暗号よりも気になる彼女Ⅲ

 冴木は二杯目のコーヒーに砂糖とミルクを入れながら、茜とみれいの推理に耳を傾けている。宇津井が持ってきたアーモンドチョコも三つほど頂いていた。暗号には毛ほども興味はなかったのだが、如何せん他にやることがない。かといって自分で暗号解読するのは面倒くさい。結局は、二人の推測をBGMにしてコーヒーを嗜むということしかすることがなかった。

 宇津井も二人の談義を面白そうに見ている。飲み物の補充にだけは余念がないように思えた。茜に関しては、もう三杯目のコーヒーである。このまま謎が解けなければ、カフェイン中毒になりそうだ。

 机の上には、暗号の紙が置かれている。

『白羊は死に絶え、失われし九番目の凶星が道となる』

 茜が大きく咳払いした。

「一回、整理して原点に戻りましょう。まずは、最初の白羊ね。羊から連想するものといえば、何かな。アリスちゃん」

「ええと……そうですわね。ウールとか羊乳? いや、死に絶えという文面があるからして、ラム肉とかどうですの?」

「そうね、確か子羊がラムで年をとったのはマトンだとか色々あったと思うけど、数字には結びつかないわね」

「数字と羊というと、羊が一匹、羊が二匹って寝る前に数えますわよね」

「ああ、それはシープとスリープと似た発音のせいで、安眠を促すとかなんとかって意味があるのよ」

「へぇ、そうなんですの! 茜ちゃん、博識ですわね」

 知らないあいだにちゃん付けになってるな、と思いながら冴木は宇津井の様子を伺った。話に入るわけでもなく、ただ話を聞いているだけの姿勢は、本当にこの金庫を開けたいのかどうか不思議に思える。だがまぁ、自分でもあれこれ試した結果なのだろう。

 冴木は再び目を閉じて、あわよくば眠りにつこうと試みる。

「次は失われし九番目の凶星。この凶星っていうのは、吉星の反対ね。つまり、火星、土星、天王星、海王星、冥王星のことだと思うわ」

「そういえば、何だか子供のとき水金地火木土天海冥って覚えた記憶がありますわ。太陽から近い順ですわよね」

「そう。そしてね、ここが肝なんだけど」

 茜は勿体ぶって一同を見渡す。

「二千六年に、冥王星は惑星グループから準惑星グループに変更になったのよ、今は最後の冥はつけずに覚えるのが基本ね」

「へぇ」

 宇津井が驚いたのか声を上げた。

「でも、なんでそれが肝なんだ?」

「気付かないわけ? さっきアリスちゃんが言ったでしょう。水金地火木土天海冥……冥王星は、九番目なのよ」

「あ!」

 みれいが大きな声を上げたせいで、冴木は閉じていた目を開けた。

「失われし九番目の凶星……これは冥王星のことなんですわね!」

「そういうことよ」

 茜は得意げである。

「冥王星の発見日は、千九百三十年、二月十八日。二月を02と表記すると、八桁ね」

「マジかよ!」

 宇津井が声を荒げた。

「じゃあその八桁でダイヤル錠が開くんじゃねぇか!?」

「いや、まだね」

 茜は冷静に宇津井の発言を否定した。

「もしそうだとしたら、手前の文が必要なくなってしまうでしょう。きっとこの文章にも、何が意味があると考えるのが妥当よ。それに惑星の発見日は諸説というか、色々あって小惑星センターには同年の一月二十三日になっているはずよ。だからまぁ、これはあくまで冥王星と数字を無理にこじつけただけなの」

「つまり羊と、冥王星が道になるということですわね……」

 みれいは人差し指を唇に当てて考え込んでいる。

「例えば、羊という漢字の画数とかどうですの?」

「うーん、それだと死に絶えって部分が必要とされていなくて、引っかかるのよね」

 冴木は二人の会話から一つ、気にかかった部分があったように感じたが、深く思考はしなかった。そこで急に茜が立ち上がった。

「ちょっと休憩しましょうか。宇津井君、お手洗い借りてもいい?」

「もちろん、どうぞ」

 宇津井は機敏に立ち上がり、廊下へ向かう。

「こっちの突き当りを、右にいけばすぐわかりますよ」

 茜が退室してすぐに、みれいも立ち上がった。

「あの、金庫があったという蔵を拝見してもよろしいでしょうか」

「ん? ああ、別にいいぜ。どの場所でも好きに調べてくれよ。蔵は、玄関から出て軽トラのほういけば、分かると思うけど」

「分かりましたわ、さぁ行きましょう冴木先輩」

「え?」

 冴木は自分の名前が呼ばれるとは思わなかったので、変な声が出た。

「何で僕も行くのさ」

「座ってばかりいますと、足が痺れますわよ。それに何だか、推理している素振りもありませんし」

 だが考えてみれば、ここでみれいも出て行けば冴木は宇津井と二人きりである。なんだか招かれざる客のようでもあるし、冴木は渋々みれいに付き合うことにした。

 再び玄関に戻り、靴を履いて外に出る。宇津井が言った通り、軽トラの方へ向かった先で蔵を見つけた。不用心にも鍵はかかっていないようだった。蔵から家の裏手のほうを覗くと、小さな田畑になっているのが分かった。以前は何かを育てていたようだが、今は何も手入れされていないようだ。きっと宇津井のお爺さんが老人ホームにいったことで、手入れする人間がいなくなったからだろう。

