スイーツと謎解きはいかが? A little charm

スイーツと謎解きはいかが?Ⅰ

 カーテンを開けると、温かい日差しが部屋に飛び込んできた。早起きは三文の徳というが、この朝日には三文以上の価値があるだろうと、有栖川ありすがわみれいは寝起きの頭脳でそんなことを考えた。

 引っ越してきて一週間。ほとんど飛び出すようにして家を出てきてしまったが、何とかやれているという実感が、みれいにはあった。妹には、せめて生活リズムだけは崩さないようにしないとだよ、と釘を刺されていたこともあって、なるほど確かに、朝陽を浴びてセロトニンを分泌するのは大事だと実感する。

 早速、ベランダに敷き布団を干す。天気の良い日に干しておいたほうがいいと、実家にいる家政婦の恵美めぐみからもアドバイスを貰っていた。よく考えてみると、賃貸契約や電気ガス水道その他諸々、頼りっぱなしである。みれいは改めて人は一人では生きていけないものだと再認識しながら、インスタントのコーヒーを用意して、ソファーに腰かけた。

 充電していたスマートフォンを引っ張り出して、ホームボタンを押す。待ち受けにしている飼い犬の柴犬、伊三郎いさぶろうが映し出された。今住んでいるアパートはペット禁止なので、伊三郎は実家にいる。若干の恋しさを覚えながら、そのおでこ付近に表示されている時刻をみて、みれいはコーヒーを吹き出しそうになった。

「十一時……四十分……!?」

 失われた三文の喪失は大きく、みれいはよろよろと洗面所に向かった。冷水で顔を洗うと、幾分か意識もはっきりとしてくる。スキンケアを終えて歯を磨いているときに、今日が休日だということを思い出した。

 外は絶好のお出かけ日和だ。ひょっとしたら妹も、暇しているかもしれない、とぼんやりと予定を立てて洗面所を出る。

「夢の国とかに行ってみたいですわね。あ、でももう昼前だから……あら?」

 玄関の前にチラシが落ちている。

 この部屋は入居したときからチラシ受けが壊れていたので、投函されるものは全て玄関に散らばってしまう。この間は、水のトラブルなら何でもお任せ、と書いてある小さなマグネットが靴の中に入り込んでいたようで、気付かずに半日ほど履いていた。たまたま部室で靴を脱いで転がったあとに気付いたので、一緒にいた瀬戸せとあかねに、

「備えあれば憂いなしってやつね」

 とフォローにもならない一言を言われて恥をかいたばかりだった。確かあのときはしどろもどろになりながら、

「こ、これを入れて履くと水難に合わなくなるというおまじないですの」

 と苦しい言い訳をした覚えがある。一応口止めはしておいたが、不敵な笑みを浮かべられたのはいうまでもない。

 みれいは苦い思い出を噛みしめながら、チラシを拾い上げる。途端、その体に電流が入った。無論、静電気ではない。今この部屋に他の誰かがいたとしたら、みれいの頭上に豆電球がぽんっと浮かんだのが視認できたかもしれない。そのレベルの閃きだった。

 みれいはそそくさと寝間着からお気に入りのワンピースに着替えて、髪を梳かすとサンダルを履いて玄関を飛び出す。目指すは数歩先、隣の二〇四号室。

 ドンドン、と扉を叩く。この部屋はインターホンが壊れているので、押しても家主の反応は得られない。もっとも、それに気づいたのはついこないだのことで、越してきて数日はなぜいつも留守なのかと不思議に思っていた。

 ドンドン、ドンドン。

 もう一声、とみれいが腕に力を込めたところで、鍵が開く音がした。

「一回ノックすれば聞こえるからね。近所迷惑だ」

 まだ寝癖の残る髪のまま、Tシャツにジーパン姿の冴木さえきけんが、不機嫌そうに顔を出した。目の下にはクマがあり、寝不足のように見えるが、それが冴木のデフォルトの顔だとみれいは心得ている。

「ごきげんよう、冴木先輩。大ニュースですわ、ほら! このチラシ」

 みれいが冴木の顔にチラシを押し付ける。すぐさまもぎ取られたが、もうそんなことはどうでもよかった。早く冴木と出かけたかったのだ。

 ちょうど一週間ほどまえに冴木が披露したあの推理力。その片鱗はいまだ見えない。能ある鷹は爪を隠すと言う言葉があるように、冴木も普段はその推理力を発揮しないでいるのでは、とみれいは睨んでいる。

「スイーツビュッフェ、スノーホワイトオープンセール?」

 ほとんど睨むようにしてチラシを見つめる冴木が機械のように読み上げて静止している。冴木宅にも同じチラシが投函されているはずだが、まだ確認していなかったようだ。じっとチラシを睨みつけて、微動だにしない、ひょっとしたら読み込みエラーでも起きたのかもしれない。ここの玄関扉同様に、叩けば直るかなとみれいは思ったが、低い声で「有栖川君」と呼ばれ我に返った。

