第25話 山奥のコテージで一人ぼっち

 スマホにかかってきた電話の呼び出し音がいつまでも続いた。大神は通話ボタンを押した。

 「今、どこだ。君をずっと捜していたんだ」。東京社会部の山本デスクが怒鳴った。

 「来客があって話をしています」

 「来客って誰だ。今、どこにいるんだ」。山本は焦っているように矢継ぎ早に聞いてきた。

 「友人です。世間話をしています」

 「世間話なんてしている場合か。危機感がなさすぎるぞ。お前は、出頭命令がでているんだろう。すぐに出頭の準備をするんだ。いいな」

 出頭についての話であることを確認して、大神はスピーカーをオンにした。会議室で向き合っていた伊藤楓は黙ってうなずいた。


 「出頭するかどうかは編集局長も出席しての会議で話し合いが続いています」。山本デスクはその会議には出席していなかった。

 「なにを呑気なことを言っているんだ。出頭するんだ。わかったな」

 「どうして山本デスクがそこまで言われるのですか」

 「内閣府の知り合いや法務省の最高幹部から次々に俺のところに電話がかかってきている。必ず出頭させるように念を押されたんだ」。自分からスパイの「K・Y」だと言っているようなものではないか。

 「検察庁を出た大型バスが報道機関を順番に回っている。出頭命令が出た38人の記者を順番に乗せていっているそうだ。間もなくうちの社に到着する。お前もそれに乗るんだ。わかったな」

 「それって、鉄格子がついているんじゃないですか。まるで護送車ですね。出頭するかどうかは2時間後の会議で決まる予定です」

 「大型バスの出発時間が変更になって早まったんだ。つべこべ言わずに乗車すればいいんだ。同類と一緒であれば安心だろう。社会部長には俺の方から言っておく」


 「わかりました」と大神は言って電話を切った。目の前で不安げにやり取りを聞いていた伊藤楓が「そいつがスパイで間違いない」と大声を上げた。

 「シー」。大神が人差し指を口元に持っていった。「護送バスのことを知っているのはスパイの証拠です」。今度は必要以上に声をひそめて楓が言った。

 

 大神は楓と別れ、井上デスクに連絡して会った。そして楓の話、山本との電話の内容を伝えた。

 「そういえば山本はさっきから大神のことを捜し回っていた。血相を変えていた。あいつは絶対に怪しい。楓の話も無視できない」。井上はスマホでどこかに連絡を取った。そして大神に言った。

 「君は出頭する必要はない。護送バスとかが来る前に脱出しよう。車は手配しておいた」と井上が言った。

 「車を手配? 会社の車ですか」

 「いや違う。とにかく今は俺を信じてついてこい」と言って、井上は早歩きで移動した。大神は後を付いていった。2人は非常口から外に出た。


 「逃げたぞ」。非常階段を駆け下りていたところで、上の方から大声がした。大神が見上げると、山本デスクの顔があった。

 「構うな。急げ」。井上が大声を上げた。

 2人は地上に降りた。近くの車道に黒塗りのワゴン車が止まっていた。井上が先導して2人で後部座席に乗り込んだ。ワゴン車が発車した。振り返ると、山本や警備員数人が正面玄関から出てきたところだった。ワゴン車に向かって何やら叫んでいた。ちょうどその時、山本が言っていた「護送バス」が新聞社の正面玄関に到着した。バスからスーツを着た数人の職員が新聞社に入ろうとして山本に止められた。山本がワゴン車の方を指さした。「大神が逃げた」とでも言っているのかもしれない。


 ワゴン車は猛スピードで走り去った。

「山本は以前から言動が怪しいと思っていたんだ。非常階段を使ったからといって、同僚に対して『逃げた』と叫ぶのはおかしいだろ。途中入社で仕事ができる有能な人物だが、官邸のスパイだったのか」

「なんでスパイ行為をするのでしょうか」

「金だろ。思想的に政府に同調しているだけならば、そう言えばいい。社内にもいろいろな考え方を持っている記者がいる。異なった意見を戦わせながら日々の紙面は作られている。山本は、社内で政権寄りのスパイ行為を働くことで多額の報酬を受け取っているはずだ」


