第五章 青木ヶ原の決闘
第42話 大統領からの「密書」
「ノース大連邦」の外務大臣が来日した。下河原総理は官邸で会談に臨み、両国間の経済協力を進めていくことを確認し合った。長年、日本の商社を中心にした民間企業が参入してきた「ノース大連邦」北極圏エリアでの石油・天然ガス開発事業に、日本が国家としても積極的に関わっていく方針も新たに示された。
「ノース大連邦」はここ数年、強力な軍事力を背景に周辺国家へ侵略戦争を仕掛けている。「ウエスト合衆国」を始めとした民主主義国家を標榜する同盟国の多くが厳しい経済制裁を科し、相手国を支援したことで、国際社会での孤立が進んだ。だが、下河原が政権を握って以後、日本は逆に接近する方向に舵をきった。
会談後、国内外の報道記者やカメラマンが大勢並ぶ中で共同会見が催された。「経済協力を推し進めることは、同盟国との関係悪化につながるのではないか」「『ノース大連邦』の軍事政策を容認するのか」という記者からの質問に対して、下河原は「エネルギー資源に乏しい日本の現状と将来を考えれば当然の施策だ。破綻しかけている経済を再生させるために、国をあげて資源確保に乗り出していく。すべてにおいて強い国家を築いていくためだ。『ノース大連邦』の軍事政策を積極的に容認するわけではないが、戦争、内紛は当事国間で、複雑な事情がからみ合っている。日本がどちらの国を支持するとか支持しないとか態度を明確にするべきではない。この考え方については、関係各国に対して私が説明して回る」と語った。
制裁から協力へ。経済政策の大きな方向転換だった。
会見が終わった後、下河原総理と「ノース大連邦」の外務大臣、駐日大使、通訳の4人だけで、総理執務室に入った。「お茶会」と発表されたが、実際は軍事協力についての具体的な話し合いだった。両国にとっては、この秘密会議の方がはるかに重要だった。
下河原が最初に口を開いた。
「本題に入る前に謝罪しなければならないことがある。鮫島内閣府特別顧問が『白蛇島』で、『北方独国』の潜水艦から発射されたミサイルにより爆死した件は、外務省から説明させていただいた。実は丁度同じ日、政権にとっての抵抗武装勢力『虹』の一味が島に上陸していましてね。鮫島の個人的な核やミサイル関連の研究施設に忍び込んで、保管されていた極秘資料を持ち去っていった。鮫島もまさか、敵が島に上陸してくるとは思っていなかったようだ。油断して、文書類の一部について暗号化作業を怠った可能性がある。『ノース大連邦』と私の間の軍事協力についての交渉内容は鮫島にはすべて伝えていたので、これまでに結んだ『密約』の内容がマスコミに流れて表面化する可能性がある。資料管理が杜撰で大変申し訳ない」
外務大臣は笑いながら言った。「それぐらいのことはなんでもない。仮に表面化しても、我々はフェイクだと否定するだけだ。後の処理は下河原さんにすべてお任せする」
「ありがたいお言葉だ」。下河原はほっとした。厳しく非難されると思っていた。「ノース大連邦」は常に世界各国からの批判にさらされているだけに、少々のトラブルには慣れっこになっているようだ。
「それにしても、『虹』は、よく白蛇島に核とミサイルの研究所があることを嗅ぎつけましたね」。「ノース大連邦」の駐日大使が流暢な日本語で話した。大使は日本の国立大学に留学経験があり、「孤高の党」が政党になる前の政策集団「孤高の会」の時代から、下河原と親交を深め、ブレーンとして動き、水面下で金銭的な援助をしてきた。下河原が政権を握り、トップとして君臨することを信じての先行投資だった。
「『虹』に最近、やっかいな女が加わりましてね。単なる一記者なんですが、こいつがしつこくて。誰から聞き出すのか、政権内部の極秘情報をつかんではニュースにして発信する。政権の一番痛いところをついてくる。悩みの種なのですが、その女がなんと白蛇島への上陸部隊に参加していたんだ」。下河原が嘆くと、「大神由希ですね」と大使は言った。すると、外務大臣が驚いた顔をして「なんで君がその記者の名前を知っているのだ」と聞いた。
