血濡れ姫にご用心Ⅱ

 恵美の通報によって、あっという間に男は警察に連行されていった。

「あ、あの」

 アメカジの女の子が帽子をとって頭を下げた。

「助けていただいて、ありがとうございます」

 隣にいたへそ出しの女の子も、慌ててそれに倣って少しだけ頭を下げると、こちらが訊くでもなしに説明を始めた。

「あたしたち、今日初めて会ったんです。ネットにあったバイト募集みて来たんですけど、なんかおかしいなって思って。ね?」

 アメカジの子は帽子を被りなおしてから頷いて話し出す。

「それであの、間違ってたらすみません。メイドのお姉さん、もしかして……昔スケバンじゃなかったですか」

 ぎくっと、恵美は背筋が凍るのが分かった。スケバンとはいわゆる、不良少女だ。

「どうして、そう思うの?」

 恵美が質問すると、アメカジの子は興奮気味に答えた。

「あの回し蹴りをみて、ひょっとしたらって。私の姉貴が、前に言ってたんです。この辺には昔泣く子も黙るとんでもない女番長がいたって。その人の特技が回し蹴りだそうです。でも、噂では首を吹き飛ばしたりするぐらいの巨躯きょくで、赤い髪がゆらゆら揺れていたって……」

 恵美は呆れて言葉が出なかった。確かに昔、素行が悪かったとはいえ、そんな鬼のようなフォルムではない。それに、頭を吹き飛ばしたりした記憶もない。アメカジの子は目が血走りながらも、興奮をなんとか理性で押さえながら話し続ける。

「そしてですね! 制服は返り血に染まって、ついたあだ名が血濡れ姫だって……」

 もはや後半は怪談でも語っているのかという口ぶりだ。現に、隣にいたへそ出しの子が、自分の体を抱いて「なにそれ怖い」と震えていた。

「それで、どうなんですか。メイドのお姉さん」

 私は努めて冷静に、にっこりとほほ笑む。

「人違いですよ。私は、しがないメイドなので」

 アメカジの子はひどく落胆した様子だったが、どこかまだ希望を残しているかのように恵美を見上げている。仮に、本当は血濡れ姫でした、と宣言すればいまにも握手やサインを求められそうだった。

 諸々の連絡を終えたのか、警官の一人が近付いてきて女子二人にも事情聴取があるという旨を伝えて来た。ひそひそと話している警官から漏れ聞こえてきたのは、闇バイトという言葉だった。おそらく女子二人は高額バイトの募集につられて犯罪の一端を担うところを、すんでのところで逃げてきたのだろう。何をさせられるのかまでは想像できなかったが、ろくなことではないだろう。最近物騒だから、といっていた望月さんの言葉はまさに真意だったといえる。

 恵美は何かあれば有栖川家まで、と伝え残してその場を立ち去る。アメカジの子が名残惜しそうにこちらを見ていた。

(私の異名は、何十年と経った今でもなお語り継がれているのね……)

 人の噂も七十五日というが、嘘っぱちかもしれない。恵美は嘆息しながら路地を出る。すっかり陽が昇っていたので、伊三郎を連れたまま買い出しを済ませることにした。買い出しリストを参考に購入したいっぱいの荷物を両手に抱えて歩くと、伊三郎が心配そうに恵美をちらちらと見ていた。何となく察したのか、帰り道は伊三郎の気まぐれに振り回されることなくすんなりと帰路についた。

 門をくぐる。庭にはもう望月さんの姿は見えなかった。伊三郎を犬小屋へ戻して、飛び石を渡り玄関戸を開ける。どこからともなく美園さんが現れて、二人で食材をしまい込んだ。

 そのまま昼食を済ましたり、色々と仕事を手伝っているうちに、すっかり時刻は午後五時を過ぎていた。あおいお嬢様からのお出かけの指示はいまだにないが、どうなっているかなと考えていたところで夕食の仕込みをしていた美園さんが現れた。

