第34話 胸についていたマークは

 弁護士の永野洋子は密かに大神と連絡を取り、大神と伊藤楓が2人で会える日時、場所を設定した。

 永野から連絡を受けた楓は、待ち合わせ場所に指定された都心の中心街に広がる日本庭園の喫茶スペースに入った。明治の初め、財閥家族が居宅として利用していた場所で、今は公益財団法人が運営している。


 庭園を一望できる屋敷の池に面する空間に、20ほどのテーブルと椅子が並べられ、すでに数人がばらばらに座って談笑していた。

 楓は、端の方の周りに人がいない丸テーブルの椅子に腰をかけ、そこで大神を待つことにした。午後4時を回っていた。樹木、池、橋、小径、花、岩が巧みに配置され、眺めているだけで心が落ち着いた。しばらくすると、高齢の女性が目の前に現れ、向かい側に座った。知らない人だった。

 「あの、私、ここで人と待ち合わせているのですが」と楓が言った。

 「それがどうかしましたか」と女性が落ち着いた表情で言う。白髪で、地味だが品のいい服装を着ていた。

 「申し訳ありませんが、席を空けていただきたいのですが。他にも空いている席はありますし」。楓は困ったように言った。「寂しいのかな。お年寄りは困ったものだ」。でもなぜか嫌な気分にはならなかった。

 

 女性は黙ったままでじっと楓と見つめていた。「以前、どこかで会ったような気がする」。なんだか懐かしい感じがした。

 20秒ほどの沈黙の後、女性が口を開いた。

 「もう、気付いてよ。私よ、私」。突然、若々しい声になっていた。

 「えっ、えっ、えっ」。楓は驚いたような表情に変わった。

 「お、お、大神先輩ですか?」

 「しー。大きな声を出さないで。外では私の名前を呼ばないでね」。大神は周りを気にしながら笑って言った。


 「その顔、どうしたんですか。変装ですか」。今度は声を潜めた。

 「そうなのよ。手が込んでいるでしょ。最初はとても違和感があったけど、だんだん慣れてきた。どれが本当の自分なのかわからなくなったわ。でも他人になり切るって快感。やみつきになりそう」

 「でも美人の顔が台無しですね。すっかりおばさんですね。でも上品で素敵です」。楓は少し笑ったが、すぐに真剣な表情になった。

 「何一つ法に触れることをしていないのに変装をしなければならないなんて。とんでもない時代になりましたね」

 「確かにそうね。私も楓の助言がなければ今頃捕まって牢獄か、お墓の中だったかもしれない」


 「まさにその件なのですが、私も報道記者が次々に姿を消している事案を調べています。その取材の過程で、東京湾に浮かぶ島に行きついたのです」

 「東京湾の島?」

 「そう。極秘事項なのですが、この島で何かが起こっている。調べたら東京湾に突然出現した島だったんです」

 「突然出現した?」

 「あっ、いや、実は前からあったけど、地図には載っていなかった島というのが正確でした。今は国有地で、立入禁止になっています」

 

 「その島がなんで怪しいの?」

 「実は、総理の机に置かれていた封筒の表紙に『東京湾Fプロジェクト』と書かれていました」

 「総理の机の上って。どうしてそんなところにある資料を読むことができたの?」

 楓は全日本テレビ局の執務室に1人で入ることになった経緯と、用事を済ませた後に別の資料を写真に撮ったことを説明した。

 

 大神は感心した。同時に危ないなとも思った。人にもよるが、報道記者として基本を身に着けるのに5年はかかる。さらに2~5年の実践経験を経てようやく一人前の記者になると言われている。楓は嗅覚、センスはいいものを持っているし、最も大事なやる気も誰よりもある。ただ、記者としてはまだ2年生だ。経験の浅い記者が功を焦ってとんでもない行動に出て、失敗して大問題になる。そんなケースを何度も見てきた。注意したり、教育したりするべきだが、今の大神にその余裕はなかった。


 「出先の執務室の警備は結構、緩くなっているのね。とは言っても相手は総理大臣。十分気を付けなければいけないよね。それで、『東京湾Fプロジェクト』って一体なに?」

 「それがわからないのです。文書は写真に撮ったけど、すべてが暗号になっていました。ただ、その中に写真があった。調べていくと、東京湾に浮かぶ白蛇島だったんです。河野さんには、以前、『東京湾Fプロジェクト』について聞いたことがあったんですが、『これ以上一切関わるな』と怒られました。『取材も禁止だ』とも言われました。だから、白蛇島については聞いていません」


