第12話 大神 事情聴取に応じるかどうか悩む

 毒物混入事件の捜査は一向に進展しなかった。

 大神は事件発生から2週間して大阪から東京にいったん戻った。「カブトン」取材から直接大阪に向かったので、出張準備をなにもしていなかった。着衣や日用品は購入してしのいできたが限界だった。


 東京に戻ると、田之上社会部長からすぐに呼び出しがあった。

 「内閣府と警察庁が同時に大神から事情を聴きたいと言ってきた」

 「どういうことですか」

 「毒物混入事件で『重要参考人浮かぶ』の記事について聴きたいそうだ。具体的な文言としては、『誤報をうった件の経緯について』とあった」

 「誤報と決めつけているんですか。すごく抵抗があります。うちの社からは何人呼ばれているのですか」

 「君1人だ」


 「私だけですか。それもおかしい。そもそもなぜ、説明しなければならないのでしょうか。記事になった経緯など言えるはずがないじゃないですか。報道機関にとって、『情報源の秘匿』は裁判でも認められているし、絶対に守り抜かないといけない義務であり権利ですよね」

 「その権利を突き崩そうとしている。それが、マスコミ規制法だ」

 「根本的に間違っています」

 「俺もそう思う。ただ、マスコミ規制法が成立したら、誤報と認定された記事については、取材過程を説明しなければならなくなる。恐ろしい法律だ」

 「そんな法律、成立するんですか」

 「マスコミはこぞって反対しているし、新聞紙面や雑誌、テレビでも取り上げているが、国民の共感が得られていない。反対する世論が一向に盛り上がらない。『問題のあるマスコミを退治するだけで、国民生活への影響はない』という『孤高の党』の主張がまかり通ってしまっている。このままいくと、マスコミ規制法は成立しそうな勢いだ」

 

 新聞は部数が激減している。かつては全国の一般紙だけで5000万部が販売されていたが、年々激減し、3000万部を割り込んだ。経費の削減が続き、記者の数も大幅に減ったことで、紙面の質の低下が叫ばれている。政治、経済、社会全般への影響力が低下している中で、テレビ局も政権側から電波の許認可をたてに露骨に狙い撃ちされている。出版業界の不況も深刻だ。「ニュースもネットで見る」という若者が増えている中で、ネットメディアの報道部門はなかなか採算が取れず、成長の兆しが見えていない。


 そうしたマスコミを取り巻く厳しい環境下でも、報道記者たちの「権力チェック」の意欲は衰えず、調査報道で権力の不正を暴いてきた。その動きを封じ込めようとしているのがマスコミ規制法だった。政治の横暴ともいえる動きを食い止めようと、業界全体でまとまり設立されたのが「オールマスコミ報道協議会」だったが、毒物混入事件以来、活動が停止してしまった。新しい会長も決まっていない。


 「マスコミ規制法の成立はなんとしても阻止しなければ。まだ成立もしていないのに、記者を呼び出すというのはなりふり構わない感じですね。どう考えてもおかしいですよ」

 「そうだよな。『孤高の党』からの追及が厳しくて、政府側も事情聴取をせざるえない状況のようだ。国会でも、内閣官房副長官が事情聴取について、『検討します』と答弁していた」

 「興梠さんは『罠にはまった』と言っていました。誤報を書くように誘導された可能性はないのでしょうか」

 「その可能性はある。記事になった経過を今、調べている。だが、興梠が言うのはおかしいし情けない。新人記者じゃあるまいし。自己弁護、泣き言、言い訳にしか聞こえん」

 「私から事情を聴くといっても任意ですよね。警察庁の興梠キャップから聴けばいいのでは。別に改まらなくても、さらっと日常会話の延長で。記事を書くまでの経過は興梠キャップにしかわからないことです。さすがにネタ元は言えるはずはないでしょうけど」

「形が欲しいんだろう。有名な大神由希を呼びつけて事情聴取したという実績が欲しいんだ。世間へのアピールにもなる。『一問一答』の記事に大神の署名があったのは、敵さんにとっては思ってもみない好材料になったのだろう」


