第32話 地図は「東の軍艦島」だった

 伊藤楓は、全日本テレビ最上階の総理執務室に忍び込むことにした。ねらいは以前この部屋で見た「ターゲット・リスト」だ。誰の名前が書いてあるのかを確認したかった。さらに、報道機関以外の業界で国家権力に物申している人たちのリストも作られているはずだ。まとめて撮影してしまおう。大胆すぎる危険な行動であることはわかっていたが、取材が進まない状況を打開するにはこれしかないと思った。そのために入室する機会を探っていた。


 下河原は東南アジアを歴訪するために早朝、政府専用機で成田を飛び立った。河野は昨日から3日間の予定で名古屋に出張していた。今日が忍び込む絶好の機会だった。

 周りに人がいないことを確認して、河野のデスクの前に行った。机の下の金庫の鍵のナンバーに「9999」の番号を押した。カチッと音がして開いた。ずぼらな河野のことだ、案の定、番号を変えていなかった。中から認証カードを取り出した。これがあれば全日本テレビ局内はどこへでも出入りできる。楓は金庫を閉めると、全日本テレビの社屋に堂々と入っていった。エレベーターで最上階まで行き、総理の執務室前に到着した。誰にも止められなかった。


 ここの警備は一体どうなっているのか。独り言をつぶやきながら、認証カードをセンサーにかかげ、暗証番号の「9999」を押した。ロックが解除されると思ったその時だった。いきなり赤いランプが灯り、けたたましい警報音が鳴り響いた。

 「あっ、あっ、あっ」。声にならなかった。入室する時の暗証番号は変更されていたのか。

 「どうしよう、どうしよう」


 「不法侵入者」を確保するために、警備員が向かってくるのは明らかだった。逃げようとしたが、エレベーターが階飛ばしで上昇してきた。間もなく最上階に到着する。警備員が乗っている可能性が高い。このまま捕まってしまうのか。廊下を行き来したがどうしたらいいのかわからなくなっていた。

 

 その時だった。いきなり背後から手を引っ張られ、普段は閉じられている非常ドアの内側に強い力で引き込まれた。そのまま非常階段の踊り場まで連れていかれた。楓の腕をしっかりと握っていたのは、上司の岸岡雄一だった。


 「岸岡さん。なんでこんなところに」

 「それはこっちが聞きたい。とにかくこっちへ」。岸岡が先に進み、非常階段を1階分降りて、ドアを出るとそこは全日本テレビの報道局だった。記者や編集者らが忙しくしている中をゆっくりと歩いて通り過ぎ、反対側の廊下に出てからエレベーターで1階まで降りて外にでた。岸岡は常日頃から報道局には出入りしていて、知っている顔を見ると、軽く挨拶した。ほとんど顔パス状態だった。混雑している地下道を通り、スピード・アップ社に戻った。

 

 「ありがとうございました」。礼を言ったものの、あのタイミングで岸岡が現れたことに驚くしかなかった。

 「岸岡先輩、まさか私が会社を出てあそこに行くのを付けてきたんですか」

 なんと勘の鋭い女なんだと、岸岡は思った。付けてきたというのは図星だった。取締役の部屋から防犯カメラの映像で、楓の行動をチェックしていたところ、すぐに不審な行動を取り出した。注視していると、出張している河野の席の前まで行き、周りを見渡した後、かがみこんだのだ。それから外に出て行った。岸岡は楓を付けた。


 「まさか、付けてなんていない。報道局との打ち合わせで行っていたんだ。グループ企業ではなくなったとしても知り合いは大勢いる。会議が終わってトイレに行こうとしたら、上階で突然非常ベルが鳴った。非常階段を駆け上がってみると君がいた。随分慌てていたな。一体なにがあったんだ」

 「この前、河野さんと総理執務室に行った時に忘れ物をしたんで取りに行こうと思ったんです。認証カードをかかげて暗証番号を押した途端に非常ベルが鳴ったんで怖くなってしまって。慌てました」。咄嗟にごまかした。

 

 「総理執務室に1人で行こうとしたのか。なんて無謀なことをするんだ。一体何を忘れたんだ」

「えっと、それは、あっ、ボールペンです」

「ボールペン? そんなものだったら、警備室に連絡して探してもらえばよかったんだ」

 「そうでした」

 「なぜ、逃げようとした」

 「河野さんにも言わずに認証カードを使おうとしたので、それがばれるのが怖くなってしまって」


 「バカだな。どんな理由があろうとも総理執務室に1人で入ろうなんて絶対に思うな。スパイの容疑がかかって極刑になるぞ。とにかく君は常識がない。記者である前に社会人としてまだまだだ。危なっかしすぎて自由に動き回られると心配だ。河野社長は甘やかしすぎるんだ。これからは特別な行動を起こす時は俺に相談しろ。俺の指揮下に入るんだ、わかったな」