 「国家機密なのね。暗号になっているわけか。楓の上司の岸岡くんはⅠT関係の天才だけど、暗号解読をライフワークにしている。以前、一緒にやった取材で、暗号解読をお願いしたことがあった。岸岡君なら解明できるかもしれない」と大神が言うと、楓は「岸岡さんも河野さんと一緒で、今は、下河原総理の側近として秘書のような感じで仕事をしています。岸岡さんに言うと、総理に筒抜けになりそうです」

 「確かにそうね」

 「それで私、休暇をとって1人で白蛇島に行ってみたんです」

 「えー。1人で」。大神は、楓の行動力に呆れてしまった。

 「河野社長から『取材禁止』と言われたんでしょ。ダメじゃない。社長の言うことを聞かなければ処分されちゃうよ」

 「無謀なことばかりしている大神先輩に言われたくないです。『取材禁止』と言われると俄然、やる気がでてきてしまって。島に行ったといっても、上陸はしていません。三笠公園近辺を拠点とした漁船をチャーターして島の近くを周回しただけです」


 「それで 何かわかったの?」。大神は興味津々で身を乗り出してきた。

 「2隻の船が係留されていました。島には洞窟があり、反対側に体育館のような建物がありました」

 ひと呼吸して楓は言った。

 「そこで私、見たんです」

 「何を?」

 「人を」

 「人。人がいたのね」

 「そうなんです。そして、その人たちは濃紺のジャンパーを着ていて、青いビニールシートに包んだ荷物を洞窟に運び込んでいたのです」

 「濃紺のジャンパー?」。大神に思い当たるふしがあった。

 「ひょっとして胸にローマ字のマークがあったとか」

 「そうです。当たりです。『J』のマークがついていました」。楓の声が大きくなっていた。

 「Jマーク」。大神は息をのんだ。橋詰記者が殺されて以後、追いかけ続けている民警団のシンボルマークだ。

 「なんで、民警団がそんなこところにいるんだろう」

 「それがわからない。とにかく怪しいんです。洞窟の中に次々に物を運んでいました。調べたのですが、島にはいくつもの空洞があるようです。戦時中、日本軍が使っていた爆薬の貯蔵庫に使っていた。そこに運び込んでいたのかもしれません」

 

 「立入禁止地区にして民警団が物を運び込んでいる。これほど怪しいことはないわね。それにしても楓は危ないことをしたわね。乗っていた漁船は、島から見て怪しまれなかった?」

 「大丈夫でした。漁船は近くを日々行き来しているようです。私も漁師に扮していたので不審には思われなかったはずです」

 あたりが暗くなってきた。庭園のあちこちで照明が灯された。


 大神が楓をじっと見つめた。そして神妙な顔つきで言った。

 「楓、あなたに言わなければならないことがあるの」

 「どうしたんですか、改まって」

 「実は」。大神は覚悟を決めた。

 「民警団の総会に潜入した時に、ある人物に遭遇したのよ」

 「はい」

 「その男は民警団の会長になっていた」

 「会長ですか。勿体を付けていないで言ってください。その男は誰なんですか」

 「後藤田武士」

 その言葉を聞いた瞬間、楓は全身から力が抜けていった。頭をテーブルに打ち付け、気を失いそうになった。

 楓が最も憎んでいる相手。父、伊藤青磁を殺した殺人組織、日本防衛戦略研究所の創始者。父の死後、男の写真を入手して毎日のように眺めていた。「復讐してやる」とつぶやきながら。


 「大丈夫?」。大神が立ち上がって椅子からずり落ちそうになった楓を支えた。

 「まさか、その名前が出るとは思いませんでした」。楓はアイスティーを一口飲んで、少し落ち着きを取り戻した。

 「あいつは自殺したと言われていたけど私は絶対に信じませんでした。生きている。どこかで必ず生きている。そう思っていました。そして私は、父の敵を討ってやると思い続けていました。あいつを殺して私は死刑になってもいい。ずっとそう思っていました。でも堂々と会長として活動しているのですか。指名手配されていますよね」

