血濡れ姫にご用心Ⅲ

 大通りから逸れた場所にある浪花文具店は木製の二階建てで、二階が住居になっているようだった。看板は色褪せて若干傾いているが、それは恵美が子供のころからそうだった。そういった部分にお金を使わずに、常に近所の小学生たちが喜びそうな知育玩具やキャラクター文具など豊富なラインナップを揃えている。

 空はすっかり夕焼けに染まり、黄昏に呑まれた外観はまさにノスタルジックで過去にタイムスリップしたのかと思うほどだった。そう思わせた要因の一つは、店主のお婆さんだった。店の奥にあるレジにどっしりと座り込んでいる姿は、まさに学生のときにみたまんまだった。流石に刻まれた皺は増えているだろうが、そのどこか超然とした様は変わらない。

「あ、ほら見て」

 あおいがガチャポンを指さす。ミニ怪異フィギュアと、おどろおどろしい書体で書かれたものがあった。その隣のガチャポンには、鼻ちょうちんを出して眠っている小動物の置物のようなものがある。カップ麺などの蓋を押さえるのに使えるらしい。更にその隣には、ガチャポンではなくシンプルに知恵の輪がいくつも置いてあった。恵美的にはこっちのほうが興味があった。

 あおいがトートバッグから財布を取り出してお金を入れる。一回二百円らしい。

 回しているあいだ、恵美はラインナップを見る。どれもどこかで聞いたことがあるような、ないようなものばかりだ。

「あおいお嬢様はどれがほしいんですか?」

「うーん、八尺様はっしゃくさまとか」

「へぇ……オゴポゴとかはないんですね」

「なにそれ」

 がちゃん、と音がしてカプセルが吐き出される。あおいが待ちきれないといった様子で封を剥がした。

「あ、メリーさんだ! 恵美さんも、メリーさんは流石に知っているでしょう。電話してくるたびに、自分に近づいてくるんだよ」

 あおいの手の平に、フリフリした服をきた金髪の女の子がスマートフォンを耳に当てているフィギュアがいた。随分と近代的だな、と恵美は思った。

「それなら、分かります。学生のころよくツレ……じゃなくて、友達と撃退方法を思案しました」

「え?」

 あおいが見つめていたフィギュアから顔を上げてきょとんとする。

「だめだめ、倒しちゃ。怪異には人が抗えない畏怖いふがあるんだよ。それにメリーさんは最後背後に来て、そこでお話が終わる。いわゆる余韻の恐怖を味わうものなんだから」

 あおいはこういったものが好きなりに自分のなかの解釈を持っているらしい。

「はぁ、でも相手が背後にくると分かっていれば対処の仕様があるかと思いまして」

「対処ってどうするの?」

「そうですね……例え羽交い絞めにされても護身術で抜け出せます。遠心力が使えないぶん威力は落ちますが虎尾脚こびきゃくなどで対応できますね」

「それって……中国武術?」

「はい、テコンドーやムエタイの技もありますけれど」

「あーだめだめ! 恵美さん、メリーさんは霊体だからね。物理攻撃が効かないんだよ。だからお札とか、お清めの塩とかそういったものがあるんだから」

「なるほど……」

 恵美は真剣に考えた。物理攻撃が効かない相手というのは、対峙したことがない。

「背後にくるのならば、壁を背にするのはどうでしょう」

「ぐっ、考えたね恵美さん。でもそうね、怪談のなかでは家の固定電話で受話器をとっている場面が多いかな」

 あおいの手にあるフィギュアのメリーさんは最新電子機器を用いているというのに、随分と不平等だ。

「分かりました。では、ブリッジをしていれば下に入り込んだメリーさんを捕縛して撃退できます。背中にお札も貼っておきます」

「だから撃退しちゃダメだって!」

 不毛なやり取りをしていると、文具店の中のほうでなにやら物音がした気がした。

 恵美は入口から中を伺う。てっきり何か品出しでもしているのかと思ったが、レジにいるお婆さんは来たときと変わらず動いていない。レジの後ろの扉が半開になっており、その奥は事務所なのか倉庫なのか分からないが、一瞬人影が見えた気がした。

