第13話 机をたたく刑事。厳しい取り調べが続く
大神は午前9時、指定された警視庁に正面玄関から入っていった。テレビと新聞、通信社のカメラマンと記者が階段の上に陣取り、映像を撮った。
「誤報の経緯をすべて説明するのですか?」。テレビ局の女性記者が前を通る大神に聞いた。記者が「誤報」と決めつけて質問してくるとは。大神はなんとも嫌な気分になった。質問には答えようがなく、首を横に振るだけだった。
取調室に入った。殺風景な部屋に置かれた机と椅子。ジャンパーを着た警察庁警備局特別チーム所属の刑事と、背広姿の内閣府報道管理局調査課長が大神と迎え合わせに座った。制服姿の婦人警官が奥でパソコンに向かっていた。
課長が最初に口を開いた。
「毒物混入事件で、『重要参考人浮かぶ』という記事を書いたのは大神由希さん、あなたですね」
「本記を書いたのは、警察庁キャップの興梠。夏樹さんに単独インタビューして一問一答を書いたのは私です」。興梠の名前を出すことについては社の方針であり、興梠も了解していた。
「あの記事をあのタイミングで出すことになった経緯を説明してください」
「経緯とはどういう意味ですか?」
隣に座っている刑事がじろっと大神を睨んだ。はなから相手を信用していない、小ばかにしたような目。「この刑事には何を言っても信じてもらえないし、打ち消されてしまう」。そんな気持ちになった。不安で落ち着かなかった。
課長は穏やかに話しかけてくる。
「具体的に聞いていきましょう。夏樹さんの勤め先は誰から聞きましたか?」
「興梠さんからです」
「興梠さんは誰から聞いたのですか」
「それはわかりません」
「わからない。情報源を知らないのですか」
「知りません。ただ、知っていても言いません。取材源の秘匿です。というか、御存じなのではないですか、みなさんは」
課長も刑事も「えっ」いう驚いた表情を浮かべ、互いに顔を見合わせた。その瞬間、大神は「しまった」と後悔した。興梠のネタ元は警察庁の幹部と聞いていた。警察側の人間なら事前に調べて知っているのではないかと勝手に思ってしまい、うかつにも口が滑った。
「どういうことですか。我々が知っているのではないかとは」
さっそくついてきた。取り調べというかつて経験したことのない非日常空間の中でなぜあんな余計なことを言ってしまったのか。言葉は慎重に選ばなければ。
「いえ、そんな気がしただけです。申し訳ありません。余計なことを言いました」
「『一問一答』を読むと、水本夏樹さんは、ヒ素の混入を明確に否定していますよね。にもかかわらず、記事になっている。大神さんは記事掲載に反対しなかったのですか」
「記事掲載にいたる過程についてはノーコメントです」
「なぜ、言えないのですか」
「取材源の秘匿です」
「ドン」と大きな音がした。刑事の男が机をこぶしでたたいたのだ。大神はビクッとした。
「取材源の秘匿だと? 都合のいい使い方をしやがって。何様なんだ、お前は。それでは聞くが、人権はどうなるんだ。夏樹さんの人権を蹂躙したんだぞ。それでも取材源の秘匿とか言って、ごまかすのか。きちんと説明しろよ」
「人権と取材源の秘匿は別次元のことだと思います。ここで取材の経過を説明する必要はないと思います」
「何を訳わからんことを言っているんだ。支離滅裂だな、お前は。夏樹さんがどんなに迷惑を被ったか。わかっているのか」。刑事は課長とは違って強圧的だった。狭い部屋で2人の大柄な男の威圧感に圧倒され、罵倒され、恐怖に包まれた。大神は沈黙した。
「全くわかっていないようだな。じゃあ、これを見ろ」。そう言うと、パソコンの画面を操作して大神の方に向けた。
夏樹の顔がアップで映っていた。
「大神さん、あなたはひどい人だ。私とセイラの味方のような顔をして話を聞き、翌日には犯人のような扱いで記事にする。美容液商法の時のマスコミと全く変わらない。私はようやく落ち着いたと思った製薬会社を辞めることになりました。これからどうやって生きて行けばいいのでしょうか」。事前に録画されたものだった。
「夏樹さん」。大神がパソコンに向かって思わず声を上げた。
「セイラも小学校に行きたくないと言います。不登校です。私たちは死ぬしかないのでしょうか」。夏樹は一方的に話した。セイラが画面に現れた。大きな目から感情を読み取れない。
「どうだ。水本夏樹さんがあの記事のおかげでどれだけ苦しんでいるのか。セイラちゃんがどんな惨めな思いをしているのか。お前には、人間の感情というものがないのか。人権を無視したあんな記事を書いたことを少しは反省したらどうだ」
「夏樹さんには申し訳ないことをしたと私個人としては思っています。謝罪したくても警察が取り調べ中ということで会えませんでした」。正直な気持ちだった。夏樹からのメッセージ映像は応えた。会見とは違って大神個人に寄せられた悲痛な訴えを身近に見せられると、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。「死ぬしかない」と言う言葉は決定的だった。
