ご所望のタルトは何処へ?Ⅷ

 冴木が棒付きキャンディーを頬張っているのを、栄子はただじっと見ていた。決してキャンディーが欲しいわけではない。欲しいのは、その口から発せられる冴木の――探偵の推理だ。

「まず、早朝に藤田君が研究室ではなく部室に行った理由からだ」

 冴木がゆっくりと話し出す。

「あれは、小向君に渡すお弁当を置くためだろう。いわゆる、サプライズみたいなものだろうね。あの日に徹夜したあと部室でレポートを書くと知っていた藤田君は、事前にお弁当を作って地下駐車場に停めた車にしまっていた。あるいは、家が近いから取りにいったのかもしれないけれど、準備をしていたわけだ。地下駐車場に行くぶんには、雨で濡れない」

 一ノ瀬が、部室に弁当箱があったと言っていた。それを置きに行ったのを偶然、栄子が部室から見たのだ。

「もしかして、柿もですの?」

 みれいの質問に冴木が頷く。

「お酒を飲むのは分かっていたから、二日酔い対策じゃないかな。冷蔵庫は小さいから弁当箱はしまえないけど、柿はしまえるからね。暗い部室で、電気もつけずに後からきた誰かさんがタルトを押し込んだせいで、隠れてしまったようだけど」

 みれいが恥ずかしそうに頭の後ろを掻く仕草をした。

「かくして、お弁当と柿、そしてタルトが部室に残った」

 冴木が棒付きキャンディーをもてあそびながら言う。

「お弁当箱に、メモかなにかで冷蔵庫にデザートがあるよと書いておけば必然的に冷蔵庫も開けるだろう。そこで本来は柿を取るはずだったんだけど、有栖川君のタルトが手前にあったからそれを取ったんだ。藤田君からのものだと勘違いしてね」

 その行動をとれるのは、もう小向璃音しかいない。みれいもそれに気づいたようだった。

「ということは、お弁当とタルトを持って食堂に行った璃音さんは、それを食べて食中毒になったということですの?」

「そういうことだろうね」

 みれいの言葉に冴木が首肯する。だが、栄子にはまだわだかまりがあった。

「でも……」

 栄子が気になった部分を質問しようとしたところで、ロビーに先ほど見た顔が二人現れた。藤田早紀と、一ノ瀬である。

「あの、有栖川さん! 今少し聞こえたんだけど、食中毒って璃音のこと? もう会ったの?」

 早紀は顔色が悪い。璃音の容態をいち早く知りたいようだ。

「これから伺うところですわ」

「そう……。病室、教えて。はやく謝らないと」

 早紀は足早に階段へ歩いていこうとする。その背中に、冴木が声を掛けた。

「謝る必要はないと思うよ」

 ぴたっと早紀の足が止まる。ほとんど泣き出しそうな顔で、早紀が振り返った。

「どういうこと?」

「そのままの意味」

「……冴木先輩にはいっていなかったけど、私ね、璃音にお弁当を作ったの。まだ料理は不慣れだったけれど、私なりに一生懸命作って……」

 栄子は先ほど、早紀の指に巻かれた絆創膏を見ている。それに、ミステリー研究会の部室の本棚には、料理に関する本もいくつかあった。

「うん、でも彼女は君のお弁当をまだ食べていないと思うよ」

 冴木の発言に、早紀は閉口した。代わりに、みれいが口を開く。

「でも先ほど、食べて食中毒になったって仰いませんでした?」

「弁当の前に、君のタルトを食べたんだよ」

「え……?」

 まるで時が止まったかのように、全員の動きが止まった。

 栄子は、璃音が三度の飯よりデザートが好きだと知っている。だから先にタルトを食べたのだ。でもまだ、煮え切らない疑問が一つある。

「冴木先輩、でもおかしいです。璃音はどうやってタルトを持ち出したんですか? 璃音がお弁当とタルトを取る前に、一ノ瀬さんがチューチューアイスと野菜ジュースを、それぞれ冷蔵庫と冷凍庫に仕舞っているんです。その時に、タルトはなかったって一ノ瀬さんは証言しているじゃないですか。矛盾しています」

「一ノ瀬君は、タルトがないとは言っていないよ。なかったと言ったんだ」

「同じじゃないんですか?」

「なら、一ノ瀬君に訊いてみるといい。タルトがあったかどうか」

 全員の視線が一ノ瀬に集まる。一ノ瀬は眼鏡をくいっと持ち上げながら、真顔で答えた。

「タルトはあった」

「どんなタルト?」

 冴木が補足で質問する。

 なんでも細かく応える一ノ瀬。レアチーズタルトはなかったが、チョコレートタルトはあった、という解釈をしていたのだと理解して、今回ばかりは流石に栄子もうんざりした。

「でもどうしてチョコレートタルト……あっ」

 栄子の頭の上にビックリマークが飛び出た気がした。早朝、喫茶店でのみれいと茜の会話が思い出される。

 ――バレンタインデーだからってレアチーズタルトを作るのはいいけど、ボヤ起こしちゃダメでしょ。

 ――でも、事前に消火器も用意しておきましたわ。おかげで、消防隊の方々がいらっしゃったときにはほぼ鎮火できていましたし……。

「いいかい、七宮君」

 冴木が憐れむように呟いた。

「有栖川君は、非常に……いや、壊滅的に料理が下手なんだ」

 みれいが赤く染まった頬に両手を当てた。

「ひどいですわ、冴木先輩……。少しだけ焦げただけですわよ」

 冴木がタルトを食べたがらない理由が分かり、栄子は今度こそ溜め息を吐いた。




 栄子は、病室の扉を開けた。後ろには、早紀も一緒だ。大勢で押し掛けるのも迷惑ではないかという話になって、先陣を切ったのが二人だった。

 病室の窓は半分ほど開いていて、涼しい風が白いカーテンをひらひらと靡かせている。その時に初めて、何も見舞いの品を持ってこなかったことを思い出した。栄子のポケットにはメモ帳とボイスレコーダーしかなかった。

