暗号よりも気になる彼女Ⅴ

 再び座布団に座り込んで、冴木は大きな欠伸をしていた。もう言いたいことは言い終えたし、最悪一撃ぐらいは覚悟していた宇津井の拳も、駆けつけてくれた大樹によって未然に防がれた。今、宇津井はまるで魂でも抜け落ちたかのように俯いている。大樹のあまりの迫力に、さっきまでの勢いが完全に削がれていた。

 大樹に詳細は伝えていなかったので、ことの顛末はみれいが説明してくれた。茜は今、さっき使用してしまった宇津井家のトイレを確認しにいっている。

「――と、いうことで、萩原会長。全て、冴木先輩の怜悧れいりな推理で丸く収まったということですわ」

「ほほう、ミステリマニアのみれいさんをここまで言わしめるとは、賢という名前は伊達ではなかったわけだ」

 大樹は宇津井の前で仁王立ちになったままだった。何か粗相を起こせば、瞬く間に押さえつけるという圧をかけているのだろう。

「あのね」

 冴木は呑気に棒付きキャンディーを味わいながら補足した。

「まだどれも仮説だよ。実際にカメラがあったかは見ていないし、金庫だって開けていない」

 そこへ、青ざめた様子で茜が帰ってきた。一同の視線を浴びた茜は、右手を顔の横に持ってきた。その手には、一円玉より少し小さいぐらいの小型カメラがあった。

「わお」

 大樹が目を丸くした。

「マジであったのか、やば……」

「あ、あの」

 もじもじしながらみれいが立ち上がった。

「茜ちゃん、カメラはそれ一つだけでした?」

「多分ね。トイレも風水関連なのか色々置いてあって、気を逸らされてたわ。あると思ってみてみれば、気付くものね」

「じゃあ、もう使っても大丈夫ですわね」

 そういえばみれいはお手洗いを借りたがっていたのだった、と冴木は思い出す。

「これでカメラの件は賢の言った通りだったわけだ。なんでこんなことしたんだよ、宇津井さんよぉ」

 大樹はわざとらしく宇津井を睨みつける。先ほどまでの威勢はどこへやら、宇津井は縮こまったまま素直に白状した。

「そういう隠し撮りみたいな動画が、需要があるんだって話をサークルで聞いて、小遣い稼ぎしようと思ったんだ……。家だったら、もしバレても何とか言い逃れることが出来ると思ったのに」

 そういって宇津井は横目で冴木を見る。もうすでに、冴木は宇津井など見てはいなかった。

「もしかしてさ」

 茜が小型カメラを机に置いた。

「新聞部の二人のも、撮ったわけ?」

 宇津井が小さく頷く。

「チッ、もうそれアップロードしたんじゃないだろうな」

 大樹がドスを利かせた声で言うと、宇津井は激しく首を横に振った。

「あげてない! 俺、パソコン持ってなくて明日ノーパソが届く予定だったんだ、撮れてるのか確認だってしてねぇよ!」

 茜は半信半疑と言った様子で溜め息を吐いた。その気になれば、友人にパソコンを借りたり、ネットカフェなどで動画をアップロードすることも可能だろう。

「じゃあこの金庫も、結局は嘘っぱちだったってことか?」

 大樹が問いただすと、宇津井は再び首を横に振った。

「嘘じゃねえよ、爺さんは本当かどうかわからねぇけど忘れたっていうし、開けられるなら開けたいと思っていたさ」

「ふぅん。まぁ確かに気になるっちゃ、気になるな」

 大樹は落ちていたシリンダーキーを拾い上げた。

「ほら」

「……開けろってことか」

 宇津井が意気消沈のまま言った。大樹が肩を竦める。

「一応、金庫はお前の爺さんのものだけど本人が開け方を忘れたっていってて、孫が偶然開けたってんなら別に罪にはならねぇんじゃねえのか? 少なくとも、盗撮は重罪だがな」