「彼女は有名ですよ。『孤高の会』と深いつながりのあった日本防衛戦略研究所の不正について書いた記事は、世界のスクープ記事に贈られる『世界ジャーナリスト大賞』の候補にもなった。表舞台を歩いてきた大神記者がなぜ『虹』の活動に参加するようになったのか。そちらの方が興味深いですね」
「全く隙のない記者だったが、事件の記事をめぐってミスを犯した。そこをついて捕らえようとしたが間一髪逃げられてしまった。匿ったのが『虹』だった」。大阪のホテルを舞台にした毒物混入事件のことで、ミスとは、「重要参考人浮かぶ」の前打ち記事のことだった。
「ほー、そんな元気のいい女性記者が日本にいるのか。美人なのか。会ってみたいものだ」と外務大臣が言うと、大使は「大臣は関わらない方がいい。相当な美人ですが気を許すと、痛い目に遭うだけです。大臣は美人に弱いから」と笑った。
「こっちは笑いごとではない」と内心苛つきながら、下河原は「とにかく『虹』の拠点は見つけ次第、爆破していきますよ。そして、大神も許さない」
「その通り。邪魔者と裏切り者は抹殺するしかない。見せしめにするんだ。それを繰り返していけば政権に盾突く奴はいなくなる」と外務大臣が自信ありげに言った。
本題に入り、下河原が口火を切った。
「総理大臣になってつくづく思うのは、日本型の民主主義は終わったということだ。誰も大局を見ていないし、かと言ってどうでもいいことでさえ、決まらないし決めようとしない。国会議員は思考が停止した者の集まりで、5年後の日本の姿を見通した発言ができない。役人も指示待ちばかりだ。ぬるま湯に浸かりきった日本は気が付くと、世界で完全に取り残されてしまった。頼り切っていたウエスト合衆国は『自国ファースト』で、どこを向いているのかわからない。日本の置かれた状況は大変厳しいが、まだ間に合うと思っている。私がこの国のすべてを作り変える。まずは憲法改正して将来の大統領制をにらんだ首相公選制を導入する。そこまでは民主的な手続きを踏むが、私が公選首相になると同時に、『ノース大連邦』を模範にした軍事大国への道を一気に突き進む。これからも全面的な協力をお願いしたい」
「ノース大連邦」の外務大臣はにこにこしながら答えた。「もちろんだ。我が国の大統領は下河原総理を誰よりも高く評価している。日本という軍事面での『友好国』が誕生することは、『ノース大連邦』にとっても非常に大きな意味をもつ。一刻も早く核兵器を所有し、軍事的に独立して、われらの陣営の主要国になってほしい。われわれの世界戦略に抵抗する国とはともに戦い、ひねりつぶしてしまおうではないか」
外務大臣は胸ポケットから大統領から預かった3通の「密書」を取り出して下河原に手渡した。
下河原は通訳に見せて読ませた。
1通目は、軍事同盟を結ぶまでの具体的な道筋が書かれていた。「ノース大連邦」からミサイルなど軍事面で供与される武器の一覧表が添付されていた。
2通目は、日本国に対する石油や天然ガスなどエネルギー資源の提供の申し出だった。北極圏と極東地域の資源開発に日本が国として協力する代わりに、今後四半世紀にわたって格安の取引価格で提供されることになっていた。下河原の政治力を日本国内で誇示できる内容だ。
3通目は、下河原総理個人への現金100億円の資金提供の提案だった。「ウエスト合衆国」との相互防衛条約を破棄した段階でタックスヘイブンに開設した下河原の個人口座に振り込まれる。さらに、「ノース大連邦」のブレーンとして暗躍している日本の有識者たちにも計50億円の資金提供をすることが記載されていた。
下河原は満足げな表情で言った。「すべて承知した。そして『ノース大連邦』からの日本への要望事項はこれまでと変わりはないですね」
「繰り返し言ってきたことだが、世界の主導権を『ノース大連邦』が握った暁に、北海道の10か所を『ノース大連邦』の領土とし、そこに軍事基地を置く。北海道の防衛は我々に任せてほしい」
外務大臣はさらに新しい提案をした。
