第2話 電波ジャックで総理が登場

 大神はタクシーで羽田空港に向かった。高速道路が渋滞して1時間以上かかって空港のはずれにある格納庫に着いた。この一帯は、報道機関が借り切り、報道用のヘリコプターやジェット機が駐機している。

 待機室にはすでに、朝夕デジタル新聞社調査報道班の一年後輩の記者橋詰圭一郎、系列の全日本テレビ報道局デスクの吉嵜潤とカメラマン、ネットニュースのスピード・アップ社の記者伊藤楓がそろっていた。みんなよく知る仲間ばかりだった。

 「ごめん、ごめん。高速が渋滞しちゃって。みんな私を待っていてくれたの?」

 「だいぶ待ちましたよ。待ちくたびれて死にそうでした」。橋詰は大神に対していつも憎まれ口をたたく、大神の相棒だ。冷静沈着で仕事ぶりは文句ないのだが、とにかく口が悪い。

 「大丈夫だよ。待つことは待ったが、ジェット機の最終整備に、もうしばらく時間がかかるようだ。結局、早く着いても同じだった」。吉嵜が助け船を出した。

 「吉嵜さんと一緒とは心強いです。あれっ、楓もいたのね、久し振り」。伊藤楓に向かって懐かしそうに言った。朝夕デジタル新聞社は、スピード・アップ社と系列関係を結んでいたことがある。

 「えへへ、お邪魔します。私も編集長から大阪に行くように言われて、ダメ元で社を飛び越えて井上デスクに聞いてみたら、ジェット機の席が1つだけ空いているというので特別扱いで便乗させてもらいました」。楓はまだスピード・アップ社に入社して2年目の若手だ。

 「相変わらず調子がいいというか、要領がいいというか」。大神は笑った。井上も大神も楓が大学4回生の時から知っていた。

 吉嵜が真剣な表情になって言った。

 「ついさっき、読毎新聞がネットニュースで『毒物混入の疑いがある』とうった。パーティ会場で振る舞われたビーフシチューに何者かが毒物を混入したという内容だ」

 「毒物混入? バリバリの事件ですね。混入したのが誰かわかっているの?」

 「犯人逮捕とかいう情報はないですね」。橋詰が答えたまさにその時、待機室のテレビニュースで緊急速報を伝える音声が流れた。


 「速報です。大阪のホテルで開かれていたオールマスコミ報道協議会のパーティで次々に人が倒れた事件で、死者がでました。大阪府警の発表では、すでに3人の死亡が確認されました。まだ重体で治療を受けている人も多く、予断を許さない状況です」。アナウンサーの声が昂っていていつもより早口になっていた。


 「死者3人……。とんでもない事件になったね」。大神が声を落として言うと、橋詰がため息混じりに言った。

 「大神先輩は事件持ちだからな。付いて行ってろくなことはない。『大神と行ってくれ』と井上デスクに言われた時に嫌な予感がしたんですよ。こりゃ、当分東京に戻れそうにないな」

 「いつものことだけど、誤解を生むようなことは言わないようにね。それと亡くなっている人もいるんだから不謹慎な発言は控えるように」

大神はぴしゃりと言ったが、実際、行く先々で、大事件がついて回ってきたことは確かだった。入社7年目の30歳、独身。福井、横浜の地方総局を経験して東京社会部へ。そのまま系列の全日本テレビ局に2年間出向し、社会部に戻ってからは調査報道班入りした。地方総局時代から特ダネ記者として社内で知られた存在だったが、現在の政権与党である「孤高の党」の前身の政策グループ「孤高の会」の巨悪を暴いた2年前のスクープ記事は数々の賞を総なめにして、大神を一躍有名にした。

 「準備ができました」。航空整備士が待機室のドアを開けて入って来た。

 5人は、最新鋭の小型ジェット機「はまどり」に乗り込んだ。最高高度1万3500メートルを時速800キロで飛び、伊丹空港まで1時間半で行く。

パイロットが管制官の指示を受けながら、旅客機の定期便が飛ぶ合間を縫って滑走路に入り飛び立った。東京から新幹線で向かう応援記者たちもいる中で一足先に到着することになる。

 やや窮屈な座席だが、乗り心地は悪くない。カメラマンが報道用の撮影ができるように窓を設えているため、地上の景色は鮮明に見える。

 座席前方の備え付けテレビには、毒物混入事件が起きたホテルエンパイヤー大阪の全景が映し出されていた。

 堂島川に突き出したデッキの上から、アナウンサーがマイクを持って状況を説明している。その前後を、制服の警察官や救急隊員、カメラマン、メモを持った記者たちが行ったり来たりしていた。