 「取材経過を国家や捜査当局に説明しなければならないなんて、ジャーナリズムの死を意味することだと思います」

 「大神の気持ちはわかった。社会部として、事情聴取には応じられないと断ることにする」

 「断って済むんですか」

 「わからん。こんなことで記者が呼ばれるのは初めてのケースだからな。まさか強制に切り替えて逮捕するなどということはないと思うが現時点ではどうでてくるか予測がつかない」

 「断ったら、新聞社が家宅捜索を受けるとか悪影響がでてくる可能性はあるのですか」

 「マスコミ規制法が成立した後であれば、そんなことも考えなければならなくなる」

 「仮に、私が聴取に応じたとしても、完全黙秘となります。それでいいんですよね」

 「そりゃ、そうだ」

 「少し考えさせてください。相談したい人がいます。その上で私の考えを整理します」


 大神は警視庁捜査一課の警部補、鏑木亘の家に夜回りをした。

 午後8時。インターフォンを鳴らすと妻が応対し、家にあげてもらった。若いころから数々の事件を担当してきた捜査一課のエースだ。大神が入社5年目の時に取材した総合商社をめぐる殺人事件を担当したのが鏑木だった。今でも自宅への「夜回り」をする刑事の1人だ。


 「なんの用だ。困るんだな、夜回りとか」

 「申し訳ありません。メールや電話で話せる内容ではなかったので」

 「大神記者は今、政府内でも警察内でも話題の中心人物だ。要注意人物ということになっている。そんな人物と知り合いだとかいうだけで俺のクビが危ない。尾行はついていなかっただろうな。ついていてもわからんか」。鏑木は不機嫌だった。

 

 「ちょっと、なんてこと言うの。これまではいくつもの難事件の解決に協力してもらった由希ちゃんに対してひどい言い方ね。仕事熱心でこられているのに失礼よ」。鏑木警部補の妻が強い口調で夫を叱った。妻の方は大神にいつもやさしい。これまでの夜回りでも、鏑木がまだ帰宅していない時には家に先にあげてくれてお茶を出してくれたこともある。自分の娘のように見てくれていて、一途に突っ走る危なっかしい大神をやさしい目で応援してくれていた。


 鏑木も普段、捜査一課では部下に厳しく指示を出し、「鬼軍曹」などと呼ばれているが、妻にはめっぽう弱く、叱られるととたんに大神に対しても丁寧な言葉遣いになる。

 「尾行はありません。駅から遠回りして歩いて来ましたが何度も後ろを振り返って確認しましたので」

「もう夜回りとかは流行らんでしょう。メールで連絡を取り合って外で会った方が安全だと思いますよ」。鏑木の言葉遣いが急に丁寧に変わった。

 「わかりました。これからはそうします。今日は急ぎで伺いたいことがありまして」

 「なんですか」と鏑木が聞いたところで、「私は自分の部屋に入っていますからね」と妻は気を利かせてその場を離れた。


 「私に出頭要請がきました」

 「出頭要請? 遂にきたか。どこからの呼び出しだ」。鏑木の口調が元に戻った。

 「内閣府と警察庁です。大阪で起きた毒物混入事件で書いた記事について事情を聴きたいと新聞社に言ってきました」

 「やはりな」

 「というと?」

 「少し前から、上層部が、事件関係の記事で誤報はないかと調べている。内閣府の報道管理局から報告するようにと言ってきているんだ。会議で極秘で配られた資料に、過去の誤報の例文が列挙されていた。誰が見ても明らかな誤報以外に、飛ばし記事、写真の取り違え、 前打ちのはずれ記事が並んでいた。その中に、朝夕デジタル新聞の毒物混入事件での『重要参考人浮かぶ』の記事があったんだ」

 「摘発される誤報の典型としての扱いですか」

 「いや、最初はそうじゃなかった。会議の場では、『判断が微妙なケース』という説明だったんだ。ただ、その数日後、報道管理局からの通達があり、毒物混入事件の記事のように、前打ちがあったのに、捜査当局が摘発しなかった場合は、誤報と認定されることになったという説明が追加であった」