「あおいお嬢様がお出かけになるそうです。恵美さん、よろしくお願いしますね」

「かしこまりました」

 恵美はやっていた掃除を中断して、バケツと掃除道具を手に持つと階段を降りて玄関のほうへ向かった。

「あっ、きたきた」

 玄関には、すっかり身支度を終えた有栖川あおいがいた。バルーンスリーブの黒のワンピースに、小さい白のショルダーバッグには金の細工が施されており、高級感があった。

「すぐにお出かけされますか?」

「うん、大した用じゃないんだけどね」

 あおいは屈みこんで黒のブーツを履く。耳にかけたピンクレッドの髪がさらりと流れた。本当にこうして顔がしっかりみえていないと、小さいときのみれいそっくりだった。

「ちょっとだけ伊三郎を撫でまわしてくるから、掃除道具片付けたら来てね」

「かしこまりました」

 恵美はそそくさと掃除道具とバケツをしまって靴を履く。スマートフォンを持ってくるのを忘れたと思い出したが、あまり待たせては悪いだろう。

 戸を開けて、再び庭に戻る。草木は綺麗に整っており、心なしか風の通りもよくなったように感じた。飛び石を渡っていくと、伊三郎と戯れているあおいが見えた。

 あおいは、今年で中学三年生になり受験勉強を控えている。ときおり勉強も教えて欲しいといわれることがあったが、中三の問題でも恵美にとっては危うい。不登校ぎみだった過去が、ここにきて響いてきている。相手を一発で無力化させるのは得意なのだが、それを会得した過去のことをあおいに話したことは一度もなかった。

「お待たせいたしました。あおいお嬢様」

 ここに来てから幾度となく教わった丁寧なあいさつをする。あおいは伊三郎の頭をぐりぐりと撫でてから立ち上がった。

「別に待ってないよ、じゃ行こうか」

「どちらに行かれますか? 車がいるなら表に用意してまいりますが……」

「勉強ばっかりでずーっと座ってたから、歩きたいかな」

「かしこまりました」

 朝から歩きっぱなしだな、と恵美は思ったが別に苦ではなかった。今のところ古傷が痛むこともないし、なにより足腰には自信があった。

「それで、どちらまで?」

 恵美はあおいより一歩下がった場所を歩きながら訊く。

「小学校のほうにある、小さい文房具店。あそこにあるガチャポンをやりたいの、ついでに文具もちょっとね」

「なるほど、ガチャポンですか」

 恵美は頭の中にインプットされている地図を展開する。小学校のほうだとすると、駅近くの大手の文房具店ではなくきっと『浪花なみはな文具店』だろう。恵美が学生のときからある老舗で、お婆さんがいつも一人で店番していたのを覚えている。小さいながらも、筆記用具は充実していたし、キャラものの文具や、ちょっとした玩具雑貨もそうだが、表にあるガチャポンも人気の一つだ。

「恵美さん知ってる? 今流行ってるミニ怪異フィギュア」

「いえ……存じ上げないです」

 あおいが楽しそうに笑って説明する。

「色んな都市伝説とか、怪談っていうか怪異? それが小さいフィギュアみたいになってるんだよ。口裂け女とか、てけてけとか、知らない?」

「何となく、聞いたことがありますね。ビックフットとか、ネッシーとかのことですよね?」

「……なんか違う気がする」

「す、すみません。他にはなにかあるんですか?」

「あんまりラインナップは知らないんだよね。でもさ、こういった都市伝説がいま流行ってて色んな噂を聞くんだけど、この辺りにも昔あったんだって、都市伝説」

「と、いいますと?」

「血濡れ姫って知ってる?」

「ぶっ」

 恵美は思わずせき込む。あおいが立ち止まって心配そうな表情で背中をさすってくれた。

「だ、大丈夫? 恵美さん」

「申し訳ございません、ちょっと驚いてしまって」

「何に驚くのよ、びっくりさせないでよね」

「は、はい」

 過去の遺物が、一人歩きしている。噂とは怖いものだ、と恵美は過去の自分の蛮行を呪った。

「それでね、血濡れ姫っていうのは」

 あおいが再び話を引き戻した。恵美は苦笑しながら耳を傾ける。

「夕方になると現れるんだけど、赤い髪が蜃気楼のように揺らいだかと思うと体をしめつけてきて、次の瞬間には足が鞭のようにしなって、首を跳ねるんだって」

 話に尾ひれが付きまくっている。それでも恵美は相好を崩さずに興味深そうに頷き返すことができた。

「なんというか、物騒な怪異ですね」

「そうだよね、って……恵美さんなんか汗すごくない?」

 

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