ご所望のタルトは何処に?Ⅱ

 食堂はひそひそとした話声や、奥の席で突っ伏している男子の寝息が聞こえる程度で、普段とは正反対に落ち着ける空間になっていた。

 栄子はピロティを渡ったときに濡れてしまった半身を、ハンカチで拭きながら席に近づく。

「久しぶりだね、璃音」

「珍しいね、栄子がこんな時間に大学にいるなんて」

 璃音がにっこりと笑う。覗いた八重歯が特徴的で、本人は気にしているらしいが、栄子はずっとチャームポイントだと思っている。

「うん、ちょっと忙しくてね」

 栄子がハンカチをしまっていると、璃音が手招きしていた。隣に座っていいよと促したのでお言葉に甘えることにする。

「璃音ちゃんは、どうしてこんな時間に?」

 こちらも質問しながら、なんとなく向かい側に座っている男子を一瞥いちべつする。体躯は男子にしては細身で、黒髪は手入れされているようには見えない。眠いからなのか、どこかぼんやりとした瞳は黒々としており、何か自分の裏側を見透かされているような、なんとも言えない雰囲気を醸し出していた。

「サークルの集まりでね。そいつは冴木先輩」

「へぇ、サークルのね。初めまして、七宮栄子です」

 先輩なのに、そいつなどと呼ばれたことが不快なのか、冴木は仏頂面のままで会釈した。

「璃音ちゃんって、なんのサークルだっけ?」

「言ってなかったっけ。ミステリー研究会」

「えっ意外!」

 栄子は驚いて目を丸くした。璃音は中学の時からスポーツ万能で、ずっとバスケで活躍していた。当時はショートヘアが良く似合い、後輩の女子からラブレターを貰っていたことも覚えている。それこそ、バレンタインデーのときなんかはチョコを多く貰っていた。しかし、高校の時に怪我を負い、すっかりバスケとは疎遠になった璃音とは、接点が小さくなりいつしか遊ぶ機会もなくなってしまったのだ。

「璃音って、そんなにミステリー好きだったっけ?」

「うーん」

 璃音は顔の横で髪の毛をもてあそぶ。肩甲骨辺りまで伸びた髪は毛先に行くほど紫になっているグラデーションカラーだった。

「ミステリーってより、サスペンスの方が好きかな」

「同じじゃないの?」

 栄子は普段から本は恋愛小説しか読まなかったし、映画やドラマは派手なアクションものが好きだった。ミステリー、と言われると何だか探偵が出てきて犯人を追い詰めているような印象しかない。

「ミステリーっていうのは、犯人が分からなくて推理していくのでしょ。コナン君とか見ないの?」

「あ、ちょっとなら分かるよ」

「サスペンスは、犯人が分かってるんだよ。どう推理して、どう真相に迫るのかなーみたいな。古畑任三郎とかね」

「なるほどね。確かに、この大学にサスペンス研究会はなかった気がするから、ミス研なわけだ」

 栄子は頷いて、冴木に視線を向ける。

「冴木先輩は、ミステリー派ですか?」

「別に」

 思ったよりも低かった声に、栄子はどきりとした。

「どっちでもないし、どっちでもいい」

「はぁ、そうですか」

「栄子ちゃん駄目よ、こいつは愛想というものを産まれたときに落っことしちゃったんだから」

 璃音が横から補足する。

「普段からこれが標準だから、気にしないでね」

「あ、うん。そうなんだ?」

 璃音の物言いに対して、得に反論も言わない冴木を気にしつつ栄子は相槌を打つ。話題を変えようと思い、視線をテーブルに向けると、空になったプリンの容器を見つけた。

「璃音は、相変わらずプリンとかデザートが好きなのね」

「まぁね。わたしも三度の飯よりデザートなの」

 わたしも、ということは冴木もなのだろうか、と栄子が思ったとき璃音の首元にキリンのネックレスが見えた。体は右を向いているが、顔は左を向いたキリン。心臓の部分に小さいが青い宝石があった。