 ベッドで横になっていた璃音が、視線をカーテンから栄子たちに移動させた。

「わざわざ来てくれたんだ。珍しい組み合わせだね」

 璃音は苦笑しながら片手を挙げて見せた。思ったよりは回復傾向にあるらしい。

「璃音、その……」

 ベッドの脇に屈みこんで、早紀は心配そうに璃音の手を握った。

「ほんとに、私の作ったお弁当食べてないの?」

「うん……? どうしたの、そんな泣きそうな顔して」

「タルトは、タルトは食べたの?」

「うん、食べちゃった。すごい味だったよ。チョコじゃなかった」

「良かった……」

 涙目になりながら安堵する早紀を見て、璃音が難しそうな顔をする。

「いや、良くはなかったけどねぇ。あれ作ったの早紀ちゃんじゃないでしょ。私てっきりあれもだと思って一緒に持っていっちゃったけど、あのタルトってもしかして」

「うん、有栖川さんが作ったって」

 あちゃあ、と璃音がおでこに手を当てた。栄子がどうしてこういうことになってしまったのかを簡単に説明すると、璃音はおかしそうに笑った。

「なんていうか、ついてないね。私」

「でも、すぐ良くなるんだよね?」

 早紀はまだ心配そうに璃音の片手を握っている。涙は止まっていたが、今にもまた溢れてきそうだった。よっぽど心配していたようだ。

「うん、お薬飲んでしばらくゆっくりするだけ。明日か、明後日には退院できるからね」

 早紀は何度も良かった、と呟いた。

 開いた窓から吹き込んだ風がカーテンを揺らし、陽が病室を満たす。早紀の身に着けているキリンのネックレスが淡く輝いた。

 そうか、あれはサファイアではなくラピスラズリだ、と栄子は思い出した。和名は瑠璃で、石言葉は健康、愛。

 璃音は昔から後輩の女子からラブレターを貰っていた。彼女は昔からそう、女性に好かれる子だった。そして、男性との交際は長くは続かないのだ。

「なんだ、だからお弁当なんて作ってあげてるのね」

 栄子が小さな声で言うと、璃音が「何かいった?」と首を傾げた。

「ううん、何でもないよ。先にロビーに戻るね。お大事に、璃音」

「ありがとう、栄子」

 璃音と早紀を残して、栄子は病室を後にした。二人きりにしてあげようかという配慮もある。でもまだ、冴木に訊きたいことがあった。

 ロビーに戻ると、すでに冴木の姿は見当たらなかった。みれいと、一ノ瀬だけが病院の雰囲気に馴染めないでいるのか、よそよそしく座っている。

「有栖川さん、冴木先輩は?」

「なんだかもう帰ると仰って、車に戻っていかれましたわ」

「ああもう、逃げられた! 何分ぐらい前?」

「二分前」

 一ノ瀬の正確な時間情報を得て、栄子は病院を飛び出した。まだ駐車場にいるかもしれない。

 予想は当たって、冴木がちょうど車のエンジンをかけたところだった。やはりアルコールの匂いが漂っていたのか、ウィンドウを半分ほど開けて換気をしている。今なら声が届く気がした。

「冴木先輩!」

「やあ」

 冴木が呑気に片手を挙げる。

「まだ、訊きたいことが、あったん、です」

 急に走ったせいで荒い呼吸を整えながら、栄子は質問する。

「璃音と、早紀の関係は元から知っていたんですか?」

 冴木はいつの間にかポケットから棒付きキャンディーを取り出していた。そのうちの一つを、栄子も受け取る。

「キリンって、九割は雄同士で交尾するらしいよ」

「はい?」

「スロープ上がったときに、藤田君の車とすれ違っただろう。僕は運転席にいたから見えたけど、助手席に包装紙があった。バレンタインデーのチョコも、用意していたんじゃないかな」

「たったそれだけで、二人の関係を?」

「別に、深読みしているわけじゃない。お弁当を作ったりしてあげるような仲ってだけだろう」

「……探偵だっていうのは、本当だったんだ」

 栄子の心の中で思っていたことが口から出ていた。

「うん?」

「いつから分かったんですか、このタルト事件! それに、開かずの金庫も開けたそうじゃないですか。ぜひ、冴木名探偵の推理を記事にさせてください!」

 栄子が鼻息荒く詰め寄ると、冴木は虫でも払うかのように手を振った。

「僕は取材には答えないよ。そんなことをしたら、僕の求める平穏無事なキャンパスライフが遠のくだろう」

 冴木が左手でギアを操作した。

「探偵なんて、うんざりだ」

 冴木はそのまま車を発進させて、帰ってしまった。病院のロビーにいるみれいはどうするんだろう、と思ったが早紀の車に乗れば問題ないか、と思い至った。

 ひょんなことから関わったミステリー研究会。

 変わった面々ばかりだったが、確かに彼は……探偵、なのだろうか。

 貰った棒付きキャンディーを見ると、焼きそばチョコソースブレンド味と、全く食欲をそそられない文字が並んでいた。これを食べたら、もれなく璃音の隣で一緒に寝る羽目になりそうだ。

「ほんと、変わった人……」

 二月の冷たい青空の下で、栄子は呆れたように笑みを浮かべる。いつの間にか晴れ渡った空には、虹がかかっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る