第四章 孤島上陸

第29話 伊藤楓の過去

 11月1日午後零時半。スピード・アップ社の報道記者、伊藤楓は、オープンしたばかりのスイーツ専門店で、大人気の特大モモパフェが運ばれてくるのを待っていた。向かいの席には、総務を担当する親友の女性が座った。ランチの後に「モモパフェに行こう」と楓が誘った。「太るから甘い物は控えている」と親友は渋ったが無理矢理付き合わせた。取材がうまくいかなかったり、彼氏とケンカしたりしてストレスを感じると甘い物が食べたくなるのはいつものことだった。店は客で一杯で、入口の外に列ができ始めていた。


 「まだかな、特大パフェ。高さが30センチもあるんだって。それにしても結構時間かかっているね」と話していた時だった。ポケットに入れていたスマホが振動した。社長の河野からの電話だった。


 河野は下河原総理と共に大阪にいる。下河原は午前中に大阪に入り、ホテルエンパイヤー大阪を訪問した。毒物混入事件の犠牲者を悼んで献花台が設けられている部屋に入り手を合わせた。「一刻も早い犯人検挙を望んでいる」と記者団に歩きながら話した内容がニュースで流れた。正午からは、「孤高の党」に所属する有力代議士の支援集会が大阪市であり、冒頭に挨拶をした。集会後、大阪行政記者会からの申し入れで総理の記者会見がある。その司会役として河野が同行した。会見の後、午後1時半から関西財界幹部との非公開の打ち合わせが入っていた。


 「楓、すまんが、全日本テレビ最上階にある総理の執務室に行ってくれ。机の上にある『和歌山Eプロジェクト』の書類の冒頭から3ページ分をカメラで撮影して俺宛にメールで送ってくれ」

 「私がですが?」

 「岸岡が東京にいないんだ。君ならこの前の総理会見の前に、俺と一緒に行ったところだからわかるだろう。急ぎなんだ。総理が今日持ってくるのをうっかり忘れたらしい。とても焦っている。すぐに行ってくれ。全日本テレビの秘書室には言ってある。警備員が執務室の前で待っているはずだ」

 今夏にスピード・アップ社取締役に抜擢された岸岡は、河野が東京を離れる時には、代理として、業務を任されているが、今日は北海道への出張だった。


 「私1人で行って、入れるんですか」

 「俺の机の下の金庫に『内閣府顧問』と書かれた認証カードが入っている。それを首からぶら下げていれば執務室の前まで行ける。もし、誰かに止められたら、『河野の代理で来た。下河原総理も了解している』と言ってくれ。部屋に入る時は、認証カードをドアのセンサーにあてたうえで、暗証番号『9999』を押せば開くから。金庫のカギの暗証番号も同じだ。急いでくれ」

 「『和歌山Eプロジェクト』ってなんですか」

 「極秘案件で、俺もよくは知らないんだ。表紙以外はすべて暗号文字になっているから読めないはずだ。間もなく始まる関西財界幹部との打ち合わせで、プロジェクトのスケジュールの詳細がどうしても必要らしい」


 「わかりました。今食事中なのでもうしばらくしてから社に戻ります」

 「ダメだ。一刻を争うんだ。財界との会合が間もなく始まる。すぐに行ってくれ、今すぐだ」

 「えー」と言ってごねようとしたが、河野の鬼気迫る雰囲気に観念した。親友に事情を告げて席を立った。その場から離れようとしたまさにその時、豪華な特大モモパフェが運ばれてきた。

 「うっわっ、あれを食べられないなんて。ストレスがどんどん溜まっていく」


 楓は社に走って戻り、河野の机の下の金庫から認証カードを取り出して、近くの全日本テレビ本社に向かった。受付も素通りし、最上階の執務室まですんなりとたどり着いた。ドアの前で、テレビ局の秘書室長と警備員が待っていた。

 総理執務室のドアは、楓が持ってきた認証カードがなければ開かなかった。

 楓は、認証カードをセンサーに掲げ、暗証番号「9999」を押した。ドアがすっと開いた。

 「開きました」。楓が言って、秘書室長と警備員に先に中に入るように促した。

 「いえいえ、私たちは中には入れません。厳しく言われています。ここでお待ちしています」と秘書室長が言った。


 楓は1人で執務室の中に入った。ドアが自動的に閉まりロックがかかった。窓側に配置された総理執務机の上に、無造作に封筒が置かれていた。表紙に「和歌山Eプロジェクト」と書かれていた。中の書類を取り出して3枚分を写真で撮影し、メールで河野に送った。文章は河野が言った通り、暗号になっていた。


