかけた。茜はじっくりと何か考えている様子で固まっている。

「瀬戸先輩?」

 大樹が心配そうにのぞき込む。

「これは、名を売るチャンスかもしれないわね……」

 茜がぽつりと呟く。それを聞き逃さなかった冴木は呆れたように言う。

「まだ、探偵まがいのことしているんですか?」

「まがい、とは失礼ね。これでもちゃんとした実績もあるにはあるのよ」

 茜は慕ってくる後輩たちの悩み相談のみならず、彼氏が浮気していないか捜査したり、迷子の子猫を探したり、時には意中の人に彼氏彼女がいないか素行調査したりと、探偵っぽいことを趣味にしている。それが意外と、ウケがいいらしい。

「瀬戸先輩って探偵なんですの?」

 みれいはうっとりとした表情で茜を見つめている。またしても、ファンが一人増えたのではないか、と冴木は本格的に呆れ顔になった。

「まぁ、そうね」

 茜は腕を組んで言い放つ。

「暗号解読なんてした暁には、富と名誉が不随しそうね」

「名誉はともかく、金庫の中はなんであれ別に渡したりしないぞ」

 宇津井先輩が慌てて反論する。

 何だかこのままでは宇津井先輩の家に行く流れになりそうだ、と冴木は危険を察知した。宇津井先輩のお爺さんの金庫の中身に興味はないし、暗号解読とやらにも全く興味が湧かない。それに、そんな話に食いついている茜やみれいは冴木とは別次元の人間にすら思えてくる。

「まぁ、暗号解けるといいね」

 冴木は話はこれで終わり、とばかりに片手を挙げて立ち去る。

「じゃ、僕はこれで」

「待ちなさい」

 またしても、冴木の首根っこが掴まれる。

「あんた、か弱い女の子二人を、こんな胡散臭い男の家に行かせて平気なわけ?」

「か弱いって……」

 冴木は周りをきょろきょろと伺う。

「誰と誰が?」

「あんたの目は節穴なの?」

「僕じゃなくても、大樹がいるだろう」

 冴木が大樹に助けを求めるが、大樹は両手をぱんと合わせて頭を下げた。

「わりぃ、俺今日柔道なんだ」

 大樹の実家は柔道教室を開いており、大樹もそれに参加しているのは冴木も知っていた。

「……じゃあ、僕も柔道」

「じゃあ、って何よ」

 茜に鋭く追及され、冴木はがっくりと項垂れた。

「胡散臭いって……」

 茜の後ろでは、宇津井先輩も項垂れてた。

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