 「前打ちのような記事が出たとしても、摘発までに時間がかかることはありますよね。今回の案件でも、参考人として事情聴取したというのは間違いではないし、しかも匿名です。逮捕するとかどこにも書いていません。まだ真犯人は逮捕されていない、真相が明らかになっていない段階で、一体、どこが誤報だというんですか」。大神の口調がきつくなっていた。

 「俺に食って掛かってどうするんだ。今の政権がそう判断すると決めたんだ。文句があるなら政権幹部に直接言ってくれ」

 「そうでした。すみません。それで、出頭すべきなのかどうなのか迷っているんです」

 「内閣府と警察庁から出頭要請がきたならば、出頭するしかないだろう。俺の立場ではそれしか言えん」

 「そうですよね」


 「出頭という言葉はそもそもおかしい。法が施行される前でなんらの容疑がかかっているわけではない。ただ、あの記事は脇が甘いと言われても仕方がない。一課事件で、『重要参考人浮かぶ』とマスコミが書いた場合は、通常、その日のうちに事情聴取して逮捕して発表になる。書かれてもやむを得ないとする警察側も承知のお決まりのパターンだ。ところが今回は違った。まだ容疑が固まってもいない段階でマスコミが先走り、しかも、当事者に直あたりしている。人権には特に配慮している朝夕デジタル新聞にしては珍しい失策に見える。君がいながら脇が甘すぎる」

 「弁解のしようがありません」

 「まあ、本記は君が書いたのではないだろう。うすうすはわかっている。ところが、大神の署名記事がでていた。権力側からすれば格好の攻撃材料だ。大神記者は『孤高の党』にとっては、反権力の象徴的な存在だからな。手を緩めることはしないだろう」


 「それにしても、マスコミ規制法はまだ成立もしていないのに、事情を説明しろというのはおかしくないですか」

 「だから、強制ではないはずだ。任意だから行きたくなければ行かなくてもいい。だが、行かなければ、やましいことがあるから説明できないんだという宣伝に使われるだけだ。普段から政府に対して『説明責任を果たせ』と主張している新聞社が自分たちの汚点については口をつぐむ。分が悪いんじゃないか」

 「確かにそうですね。ところで私だけですか。今回、事情聴取を受けるのは」

 「オフレコだぞ。事情聴取の対象は、君だけではない。報道機関全般でかなりの数にのぼるだろう。警察庁警備局の中に特別チームができた。内閣府報道管理局と緊密に連携をとっていく。新しい政権はマスコミを敵と見ているからな」

 「狙い撃ちですね」

 「まあな。俺のところに来ても、この件では助言はできない。弁護士に相談したらいいだろう。君の知人に、有能な反社会的勢力側の弁護士がいるじゃないか」


 大神が慕う弁護士、永野洋子のことを言っていることは明らかだった。

 大神がテレビ局に出向していた4年前、大手総合商社を舞台にした殺人事件があり、取材にあたった。その総合商社のコンプライアンス室長兼ビジネス推進部員を兼務し、マスコミ対応の責任者を務めていたのが永野洋子だった。殺人事件の犯人のアリバイ工作に加担した容疑で書類送検されたが、社長の指示に従っただけという認定で嫌疑不十分で不起訴になった。大神は記者として、永野との間で丁々発止のやり取りを続けた。

 この時、永野を取り調べたのが鏑木だった。永野は殺人事件が解決した後、総合商社を退職した。その後、財務省の局長だった田島速人と結婚した。田島は将来を嘱望されていたが、永野が反社会的勢力と付き合いがあったことが問題となり、財務省を辞め、外資系の金融機関に就職した。その後、今年春の衆議院総選挙で、民自党候補として立候補し、神奈川県の小選挙区で当選した。総選挙後、民自党は野党になったが田島はいきなり副代表になり、「孤高の党」と対決する論客として精力的に活動している。

 

 「反社会的弁護士って、誤解を招く発言はしないでください。相談をしようとは思っています」

 「ところで話は違うが、遠山大和という東名テレビの記者を知っているか?」

 「名前は知っていますが会ったことはありません。厚生労働省の不正キャンペーンを扱ったドキュメンタリー番組で民放連賞の大賞をとるなど著名な方ですね。遠山さんに何かありましたか?」