「思っていたよりも小さい蔵ですわね」

 みれいが呟きながら、中を覗き込んでいる。薄暗い空間を、明かり取りから差し込む日差しが照らしている。左手の壁にスコップが立てかけてあった。近づくと、棚に軍手や小さい鎌など農具がある。

 みれいは右側の壁沿いに調べているようだった。

「なにか、目ぼしいものはあった?」

 冴木は別にくまなく調査するつもりはなかったので適当に話を振る。

「こちらには、エンジンオイルや、クーラント……これは、ウォッシャ液ですわね。外に停めてある軽トラックの整備品ばかりですわ」

「あ、そう。じゃ、戻ろうか」

「え?」

 みれいがこっちを振りむいたのが分かった。

「まだ来たばかりですわよ」

 みれいはまだ蔵を探索したいようだった。冴木は面倒くささと、空気も淀んでいるのが嫌で、たまらずに外に出る。

 さっきは気が付かなかったか、軽トラの荷台に段ボールが乱雑に積まれていた。実家では、段ボールは綺麗に畳んで出すよう言われていたな、と思い出しながら冴木は何気なく段ボールを見る。コーヒーメーカーの箱。小型カメラの箱。ポータブル充電器の箱。先ほど冴木たちが使用していたアイスコーヒーの入ったタンブラーの箱など、宇津井がここ最近買ったであろうもののようだった。

 ようやく探索に満足したのか、みれいが蔵から出てくる。

「これといって、他にメモなどはなさそうですわね。ひょっとしたらあの暗号は一部分に過ぎないのでは、と思ったんですけれど……冴木先輩はどう思います?」

「…………」

 みれいは冴木の顔を覗き込んだ。

「冴木先輩?」

「ん、ああ。戻ろうか」

 冴木は僅かに頬を緩めた。みれいは不思議そうな顔をしていたが、すぐにいつもの態度に戻る。

「ええ、戻りましょう。わたくしもお手洗いをお借りしようかしら」

「いや、やめたほうがいい」

 冴木の言葉に、みれいは耳を疑った。

「え? どうしてですの?」

「どうしてもというなら、来る途中の道に、コンビニがあっただろう。少し歩くけれど、そこで借りるといいよ」

「あの、冴木先輩。お手洗いなら、宇津井先輩のお宅でお借りできると……先ほど、茜ちゃんも行きましたわよ」

「まぁ、そうか。もうどっちにしろ同じか」

 冴木は小さく呟いて歩き出す。みれいは何が何だかさっぱり分からないと言った様子で後を追う。

「冴木先輩、もしかして気が付いたことがあるんですの?」

 冴木は玄関で靴を脱いで、再びスリッパに足を通す。みれいはまた、ブーツを脱ぐのに手間取っていた。

「気が付いたことは、ある」

「えっ、もしかして暗号が解けたんですの!?」

「いや、そうじゃない」

 冴木が振り返る。みれいはやっとブーツを脱いで冴木の目の前まで小走りで駆け寄ってくる。

「あの、何か分かったのなら教えて欲しいですわ」

「……宇津井先輩に確認を取るのが先だ」

「それは暗号のことですわよね?」

「いや、どうかな……」

 冴木はポケットから棒付きキャンディーを取り出した。冴木の好物だが、何故か近所のスーパー以外では見かけたことのない人気のないキャンディーだった。それを口に放りこんで、冴木は呟いた。

「何を考えればいいのか、というのは分かった」

 みれいがその言葉に目を見開いた。冴木はみれいの視線を受けて、ああ、と声を漏らすともう一つポケットから棒付きキャンディーを取り出した。

「有栖川君も、欲しかった?」

「え、あ、はい」

 みれいは棒付きキャンディーを受け取る。

「じゃなくて、考えることが分かったっておっしゃいました?」

「そう……ちょっと携帯電話だけ貸してくれないかな。僕持ってないんだ」

「それはいいですけれど……」

 みれいはスマートフォンを手渡す。

「えっと、電話をかける画面にしてくれる?」

 冴木はスマートフォンを操作をしたことがないので全くもってわからなかった。みれいがすぐに画面の左下のほうを触ると、見慣れた数字盤が浮かび上がる。

「ちょっとこれから、君のいうとやらをしてみるよ」



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