 「はい。今日のことは問題になるのでしょうか」

 「重大な問題を起こしたが、君はまだ若い。執務室に入ることまではしていないのでおおごとにはしないようにする。テレビ局の秘書部には俺の方から謝っておく。意図して侵入しようとしたのではないと言っておく。いろいろと言われるかもしれないが仕方がない。河野社長には言わないでおこう。テレビ局から連絡が入るかもしれないがな。その時はその時だ」。岸岡は下河原総理と通じている。楓に関することであれば、説明すれば理解してくれるはずだ。

 

 「ありがとうございます」

 「それから、政府関係で発表ものが3つあったので、短信ニュースでいいから出稿しておいてくれ」。岸岡はメモを楓に渡し、自分の部屋に戻った。楓は認証カードを河野の金庫にしまった後、自分の席に戻った。岸岡から渡されたメモを見た。

 

 「なに、これ」。3枚のうち1枚に、民警団という文字が目に入った。民警団の精鋭部隊と自衛隊による合同の屋外訓練が富士山麓で開かれるという内容だった。「こんなのがニュースになるのかしら」。大神先輩をおびき寄せるネタではなさそうだ。大神先輩がこの記事を読んだとしても動きようがない。まさか、訓練の視察に行くわけがない。そんなことを思いながら短信ニュースにしてアップした。


 自販機のある休憩フロアのソファで熱いコーヒーを飲んだ。心臓の鼓動はまだおさまらなかった。なんという無茶なことをしてしまったのか。自己嫌悪に陥っていた。功を焦って魔が差した。岸岡に絶体絶命のピンチを救われたことは確かだ。普段は寡黙な岸岡だったが、今日はやけに雄弁で、「俺の指揮下に入れ」とか、よくわからないことまで言っていた。岸岡は技術系の担当役員であり、報道担当ではない。「指揮下に入れ」と言われても一体どうすればいいのか。とにかく今日のところは、感謝しかなかった。

 

 自席に戻ったところ、「伊藤さん、ちょっといいかい」と、先輩の男性社員から声がかかった。ネットワークを管理するシステムエンジニアの1人だ。

 楓はこの先輩に、「東京湾Fプロジェクト」についての資料をこっそり渡し、写真と地図が日本のどこなのかを調べてもらっていた。会議室に2人で入った。

 「地図だけど、東京湾沖の白蛇島だった。無人島だ。かなり以前に撮影された観光写真と比較したけど間違いないな」。先輩が言った。

 

 無人島。ここに何があるのだろうか

 「すごい。よくわかりましたね。こんなに早く」

 「島の形状をネットに取り込んで検索すればすぐにでるよ。楓さんって、伊藤青磁さんの娘さんだよね。この開発ソフトは、青磁さんが興した企業が最初に開発して売り出したんだよ。知らなかった?」

 そう言ってから、「しまった」という顔をした。社内では、楓の父親のことは言ってはいけないという暗黙の了解事項があった。楓の心の傷に触れるからだ。

 楓は一瞬戸惑った表情を見せたが、すぐに屈託のない笑顔に戻った。

 

 「知らなかった。恥ずかしいわ。ところでその白蛇島とはどんな島なんですか?」

 「長崎の軍艦島は有名だけど、島の形が少し似ているのと明治時代からの戦争遺跡が残っていることから、『東の軍艦島』とも呼ばれている。かつて東京や海軍横須賀鎮守府を守るために造られた東京湾要塞のひとつだ。横須賀から船で20分ほどかな。以前は観光で上陸もできたけど、『孤高の党』が政権を握ってしばらくして、立入禁止になった。以後、島でなにが行われているかは不明のようだ」

 