 あおいがもう一度ガチャポンをするか悩んでいるようだったが、思い直して店内へと歩みだす。恵美もそれに続いた。

 店内はこじんまりとしているものの、所せましと商品が陳列されている。種類ごとに綺麗に分かれていて、初めて来た人でも目当ての物をすぐに見つけられるようになっていた。ポップの文字は年季が入っているのが多く、恵美が子供のときと変わっていないものもあった。まるでここだけ時が止まっているかのようだ。

 あおいが、ノート二冊にシャープペンの芯と、どう考えても消す能力に特化しているとは思えないシューマイの形をした消しゴムをレジに持っていく。お婆さんはいらっしゃいともなにも言わずに、バーコードリーダーを手に持つ。ぴっという電子音に混じって、どたどたと二階から物音が聞こえる。家族のだれかがいるんだろうが、恵美はこの浪花文具店でお婆さん以外の人間をみたことがなかった。

「今日は、お孫さんでも来ていらっしゃるんですか?」

 恵美はそれとなくお婆さんに水を向けてみる。お婆さんはまさか質問されるとは思っていなかったようで、少し目を大きく開いてからぎこちなく頷いた。

「まぁ、そんなとこです。……四百五十円だね」

 お婆さんがれた声で言って、一度後ろを振り返った。つい恵美もその視線を追うが、半開になった扉には誰もいない。

 恵美が財布を出そうとすると、あおいがそれを制した。自分で使うものだから自分で出す、ということらしい。これがみれいだったら、会計も袋詰めも当然のように恵美がしていたのだが、いつの間にかあおいのほうが大人になっている気がする。

 会計を済ませて、恵美とあおいは浪花文具店を出る。外に出てすぐ、左の小径を進んだ曲がり角のほうから声が聞こえてきた。若い男女の声だ。

「――本当に、君は単細胞だね」

「失礼ですわね、冴木先輩。ボルボックスぐらいはありますわ」

「それは、別に多くないと思うけれど」

 曲がり角から姿を現したのは、有栖川みれいと、冴木賢。その後ろに、もう二人女性陣がいたが、恵美は見たことがなかった。

「あ、お姉ちゃんだ」

 あおいが指を差すと、みれいもこちらに気付いてぱっと表情を明るくした。冴木はいつも通りのどこか元気のない様子で小さく会釈している。

 後ろの女子二人もそうだが、みれいと冴木はなにかオレンジ色の反射ベストを着ていた。

「みれいお嬢様、こんなところで会うとは奇遇ですね」

「恵美さん、お久しぶりですわ。あおいも、元気そうですわね」

「お姉ちゃんも、元気そうだね」

 あおいは、みれいがときおり話をするので冴木という人物は知っているが、実際に会ったのは今回が初だろう。それに大学生グループに混ざっている普段みることのないみれいの姿に若干萎縮しているように思えた。