「すべてを話す気になったか」。刑事が言った。大神は言葉が出なかった。何か一言でも話せば涙が零れ落ちてきそうだった。
「何回言わせるんだ。すべてを話せ」。刑事が机を叩いて言った。ドンという音で、大神は我に返った。
「取材対象者への責任については当社の問題です。私自身の問題です。なぜ当局の取り調べを受けなければならないのか。どうしても納得できません」
「新しい法律ができるんだよ。民主的な手続きにのっとってな。法律が施行されれば、お前なんか即アウトだ。お前はすでにブラックリストに載っている。法律適用第一号になるのは間違いない。誤報を書いた記者の象徴的な存在になるんだ」。刑事はそう言うと大笑いした。
「まだ成立していませんよね。問題の多い法律だと思います」
言ってしまってから、大神はまた「しまった」と思った。相手の挑発にのって、国会で審議中のマスコミ規制法に対して、「問題が多い」と言うのはまずい。こういう場で言うことではなかった。
課長の男が鋭く突いてきた。
「今、『問題が多い』と言われましたが、どの点を指して言われているんですか」
「いや、言論に規制がかけられるところです」
「問題の多い記事、誤報、フェイクを注意する。それのどこがいけないのですか」
「問題が多いというのを決めるのが誰かということです」
「誰が決めるのですか」
「それは、読者であり、視聴者であり、ネットユーザーだと思います。社内でも検証委員会があります」
「ははは」と課長は笑った。「あなた方は問題のある記事を書いて、読者から指摘されても無視してきましたよね。『参考にさせていただきます』と言うだけで記録にも残さない。もみ消してきたわけです。マスコミ規制法はそういう報道機関の傲慢なところを正していこうというのです」
「権力が正していくものなのでしょうか」と言うと、刑事が再び机を叩いた。
「お前らがあまりにもいい加減な記事ばかり書くから、国民の怒りが頂点に達してしまったんだ。国会で議論されている法律のどこが問題なのか、すべて言ってみろ」
「今、言いましたけど。おっしゃる通り、今は審議中なので見守っていきます」
「なんだ、言論の自由とか言うならば、自分の主張を展開してみろよ。今ここで主張しろよ」
「ここは私の個人的な意見を言う場ではないと思います」。そう言うのが精一杯だった。
「なんだ、だらしない奴だな。優秀なジャーナリストだという触れ込みだったので、もっと骨のある奴だと思っていた。議論して俺たちが打ち負かされるんじゃないかと思っていたのによ。言えませんとか、取材源の秘匿だとか。それでもお前は人間か。血が通っているのか」
人格を否定するような言葉を次々と投げかける。悔しくて涙が出そうになるのを必死でこらえた。この事情聴取とは一体なんなのか。法的な根拠のない取り調べ。しかも言っていることが支離滅裂だ。大神は頭がおかしくなりそうだった。そうだ、なにもかもぶちまけてしまおう。そして相手をやりこめてしまおう。言論の自由の意味をくどいほど説明しようか。そんな衝動にかられた。
ブチ切れる寸前、永野の言葉が頭をかすめた。「何があっても冷静を保つこと」「相手の挑発にのらないこと」。大神は深呼吸をした。ここで取り乱して余計なことを言えば、相手の思うつぼになってしまう。冷静にいこう。
「はっきりと言わせていただきます。この事情聴取はおかしいと思います。そもそもあの記事は誤報なのでしょうか。まだ真犯人が逮捕されていない。真相がはっきりとしていない段階です。誤報と断定していいのか。私にはわかりません。逮捕するならば逮捕してください。私はこれ以上、話すことはしません」
「なんだと。開き直ったか」。刑事が睨みつけてきた。だが、大神はもう動じなかった。
沈黙の時間が続いた。課長と刑事の方は出たり入ったりしていた。おそらく順番に休憩しているのだろう。だが、大神は硬い椅子に座ったままだった。お尻が痛くなり、何度も座り直した。トイレには婦人警官がついてきた。個室に入った時はほっとした。このまま閉じこもるか、逃げ出したかった。
「大神さん、少しは大人になって、最初から説明したらどうですか」。課長が時々言った。
「何を話せというのか、皆目わかりませんので、話しようがありません」
「さっきから聞いているとお前の態度はなんだ。誤報を書いたのに反省が全くないではないか」
「話せ」「話さない」のやりとりと罵倒、そして長時間の沈黙……。この繰り返しだった。
大神が腕時計を見ると、午後7時になっていた。このまま帰れなくなるかもしれない。逮捕されるのだろうか。その時は、どのような説明があるのだろうか。
(次回は、■水本夏樹が死んだ。セイラは?)
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