ご所望のタルトは何処に?Ⅴ
栄子は、約束の四十分も前にミステリー研究会の部室前に来ていた。短いながらも仮眠をとり、栄養補給もしっかりと済ませて、一度新聞部の部室まで戻ったのだが、部長は煙のように消えていなくなっていたので暇だったのだ。それに、何故か救急車で搬送されていった璃音のことが心配で、一人でいるのが心細かったというのもある。
璃音のスマートフォンに何度かメッセージを送ったのだが、既読がつくことはなかった。一度だけ電話もかけてみたが、電波の届かないところにいるか電源が切られています、とアナウンスが流れるだけだった。
ずっと廊下に立ち尽くしているのも変なので、栄子は意を決して部室の扉をノックしてみる。まだ早いが、誰かいるだろうか。
「はい」
女の子の声が聞こえた。聞いたことのない声色だ。
それでも、栄子は内心でほっとする。万が一、あの不愛想な冴木や、他の見知らぬ男子と二人で待つという事態は避けたかったのだ。それでも一人でいるよりは幾分かマシだと思ったから来たわけだが。
「失礼します」
部室の扉を開ける。新聞部の扉よりも建付けが悪いのか、何かに引っかかるような開けにくさがあった。しかし、内観は新聞部とそう変わりのない親しみを覚えるものだった。同じ学校なのだからそれもそうなのだが、ミステリー研究会というからには壁に怪しげなポスターや、床に
(いや、それはオカルト研究会のほうか)
一人で納得しながら部屋に入る。すぐ中央にテーブルがあり、右の壁際には本棚が二つ。左の壁側には小さな冷蔵庫のようなものがあった。カーテンは半分閉まっていて若干薄暗い。窓際のほうにはひと際大きな椅子があり、今は背を向いていた。先ほどの返事はどこから来たのか、人の姿が見えない。
「こんにちはー……」
栄子が消え入りそうな声で挨拶をすると、窓際にあった大きな椅子がくるりと回転して眼鏡をかけた女の子が現れた。大きな椅子は、よくみたらゲーミングチェアのようで、女の子はそこにすっぽりと収まっている。眼鏡の奥の瞳を一瞬だけこちらに向けて「こんにちは」と舌足らずな声で答えた。
部屋の中だというのに白いパーカーのフードまで被っている眼鏡の女の子は、ゲーミングチェアの上で体育座りをしながら手元にある最新のゲーム機器を忙しなく操作している。口元にはチューチューアイスを咥えており、先ほどの舌足らずな声は咥えながら話していたからだと推測できた。
「有栖川さんとここで会う約束をしている新聞部のものですが、しばらく待たせてもらってもいいですか?」
「どうぞ」
今度は一瞥もくれず、女の子が答えた。一応礼儀として来た理由を述べたが、ゲームに熱中しているようなので栄子はこれ以上話しかけるのはやめておくことにした。
とりあえず、近くの椅子に座ろうと思ったところで、壁際にある本棚に目を奪われる。怪奇現象に関する本や、UMA、ミステリーサークル、都市伝説などのオカルト系や、アガサクリスティ、江戸川乱歩、といった有名どころの推理作家も名を連ねている。結構本格的ではないか、と栄子は感心する。最下段まで見てみると、これまでとは打って変わって、料理本や、お弁当の作り方、といった本などが並んでいた。個人的な趣味のものも入れているんだろうか。
一通り眺めてから、璃音がコナン君と言っていたのを思い出して、コナン・ドイルの本を手に取る。シャーロックホームズという人物の名前は知っているが、ちゃんと本を読んだことは一度もなかった。とはいえ、待ち時間に全部読み切れるわけもない。ぱらぱらと、何気なくページを捲っていると、部室の扉が開いた。
現れたのは生気のない冴木と、恵比須顔のみれいである。
「あ、お邪魔してます」
栄子は本を閉じながら立ち上がってお辞儀をした。冴木が無言で会釈して、みれいは笑顔をふりまいて「どうもですわ」と手を上げた。ご機嫌のようだ。
