ご所望のタルトは何処に?Ⅵ

 栄子は、がっくりと項垂れているみれいの背中をさする。机上には、半分ほどなくなっている野菜ジュースと、ヘタにキッチンペーパーを当てた状態でラップにくるまれている柿が一つ。保存状態は良さそうだった。

 おそらく、みれいが喫茶店にいたときに持っていた保冷バッグの中身が、タルトだったのだろう。彼女の証言いわくレアチーズタルトらしいが、今それはどこにもない。

「七宮さん、少しだけそっとしておいてもらえます……?」

「え、ええ。もちろん」

 栄子は憐れみながら席を立つ。ゲーミングチェアに座っている一ノ瀬は、コンティニューしてゲームを続行しているようだった。この状況下でも続けるとは、よほど面白いゲームらしい。何をやっているのかと覗きにいくと、見覚えのある横スクロールアクションゲームだった。

「あ、これって魔物村だっけ?」

「違う」

 即答された。だがどうみても、昔流行ったゲームにそっくりだ。栄子が首を傾げていると、一ノ瀬がはきはきと言った。

「魔物村3、宇宙からの刺客」

「ああ、続編ってことね」

 栄子はなるほど、と頷く。それにしてもいつからここにいたのか、と問われたときと同様に、答えがいちいち細かい。そういう性格なのだろう。

「あーもう……」

 みれいが机におでこをぐりぐり押し付ける。

「冴木先輩の誕生日会にも参加できず、挙句の果てに持ってきたタルトまで紛失するなんて……ついていませんわ」

「僕もう帰ってもいいかな」

「駄目ですわ! それに、七宮さんと取材があるんですから……あ、そうですわ!」

 急にみれいが頭を上げて栄子を見る。その瞳は、爛々と輝いていた。

「七宮さん、冴木先輩を連れてきたのは何も年長者だからというだけではありませんの」

「はぁ……?」

「一番面白い取材の内容になると思ったからなんですのよ」

「と、いいますと?」

 どうやらタルトのことはひとまずおいて、取材を済ますようだ。栄子はメモ帳と、ボイスレコーダーを取り出す。

「冴木先輩はですね、我がミステリー研究会の探偵なんですわ」

「探偵?」

 部長がうふふ、と笑っていたのを栄子は思い出す。もしかしたら瀬戸茜のことかもしれないとは思っていたが、この何とも頼りなさそうな冴木が探偵だとは夢にも思わなかった。俄かには信じがたい。

「そう、探偵ですわ。まずは手始めに、わたくしが持ってきたタルトの行方を冴木先輩がずばり当てますわ」

「そもそもタルトなんてなかった」

 冴木が突然割って入った。

「以上、証明終わり」

「ちょ、ちょっと、冴木先輩! タルトは確かにあったんですのよ、ほら、七宮さん。御覧になりましたわよね? 喫茶店にいるとき、わたくしが持っていた保冷バッグ。あの中にあったんです、レアチーズタルト。保冷バッグは一度家に帰ったときに置いてきてしまいましたけれど」

「ええ、まぁ確かに保冷バッグがあったのは見ましたけれど、中身は見ていないのでレアチーズタルトがあったかどうかは」

 栄子が正直に言うと、冴木は二回小さく頷いた。

「シュレディンガーのタルトだよ。あったかもしれないし、なかったかもしれない。ないなら、別にまた買えばいいだろう」

「もう、冴木先輩まで……。確かにレアチーズタルトはあったんですの!」

「なら、迷宮入りだね」

 冴木はあっさりと言い捨てて欠伸をする。まるで探偵とは真逆に思えるが、記事は大丈夫だろうか、と栄子は不安になった。

「わたくしは認めませんわ……。一ノ瀬さん!」

 みれいが今度はいまだにゲームを黙々と続けている一ノ瀬に話を振る。

「チューチューアイスを食べていたということは、冷凍庫は開けたということですわよね。その時、野菜ジュースも飲んだと仮定すると、冷蔵庫も開けたことになりますわ」

 一ノ瀬は集中しているのか親指と人差し指を細かく動かしながらも、頭を縦に振った。みれいが満足そうに言葉を続ける。

「それは、一ノ瀬さんがその椅子に座った十二時四十四分前後の話ですわよね?」

 一ノ瀬は追加の質問に今度は首を斜めに傾けた。肯定か否定か、判断がつかない。しばらくの沈黙のあと、ゲームの区切りがついたのか、一ノ瀬はようやく画面から目を離した。

「一度、十時十分にも部室に来た。そして、買ってきた野菜ジュースを冷蔵庫にしまった。その時に、レアチーズタルトはなかった。そしてその三分後、十時十三分には部室を出た」

 相変わらず几帳面というか神経質な物言いだ。だが、それだけ的確に覚えているということは、それだけレアチーズタルトがなかったことの裏付けになるように思えた。

「うーん、他に何か変わったことはございませんでした?」

「机の上に、弁当箱が置いてあった」

「弁当箱……。確かに言われてみると、机の上に何かあったような、なかったような気がしてきますわね。曇り空でなおかつカーテンも半分閉まっていて部室全体が薄暗かったせいかあまり覚えていませんわ」

 みれいは机の上をじっと見つめている。もちろん、今は弁当箱なんてない。喫茶店での話が終わってからすぐにレアチーズタルトを置きにきたとすれば、時刻は七時台なので十時十分に来た一ノ瀬がレアチーズタルトを見なかったということは、この三時間弱ほどのあいだにレアチーズタルトは紛失したということになる。そして一ノ瀬が部室を出たあとに、弁当箱もなくなっている。

