第14話 水本夏樹が死んだ。セイラは?

 内閣府報道管理局調査課長と警察庁警備局特別チーム所属の刑事による大神由希記者に対する取り調べは続く。

 

 沈黙の時間が30分ほど続いただろうか。突然、取調室に全く別の男が入って来た。相当慌てたような感じだった。

そして取り調べにあたっていた2人に耳打ちをした。

 「なに、本当か」。2人は同時に驚いたような表情を浮かべた。そして部屋の外に飛び出していった。


 間もなく、課長が戻って来た。

 「なにかありましたか」。大神は新聞記者の習性で聞いた。

 「いやっ、今にわかることです。とにかく、誤報であることを認めたらどうですか。情報源は誰なんですか」

 刑事が戻って来た。

 「もう今日はいい。聴取は終わりだ。反省の全くない信じられない態度は内閣府としても警察庁としても大いに問題にする」


 「明日も聴取は続くのですか?」。もうこりごりだった。疲れ切った。仮病で病院に入院してしまおうか。とにかくここには二度と来たくなかった。

 「わからん。今日中に連絡する」。刑事にわずかだが動揺がみられた。


 解放されたのは午後8時過ぎだった。

 警視庁の外にでると、この時間まで待っていた記者にもみくちゃにされた。囲み取材を受けた。「何を聞かれたのか」と繰り返し質問された。さすがに取り調べの内容は話せなかった。

 「明日も聴取は続くのですか?」とテレビ局の記者が聞いてきた。

 「また連絡すると言われただけです。明日あるのかどうかわかりません」


 会社に寄らず自宅マンションに帰った。ぐったりとしてベッドに横たわった。しばらくして、社会部長に今日のことを説明するために電話した。

 「今、自宅に戻りました。会社に行って詳細を報告するべきですがとても疲れてしまって自宅マンションに直行しました」

 沈黙があった。


 「どうしたのですか。詳しい報告が必要であれば、今から社に上がりましょうか」

 「いや、特別なことがなければ、明日、メールで報告してくれればいい」。ようやく社会部長が口を開いた。

 「なにかがおかしい」。大神は普段の社会部長の様子とは違うなにかを感じた。いつもであれば、「どうだったか」をしつこいぐらいに聞いてくるはずなのに。

 「部長、何があったのですか。教えてください」

 「大神、驚くんじゃないぞ」

 「一体、何があったのですか」

 「夏樹が死んだんだ」

 「えっ、夏樹さんが……」。衝撃の情報だった。報道管理局の課長が「今にわかる」と言ったのはこのことだったのだ。直前に連絡が入ったのだろう。


 社会部長によると、夕方、酔って自宅に帰る途中の歩道橋の階段から転落して死亡した。頭を打ち付けたらしい。警察は事件と事故の両面から捜査しているという。

 「自殺ということはありませんか」

 「今入った情報だからなにもわからん。ただ、状況からして自殺とは思えない」

 「殺されたということは」

 「わからんって言っているだろう。捜査はこれからだ」

 夏樹さんが死んでしまった。公園で話した時、戸惑ったり怒ったりした表情が思い浮かんだ。取り調べの時に、パソコン画面で、「大神さん」と呼びかけてきた深刻な暗い表情が蘇った。


 「私のせいだ」。全身の力が抜けてきた。記事にならなければ、夏樹は死ななかったはずだ。なぜ、あの時、記事を止められなかったのか。止められなくても、夏樹だとはわからない書き方をしていれば、ネットで実名で取り上げられることはなかったはずだ。

 「報道被害」。これまで社内でなくしていこうと率先して活動してきた自分が最も深刻な状況を作り出してしまった。

 「記者はもうできない」。目に涙があふれてきた。

 落ち込んだ気分になった時、ふと、セイラのことが頭に浮かんだ。セイラは一体どうしているのだろう。母親を亡くして1人になってしまった。大阪のマンションに1人で母親の帰りを待っているのだろうか。セイラのことが気になっていてもたってもいられなくなった。

 