「東アジア地域で近々、領土をめぐって戦争に突入する。ウエスト合衆国は国連を通してしか軍隊を派遣してこない。駐留基地が攻撃されない限り動かない。『ノース大連邦』が停戦の仲介をする形で、各国に緩衝地帯を設ける。その緩衝地帯に日本の自衛隊を派遣してほしい。いずれは、日本の飛び地の領土にすればいい。将来の大陸進出への足掛かりとなるのにちょうどいい場所になるだろう」
緩衝地帯への自衛隊の派遣は、「寝耳に水」の話だった。だが、下河原に一瞬の戸惑いもなかった。
「領土の件についてもすべて了解したと大統領にお伝えください」。外務大臣と固い握手をした下河原は続けて言った。
「それから、北海道へのミサイル着弾は大成功だった。感謝しかない。決めた場所にぴたりと命中したのはさすがだ。あの一撃で日本は一気に緊張が走り、私の支持率が急上昇した」と下河原は礼を言った。
北海道に着弾したミサイルは、「ノース大連邦」の潜水艦から発射されたものだったのだ。
「あれぐらいのことはお安い御用だ」
その後、さらに日本国民を震撼させるための軍事衝突事件を起こす計画について綿密に打ち合わせが行われた。
最後に、駐日大使が言った。
「日本には、天才、岸岡雄一が開発した『岸岡システム』がある。あれを駆使すれば国民世論など簡単に操れるはずだ。我が国には長年、世論操作、情報操作を担当してきたその道のプロがいる。大統領の高支持率を維持し、敵国の世論を混乱させるためにありとあらゆる工作をしてきた。日本に呼んでノウハウを授けるので、『岸岡システム』の技術を丸ごといただきたい。もちろん、ただとは言わない。言い値の金額をあなたの口座に振り込む」
外務大臣と大使は総理執務室を出た。外務大臣が外に出てくるのを待ち構えていた記者たちが「総理と何を話したのか」「軍事協力について話がでたのではないか」と聞いた。外務大臣は「すき焼きと天ぷらの一番おいしい店を教えてもらった。今から行ってくる。とても楽しみだ」とかわした。
総理官邸の執務室に、岸岡が呼ばれた。
「次は日本海から『北方独国』が攻めてくる。衝突して一戦を交える。世論の先導を怠りなくやるように」
「えっ、武力衝突ですか。大変なことになりますね。世論も黙っていないし、『北方独国』が核ミサイルを撃ってくるかもしれない」
「お前が心配することではない。世論の誘導に集中しろ。それから、世論操作、情報操作のプロが『ノース大連邦』からやってくる。協力して、私の支持率が80パーセントを維持し続けられるようにしろ。それからお前が開発した広報・宣伝のソフトだが、『ノース大連邦』に輸出することになった。相応の金額がお前にも渡るようにする」
「わかりました。光栄です」
「それから、民自党のスキャンダルを探してくれ。最近、田島がうるさくてたまらん」
「その点はお任せください。田島副代表のスキャンダルは入手済みです。週刊誌に書かせ、ネットで拡散させましょう」
1週間後。新聞の広告面に派手な見出しが躍った。
「田島代議士は『反社』と癒着 妻の弁護士が指定暴力団の顧問に就任」
「なにこの見出しは」。変装して取材に走り回っていた大神は驚いて、すぐに週刊誌の内容をチェックした。
田島代議士の妻永野洋子が山手組系暴力団羽谷組の顧問弁護士をしているという内容だった。もともとは羽谷組の若頭だった葉山豪と永野は大学時代、恋仲で、その縁で永野が組関係者の裁判があれば弁護を引き受けていた。葉山は抗争の際に拳銃で撃たれて車椅子生活を送っているが、永野は今も見舞いに行くなど関係は続いている。財務官僚だった田島はすべてを承知した上で永野と結婚したが、永野の黒い交際が財務省内部で問題となり、表面化する前に財務省を辞めた。
「永野と暴力団との関係は続いていて、現在も羽谷組の顧問として活動している。田島側からヤミ社会への情報漏洩の危険性が今も続いている」と締めくくられていた。
4ページの特集記事だった。田島の経歴と同時に、永野の経歴もこれでもかというぐらい詳しい内容が記載されていた。「飛ばし」の部分はあるが、大筋で正しい内容だった。
大神は永野に暗号メールで連絡をとった。
「週刊誌にひどい記事がでていますね」
「相当、詳しい内容ね。でもなんら新しいネタはない。田島の国会での動きを止めたいと思っているのが見え見えね」