 「ありがとう。間に合った。助かった」。河野からすぐにメールで返事が来た。楓は封筒を机の上に戻して、ドアの方に向かった。カードをセンサーに掲げようとしてふと、止めた。その場で振り返って再び、執務机に戻った。そして机の上に置かれた「和歌山Eプロジェクト」の封筒の下に置かれた同じような封筒を手に取った。


 「東京湾Fプロジェクト」と表紙に書かれていた。中の資料を取り出し、スマホをかざして、写真におさめた。20ページほどあった。最後の方は、写真と地図がついていた。どこかの島のようだった。封筒を元に戻してから、部屋を出た。

 「無事に終わりましたか」。秘書室長が丁寧な言葉遣いで聞いてきた。興味深々といった感じだった。「問題なく私の役目を終えました」と答えた。

 

 楓がスピード・アップ社に就職して1年半がたった。大学3年の時に、大好きだった父、伊藤青磁が惨殺された。インターネット会社トップ・スター社を若い時に立ち上げ、ゲームやメディアなど多方面に事業を拡大し、「時代の寵児」と言われた父だったが、全身を何度も刺されて山林に捨てられた。元気でバイタリティのあるやさしい父が突然、この世からいなくなってしまった。その現実を受け入れることはできなかった。一人娘として、父の会社を継ぐのが当然だと思っていた。父もよく出張に連れて行ってくれて、会社の人たちからもかわいがられていた。

 

 自分も後を追って死のうと思った。死に場所を探して海に行ったり、山に行ったり方々を彷徨った。自殺サイトを探る毎日だった。しかし、母の姿を見て思いとどまった。父にすべて頼り切っていた母は心を病み、体調を崩した。まるで夢遊病者のようになっていた。「今、私が死んだら母はどうなってしまうのか」。ネット日記にそう記していた。 


 母への取材で度々自宅を訪れていた大神由希に会ったのはそんな時だった。大神は、事件の真相を追いかけていた。その姿がまばゆかった。大神が「必ず犯人を突き止めます」と母に言い切った。母が立ち直っていく姿を見て、思った。

 「私も報道記者になる」

 母は今では、トップ・スター社の役員となって重要な仕事を任されている。

 楓は、母と共に莫大な財産を相続した。

 「記者なんて危険で不安定な仕事は早く辞めてお父さんが立ち上げた会社に戻りなさい」と母に会うたびに言われている。

 

 今、インターネットの世界で日々、膨大なニュースの処理に追われている。官公庁や企業、ユーザーからの情報を記事にして発信する。事件が発生すれば現場に行ってカメラを回しながら取材する。アクセス数を競いあう。給与は一般企業の平均を下回っている。一方でサービス残業は当たり前だった。「報道の世界で活躍するんだ」と社に飛び込んでくる若者は多いが、大半は1年ももたずに辞めていった。

 

 楓は自分の給与がいくらかとか全く関心がなかった。ルーティーンに忙殺されながら、特ダネをものにしたいという気持ちだけは強かった。

 「なにげない日常の陰で、悪や不正がはびこっている。法で罰せられない闇の世界が存在する。その真実を明らかにして世に問うていく。それが、報道に携わる者の使命です」

 学生時代に講演会で聞いた、パネリストの大神の発言だ。その言葉は胸に響いた。今でも、心に刻まれている。


 だが、重要な情報であればあるほど機密性は高い。そんな情報を入手するなんて、記者の中でも天才的な嗅覚を持った人にしかできないのではないか。楓は、自分にはそんな才能は備わっていないと思い始めていた。

 正攻法の取材で水面下の情報を入手できればいいが、情報収集に手段は問わないと言う人もいる。非合法な方法で入手した情報であっても、それが世のため、人のためになるならば、「ありだ」と言う先輩もいた。


 総理の執務室は特ダネの宝庫といえる。河野の認証カードを使えば、また中に入れるかもしれない。下河原は国政に関する資料は官邸で厳重に保管しているが、党の活動に関する書類や個人的に動いているプロジェクトの資料は、テレビ局などに設置した総理執務室に置いているようだ。官邸以外の警備は手薄になっていて、資料の管理も杜撰だった。