 びくっと肩を震わせながら、宇津井は再び頭を下げた。

「一回、爺さんに電話してみるよ。さっきそいつが言った解き方であってるかどうか、確認する」

 宇津井はそういうとポケットからスマートフォンを取り出して、操作した。ややあって、老人ホームの担当の人が電話に出たようだった。二言三言、やり取りをしたあと低いしゃがれた声が、電話口から微かに聞こえた。

「爺ちゃん、蔵にあった金庫の番号忘れたっていってただろう。鍵と一緒にあった書置き、おひつじ座とか、冥王星のことなのか?」

 ざっくりとした説明だが、電話口の相手はけたけたと笑っているようだった。そこから言葉を何度か交わしているのを、冴木たちは無言で見守った。ちょうどそこに、みれいも戻ってきた。

「――分かった、うん。それじゃ」

 通話を切った宇津井は一同をぐるっと見渡して、呟いた。

「あんまり覚えてねぇってさ、でも金庫開けられるなら開けてくれって言ってた」

「そうか、よし」

 大樹は金庫を指さす。

「じゃあ、賢の推理が正しかったか答え合わせだ」

 宇津井は頷いてシリンダーキーを金庫に差す。そして、冴木の言った通りの30-13-43-40と回していく。

 全員が金庫に視線を向けている。ダイヤル錠のかちかちという音だけが、部屋に響いた。

 最後に40のメモリに合わさったとき、シリンダーキーがかちりと回った。堅牢に思えた金庫が、口を開ける。

「開いた……」

 宇津井が生唾を飲み込んで、中にあるものを取り出した。

「……これって!」




 冴木はまたしても助手席で、サイドウィンドウから入り込む夜風に当たっていた。四月の夜はまだ少し寒い、それでも過労気味の脳みそを冷やすにはうってつけだった。

 宇津井は結局、駆けつけた警察官によって取り調べを受けることになっていた。通報した茜が慣れた様子で応対していて、冴木たちも少し話をしたが、今日は帰っていいとのことだった。

「いやぁ、大奮闘だったな。賢」

 おんぼろのムーヴを運転しているのは大樹だった。目の前の信号が青信号に変わり、アクセルを踏み込むと異音を発しながら車が前進した。

「大樹、お前この車定期点検の時期すぎてるぞ」

 冴木がフロントガラスに張り付いているシールを見ながらいった。

「いいんだよ、車検だけ通しとけば」

「……一回、点検って言葉の意味を辞書で調べたほうがいい」

「今日は何だかご機嫌じゃねぇか」

 大樹は前を向いたまま笑顔を浮かべる。

「みれいちゃんがミス研入るっていったからか?」

 みれいは帰り際、大樹に向かってミステリー研究会の参加をとりつけていた。というよりも、そもそもそのつもりであの階段を上がっていたところ、宇津井の話を耳にしたのだという。実際には活動といった活動はしてないと大樹は説明したが、みれいは冴木をちらりと見たあと、それでもと強く言い寄っていた。物好きなものもいるものだ。

「有栖川君がミス研に入ろうが、僕には関係ないけどね」

「果たしてそうかな」

 大樹が笑顔を崩さずいった。

「今日の賢のラッキーカラーの女の子だぜ。これはきっと運命ってやつだよ」

「どこが……」

 冴木は鼻で笑った。

「今日は散々だ。厄介事に巻き込まれるし、何もラッキーじゃない。お前の占いは大外れだよ。そもそも僕は、人の少ないミス研ならゆっくりできるかと高をくくっていたのに」

「でも、みれいちゃんと話していて、別にいやではなかっただろ?」

「…………」

 実際どうなのか、冴木には分からなかった。確かに大樹がラッキーカラーがどうのと言ったせいで最初若干意識していたが、あのお嬢様っぷりは何というか、冴木とは住む世界が違う。それに、宇津井の話に前のめりになったり、大樹にサークルへの参加を強く要望したりとまるで真逆の性格だ。

