血濡れ姫にご用心Ⅴ

 恵美は呼吸を整えながら、その場に座り込む。流石に一日に二回も全力の蹴りをお見舞いすると、古傷が痛んだ。股関節の辺りがじんじんする。ろくなストレッチもしていないのだから無理もない。それに、今はもう血濡れ姫などでは断じてない、ただのしがないメイドなのだから。

「恵美さん」

 みれいが駆け寄ってきて、手を差し伸べてくる。この光景を、恵美はみたことがあった。ノスタルジーなこの場所がそうさせるのか、過去の情景が脳裏に思い浮かぶ。

 他校の生徒に絡まれている女子生徒を救った帰り道。単車を飛ばしていると、突然道端から猫が飛び出してきた。何とか躱したものの電柱にぶつかって、大怪我を負った。救急車を呼ぼうにも、お気に入りのピンクの携帯電話は壊れて使い物にならなかった。

 いかにもな不良少女が道端でうずくまっていようと、誰も手を差し伸べなどしてくれなかった。見て見ぬふりが関の山。それなのに、当時まだ小さかったみれいだけは駆け寄って、手を差し伸べてくれたのだ。

 まるでその時と同じように、恵美はみれいの手を取る。あの時と同じ、暖かい手だった。

「ありがとうございます、みれいお嬢様」

「いいえ、こちらこそ助かりましたわ」

 遠くからサイレンの音が聞こえてくる。恵美の知らないところで、誰かがすぐに通報してくれていたようで、ほどなくしてパトカーと救急車がやってきた。

 お婆さんは店の外まで来たものの、震えて縮こまっていて口がきけないようで、みれいがすぐ寄り添いにいった。少し離れた場所で、冴木が警官に何か話しかけている。その声は恵美には聞こえなかったが、頷いた警官が二人、店内へと踏み込んでいった。

 それから三十秒ほどしてパトカーではなく黒い車が現れた。降りてきた刑事は恵美を見ると「また、あなたですか……」と呆れたように言った。午前中に会った刑事と同じ顔だと、そこで気が付いた。

警邏けいらする時間と回数を増やしたほうがいいと思いますよ、刑事さん」

「それはまぁ……議題に上がってはいます。大学生ボランティアにも手伝ってもらっているぐらいですから。それよりも、もう少しその、犯人に手心を加えてもらえませんかね」

「なぜですか?」

「だってほら」

 犯人の男が救急隊によって担架で運ばれている。顔には真っ赤な痕が出来ており、ぽっかりと開いた口には、前歯が二本ともなかった。

「まぁそのなんですか、一応正当防衛ってことにしておきますけどね。あまり度を超えると過剰防衛になりかねませんよ」

「申し訳ありません、今日は若い時のことを思い出す機会が多かったものですから」

「はぁ……? まぁとはいえ、お子さんたちに怪我がなくてよかったです。大学生ボランティアの方たちも、ありがとうございます」

 刑事が敬礼すると、冴木は一揖いちゆうしてかえしていたが、みれいは刑事と同じように敬礼をしていた。

 その後、踏み込んだ二人の警官はいまだ出てこず、刑事は何か無線を飛ばしていて、恵美たちは放置されている。帰っていいのかいけないのかも、聞かされていなかった。

「それにしてもよ」

 先ほどまで涙を浮かべていたのが嘘のように、あおいが話し出した。

「こんなことになるなら、先に通報してもよかったんじゃないの?」

「そうですわ、冴木先輩。わざわざ危険をかえりみなくてもよろしかったのではなくて?」

「そうもいかないんだろう」

 冴木は退屈そうにガチャポンを見ていた。

「SOSには応えてあげないとね。そのための防犯ボランティアだろう」

 恵美は首を傾げた。いつどこで、誰が、どうやって助けを呼んだというのだろうか。

「冴木先輩、SOSなんていつ……いや、ここはわたくしが、冴木先輩の推理を推理しますわ」

「君も好きだね」

 冴木は呆れたように今度はお試し用の知恵の輪に手を伸ばしていた。

「まず、冴木先輩はレジの打ち間違えとレシートの入れ替えという二つの仮説を立てましたわ。しかしこれは、恵美さんとあおいによって破られましたわね。その後、冴木先輩はどうしたか……」