「糸口が、見えたね」

 冴木が低い声で言う。

「誰かが食べたんじゃないんですか?」

 栄子はもっともな意見を口にした。レアチーズタルトは食べ物なのである。なくなったのなら、誰かが食べてしまったと考えるのが妥当だろう。

 レアチーズタルトを渡すことを知っている茜は除外するとして、残りは誰だろう、と栄子は考える。

「萩原会長は柔道ですし……」

 みれいが鋭く一ノ瀬を見た。

「一ノ瀬さん、実はレアチーズタルトを食べたんじゃありません?」

「食べてない」

 即答だった。

「となると、小向璃音さんか、藤田早紀さんですわね」

 みれいが腕組みしながら唸った。

「ああ、そうか。璃音も容疑者の一人なのか……」

 栄子が納得すると、みれいが驚いたようにこちらを向いた。

「あら、お知り合いでしたの? では、早紀さんも?」

「いえ、璃音しか知りません。中学のときからの知り合いでして……、でも璃音と藤田早紀さんって人は冴木先輩の誕生日会に参加していたんじゃないんですか?」

 栄子は冴木に視線を送る。次いで、みれいと一ノ瀬もつられるようにそちらを向く。三人の視線を浴びた冴木は仕方ないといった様子で口を開いた。

「午前四時過ぎには解散して、食堂に行ったけど大樹は電話がかかってきてからそのまま帰っていった。藤田君は東校舎の研究室に忘れ物だって取りに行って、そのあと食堂に戻ってきたかな。ちょうど、七宮君と入れ違いでね。その後藤田君は四十九日の法事があるから夕方ぐらいに部室に顔出すと言っていたかな」

 確かに、栄子が食堂に行ったのは朝の五時頃。食堂には璃音と冴木がいたし、入れ違いで藤田早紀という子も見ている。説明に矛盾はない。

「あの、ちょっと疑問なんですけれど」

 栄子はおずおずと手を挙げる。

「はい、七宮さん」

 先生が生徒を指名するように、みれいが指名した。

「冴木先輩は、容疑者じゃないんですか?」

「それは、物理的に無理だ」

 冴木が心外と言わんばかりに答えた。

「どうしてですか?」

「この部室の鍵は、同じ階にある女子トイレに隠してあるらしい。したがって、僕は鍵を取りにいけない」

「開いていた、という可能性は?」

 めげずに問うと、一ノ瀬が間髪入れずに答えた。

「それはない。私が確実に鍵を開けて入って、出るときも鍵を閉めた」

「そっかぁ……」

 栄子は落胆する。この部室に自由に出入りできるのは女性だけだということだろう。

「私の推理は外れかな。なんだか冴木先輩が有栖川さんからのタルトを受け取りたくないように思えて……先手を打ったのかと」

「そもそも僕は、タルトの存在を知らなかったからね」

 それもそうか、と栄子は納得する。再び考えこもうとしていると、みれいが痺れを切らしたように一ノ瀬に向き直る。一ノ瀬はこの話題に興味がないのか、再びゲームをやろうとしていた。

「一ノ瀬さん、もう何だか我慢の限界ですわ。璃音さんに電話してくださいます? レアチーズタルトの行方について何か知っていないかお尋ねしますわ」

「スマホの充電がない」

「なら私が……」

 栄子は再び手を挙げる。

「あ、でも返事がこないんだった。璃音のやつ、昼前になんか救急車に運ばれていってそれっきりで」

「え?」

 みれいが大きな瞳をより大きくした。

「いつ、どこでですの?」

「ええと、十一時すぎに、食堂で」

「あらまぁ。徹夜明けで体調を崩されたのかしら、それとも何か悪いものでも食べたんではありません? でも、お昼には早い時間ですわね」

「そうなんです。そのうち返事がくるとは思いますけれど……」

 ここで会話は途切れた。どうも、埒が明かない。レアチーズタルトはどこにいってしまったのだろう。

 静寂を破ったのは、みれいだった。

「仕方がありませんわね。なくなってしまったのなら、また作ればいいんですわ。茜ちゃんに立ち会ってもらわないといけませんけれど」

「ちょっと待った」

 冴木が反応した。

「作る?」

「ええ、レアチーズタルト。レシピを恵美めぐみさんに教えていただきましたので」

 返事をもらった冴木はしばらく押し黙ってから、ポケットに手を突っ込んだかと思うと棒付きのキャンディーを取り出して口に放り込んだ。

「恵美さんって?」

 栄子が尋ねる。

「実家の、家政婦さんですわ。実は今日も、ランチをご一緒したんですの。妹も一緒に」

 栄子にとっては家政婦がいる、という事実よりもお昼ご飯をランチ、と呼んだことのほうに感心していた。育ちの良いお嬢様はお昼ご飯をランチと呼ぶらしい。家政婦なんていうのは、どうもリアリティが湧かない。それぐらい、栄子は質素で田舎育ちだった。

「あれ、冴木先輩どうかなされました?」

「いや、別に……。とにかく、有栖川君はもう作らないほうがいいと思うよ。タルト」

 それだけ言い残すと、冴木は席を立って扉に向かった。みれいが慌てて椅子から飛び上がり、叫んだ。

「もしかしてですけれど、冴木先輩。このレアチーズタルト事件、もう解決しているんじゃありませんの?」

「そんなまさか」

 栄子は鼻で笑って冴木を見る。

「分かりっこないですよ。これまでの話で何か分かったっていうんですか?」

 冴木が立ち止まって振り返った。

「何か、じゃない。全部だ」

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