「君の言いたいことは分かったよ」

 読み込みは正常に終わったようで、冴木はチラシから目線を外してみれいを捉えた。その顔色は最初よりも幾分かマシに思える。これを察知できるのは、冴木の細やかな表情の変化を捉えようと訓練する必要がある。普段から感情の起伏が全くないせいで、ミステリー研究会の面々からは、朴念仁だとか、死んだゾンビとか好き放題言われているのだ。本人の耳にも入っていそうだが、そこまで立ち入った話をまだみれいはしたことがなかった。

「もう隣人として、いや同じサークルメンバーとして、一週間だからね。大樹だいきか、瀬戸先輩から情報を仕入れてきたんだろう」

「情報、といいますと?」

 みれいはわざととぼけてみせる。

「僕が、実はスイーツが好きだということを知ってるだろう」

「ええ、もちろん存じておりますわ。お気に入りの棒付きキャンディーがあるのも」

 みれいは不敵に笑みを浮かべる。隠れスイーツ好き男子が、隣人のかわいい後輩からお誘いがきたとあらば、この世の春がきたと思うに違いない。実際四季は春ではあるし、冴木に彼女がいるかどうかは聞いていなかったが、別にガールフレンドになりたいわけでもない。ただ、探偵好きとしてはあの謎を解き明かしたときに得られるカタルシスを、フィクションではなく身をもって味わいたいのだ。冴木にはその才能があるのではと、みれいは信じている。

「結論だけ、先に言おう」

 冴木はチラシをみれいに返した。

「僕は行かない」

「えっ!?」

 これはみれいが思ってもいなかった反応だった。ミス研会長の萩原はぎわら大樹がいうには、冴木には三度の飯よりスイーツだときいていた。引っ越し蕎麦より、引っ越しケーキのがクリティカルだっただろうね、と言われたことも鮮明に覚えている。だが、みれいには蕎麦を渡した記憶はなかった。

 しかしそれなのに断るとは、もしかしたら今日、地球は滅びるのかもしれない。過去に戻れるのだとしたら、ノストラダムスに今日が地球の終わる日ですわ、と教えてあげたい気分だ。

「どうしてですの?」

 納得できないみれいを見て、冴木が気だるそうに説明した。

「行かない理由は二つある」

 冴木が右手の人差し指を立てる。

「まず一つ目、僕はこれからお昼ご飯を食べるところなんだ。出来上がった焼きそばが、いまかいまかと僕を待っている」

 確かに、みれいの鼻腔には香しいソースの匂いが届いていた。

「そして二つ目」

 冴木の右手がピースの形になった。もちろんシャッターチャンスというわけではない。

「有栖川君と二人で、そういったお店には入りづらい」

 焼きそばを作ってしまったというのは頷けたが、第二の説明にみれいは納得がいかなかった。確かにスイーツビュッフェは女性人口が多そうで、男女で入ればカップルと誤解されるかもしれない。しかし冴木はどちらかといえば他人の目はあまり気にしないタイプだと思っていた。現にいつも死んだような顔をしているし、髪もセットしているところを見たことがない。

 だが確かに、死んだゾンビと言われる冴木が、スイーツビュッフェという明るい、いわば生の気に満ちた場所に赴くというのは砂漠でペンギンと散歩するような、あるいは北極にカブトムシを放つような何ともいえない状況かもしれない。店内に入った途端、それこそみれいの求める精神的浄化ではなく、物理的に浄化され天に召されていきそうだ。

「どうしても、無理ですの?」

「今言った通りだ」

 みれいは素直に頷いた。この短時間で、これだけ会話が出来ただけでも収穫があったと思うべきだろうか。それに、やはりスイーツ関連だといつもよりかは言葉数が多いような気もした。仕方がない、諦めようとなるのが常人の考えかもしれないが、みれいは違う。冴木は、わりと流されやすいタイプなのだ。それは川に浮かぶ枯れ葉のような、あるいは乾燥地帯を転がるタンブルウィードのような。

 さて、どうやって嫌がる冴木をスイーツビュッフェに連れていこうか、と思案し始めたところで、横やりが入った。

「あ、おにぃ居るじゃん! ほら、しゅんおいで」

 廊下の先、階段を上りきったところに見たことのない女の子と、男の子が立っていた。

 みれいは目を凝らして、廊下の先の二人を凝視する。冴木も何事かと身を乗り出してきたので、思わず一歩下がった。

 廊下の先にいる見たことのない女の子は、手を振りながらこちらに近づいてくる。薄い紫のカーディガンに、膝丈ほどの白いチュールスカートが春らしさを出している。茶色に染められたセミロングはカールしており、俗にいうゆるふわな感じだった。

 そして、その後ろに隠れるようにして立っているのが、背の低い男の子。瞬と呼ばれたその子は、黒い髪を短めに切り揃えられていて、白いTシャツに緑っぽいカーゴパンツを履いている。斜め掛けのトートバッグにはメロンソーダがプリントされていた。