 みれいがあおいを指さした。まるで、犯人はお前だ、とでもいいたげに。

「再びあおいのレシートをみたあと、お店に入り、お婆さんを店の外にだそうとしましたわ。結果としてどうなったかというと、家の中から男性が現れましたわ。これは、冴木先輩が鎌をかけたことによって不法侵入者ということが判明していますわね。ではなぜ、不法侵入者がこの文具店にいると分かったのか――」

 みれいはそこでたっぷり時間を使う。皆の視線を独り占めして、随分と上機嫌に見えた。

「恵美さんの証言にあった物音などから推測したと考えられますわ。お店でお婆さん以外を見たことがないという過去の記憶に基づいた証言も、とても有効でしたわね」

「でもさ、お姉ちゃん。それは結果論じゃない? 泥棒がきているから助けてほしいって、お婆さんが言ってくれれば済んだ話じゃないの?」

「きっとそうできない理由があったんですわ。お婆さんが後ろを気にしていたというのは、監視されているという恐怖からかもしれませんわね」

「うーん……でも、助けを求めてこなかったということは、本当にお孫さんか誰かが帰ってきていて、家にいたっていう可能性もあるんじゃないの?」

「それは……確かにそうですわね」

 みれいはすんなりとあおいの意見を聞き入れて押し黙る。

 黙り込んでしまった姉妹を見て、恵美は思っていたことを冴木に訊くことにした。

「冴木さん、レシートをみて助けを求めていると気づかれたんですよね?」

「まぁ、はい」

 気付けば、冴木の手元にある知恵の輪は外れていた。

「なぜ、レシートを見て分かったんですか?」

 それはもうみれいの推理を推理するという遊びの答え合わせだったが、みれいは何も文句はいわなかった。もうお手上げということだろう。冴木は勿体ぶらずにすぐに答えを述べた。

「買ったものではない商品が何故記載されているのか。有栖川君のいう二つの仮説が破綻したのならば、それは買ったものを記載する以外の意図があることを示唆していると思いませんか」

 恵美は、レシートに印字されていた購入品を思い返す。


 たっぷり収納ファイルボックスA4サイズ縦型。

 水性マーカーペンしなやか仕立て。

 消しゴムMONO<モノ>

 テープノフセン(蛍光紙)15mm幅。


 そうか、と恵美は閃いた。冴木の言っていたSOSとはこのことだったのだ。

、ですね?」

「そう、きっとお婆さんは通報させないよう脅されて監視すらされていたと思います。だから表立っては助けを呼べなかった。そこで、商品を読み取るフリをして、レジから直接縦読みに仕える商品を入力したんでしょう。あおい君に正確な金額を要求できたのは、長年レジを打っているから値段を見るまでもなかったんだと思います」

 すんなりと腑に落ちた。みれいが謎を解けなかったことを悔やんでいそうだ、と恵美が盗み見ると、なんともいえない表情を浮かべていた。例えるなら、遠くから偶然花火を見つけたときのような、あるいは割った卵の黄身が二つだったときのような。

「でもさ」

 あおいが眉を寄せている。

「犯人が、お婆さんの監視なんてしていたら、肝心の盗みが働けないんじゃないの?」

「誰も犯人が一人だなんて、言っていないよ」

「え?」

 途端、店内が騒がしくなったかと思うと、もう一人骸骨のようにやせ細った男が、警官二人に連行されてきた。

「うそ……」

 あおいが絶句して、この世のものとは思えないもののように犯人をみたあと、そのままの表情で冴木を見た。

「何でそんなことまで分かるの? なんか気持ち悪い……」

「……それは、あんまりじゃないかな」

 恵美は、冴木が警官に何かを伝えていたのを思い出す。他にも実行犯がいるかもしれないから二階も見てほしいと伝えていたのだろうか。確かにあおいと会計をするまえや、外で推理をしているときにも二階には人がいそうな気配があった。だがてっきり先ほど対峙した男がそうだと思っていたし、もう一人いるとは思いもよらなかった。しかし冴木はそれも加味して、行動していたということだろう。

 それにしても、これだけフレキシブルに物事を捉えられるものだろうか、と恵美は感嘆した。

「冴木先輩、今回も名推理でしたわね」

「したくもない推理をさせられて、気味悪がられて、なんかね」

 冴木が大きなため息を吐いた。もう推理はこりごりだと言った様子が伝わってくる。彼が散々な目に遭ったように、恵美もまた、今日は何とも言えないハードスケジュールだった。息を吐きながら天を仰ぐと、夕闇に飲み込まれた孟春もうしゅんの空に、一番星がきらきらと瞬いていた。

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