「本当に面倒だったら、お前だって断れたんじゃないのか」

 大樹は前を向いたまま言う。確かにどうしても無理だといえば、家に行くという話はなくなり、みれいが駄々をこねれば、暗号だけ教えてくれと頼めばよかったかもしれない。それでも、冴木は茜とみれいについていく選択肢を選んでしまった。第六感では、帰ったほうがいいと思っていたのに。

「あの瀬戸先輩に反論してわだかまりを作るよりも、黙ってついていったほうがエネルギーを消費しないと思ったんだよ」

 冴木は窓の外に視線を向けた。

「結果として、僕は浅慮だったわけだけど」

「下心が出たな、賢」

 冴木はむっとして大樹のほうを見た。だが大樹は素知らぬ顔でステアリングを右に切る。もう冴木の住むアパートは目の前だ。

「宇津井と一緒だな、金庫だけに甘んじておけばいいものを欲をかいて盗撮とは……。冴木も、ミス研で穏やかに暮らしたいなら、ちょっと推理でもしてみるかなんて欲をかくべきじゃなかった。虻蜂取らずだよ」

「心外だな」

 冴木は反論する。

「気にかかることがあって、もし本当なら瀬戸先輩も盗撮の被害にあうかもしれないと思ったから、僕は考えることにしたんだ」

 冴木は自分で言ってからこれは偽善だな、と思った。別に宇津井が盗撮をしていようと、茜や、新聞部の二人が被害にあっていようと、冴木の日常には何の変化もないのだ。それでも自分が介入することで変化するならと、思ってしまった。ころころと表情の変わるみれいが、追い求めている謎を、解明して差し出したらどんな反応をするのか、見てみたいと思ってしまったのではないだろうか。

「まぁ、そういうことにしといてやるか。にしても、金庫の中身は傑作だったけどな」

 大樹は豪快に笑った。

「流石は同じ遺伝子というかなんというか、そういうものなんだな、血のつながりってのは」

 宇津井のお爺さんが金庫にしまっていたのは、何百枚と束になった写真。そのどれもが、女性のヌード写真だった。これに関しては、茜は怒るわけでもなく、大樹と二人でただ大笑いしていた。みれいは顔を赤くして座り込んでいたが、宇津井はもう穴があったら入りたいといった様子で、目も当てられなかった。

「爺さんと孫があの様子じゃ、父親のほうも心配だぜ全く」

 そう言って、大樹はハザードランプをつけて路肩に駐車する。

「着いたぞ……って、あれポルシェじゃねぇか?」

 冴木が助手席から降りると、何故か大樹も降りてきた。目の前の車の横には女が立っている。それも、夜でも目立つメイド服を着て。

「あれ、有栖川君の使用人さんですか?」

 冴木が訊くと、メイドの女性が慇懃いんぎんに答えた。

「はい、先ほどはお嬢様がお世話になりました。お話は伺っております、冴木さんと、萩原さんですね」

「そうですけど……」

「今後とも、お嬢様をよろしくお願いいたします。サークルメンバーとしてもそうですが、隣人としても」

「は?」

 冴木は思わずアパートを見る。冴木の部屋は二〇四号室。角部屋の二〇五号室は無人のはずだったが、今は電気がついているようだった。

「もしかして、越してきたんですか?」

「はい、こちら受け取ってください」

 どこから取り出したのか、メイドはのし紙のついた箱を冴木に手渡した。

「では、私はこれで」

 唖然とする冴木と大樹を置いて、メイドはポルシェに乗り込むとエンジンをかけた。

「それ、なんだ?」

 大樹がのし紙のついた箱を指さす。

「引っ越しの挨拶のつもりなのかな、家主ではなくメイドが渡すのは礼儀的にはありか、なしか、どっちなんだ? 賢」

「いや、知らないよ」

 冴木は包装紙を破いて中身を見る。それは上等な蕎麦だった。

「大樹、お前の占いは大当たりだったよ……」

 冴木は深く息を吐いて、夜の住宅街へと消えていくポルシェの後ろ姿を目で追った。そのエンジン音だけが、やけに耳に残った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る