 「これからどうするのですか。どこに行くのですか」。大神が不安そうに聞いた。すると、井上の表情が急に厳しくなった。

 「君はしばらく雲隠れするんだ。それが最善の方法だ。これから先のことは何があっても驚かないようにしてくれ。極秘の任務にあたっている人たちのところに連れて行く。君の命を考えるとそれしかない」

 「どういうことですか」

 「聞くな。知らない方がいいことだってあるんだ」。井上が近寄りがたい雰囲気を醸し出して言った。車は走り続けた。運転席とは遮断され、後部座席の窓も曇りガラスになっていて外の景色は見えない。


 大神の不安な気持ちは大きくなっていった。井上を信じてついてきたが、もし、井上が「敵」側だったとしたら、今の状況はどう考えたらいいのか。井上の横顔を見た。相変わらず険しい顔をしていた。何を聞いても「今は何も言えない」という返事だった。車は高速道路を走っているようだ。今更逃げ出すことはできなかった。一般道に出たらしく、信号にかかったのか時々一時停止しながら進んでいた。

 

 やがて、目的地に着いた。車を降りると、深い山の中だった。数棟のコテージが目の前に現れた。別荘地のようだったが、どこにも人影はない。瀟洒な造りのコテージの鍵を渡された。2階建てだった。

 「しばらくここにいてくれ。食料などは冷蔵庫に入っている」

 「ここは一体どこなんですか」

 「どこかは知らない方がいいんだ。隠れ家と思ってくれ。ここならば安全だ。スマホは預かる。近くの散歩ぐらいはしてもいい。だが、遠くには行かないように。橋詰が殺されてからの君は疲れている。彼の死をひきずっているのがわかる。休暇をとったつもりで、しばらくここでゆっくりしてくれ」

 「なんの説明もなく休めと言われても不安の方が先にたちます。極秘の任務にあたっている人というのは誰なんですか。一体なにが起きているのですか。説明してもらわないと。これじゃあ、監禁と同じではないですか」


 「君の気持ちはわかる。しかし悠長なことは言っていられないんだ。考え方を180度変えてもらわなければならない。民主主義体制の中の言論の自由はすでになくなりつつあるんだ。長い年月をかけて勝ち取った権利もいったん失うと取り戻すのに膨大な時間とエネルギーを費やすだけでなく、多くの犠牲を伴う。あらゆる民主的な権利を完全に失う前に、取り戻すんだ。壮絶な権力闘争に身を捧げる覚悟が必要なんだ。決して大袈裟なことではない」


 「言論の自由を守るために身を捧げる覚悟はあるつもりです。報道という強力な力を大事にして正々堂々と闘うつもりでした。でも今、私は国家権力の脅威から逃げています。逃げるぐらいならは死を選んだ方がましです」

 「その覚悟があれば大丈夫だ。今の状況は、一時的に避難していると考えてくれたらいい。『ノース大連邦』が他国に侵略したことで、世界は変わった。第二次世界大戦以後も各地で紛争は続いていたが、『ノース大連邦』の侵略はレベルが違った。『ノース大連邦』にも言い分はあっただろうが、『ウエスト合衆国』を中心とした軍事同盟との衝突、民主主義への挑戦という形になり、戦いの火ぶたが切って落とされた。まさに世界の覇権を争う第三次世界大戦が始まろうとしているんだ。今、世界中で軍事力の増強が進んでいる。

 日本も軌を一にして独裁を目指す下河原政権が誕生した。まだ、民主派勢力が一定の力を持っているために、専制国家に移行していくのに、民主的な手続きを踏んでいるように装っている。だが、いつ強硬手段に訴えてくるかわからない。マスコミ規制法を成立させたことでもわかるように、兆候がでてきているのは君も身をもって感じ取っていると思う。この流れを止めなければならない。そして、君は、君自身の気持ちとは別に、国家権力と闘う象徴的な存在になりうる1人だ。権力側からしたら、最初に捕らえたい人物。我々にとっては守らなければならない存在なんだ」


 「わたしは匿われるということですか。恐怖しかない。このコテージの前に道がありますよね。私が1人になったら逃げだすかもしれませんよ」。車一台がようやく通れるような道が見えた。両側は雑草が生い茂っている。