 警察庁から明日の事情聴取についての連絡は現時点でなかった。大神は社会部長に声をかけて、大阪行きの最終の新幹線に飛び乗っていた。

 深夜になって大阪に着き、タクシーで夏樹のマンションに着いた。夏樹の部屋の鍵はしまっていた。インターフォンでも応答はなかった。電気もついていなかった。

 「セイラちゃん」。思い切り叫んだ。返事はなかった。

 

 「どうも松本市の親戚の家に預けられたらしい」

 セイラがどこにいるかを知りたくて、捜査一課担当記者に警察にあたって調べてもらった返事が2日後に来た。夏樹が、スーパー美容液商法でマスコミに追われていた時に一時避難したのも松本市の親戚の家だった。その時も、報道陣に発見され、閑静な住宅街が騒然となったことがある。その当時の社会部取材班が残した資料の中に、親戚の家の住所が記され、写真が添付されていた。

 

 大神は1人で松本市に行った。親戚の家は、古い屋敷が並んだ住宅街の一角にあった。塀で囲まれ、がっしりした屋根瓦がそびえる2階建ての大きな家だった。昼前の時間帯。一帯はシーンと静まり返り、人の姿はなかった。ここにセイラがいるだろうか。

 インターフォンを鳴らしたが応答はなかった。しばらく待ってまた押してみたがやはり返事はない。松本市でも別の家に預けられたのだろうか。少し離れたところに位置する小学校に行ってみよう。そこにもセイラがいなかったら、今日は帰ろう。


 夏樹とセイラのことを思い起こしながら、小学校への道を歩いた。途中に大きな川が流れていた。堤防上の砂利道を歩く。河川敷にだだっ広い公園があった。高さ10メートルほどのネットが張られ、野球ができるような設えになっていた。遠くの方にブランコが見えた。女の子が1人でブランコをこいでいた。

 近づくにつれてはっきりと姿が見えてきた。

 夏樹の娘、セイラだった。


 「セイラちゃん」。50メートルほど手前で大神が呼びかけた。

 「おねえちゃん」。セイラはびっくりして大きな目で大神を見つめた。

 「やっぱりここだったんだ。でもどうして公園で1人なの?」

 「うん、まだ小学校への転校の手続きが終わっていないんだって。叔父さんに『家にいろ』と言われたけど、出てきちゃった」


 大神は隣のブランコに座った。2人はしばらく無言でブランコに揺られた。

 「おねえちゃん、どうしてこんなところまで来たの?」

 「セイラちゃんに会いたくなってね。どうしているかなって思って」

 「そうなんだ」

 2人はまた、ブランコをこいだ。

 「お母さん、亡くなっちゃったね」

 

 セイラは無言だった。

 「セイラちゃんは大丈夫?」。セイラはブランコを止めて、大神の顔をじっと見つめた。

 「ママ、毒物なんて入れてないよ」。はっきりした声で言った。目が強い光を放った。

 「えっ。そうだよね。毒物を入れたのは夏樹さんじゃないんだよね」

 「おねえちゃんはママを疑っているの」

 「疑う気持ちはあった。でも直接話して、そうじゃないと思おうとした」

 「ママじゃないよ。絶対にママじゃない」

 「セイラちゃんが言うならそうだね」

 「信じてくれた?」

 「うん、信じた」

 

 「よかった。おねえちゃんだけには信じて欲しかった」とセイラが言った。その直後、突然、セイラが「フフフ」と笑った。かわいらしい少女の顔が一瞬、大人びた表情に変わっていた。

 「どうしたの?」

 「別に」。セイラの落ち着き払った様子に大神はドキッとした。これまで抱いていた悲劇の少女のイメージが一変した。


 「まさか、知っているの、誰が鍋の中に毒物を入れたのかを」。セイラはまた「フフフ」と笑った後、ゆっくりとうなずいた。

 「誰? 誰なの」。大神はブランコから立ち上がってセイラに詰め寄った。だが、セイラは笑うだけだった。大神はセイラの肩を強くつかんだ。「痛い」。セイラが叫んだその時だった。