 「行方不明になったと別の班の刑事が言っていたのを聞いた」

 「事件ですか」

 「わからん」

 「捜査しているんですか」

 「行方不明だけで捜査というわけにはいかんだろ。ただ、重大な関心は持っているようだった。行方不明者についての情報が集まってきている」

 

 「もし、行方不明者の件とか殺人事件が、国家権力が関わったものだったとしても、警視庁刑事部捜査一課は捜査しますか」

 「殺人事件があれば犯人をあげる。それが俺たちの使命だ。犯人が誰であっても関係ない」

 「心強いお言葉です。こちらでもなにか情報があればお伝えします。ギブアンドテイクで」

 「いやいや、さっきも言ったが、君のような公権力に睨まれながら、危ないところにばかり首を突っ込む記者と付き合っているとろくなことはない。こちらはきちんと捜査すべき時はする。あまり君とは関わりたくないというのが本音だ」

 「冷たいですね。また、奥様をお呼びしてお願いしなければなりませんね。でも今日はやめておきます。刑事部が正義を貫き通す組織だということが自分の中ではっきりと確認できたことがうれしかったです」


 大神は、弁護士永野洋子に連絡をとって、内閣府と警察庁からの事情聴取の要請について個人的な意見を聞いた。40年間、波乱に富んだ人生を送って来た永野は、誰に対しても遠慮せずにずけずけと物を言う。毅然とした姿は、大神にとって憧れであり、壁にぶち当たった時によく話を聞いてくれる相談相手だった。

 「重要参考人浮かぶ」の記事が出稿されてからの経緯を大神が説明すると、永野は「警察庁担当キャップはバカね。でもそのおバカさんが言うことに誰もブレーキをかけられないなんて、新聞社の危機管理は大丈夫なの? 問題は深刻ね」

 「いろいろな人から言われています。興梠キャップは事件記者として鳴らした人ですが、これまでは比較的手堅い人だったので、みんなが信じ切ってしまったようです」

 「社会部長もなんだか頼りないわね。毅然とできないの? 事情聴取について会社の法務部はなんて言っているの」

 「本人の意向次第だって」

 「おかしなことを言うわね。会社の業務上起きた問題で警察から事情聴取の要請があったのであれば、会社として方針を決めて進まないとだめでしょ。本人に任せる問題じゃないわ。本人任せでおかしな方向に行ってしまったらどうするのよ。危機管理が全くなってない」

 「永野さんに新聞社の顧問弁護士になってほしいです」


 「それにしても、事情を聴くという意図、狙いがわからない。もう少し情報を集めた方がいいわね。ただ、行くだけは行った方がいいかもしれない。肝心なことは話さなければいいのだから」

 「いきなり逮捕されるということはあるのでしょうか」

 「それはないと思うけど。ほかにも呼ばれている人はいるのかしら」

 「私だけではないようです」


 「そうだ」。永野は、突然、目を輝かせた。「オープンにしたらいいのよ。ニュースにすればいいんだ。大神記者が事情聴取を受けることを報道機関に事前に伝えて、出頭当日の様子をカメラで撮影させるのよ」

 「私のことがニュースになるのですか。それは抵抗ありますね」

 「安全のためよ。ニュースになればさすがに変なことはできないでしょ。今はまだ、民主国家を標ぼうしているのだから。明らかな法律違反を犯していないのに逮捕したら大問題になるわ」

 「ほかの社は取材に来ますかね」

 「絶対に来るわよ。みな明日は我が身だと思っているのだから。とにかく、取り調べ中にカッとしないこと。相手は必ず挑発してくるから、絶対に手を出したり暴れたりしないことよ。公務執行妨害で即逮捕されるからね。なにがあっても冷静でいること、我慢が大事よ」

 「貴重な忠告、ありがとうございます」

 大神は社会部長に連絡して、聴取に応じると答えた。


(次回は、■机をたたく刑事。厳しい取り調べが続く)

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