「冴木先輩、どちら様ですの? おにぃって……」

「妹と、弟だ」

「え! なんでもっと早く教えてくださらなかったんですの? ご挨拶に伺いましたのに」

「いや、弟妹の話なんて訊かれていないだろう」

 本日二度目の驚愕に、みれいは目を丸くしながら冴木と、その弟妹を交互に見る。確かに弟のほうはそこはかとなく似ている気がした。恐らく、小学校低学年ぐらいだろう。まだ子供っぽさがあって可愛らしく、目元は似ているように思えるがその瞳はキラキラと輝いてみえる。冴木の生気を感じない瞳とは似ても似つかない。

 妹のほうはファッションに気を遣っているように思えて、死んだゾンビなどと呼ばれている兄とは正反対に見えた。つまり、生きた人間ということになる。言い換えてみると、普通だった。そもそもゾンビは生きているのか死んでいるのか、どっちに定義するべきなのか、と考えが別次元へと吸い込まれていく。

「初めまして。冴木 りんです。こっちは弟の瞬です。ほら、挨拶して」

 凛の後ろにいた瞬が、少しだけ横にずれてお辞儀した。

「こんにちは」

 そしてすぐさま、定位置に戻る。人見知りなのか、凛の後ろに張り付くのが落ち着くようだ。

「ごきげんよう」

 みれいも礼儀正しくお辞儀をした。

「有栖川みれいと申しますわ。さぁ、お二人ともどうぞお疲れでしょうから中へどうぞ」

 みれいが冴木の部屋の扉を開けて、手招きする。

「ここ、僕の部屋なんだけど」

 そんな呟きはなかったかのように、凛は瞬と手を繋いだまま、招かれるままに部屋に入ろうとする。

「わー、おにぃの部屋初めてだ」

「……焼きそばの匂いする」

 銘々に感想を述べながら歩く二人を、冴木が門番のように通せんぼした。

「分かった」

 突然、冴木が片手を前に出した。これがじゃんけんなら、ここでチョキを出せば勝ちだ、とみれいはこっそり思った。もちろん、後出しだが。

「僕の部屋に四人は狭い。二人とも、お昼は食べたの?」

 凛も瞬も、仲良く二人で首を横に振っている。みれいは別に冴木一家に水を差す気はなかったのでおいとましようと思っていたのだが、なんだかいい具合に話が進んできたので黙っていた。

「有栖川君、君の案に乗るよ。凛、用事は別に僕の部屋じゃなくても大丈夫だろう?」

「え? あ、うん」

 凛は素直にうなずく。

「瞬がおにぃと話したかったみたいで、一緒に図書館に行く前に生存確認しにきたんだよ。最近たまに来てインターホン押しても、反応ないんだもん」

 どうやら、壊れたインターホンのことは伝えていないらしい。冴木は五分だけ待ってくれと言って部屋に消えていった。廊下にみれいたち三人が残される。

「あの、有栖川さんでしたっけ?」

 凛が話を切り出した。

「もしかしてですけど……おにぃの彼女さんですか?」

「うーん、えっとね。私はどちらかというとワトソンですわ」

「ワトソン? それってあの、ノーベル賞とかとった人ですか?」

「え?」

 みれいは全然誰のことを言っているのか分からなかった。

「そうではなくて、正式にはそうジョン・H・ワトスンですわね」

「あ、それってあの、シャーロックホームズとかに出てくるワトソン君?」

「ええ、よくご存じですわね」

 みれいは話が通じそうだ、と笑顔になる。瞬はなんのことかさっぱりのようで、ただ二人を交互に見ていた。

「うちはお母さんが算数の先生やってるんですけど、勉強も兼ねて本を読むことが多かったみたいなんです。結構色んな本が置いてあるんですよ。ね?」

 凛が同意を求めると、瞬は大きく頷いた。

「読書家なのは良いですわね。どんな本を読んでいらしたの?」

「そうですね……雑読だから、シャーロックホームズもあれば、スティーヴンキングとか、トマスハリスのホラー系も……あ、おにぃも結構読んでましたよ」

「聡明なお母さまですわね。チョイスが素晴らしいですわ」

「そう……なんですか?」

 凛は意味が分からないと言った様子で瞬に視線を送る。だが瞬も、ただ首を傾げるだけだった。

「ともかく、ワトソンってことは彼女じゃないってことなんですね」

「ええ、そういうことですわ」

「なぁんだやっぱり。おにぃには勿体ないように感じたんです」

 凛が腕組みして何度も頷いた。

「えっと、それで有栖川さん。私たち、どこに行くんですか?」

「スノーホワイトですわ」

「今度は、白雪姫?」

 凛はまたも意味が分からないといった様子で瞬に視線を送る。やっぱり瞬も、頭を傾げるだけだった。

 

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