 「誰だ、お前は」。いつの間にか2人の男に囲まれていた。大柄な男が険しい顔をして大神にどなった。

 大神は2人の男を無視してセイラの肩を揺さぶった。

 「誰、毒を入れたのは一体誰なの」

 「きさまー、なにを訳のわからないことを言っているんだ。頭がおかしいのか」。小柄だががっしりした体格の男が大神につかみかかり、セイラから引き離した後、背負いで投げ飛ばした。柔道技だった。大神は受け身もとれなかった。


 「キャー」。公園脇の道路を歩いていた親子連れが叫んだ。投げられた瞬間を見て、大神が一方的に暴行されていると思ったようだ。

 大神は腰と足に激しい痛みを感じながら、立ち上がった。興奮気味に睨みつけている2人の男に対して、新聞記者であることを告げ、名刺を1人に渡した。

 大柄な男はセイラの叔父で小柄な方の男はその息子だと言った。そして怒りに満ちた声で口々にどなった。


 「この子の母親は死んだんだぞ。犯人視報道をしたマスコミが殺したようなもんだ。さらに娘の避難先まできて、子供を脅して何を聞き出そうとしていたんだ。新聞記者は何をしても許されるのか」

 「いえ、夏樹さんとセイラちゃんには以前取材で会っています。夏樹さんが亡くなられたことで、心配になって来たんです。そしたらセイラちゃんが公園で1人でいたので……」

 「心配になって、とか言っているが、さっきは問い詰めていたではないか。小学生の子供まで追いかけまわして取材するなんて異常だ。もうこれ以上、子供に付きまとうのはやめてくれ」

 「警察だ。警察を呼ぼう」。息子の方が言った。携帯を取り出して、警察に連絡しようとした。


 「おねえちゃんをいじめないで。悪い人ではないから」。セイラが大声を上げた。

 その時、2人の男はびっくりしたように顔を見合わせた。

 「セイラがしゃべった。初めて声を出した」。叔父が言った。セイラはここにきて以後、言葉を一切、発していなかったのだ。

 「セイラは大丈夫だから。お願い、おねえちゃんは悪いことしていない。セイラがブランコで遊んでいたら一緒に遊んでくれて、慰めてくれていたんだ」

 「何を言っているんだ。セイラの肩をつかんで揺さぶっていたんだぞ。誘拐しようとしたに違いないんだ。怖い、怖い。さあ、帰ろう。家に戻ろう」


 セイラは素直にうなずいた。息子がセイラの手をとって家の方へ歩き出しながら言った。

 「刑法第224条、未成年者略取罪及び未成年者誘拐罪で3月以上7年以下の懲役。必ず刑を受けさせてやる」


 大神は動けないでいた。3人が10メートルほど歩いたところで、セイラが立ち止まって後ろを振り向いた。

 大神を見た顔がまだ笑っていた。そして両手を動かした。左手を地面に水平にし、右手を垂直にした。「T」の字のように見えた。大神にはその意味はわからなかった。

 するとセイラは、ゆっくりと口を動かした。口の動きを追った大神は愕然とした。信じられない。目の前の景色が大きく寄れた。大地が壊れていくような感じがした。

 「せ・い・ら」と言ったのだ。いや、正確には、言葉を発していなかった。

 唇の動きが「せ・い・ら」と読み取れたのだ。その後は続けて3文字か4文字を続けたが、よくわからなかった。

 セイラはしばらく、大神を見ながらまだ笑っていた。母親を亡くした悲しみに暮れる子供の顔ではなかった。


 「二度と来ないでくれ。警察には連絡しておく。セイラが頭のおかしい女性記者に誘拐されそうになったとな」。叔父が叫んだ。

 3人は公園を横切り、屋敷の方角に向かって歩いて行った。やがて姿が見えなくなった。

 

 大神はセイラの唇の動きを何度も反芻した。

「せ・い・ら・が・い・れ・た」と言ったのだろうか。夏樹が完全黙秘したのは、口が裂けても娘がやったとは言えなかったからなのか。

大神は立ち尽くし、しばらく動けなかった。


(次回は、■セイラが毒物を入れた? 府警キャップは笑い転げた)

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