「冴木さん、ご無沙汰しています」

 恵美は慇懃いんぎんにお辞儀する。

「後ろの御二方は?」

「こんばんは、葉山さん……でしたよね。この前はどうも」

 冴木も小さく頭を下げた。

「後ろの人は、新聞部の人たちです」

 冴木が体を横にずらすと、新聞部の二人がぺこぺこと前に進み出て来た。

「初めまして、噂にはきいてますよ。アリスちゃんとこのメイドさんですよね。うちが部長で、こっちが部員のえーこちゃん」

「ど、どうも」

「初めまして、葉山と申します。いつもみれいお嬢様がお世話になっております。今後とも、どうぞよろしくお願い致します」

 形式ばった挨拶だったが、新聞部の二人は物珍しいといった様子で「こちらこそよろしくお願いします」というばかりだった。

「冴木さんたちは何をされているんですか?」

 恵美は冴木たちの着ている反射ベストに目を向けながら質問する。

「防犯ボランティア団体の活動の一環です。頭数が足りないと、有栖川君に言われましてね」

 当のみれいは、あおいと仲睦まじく何か囁き合っていた。それを保護者目線で、恵美と冴木が眺めながら会話をする。

「僕は乗り気ではなかったんですけど、県警察本部が支援してるプロジェクトだとかなんとか……。断れば角が立つし、そもそも活動内容不明瞭なサークルですから」

「なるほど、それで町内の見回りですか?」

「ええまぁ、そんなとこです。特に人通りの少なくなる場所とか、犯罪多発地域に向かわされてます。特殊詐欺防止の呼びかけで郵便局に行ってる人もいますよ。会長の大樹とかはそっちなんです」

 その活動の一環で、オレンジの反射ベストを着ているのだろう。よくみると、背中に防犯と書かれていた。こういった地域の目が、今朝方みかけた女子二人のような人間を減らすことに繋がっていくのだとしたら、とても有効的だろう。

「それじゃ、冴木くんよ」

 新聞部の部長が片手を手刀のように振った。

「うちらは向こうの路地のほうに行くから、ここは頼んだ。さぁ行こーか、えーこちゃん」

 隣に引っ付いているえーこちゃん、と呼ばれた子が冴木と部長を交互に見た。

「えっ、行動を共にしてスクープをとるんじゃなかったんですか?」

「実は明け方に通報があってパトカーが来たっていうのが、この先の路地なんだよ。何か犯罪の痕跡がないか行ってみなきゃじゃん?」

「そうなんですか!? 今日はほとんど一緒にいたのに、部長はいったいどこからそんな情報を掴んできたんですか?」

 部長がうふふ、と笑いながら遠ざかっていく。部員の子はこちらにぺこりとお辞儀をしてから部長を追うように去っていった。

「慌ただしいね」

 冴木が無表情で言った。

「同じ活動をしてても、あっちの方がカロリーを消費しそうだ」

「でも、これでまたみれいお嬢様の相手をしなくてはいけなくなりましたね。こちらも、相当なのでは?」

 冴木が少し驚いた様子で恵美をみた。

「……葉山さんも、苦労されてきたんですね」

「……それほどでもないですよ」

 実際のところ、みれいよりもあおいの方が大人しく、無理難題を言ってくることもないのでこの程度かと拍子抜けしたぐらいだった。だが今は本人がいるので、あまり大きな声では言えない。恵美はいまだに何か話し合いをしているあおいたちを見る。あおいの手には、先ほど文具店で受け取ったレシートがあった。

「やっぱりおかしいですわ。もしかしたらもう歳で何か勘違いしているのかもしれませんわね」

 みれいがレシートを覗き込みながらぶつぶつと言っている。すると突然、みれいが不敵な笑みを浮かべて冴木に向き直った。

「冴木先輩。こちらのレシートをご覧ください」

「嫌だ」

 即答だった。それでもみれいは諦めない。諦めの悪さは人一倍だと、恵美は身に染みて覚えている。

「見るだけですわ。ほら」

 まるで私は有栖川家のものだぞ、と紋所を現したいかのように掲げられたそれは、何の変哲もないレシート。

 一番上に大きく浪花文具店の文字。その下に住所、電話番号、日付が記載されている。更にその下に、購入品がレジを通した順に並んでいる。


 たっぷり収納ファイルボックスA4サイズ縦型。

 水性マーカーペンしなやか仕立て。

 消しゴムMONO<モノ>

 テープノフセン(蛍光紙)15mm幅。

 合計¥721


「別に、普通のレシートだね」

 冴木は興味なさげに言った。しかし、恵美にはそれがおかしいとすぐに気づいた。

「いいですか、冴木先輩」

 みれいが手の平を上に向けた状態であおいの前に出した。

「あおいの手荷物をご覧になってください」

 あおいが神妙な面持ちで頷いて手荷物を前に出した。

「私が買ったのは、ノート二冊にシャープペンの芯と、このごちそう消しゴムっていうシューマイの形した消しゴムなんです。商品もお金も、レシートと全然違うんです」

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