 もう一度、総理執務室に入ってみたい。そんな誘惑に駆られた。


 楓は、マスコミ規制法の問題点についても強い関心を持って取材にあたっていた。

 すでに2人の記者について調べた。

 新神奈川新聞の畠山進記者は「『孤高の党』の闇」という特集記事を掲載した。金にまつわる疑惑を追った内容だったが、「誤報・虚報調査特別委員会」から「裏取りが不十分なままに記事にした。明らかな誤りで訂正、お詫びが必要」と通達が出されていた。その畠山記者は出頭したが、そのまま行方不明になっている。警察は「取り調べが終わり、帰宅した。落ち込んでいる様子ではあった」としているが、畠山記者は自宅には帰っていない。

 

 夕暮れテレビの斎藤加奈記者は、ドキュメンタリー「『孤高の党』が政権を握るまで」という1時間番組を放送した。民自党の分裂、野党への締め付けの実態を生々しく描いた。問題にされたのは、マスコミ規制に対する「時代に逆行する暴挙」という評論家のコメントだった。これにより、委員会からは「政権批判前提の番組を制作した責任は重い」と出頭命令が出た。やはり、帰宅が許されたと説明を受けているが、自宅には帰っていない。

 ほかにも取り調べの後に、行方不明になった記者はいる。大神先輩とは連絡がとれてほっとしたが、ほかの人たちは一体、どこにいってしまったのだろうか。

 

 楓は河野に直に聞いたことがある。

 「記者が行方不明になっています。政権が関与しているのではないでしょうか」

 「知らん、知らん」と河野。

 「『誤報・虚報調査特別委員会』を仕切る報道管理局が関与しているとしか思えません」

 「だから知らないって。俺は今、総理の演説の下書きと想定問答を作ることで精いっぱいなんだ。大会とか、記者会見の司会役も飛び込んでくる。こう見えて結構忙しいんだ。司会役とか苦手でね」

「忙しい」ということでいつもかわされた。

 総理執務室にあることが確認できている報道関係者の「ターゲット・リスト」の中身を見たいと強く思った。


(次回は、■「東京湾Fプロジェクト」とはなんだ)



★      ★       ★


小説「暗黒報道」目次と登場人物           


目次

プロローグ

第一章 大惨事

第二章 報道弾圧

第三章 ミサイル大爆発 

第四章 孤島上陸

第五章 暗号解読 

第六章 戦争勃発 

第七章 最終決戦

エピローグ


主な登場人物

・大神由希 

主人公。朝夕デジタル新聞社東京社会部の調査報道を担 当するエ ース記者。30歳独身。天性の勘と粘り強さで' 政界の不正を次々と 暴いていく。殺人集団に命を狙われる中、仲間たちが殺されたりして苦悩しながらも、「真相の究明」に走り回る。

・下河原信玄 

内閣総理大臣、孤高の党代表。核武装した軍国主義国家を目指す。

・後藤田武士 

元大手不動産会社社長。国民自警防衛団(民警団)会長。大神の天敵。


★朝夕デジタル新聞社関係者

・橋詰 圭一郎 

東京社会部調査報道班記者。大神の1年下の最も信頼している相棒。

・井上 諒   

東京社会部デスク。大神の上司で、大神と行動を共にする。

・興梠 守   

警察庁担当キャップ。


★大神由希周辺の人物

・河野 進

「スピード・アップ社」社長。下河原政権の広報・宣伝担当に就任。大学時代の大神の先輩で婚約者だった。

・岸岡 雄一

「スピード・アップ社」のバイトから取締役へ。子供の時から「IT界の天才」として知られる存在。

・伊藤 楓

インターネット会社「トップ・スター社」を創設した伊藤青磁の長女。大神に憧れて記者になる。

・鏑木 亘

警視庁捜査一課警部補。夫婦とも大神のよき理解者。大神が時々夜回りに通う。

・永野洋子

弁護士。大神の親友でよき相談相手。反社会的勢力の弁護を引き受けることもある。

・田島速人

永野の夫で元財務官僚。総選挙で当選し、野党「民自党」副代表になる。


★下河原総理大臣周辺の人物

・蓮見忠一

内閣官房副長官。元警察庁警備局長。報道適正化法(マスコミ規制法)制定の責任者。        

・鮫島 次郎

内閣府特別顧問兼国家安全保障局長。下河原総理の指示で、最新鋭のミサイルとドローンの開発にあたる。いつも紺色仮面を被っている。

・江島健一

民警団大阪代表から、民警団本部事務局長になる。

・香月照男

民警団員。精鋭部隊入りを目指している。


★事件関係者

・水本夏樹

スーパー美容液を売るマルチ商法の会社経営者。会社倒産後、姿を消していた。

・水本セイラ

水本夏樹の一人娘。知能指数が際立って高い小学3年生で、謎の多い少女。


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