 「一報は食中毒との通報でしたが、料理に毒物が混入された疑いが濃くなりました。死者は増えそうです。事件だとすると、一体誰が、なんの目的で料理に毒物を入れたのか。大阪府警は間もなく福島署に捜査本部を設置して、本格的な捜査に乗り出します」。そこまで淡々と話したところで、アナウンサーのところに一枚のメモが差し入れられた。

 「あっ、ただいま入った情報ですが、亡くなられた方が8人。8人と大阪府警が発表しました。大惨事になりました」

 興奮して声が裏返っていた。しばらくして、亡くなった8人の氏名が流れた。その中に朝夕デジタル新聞社の堂本社長の名前もあった。死者の数はさらに増えていきそうな気配だった。

 「ブーン」というジェット機の低いエンジン音だけが響いた。沈黙が続いた。

突然、テレビ画面が真っ白になった。その状態が数秒間続いた後、内閣総理大臣、下河原信玄の顔が画面いっぱいに映し出された。与党「孤高の党」の代表だ。

 「なんだ、なんだ、いきなり」。橋詰が大きな声を発した。「毒物混入事件について総理がコメントするのか」。橋詰がテレビのリモコンでチャンネルを替えたがどこも同じ下河原のアップの映像だった。

 「総理による緊急会見だ」。吉嵜が厳しい表情でつぶやくように言った。

 「孤高の党」が4月に政権を握ってから間もなく、政府からテレビ局に、「総理大臣による緊急記者会見はすべての番組を途中で打ち切り会見の模様を流すように」との要請があった。テレビ局側は反発、NHKと民放連が設置したBPO(放送倫理・番組向上機構)は、「放送の『自由』『自主』『自立』を脅かすものであり断じて受け入れることはできない」と声明を出した。しかし、政府側は反対意見を無視し、強面の総務大臣が東京キー局の社長あてに要請を繰り返した。

 結局、政府側は緊急会見の割り込み放送は、「国家存亡」と「国民生活に直結する重大案件」に限るとし、さらに「強制ではなく、テレビ局側の判断に任せる」と一見「譲歩」した格好をとったことで、テレビ局側も「内容を検討した上で対応する」との姿勢を示した。

 以後、下河原による会見は3回放送されたが、総理の発言内容について事前に説明されることはなかった。にもかかわらず、大半の局が番組を打ち切って緊急会見の模様を流すようになっていた。

 画面には、下河原総理が1人、大写しになっている。机の上には、大きなマイクが1つ置かれていた。

 「日本国民に告げる」。下河原が気難しい顔で話し始めた。「1週間後に始まる通常国会に臨む政府としての姿勢、方針を説明する。国会で十分な審議を尽くすようにお願いしたい」。上から目線の冷めた語り口で呼びかけた。殺伐とした事件現場から急に切り替わったこともあり、唐突感が際立った。

 「政府方針の説明? これが大事件のニュースを吹っ飛ばすような緊急性がある内容なのか。公共の電波を使った政府与党のPRじゃないか」。橋詰が苦り切った顔で言った。

 下河原は、3項目の基本政策を発表した。画面左側に箇条書きに映し出された。


①憲法改正の国民投票を実施し、自衛隊の存在を明記し、将来の大統領制をにらんだ首相公選制を導入する

②防衛力を最大限強化し、敵基地攻撃態勢を充実させる。核武装への道を拓く

③報道適正化法の制定


 下河原総理は、それぞれの項目について時間をかけて説明した。

 今回、新たな項目として登場した報道適正化法については、「強い国家を構築していかなければならない。政府が打ち出した方針に反抗するだけの組織、人物は敵と見なす。国家、権力を一方的に貶めるような報道は許さない。また、最近のニュースを見ていると、あまりにも誤報、虚報が多すぎる。報道機関の劣化を防ぐために、政府内に『誤報・虚報調査特別委員会』を立ち上げ、すべてのニュースをチェックしていく態勢を構築する。記者教育センターを設置し、すべての記者の基礎教育を進める。マスメディアによる恣意的な世論調査の禁止」とぶち上げた。誤報、虚報を書いた記者に対する罰則規定も設けるという。

 「独裁色を強めて、軍事大国を目指そうとしている。政府に批判的な論調のマスコミをターゲットにしている。下河原にとっては、大神が中心になった『反・孤高の会』キャンペーンに対する恨み辛みが大きいのだろう」。吉嵜が言った。