 「独力でここから去ると言うのであれば仕方がない。止めることはできない」

 「井上さんは新聞社に戻るんですか」

 「いや、権力側と闘う組織の中枢に向かう」

 「それは、どんな組織なのですか」

 「それも今は言えない」

 「なぜ私はここに取り残されるのですか。直接その組織とかに行けないのですか」

 「組織に入るための厳正な審査がいるんだ。審査には3日ぐらいかかる。必ず迎えに来るから。信じて待っていてほしい」

 井上はワゴン車に乗って行ってしまった。


 コテージは、常緑樹に囲まれていた。鳥のさえずりと木々を揺らす風の音以外は無音の世界だった。「木漏れ日の道」と書かれた看板の先をしばらく歩いた。小高い丘に出た。ごつごつした大きな岩に上ってみると、ぱっと視界が開けた。山々が連なっている。遠くの方にかすかに山と山を結ぶ高速道路のような人工物が見えた。あそこまで行くのにどれぐらいかかるだろうか。なんとか歩いて行くことはできそうだった。だが、大神は引き返した。井上を信じることにした。


 コテージの中にはテレビも電話も時計もなかった。締め切り時間に追われた生活をなんの疑問も持たずに送っていたのが、いきなり静寂に包まれた世界に放り込まれた。時が止まった。空、土、木々、空気と同化していく不思議な世界に引き込まれて行った。

 コテージの外に置かれたリクライニングチェアに横になった。10月は過ごしやすい季節だ。風が吹いて木々がざわめいた。

 30年間、生きてきた人生が蘇った。

 最大の出来事は、小学5年の時の父の死だった。日曜日の午後8時、父は自転車で買い物に出かけ、後ろから来た乗用車にはねられた。頭を路上で強く打ち、病院に運ばれたがすでに死亡していた。あまりにもあっけない、突然の死だった。車を運転していた36歳の男は業務上過失致死容疑で現行犯逮捕され、「自転車が車道の端から急にセンターライン側に寄ってきて避けられなかった」と証言した。助手席の男の婚約者も同様の証言をした。ほかに目撃者はおらず、現場付近に防犯カメラは設置されていなかった。運転していた男の言ったことが本当なのか、あるいは嘘なのか、全くわからない。ただ、父の遺体を前に、「悔しい」としか言えなかった。

 男は「嫌疑不十分」で不起訴になった後、父の仏壇に線香をあげさせてくれと言って家に来た。小学生だった大神は玄関先で男の姿、特徴を目に焼き付けていた。その姿は、何度も何度も思い返すことになった。大神の顔認識能力が秀でることになったのは、この時の経験があったからだと思っている。

 

 男の名前は、「遠山武士」。遠山は、助手席に座っていた後藤田家の令嬢の婿養子になり、「後藤田武士」となった。その後、大神が記者になり、企業犯罪の取材で後藤田武士に出会った。異常な空間の中で、後藤田は父の事故について語った。「あの時、私は酒も飲んでいたし、スピードも出していた。助手席の婚約者と冗談を言い合っていて注意力も散漫になっていた。自転車がセンターラインに寄って来たというのも嘘だ。こちらのハンドル操作のミスだった」。その後、後藤田が主謀した数々の不正を記者として追及しているさなかに、後藤田は海外に逃亡した。自殺したと言われている。

 毒物混入事件、夏樹の死、橋詰が殺された事件……。

 

 思い出すことは辛い経験ばかりだった。だが、記者になったことは悔いてはいない。自分を信じて取材活動を続け、充実した日々を送ってきた。その結果、時の権力が自分に牙をむいて迫ってきた。そして今、どこかもわからない山中にたった一人、取り残されている。

 

 これから先、一体何が待っているのか。これまでとは全く違う生き方、人生を歩んでいくのだろうか。予測がつかなかった。


 ちょうど3日が経った早朝、ワゴン車が迎えにきた。井上が降りてきた。どこか晴れ晴れとした表情に見えた。

 「さあ、行くぞ」

 「どこへ」

 「組織の中枢だ」

 再び、車は動き出した。運転手は同じ男だった。

 「この3日間、井上さんは何をしていたのですか」

 「いろいろだ。組織の会議で、君のことについて説明もした。そして決定がでた。君を組織の一員として認めるとな」


 「組織の一員と言われても困ります。どんな組織なのかもわからないし、活動内容に賛同できないかもしれない」

 「俺を信じてくれ」

 「政府側はどのような反応を示していますか」

 「大騒ぎだ。君のほかにも出頭しなかった記者はいた。行方不明になったり、逮捕されたりした者もいた。大神由希が行方不明になったと、ニュースでやっていた」

 「やっぱり、出頭した方がよかったのではないですか」

 「いや、ここ数日の状況を見ると、君は出頭したら最後、一生戻れなかっただろう」

 