  「それが、整形手術をしていて見た目は全く別人になっていた。『武宮』と名乗っていた。総会が始まる前、間近で向かい合った時は私もわからなかった。会長として挨拶した後、舞台上を手を振って歩き回ったのよ。その瞬間によみがえったの。以前、劇場で私自身が殺されかけた時のことを」

 「さすがは大神先輩ですね。ほかの人では気付かない。危険極まりない民警団総会に乗り込んでいく大神さんの現場主義に乾杯。よくぞ、巨悪の後藤田を見つけてくれました。警察には連絡したのですか」

 「『虹』のリーダーが裏ルートを使って連絡した。だけど、武宮を名乗る後藤田の行方はつかめていないらしい。総会以後、どこかに雲隠れしたのではないかと井上さんが言っていた」

 「大神先輩に見破られたことに気が付いたのかもしれませんね」

 2人が話し始めてから2時間が経過していた。

 

 「私、行くわ」。大神が唐突に言った。

 「もうそろそろ帰りますか」。楓は時計を見た。

 「違うわよ。白蛇島に上陸するのよ。一体、島で何が行われているのか。この目で確かめてくる」

 「えっ、現場主義はいいけど、1人で行くのは、危険過ぎます」

 「1人じゃない。『虹』のメンバーと対策を練って十分な準備をしてから行くわ。島にはなにかが隠されている。証拠映像を撮りに行く」

 「そうですか。それでは私も行きます」。楓も言った。


 「楓は行かない方がいい。スピード・アップ社の社員が社長に禁じられている取材活動をしたら、クビになっちゃうよ」

 「もうクビでもいいです。あの会社のダブルスタンダードは我慢がなりません。民警団が何をしているのか私もこの目で見に行きます」

 「でもねえ。楓を危険な目に遭わせるわけにはいかないし。命に関わることが起きるかもしれない」

 「ちょっと待ってください。白蛇島の情報は私が危険を冒してとってきたものです。大神先輩にスクープをもっていかれたくない」。楓の迫力に大神は気圧された。

 「わかった、わかった。井上さんや虹のメンバーと相談するわ。態勢を整えたら連絡する。周到な準備と警戒が必要ね」


 2人は席を立って、庭園を歩いて出口に向かった。その時、大神が思い出したように言った。

 「そうそう、スピード・アップ社が配信しているニュースサイトの中で、妙な記事を見つけたんだけど。民警団の精鋭部隊と自衛隊の合同訓練が開かれるって書いてあった」。「精鋭部隊」は、相棒だった橋詰記者のダイイングメッセージとして頭に残っていた。

 「あっ、それって岸岡さんに『書いておいてくれ』って言われ、私が書いた短信です。よく見つけましたね」

 「そんな訓練をなんで公開するんだろう。妙だと思わない?」

 「そう言えば、民警団の総会の告知記事も、河野さんが大神先輩を誘い出すための罠でした。迂闊でした」

 「岸岡君も要注意だね」


 大神は帰るために、日本庭園の遠くにとまっていたワゴン車の運転手に迎えに来てくれるように連絡を入れた。

 すると、ワゴン車の運転手から緊急メールが入った。

 「日本庭園の周辺がおかしい。不審な男たちが歩き回っている。偵察しているようだ」

 「私か楓が尾行されていたのかしら」と返した。

 「おそらく伊藤楓さんだろう。2人ともしばらくそこにいるように。すぐに助けに行くから」。屈強な運転手が言うと安心する。

 「わかったわ。念のため、不審な動きをしている人物を車のカメラで撮影しておいてください」


 大神は外に出て行こうとした楓を呼び止めた。そして永野に連絡をとって事情を説明した。永野は、日本庭園の外に歩いて出る地下通路があるということを知っていた。その順路を聞いて、2人はトンネルのような道を歩いて敷地の外に出た。秘密の抜け穴だったのだ。出たところは河川敷だった。草がぼうぼうと生えていた。


 ワゴン車が大神の位置情報を頼りに近くまで迎えにきてくれた。大神と楓はワゴン車に乗り込んで猛スピードでその場を離れた。楓は警備が厳重な自宅のタワーマンションに入った。大神は地下組織「虹」のアジトに戻った。

 