 日本の政界は、「民自党」が戦後長く与党として君臨してきた。「孤高の党」は民自党の副党首を中心に過激な思想を持ったメンバーが集まり、20年前に政策集団「孤高の会」として発足し、「民自党」の中の一大派閥となった。財界の有力者だった三友不動産社長後藤田武士が設立した日本防衛戦略研究所(防衛戦略研)と連携しながら、政権掌握に動いた。だが、防衛戦略研は、「孤高の会」の野望を裏で支える存在で、抵抗勢力を弾圧する闇の組織であると同時に、権力を握るために必要な資金を不正に集める集金マシーンでもあった。特に後藤田は、財界の大物という表の顔を持つ一方で、抵抗勢力と認定した人物を冷酷非情に殺害していく狂気の側面を持ち合わせていた。

 防衛戦略研が行った数々の悪事と、それを黙認するどころか積極的にバックアップした「孤高の会」の正体を、大神が中心となった調査報道で暴いたのが2年前。この報道を受けて警察も摘発に乗り出した。後藤田は指名手配されたが、直前に海外に逃亡、自殺したと見られている。当時の「孤高の会」の代表だった丹澤仁一朗は大神の暗殺に失敗し、自ら命を絶った。「孤高の会」の政治的な野望は潰えたかと思われた。しかし、丹澤の後を継いだ副代表の下河原が代表に就任し、「孤高の会」を立て直した上で、1年前に「民自党」から飛び出し、「孤高の党」を結成した。

 その後、世界有数の軍事大国「ノース大連邦」による隣国への侵略など世界各地で戦争、紛争が相次いだことと、日本を取り巻く周辺諸国からの軍事的な威圧的行為が続いたこともあり、防衛力強化を望む世論が高まった。それが追い風となり、「孤高の党」が勢いを盛り返した。下河原の弁舌も巧みで、国民の危機意識を煽り、支持の拡大につなげていった。

 そして、今春の総選挙で過半数の議席を得て、与党第一党に躍り出し、党首の下河原が総理大臣に就任した。民自党は、「孤高の党」と政策協議を繰り返したが決裂し、野党第一党となった。下河原は組閣後、すぐに会見で公約通り、憲法改正を実施すると宣言した。そして今日の記者会見でマスコミの規制を明確に打ち出した。


 大阪に向かう機内で大神が言った。「報道適正化法が最初に現実化しそうだね」

 「不正が相次いで摘発されて、『孤高の会』の息の根は止まったと思ったのだが。他国に侵略されるというくどいほどの宣伝に、国民が危機感を持った。そこを下河原がついてきたわけだ。とんでもない時代に突入してきた」。吉嵜が続いた。

 「誤報をうつと罰せられるなんて信じられない。言論の自由もなにもあったものではないね。どの記事が誤報なのかなんて権力者次第でしょう」。大神が言った。

 「そもそもテレビを総理大臣が一方的にジャックするなんて、異常事態ですよ。テレビ局がすべて同調するなんて。一体どうなっているんだ。社内で問題にならなかったのですか」。橋詰が怒りのこもった声で言うと吉嵜が応じた。

 「もちろん、大問題になった。現場は反対した。だが、トップ判断だった。テレビ局の中では、うちは相当抵抗した方だ。規制の対象はテレビだけではなく、新聞、雑誌、ネットに広がっていった。その動きに対して、マスコミ全体で一致団結して対抗しようとしてようやく、オールマスコミ報道協議会が結成されるに至った」と吉嵜が言うと、橋詰が「そこが狙われた。出鼻をくじかれたということか。やり方が陰湿すぎる」と言った。

 「ちょっと待って。まだ、今回の毒物混入事件は犯人も動機も手口もわかっていない。言論弾圧の動きと関係あるかどうかなんて全くわからない。取材前から思い込みは危険よ」。大神がたしなめた。

 「ここにいるメンバーは、伊藤楓ちゃんを除いてこれまでの取材活動から、みな、政権からにらまれて当然のメンバーばかりだ。気を付けなければ。特に、大神先輩は数々の不正を暴いた中心人物なんだから、十分すぎる注意が必要ですよ」と橋詰が深刻な顔をして言った。

 伊藤楓だけは口を開けて眠り込んでいる。前日、彼氏と六本木で遊び過ぎたらしい。

 ジェット機はみなが議論しているうちに伊丹空港に着陸した。

 「とにかく今は大惨事の取材に集中しよう。先入観はなしでいきましょう」。大神が言った。

 5人は伊丹空港を出てタクシーに分乗して、高速道路をひた走り、毒物混入疑惑事件の起きたホテルエンパイヤー大阪に向かった。


(次回は、■ホテルは修羅場と化していた)

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