ご所望のタルトは何処へ?Ⅶ

 ゲームを続行することにした一ノ瀬を部室に残し、栄子たち三人は廊下に出る。すたすたと歩いていく冴木の背をみれいが追いかけるので、栄子もそれに続いた。

「あの、冴木先輩。タルトの行方がお分かりになったんですか?」

「有栖川君。まずは、謝りにいこうか」

 みれいの問いに、冴木は振り返りもしない。

 謝るとは、なにを、そして誰にだろう、と栄子は漠然と思った。じっくりと考えこむには、少々足早に移動しすぎている。今立ち止まって考えこんだら、事の顛末を知る機会を逃す、そんな気がした。

 冴木の目的地は、地下駐車場だった。というより、車だった。冴木は近くにあった古そうな軽自動車の鍵を開けて、当たり前のように運転席に乗り込む。みれいが助手席のドアを開けながら、栄子を見た。

「七宮さん、後ろに乗ってくださる?」

「分かりました……これ、冴木先輩の車ですか?」

「いえ、萩原会長のです」

「は、はぁ」

 栄子が困惑しながら後部座席に乗り込もうとすると、運転席のシートが全開に倒れていた。

「悪いね」

 運転席の冴木が、シートを戻しながら説明してくれた。

「昨日から大樹の車を借りていてね。ここで寝るのは、よくあることなんだ」

 よくみると、コンビニの袋がゴミ袋代わりになっているのか足元に点在している。それに、座席の隅にチューハイの缶があり、微かにアルコールの匂いもする。つまり、誕生日会のメンバーを乗せて移動していたのだろう。自分の誕生日会で足がわりに使われていたようだ。

「璃音たち、車でもお酒飲んでたんですね」

「そう。僕はアルコール飲まないから……大樹と、瀬戸先輩、小向君と、藤田君がね。何軒も居酒屋を巡った挙句にカラオケに行ったんだけど……いや、連行されたのが正しいかな。まだ匂いが残ってる?」

「匂いと、あとゴミもありますよ」

「大樹に怒られる前に、片付けておくよ」

 冴木はそういうとエンジンをかけて、車を発進させた。みれいが楽しそうに言う。

「それで、冴木先輩。どちらへ行くんですの?」

「え?」

 冴木はそんなことも知らずにのこのことついてきたのか、と言いたげな表情をしている。しかし、それは栄子も同じだったので成り行きを見守ることにした。

「どこって、病院以外にないだろう」

「病院……?」

 みれいは理解していないようだ。栄子は思うところがあったので、素直に尋ねる。

「璃音のところに行くということですか?」

「たぶん、近くの市民病院だろう」

「どうして、璃音のところに行くんですか?」

 聞き方を変えてみたが、冴木の返事はなかった。いちいち答えなくても分かるだろう、ということなのか、それとも何故そんなことも分からないのか、と思われているのか。どちらにせよ、栄子の問いに対する答えは得られなかった。

 車は軽やかにスロープを上っていく。外に出たとき、対向車が見えた。

「あ、冴木先輩。ちょっとだけ止めてくださいます?」

 みれいが声を出して車を停止させる。停車したのを確認したのか、対向車のプリウスがゆっくりとスピードを落としてウィンドウを下げた。

「こんにちは。冴木先輩、お二人揃ってデートですか?」

 プリウスを運転していたのは、藤田早紀だった。容疑者の一人である。ハンドルを握っている指に、絆創膏が巻いてあるのが見えた。

「デートでもないし、二人でもない」

「あれ、本当だ。こんにちは」

「こ、こんにちは!」

 栄子は後部座席にいるので少々声を張って挨拶した。

「藤田君は、もう法事は済んだのかな?」

 冴木が訊くと、早紀は歯切れのよい声で「はい」と答える。

「無事に済みました。家も、すぐ近くですからね」

「あの、早紀さんどちらへ行かれますの?」

 みれいが助手席から身を乗り出して早紀に話しかけた。冴木が居心地悪そうに押し込まれている。

「ちょっと部室にね。璃音がレポート書いてると思うから」

「部室には今、一ノ瀬さんしかいらっしゃいませんわ」

「あ、そうなの? じゃあ図書室かなぁ、調べものがあるって言っていたから」

「いいえ、図書室にもいらっしゃらないんです」

 早紀が眉を顰める。どうして、というよりなぜ知っているのかと言いたげだった。

「言いにくいんですけれど、璃音さんはお昼前に食堂で倒れて、救急搬送されたそうなんですわ」

「え!?」

 早紀が口元を抑えて硬直する。法事で帰っていた早紀には知り得ない情報なので、当然といえば当然だが、若干オーバーなリアクションだな、と栄子は思った。そして知らなかったということは、やはり璃音とは連絡がとれていないということだろう。