 「新聞社はどう受け止めているのでしょうか。私は新聞社を退社したのですか。もう戻ることはできないでしょうか」

 「休職扱いだ。俺と君について人事に『休職届』をメールで出した。君が行方不明だということで、取材や問い合わせが新聞社に殺到している。警察も張っている。会社側は『休職中』『連絡はとれていない』とだけ回答している」

 「井上さんは一体何者なんですか」

 「今の権力とは闘う側の人間」

 「レジスタンスということですか」

 「そう思ってくれてもいい」


 以後、井上は一言も話さなかった。ワゴン車は3時間ほど走った。途中でビルの地下駐車場に行き、別のワゴン車に乗り換えて進んだ。

 そして、工場のような大きな建物の地下に入っていった。厳重な警備態勢が敷かれていた。

 大神は井上から受け取ったばかりの認証カードを警備員に渡した。警備員がそのカードを機械にかざすと、青ランプがついた。薄暗い部屋に案内された。裸電球がぶらぶらと吊るされていた。

 「しばらくここが君の居場所となる」。井上が言った。

 「ここは一体?」

 「まあ、秘密基地のひとつだと思ってくれ。組織の名称だけ伝えておく」。井上はひと呼吸おいて言った。


 「『虹』だ」

(次回は、■地下の抵抗組織「虹」のアジトへ)


     ★    ★    ★     


「暗黒報道」目次と登場人物           

目次

プロローグ

第一章 大惨事

第二章 報道弾圧

第三章 ミサイル大爆発 

第四章 孤島上陸

第五章 暗号解読 

第六章 戦争勃発 

第七章 最終決戦

エピローグ


主な登場人物

・大神由希 

主人公。朝夕デジタル新聞社東京社会部の調査報道を担 当するエ ース記者。30歳独身。天性の勘と粘り強さで' 政界の不正を次々と 暴いていく。殺人集団に命を狙われる中、仲間たちが殺されたりして苦悩しながらも、「真相の究明」に走り回る。

・下河原信玄 

内閣総理大臣、孤高の党代表。核武装した軍国主義国家を目指す。

・後藤田武士 

元大手不動産会社社長。大神の天敵。


★朝夕デジタル新聞社関係者

・橋詰 圭一郎 

東京社会部調査報道班記者。大神の1年下の最も信頼している相棒。

・井上 諒   

東京社会部デスク。大神の上司で、大神と行動を共にする。

・興梠 守   

警察庁担当キャップ。


★大神由希周辺の人物

・河野 進

「スピード・アップ社」社長。下河原政権の広報・宣伝担当に就任。大学時代の大神の先輩で婚約者だった。

・岸岡 雄一

「スピード・アップ社」のバイトから取締役へ。子供の時から「IT界の天才」として知られる存在。

・伊藤 楓

インターネット会社「トップ・スター社」を創設した伊藤青磁の長女。大神に憧れて記者になる。

・鏑木 亘

警視庁捜査一課警部補。夫婦とも大神のよき理解者。大神が時々夜回りに通う。

・永野洋子

弁護士。大神の親友でよき相談相手。反社会的勢力の弁護を引き受けることもある。

・田島速人

永野の夫で元財務官僚。総選挙で当選し、野党「民自党」副代表になる。


★下河原総理大臣周辺の人物

・蓮見忠一

内閣官房副長官。元警察庁警備局長。報道適正化法(マスコミ規制法)制定の責任者。        

・鮫島 次郎

内閣府特別顧問兼国家安全保障局長。下河原総理の指示で、最新鋭のミサイルとドローンの開発にあたる。いつも紺色仮面を被っている。

・江島健一

民警団大阪代表から、民警団本部事務局長になる。

・香月照男

民警団員。精鋭部隊入りを目指している。


★事件関係者

・水本夏樹

スーパー美容液を売るマルチ商法の会社経営者。会社倒産後、姿を消していた。

・水本セイラ

水本夏樹の一人娘。知能指数が際立って高い小学3年生で、謎の多い少女。

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