「誰がこんな情報を流すのでしょうか」
「大神さん、あんたじゃないの?」
「まさか」
「冗談よ。それぐらい詳しい。下河原総理の手先として動いている人物がネタ元ね。河野君はリタイアしたんだよね」
「情報源が河野さんということは絶対にありません。それにしても田島さんにとっては痛手ですね」
「『反社会的勢力とは全く関わっていない』と否定するコメントを出した。突っ込まれれば、妻が顧問弁護士の1人であったことは認めるでしょうね、事実なんだから。私は、以前は顧問料を受け取っていたけど、今はお金のやりとりはしていない。幸いなことに組関係者の法廷での弁護も最近はしていない」
「政治活動に影響がでてくるのでは?」
「大丈夫でしょう。政治家というのは選挙で負けない限りしぶといものよ」
「そうなんですか」
「しばらくは大人しくしていないといけないけどね。私は別にいいけど、書かれた羽谷組が黙っているかしら。この記事の仕掛け人が判明すると、その人物の身に危険が及びかねない。そっちの方が怖いわ。私が無茶するなと言っても、若い組員は言うこと聞かないからね」
「永野さんは羽谷組から絶大な信頼を置かれていますからね。『姉さん』と言われて慕われている。もし若い組員が『姉さんを批判する記事は許さん』とか言って、暴走したら大変なことになります。それこそ田島さんの政治生命にかかわる事態に発展することになりかねない」
「それもそうね。若い組員には、変な動きはしないように言っておくわ。無駄だと思うけど」
(次回は、■樹海へ いざ)
★ ★ ★
小説「暗黒報道」目次と登場人物
目次(章立てに変更あり)
プロローグ
第一章 大惨事
第二章 報道弾圧
第三章 ミサイル大爆発
第四章 孤島上陸
第五章 暗号解読
第六章 戦争勃発
第七章 最終決戦
エピローグ
主な登場人物
・大神由希
主人公。朝夕デジタル新聞社東京社会部の調査報道を担 当するエ ース記者。30歳独身。天性の勘と粘り強さで' 政界の不正を次々と 暴いていく。殺人集団に命を狙われる中、仲間たちが殺されたりして苦悩しながらも、「真相の究明」に走り回る。
・下河原信玄
内閣総理大臣、孤高の党代表。核武装した軍国主義国家を目指す。
・後藤田武士
国民自警防衛団(民警団)会長、元大手不動産会社社長。大神の天敵。
★朝夕デジタル新聞社関係者
・橋詰 圭一郎
東京社会部調査報道班記者。大神の1年下の最も信頼している相棒。
・井上 諒
東京社会部デスク。大神の上司で、大神と行動を共にする。
・興梠 守
警察庁担当キャップ。
★大神由希周辺の人物
・河野 進
「スピード・アップ社」社長。下河原政権の広報・宣伝担当に就任。大学時代の大神の先輩で婚約者だった。
・岸岡 雄一
「スピード・アップ社」のバイトから取締役へ。子供の時から「IT界の天才」として知られる存在。
・伊藤 楓
インターネット会社「トップ・スター社」を創設した伊藤青磁の長女。大神に憧れて記者になる。
・鏑木 亘
警視庁捜査一課警部補。夫婦とも大神のよき理解者。大神が時々夜回りに通う。
・永野洋子
弁護士。大神の親友でよき相談相手。反社会的勢力の弁護を引き受けることもある。
・田島速人
永野の夫で元財務官僚。総選挙で当選し、野党「民自党」副代表になる。
★下河原総理大臣周辺の人物
・蓮見忠一
内閣官房副長官。元警察庁警備局長。報道適正化法(マスコミ規制法)制定の責任者。
・鮫島 次郎
内閣府特別顧問兼国家安全保障局長。下河原総理の指示で、最新鋭のミサイルとドローンの開発にあたる。いつも紺色仮面を被っている。
・江島健一
民警団大阪代表から、民警団本部事務局長になる。
・香月照男
民警団員。精鋭部隊入りを目指している。
★事件関係者
・水本夏樹
スーパー美容液を売るマルチ商法の会社経営者。会社倒産後、姿を消していた。
・水本セイラ
水本夏樹の一人娘。知能指数が際立って高い小学3年生で、謎の多い少女。
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