「これから、わたくしたちはお見舞いというか何というか、様子を見に行くところなんですの」

「ちょっとまって、璃音が? 救急搬送されたって、どうして?」

「いえ、それがまだ詳しく分からないんですの」

 しばらくの沈黙のあと、早紀が小さく言葉を零した。ほとんど声になっていなかったが、口元の動きで把握することが出来た。

「わたしのせいだ……」

 突如、クラクションが鳴った。いつの間にか、早紀の運転するプリウスの後ろに別の車が来ている。地下駐車場に停めにきた他の学生だろう。仕方なく、早紀はどこか魂の抜けたような表情をしながら車を発進させた。

 地下へ潜っていく早紀の車を背に、冴木の運転する車は市民病院に向かい前進する。なぜか車内は無言で、重たい空気だった。

 外は、午前中の雨模様が嘘のように晴れはじめて、ところどころ天使の梯子がかかっている。夕方からは晴れるようだった。

 数十分して、近くの市民病院に到着した。大学で何かあれば迷わずここにくるだろう。栄子たちはひとまず、ロビーにある受付を目指す。

「では、わたくしが訊いてきますわ」

 みれいが足早に受付へと向かっていく。栄子はそれを見送って、ロビーの座席を陣取った冴木の隣に腰かける。ここに来るまでに考えていた意見をぶつけてみることにした。

「冴木先輩たちが、カラオケから車で大学の地下駐車場まで戻ってきたのが、四時過ぎだって言っていましたよね?」

 冴木が目を瞑ったまま首を上下に動かす。充電の残りわずかなロボットみたいな反応だ。

「冴木先輩たちはコンビニかなにかで買っておいたデザートを持って食堂に行った。ここまでは合っていると思います。でもこの後、早紀さんが忘れ物を取りに東校舎にある研究室に行った、これが嘘だと思います」

 冴木がようやく目を開いた。

「どうして、そう思うんだい?」

「西校舎の食堂から、東校舎にある研究室に行くには、一階のピロティを通らないといけないんです。新聞部の部室が東校舎にあって、私は食堂に行くあいだに雨に濡れました。でも、早紀さんが食堂に戻ってきてすれ違ったとき、彼女は濡れていなかった。だからあの時、冴木先輩は雨が止んだかどうかを質問していたんです」

 三階の渡り廊下は補修中で通れないと、部長が言っていたのを栄子は覚えていた。それに、一階の食堂から東校舎に向かうなら階段側へ行くよりもピロティを通ったほうが近いのだ。

「早紀さんはきっと、研究室じゃなくてミス研の部室に行っていたんだと思います。これは誰にも言っていなかったんですが、私が新聞部の部室にいたときに、ミス研の部室のカーテンが閉められて電気が点くのを見ました」

「なるほどね。でも、藤田君は何をしに部室に行ったんだろうね」

 栄子は記事の内容に頭を抱えていて、もう四時半だと焦っていた。そしてその時に部室の明かりが点いたのを知っていた。だからこそ、辿り着いた推論である。それなのに、それを知り得なかった冴木がすでに答えを知っていてわざと訊いている。そんな気がした。

「……分かりません。私が考え付いたのはそこまでです」

 栄子は唇を噛みしめる。そこへ、みれいが戻ってきた。表情からしてやはり璃音はこの病院にいるようだ。

「部屋が分かりましたわ。それと、なぜ搬送されたのかも」

「何だったんですか?」

「食中毒だと、仰っていましたわ」

 栄子は、ノロウイルスに関するポスターが食堂の前に貼ってあったのを思い出す。ということは、璃音は食堂で食事をとったときに、食中毒になったということだろうか。でもあの時はまだ昼前だった。徹夜だっただろうから、食べる時間帯がおかしかったのか。それとももしかして、部長と同じでおやつを食べていたのではないだろうか。

 栄子がぐるぐると頭を回していると、痺れを切らしたのかみれいが冴木に詰め寄った。

「冴木先輩、いい加減に教えてくださいません? もうタルトは諦めますから、お願いしますわ」

「分かった」

 冴木は妙にあっさりと答えて、ポケットから棒付きキャンディーを取り出した。


 

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