「さてさて、冴木先輩。どうしてわたくしが部室に呼んだかわかります?」
みれいは楽しそうに話しかけているが、冴木は気だるそうに椅子に座って欠伸をした。
「それにしても、暗いな」
冴木がそういうと、みれいが颯爽と窓際まで行ってカーテンを開けた。曇天から覗く微かな太陽光が部室の闇を払う。光の加減で画面が見え辛くなったのか、ゲームをしている女の子は椅子の向きを変えた。
「あ、お邪魔してしまいました? 一ノ瀬さん」
「全くもって問題ない」
もうチューチューアイスの中身は空のようだったが、一ノ瀬は器用に咥えたまま返答する。
「なら良かったですわ」
素っ気ない返事だったが、みれいは慣れた様子だった。
「一ノ瀬さんは、何時ごろからいらっしゃいますの?」
みれいがゲームに集中しているであろう一ノ瀬に、容赦なく声を掛ける。
「十二時四十四分にこの椅子に座った」
一ノ瀬は時計も見ず、詳細に即答した。
「あら、じゃあもう二時間近くゲームしているんじゃありませんの? そろそろ休憩ですわ」
みれいの言葉に、一ノ瀬はチューチューアイスをぷらぷらとさせてはぐらかした。
「さて、冴木先輩」
みれいが椅子のほうに戻ってくる。
「なに、もう帰っていいのかい?」
「だめですわ!」
みれいがどっしりと、椅子に腰かけた。栄子の隣にみれい。向かいに冴木が座った状態になった。一ノ瀬だけが、窓際にあるゲーミングチェアに座っている。ゲームを止める気配はなかった。
「今日は、新聞部の七宮さんと取材をしてもらうんですわ」
「どうして、僕が?」
「今日いらっしゃるなかで、一番先輩だからですわ。萩原会長は、柔道ですので」
「今日いるなかでって……有栖川君が呼びつけたんじゃないか」
「ふふふ、良いものがありますので、冷蔵庫をお開けになってくださいます?」
冴木の座っている椅子の後ろに、小さな冷蔵庫がある。ちょうど本棚とは反対の位置だ。冴木は逆らってもいいことがないと分かっているのか、素直に冷蔵庫を開けて、中のものを取り出した。
「わたくしの
懺悔とは、みれいが冴木の誕生日会に出なかったことに関してだろうか、と栄子は想像した。
冴木は取り出したものを机の上に置く。みれいは、俯いてもじもじとしながら言葉を続けた。
「ほら、前に仰っていたレアチーズタルトなんですけれど……」
「これが?」
冴木は呆れたような顔で机の上に置いたものを見ている。栄子も、みれいが何のことを言っているのかさっぱり分からず、開いた口が塞がらなかった。
ようやく何か異変に気付いたのか、もじもじしていたみれいが顔を上げて、眉を八の字にした。
「あの、冴木先輩。これはただの野菜ジュースですわ。これではなくて……」
「いや、もう冷蔵庫にはこれしか入っていないけど」
「え、そんなはずありませんわ」
みれいは俊敏に立ち上がり、冷蔵庫に向かう。冴木が自分ごと椅子を少しどかした。
沈黙。
かと思いきや、みれいがおもむろに冷蔵庫に手を突っ込んだかと思うと、ラップにくるまれたオレンジ色の何かが出てきた。よく見ると、キッチンペーパーを帽子のように被せられた柿だった。なるほど、柿の冷蔵保存はそうするのか、と栄子は感心する。
しかしそれはみれいの求めているものではないようで、今度は上段の冷凍庫を開けた。栄子が覗き込んで見た限り、そこにはお徳用のチューチューアイスしかなかった。
「そ、そんな……おかしいですわ!」
ぴこぴこと、一ノ瀬のゲーム音が鳴っている。どごーん、と何かが爆発する音がした。
「レアチーズタルトがありませんわ!」
ででどん、と低い効果音が聞こえて、一ノ瀬がぼそりと言った。
「ゲームオーバー」
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