「璃音は中学のときからそうだよね。よく部活のあとにアイスとか食べにいったっけ」

「あー、行った行った! 懐かしいなあ、栄子はまだバスケしてるの?」

「ううん、もう全然。今は新聞部だよ」 

「あー、だからなんか質問がインタビューっぽいのかな」

「えっ、うそ」

 これが職業病というやつか、と栄子が思っていると璃音が大きな欠伸をした。目尻に溜まった涙をぬぐいながら、彼女がつぶやく。

「結局徹夜しちゃってさ、もうほんと眠い」

「え、男子と二人で……?」

 数少ない周りの人たちに聞かれないように小声で栄子がいうと、璃音は一瞬きょとんとしてからけらけらと笑った。

「そんなわけないでしょ、サークルの集まりなんだから二人じゃないよ。後二人いたんだけど、一人は電話が掛かってきてからどっかいっちゃって、もう一人は東校舎にある研究室に忘れ物とりにいってる」

 なんだ、と栄子は胸を撫で下ろす。よもや、こんな死んだ魚の目をした男子が彼氏かと思っていた。というか、徹夜明けだからどことなく生命の息吹を感じないんだろうか。そう思って栄子はもう一度冴木の方を見てみたが、腕組みしながら目を閉じている。本当に元気がない、というか生気がない。

「冴木先輩ね、お目当ての子が来なかったからしょげてるのよ」

 璃音が耳打ちする。吐息がくすぐったくて、栄子は身をよじった。

「お目当ての子って?」

「アリスちゃんって知らない? あの有栖川家の」

「ああー、うん。聞いたことある」

 確か大きなゲーム会社の社長令嬢だったような気がする、と栄子は思い出す。

「今日の集まりに来るはずだったんだけどね。というか、この集まりもアリスちゃんが企画したものだったし、冴木先輩がもうすぐ誕生日だからって、カラオケとか行ったんだよ」

「ふぅん……。とはいっても璃音ちゃん、ヘビメタとか歌って楽しんだんじゃないの?」

「あは、バレた? まぁ、楽しまなきゃでしょ。冴木先輩は頭に響くからやめてくれって言ってたんだけどね」

 誕生日会的な集まりで、余計疲れさせているのではないかと疑問が浮かんだが、栄子が口を出す立場ではないので慎んでおく。

「カラオケ出てからもさ、消防車が通っていって悲痛な顔になってたよ。あかね先輩がアリスちゃんの家の方に消防車が行ったっていうもんだから――」

 唐突に知った名前が出てきて、栄子は驚いた。茜先輩とは瀬戸せと茜のことだろう。確かにミス研にいるという情報は仕入れていた。瀬戸先輩は探偵という肩書で何でも屋のように扱われており、栄子も以前飼い猫が脱走したときに猫探しを手伝ってもらった思い出がある。

 それにしても、璃音にこんなサディストな部分があったとは、と苦笑していると、今まで黙りこくっていた冴木が声を発した。

「ほんと、縁起でもないこと言わないでもらえるかな。もう一度、ボヤ騒ぎがあったんだから」

 眠たいからなのか、先ほどよりも低めの声でぎょっとする。死者の目覚めとまではいかないが。

「そういえばあったね、そんなこと。クリスマスパーティーの時でしょ?」

 璃音が楽しそうに話す。

「結局、アリスちゃんと仲良く二人で来たんじゃなかったっけ。わたしは酔いつぶれてて覚えてないけど、もっぱら付き合ってるんじゃないかって噂だよ」

「付き合ってない」

「ほんとにー?」

「あんなトラブルメーカーと付き合ってたら、体がもたないよ」

「まぁね」

 璃音は納得したように頷いた。

「有栖川みれい現れるところ乱あり、ってね」

 冴木も疲れた表情で頷いた。

 こんな調子でいじられていたらそりゃ生気もなくなるものだ、と少しだけ同情してから、栄子は席を立つ。

「それじゃ、私はちょっとコンビニ行ってくるね。まだやらなきゃいけないこともあるし」

「あ、うん。ごめんねー話し込んじゃって」

「ううん、楽しかった。また今度ゆっくり話そうよ、璃音ちゃん」

 ばいばい、と手を振ってテーブルを離れる。食堂を出るときに、入れ違いで新たな人物が現れた。

 栗色のボブカットの下に、先ほども見たキリンのネックレスが見えた。向きは逆に思えたが、同じ宝石。今度は名前を思い出した。あれは、ラピスラズリだ。

「あー、早紀さきちゃんおかえりー」

 食堂の中から璃音の声が聞こえる。

「忘れ物あったの?」

「うん、あったよ。待たせてごめんね」

 そのあとすぐ、あの思ったより低い声が聞こえた。

「雨、止んだ?」

 バスケが出来なくなってからみるみる元気がなくなっていた璃音も、今は楽しそうにサークル活動をしているようで安心した。三人の談笑を背に、栄子は食堂を後にした。

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