 「取材申請したら上陸できるのかな」

 「難しいだろうな。『孤高の党』の関係者以外は誰も足を踏み入れていないようだ。それから資料だけど暗号になっていて解読はできない。私では無理、全く意味不明だ」

 「そうですか」。楓は暗号解読の方も期待していたので少しがっかりした。


 「聞いていいのかわからないが、白蛇島でなにかあったの?」

 「なにかはあると思うけどわからないんです。これから突き止めないと。私が調べていることは社内でも内緒にしておいてください。一世一代のスクープネタなので」

 「わかったよ。スクープね。報道の人はみんなよく言うけど、わが社で、見たことないぞ、これがスクープだっていう記事」

 「これからです。待っていてください。島がわかったのでスクープの突破口はできました。ありがとうございました」

 「いえいえ、これぐらいのことならお安い御用だよ。スクープ、ものになったらいいね」。そう言って去っていった。システムエンジニアとしての力量は抜群で、チームリーダーを務めるが、報道には全く関心がない人だ。楓にとってはあれこれ詮索されるよりは都合がよかった。


 白蛇島で「東京湾Fプロジェクト」が動き出している。一体島には何があり、何が行われているのだろうか。楓にあてられて、慌てた河野の様子を見ると、とんでもないことが極秘裏に進んでいるのかもしれない。


 「机の上で考えてばかりいても仕方がない。とにかく一度行って見てみよう。望遠鏡でも持って行けば、島影ぐらいは見えるかもしれない」


 河野にはプロジェクトについての取材禁止を言い渡されている。岸岡は「特別な行動を起こす時はなんでも相談しろ」と言っていた。

 2人に言ったら、反対されるに決まっている。


 総理執務室に侵入しようとして捕まりそうになった直後は、その無謀な行動を反省して、今後は軽率な行動は慎もうと自ら誓った。だが、白蛇島とわかったとたん、すべて忘れた。今は、好奇心しかなかった。

 

 実際に行って、まずは島の存在を確認しよう。

 自分の目で確かめることから始めることにした。


(次回は、■「えっ!」 白蛇島で見たものは)


★      ★       ★

小説「暗黒報道」目次と登場人物           

目次

プロローグ

第一章 大惨事

第二章 報道弾圧

第三章 ミサイル大爆発 

第四章 孤島上陸

第五章 暗号解読 

第六章 戦争勃発 

第七章 最終決戦

エピローグ


主な登場人物

・大神由希 

主人公。朝夕デジタル新聞社東京社会部の調査報道を担 当するエ ース記者。30歳独身。天性の勘と粘り強さで' 政界の不正を次々と 暴いていく。殺人集団に命を狙われる中、仲間たちが殺されたりして苦悩しながらも、「真相の究明」に走り回る。

・下河原信玄 

内閣総理大臣、孤高の党代表。核武装した軍国主義国家を目指す。

・後藤田武士 

国民自警防衛団(民警団)会長、元大手不動産会社社長。大神の天敵。


★朝夕デジタル新聞社関係者

・橋詰 圭一郎 

東京社会部調査報道班記者。大神の1年下の最も信頼している相棒。

・井上 諒   

東京社会部デスク。大神の上司で、大神と行動を共にする。

・興梠 守   

警察庁担当キャップ。


★大神由希周辺の人物

・河野 進

「スピード・アップ社」社長。下河原政権の広報・宣伝担当に就任。大学時代の大神の先輩で婚約者だった。

・岸岡 雄一

「スピード・アップ社」のバイトから取締役へ。子供の時から「IT界の天才」として知られる存在。

・伊藤 楓

インターネット会社「トップ・スター社」を創設した伊藤青磁の長女。大神に憧れて記者になる。

・鏑木 亘

警視庁捜査一課警部補。夫婦とも大神のよき理解者。大神が時々夜回りに通う。

・永野洋子

弁護士。大神の親友でよき相談相手。反社会的勢力の弁護を引き受けることもある。

・田島速人

永野の夫で元財務官僚。総選挙で当選し、野党「民自党」副代表になる。


★下河原総理大臣周辺の人物

・蓮見忠一

内閣官房副長官。元警察庁警備局長。報道適正化法(マスコミ規制法)制定の責任者。        

・鮫島 次郎

内閣府特別顧問兼国家安全保障局長。下河原総理の指示で、最新鋭のミサイルとドローンの開発にあたる。いつも紺色仮面を被っている。

・江島健一

民警団大阪代表から、民警団本部事務局長になる。

・香月照男

民警団員。精鋭部隊入りを目指している。


★事件関係者

・水本夏樹

スーパー美容液を売るマルチ商法の会社経営者。会社倒産後、姿を消していた。

・水本セイラ

水本夏樹の一人娘。知能指数が際立って高い小学3年生で、謎の多い少女。


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