 大神は、井上に、白蛇島についての情報を伝えた。

 「確か2か月ほど前に、白蛇島の立入禁止措置について野党議員が国会で政府に質したことがあった。防衛大臣が『防衛面で極めて重要な場所と考えている。立入禁止措置後の活用など詳細については防衛上の理由で答えられない』と答弁していた」。   井上が思い出すように言った。

 「ミサイル基地とかを極秘に建設しているのですかね」

 「ミサイル基地だとすると、島が小さい。東京湾と沖全体を超高速ミサイルの発射基地にするとして、白蛇島にその司令塔を置くというのは考えられるな。それにしても民警団がいるというのはおかしいな、わからん」

 

 「行きましょう。乗り込んで何があるのか、行われているのか、この目で確認しましょう」

 「わかった。組織のリーダーと相談して決める」

 「それから、今回楓と会った場所は、永野弁護士が手配してくれた日本庭園の中だったのですが、帰る時に、周辺に怪しい人影が何人もいたようです。楓がつけられたのかもしれません。要注意ですね」

 「だから、俺は大神が動き回るのは反対なんだ。君は誰よりもマークされているんだから。白蛇島にも君は行かない方がいいのかもしれない」

 

 「それは嫌です。行きます。この目でしっかりと見なければニュースとして発信できませんから」。楓と同じようなことを言っているな、と自分で思った。

 「わかった、わかった。上にはそう伝えておくから」

 結局、白蛇島に夜間、潜入する上陸部隊が結成された。計8人。屈強な男性5人と、井上と大神、そこに伊藤楓も加わることになった。


(次回は、暗黒報道㉟ ■この世の地獄……)


          ★      ★       ★


小説「暗黒報道」目次と登場人物           

目次

プロローグ

第一章 大惨事

第二章 報道弾圧

第三章 ミサイル大爆発 

第四章 孤島上陸

第五章 暗号解読 

第六章 戦争勃発 

第七章 最終決戦

エピローグ


主な登場人物

・大神由希 

主人公。朝夕デジタル新聞社東京社会部の調査報道を担 当するエ ース記者。30歳独身。天性の勘と粘り強さで' 政界の不正を次々と 暴いていく。殺人集団に命を狙われる中、仲間たちが殺されたりして苦悩しながらも、「真相の究明」に走り回る。

・下河原信玄 

内閣総理大臣、孤高の党代表。核武装した軍国主義国家を目指す。

・後藤田武士 

国民自警防衛団(民警団)会長、元大手不動産会社社長。大神の天敵。


★朝夕デジタル新聞社関係者

・橋詰 圭一郎 

東京社会部調査報道班記者。大神の1年下の最も信頼している相棒。

・井上 諒   

東京社会部デスク。大神の上司で、大神と行動を共にする。

・興梠 守   

警察庁担当キャップ。


★大神由希周辺の人物

・河野 進

「スピード・アップ社」社長。下河原政権の広報・宣伝担当に就任。大学時代の大神の先輩で婚約者だった。

・岸岡 雄一

「スピード・アップ社」のバイトから取締役へ。子供の時から「IT界の天才」として知られる存在。

・伊藤 楓

インターネット会社「トップ・スター社」を創設した伊藤青磁の長女。大神に憧れて記者になる。

・鏑木 亘

警視庁捜査一課警部補。夫婦とも大神のよき理解者。大神が時々夜回りに通う。

・永野洋子

弁護士。大神の親友でよき相談相手。反社会的勢力の弁護を引き受けることもある。

・田島速人

永野の夫で元財務官僚。総選挙で当選し、野党「民自党」副代表になる。


★下河原総理大臣周辺の人物

・蓮見忠一

内閣官房副長官。元警察庁警備局長。報道適正化法(マスコミ規制法)制定の責任者。        

・鮫島 次郎

内閣府特別顧問兼国家安全保障局長。下河原総理の指示で、最新鋭のミサイルとドローンの開発にあたる。いつも紺色仮面を被っている。

・江島健一

民警団大阪代表から、民警団本部事務局長になる。

・香月照男

民警団員。精鋭部隊入りを目指している。


★事件関係者

・水本夏樹

スーパー美容液を売るマルチ商法の会社経営者。会社倒産後、姿を消していた。

・水本セイラ

水本夏樹の一人娘。知能指数が際立って高い小学3年生で、謎の多い少女。


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