第24話 スパイは「K・Y」
報道規制に向けて、政権は矢継ぎ早に手を打ってきた。
社長会議の翌日、新聞、テレビ、出版、インターネットの報道記者38人に出頭命令がでた。記事を審査する内閣府報道管理局内に設置された「誤報・虚報調査特別委員会」が誤報と認定した記事を書いた記者で、成立したばかりのマスコミ規制法違反容疑だった。
報道管理局の担当職員と警察庁警備局特殊チームの刑事が一緒になって取り調べにあたる。
38人の中に、大神由希の名前が入っていた。
報道機関の現場が、ミサイル着弾の取材に追われる一方、管理職は、社長会議と出頭命令の対応をめぐって会議を重ねた。朝夕デジタル新聞では早朝から打ち合わせが始まった。編集局長、社会部長、政治部長のほか、井上社会部デスク、興梠警察庁担当キャップが参加。出頭命令が出た大神も呼ばれた。
「この出頭命令をどう判断するかだ。社会部長はどう思う」。鈴木編集局長が言った。
「異例も異例、あり得ないことです。ほかの新聞社の社会部長とも話をしたが、出頭させる社と、拒否する社が半々という感じです」
「北海道へのミサイル着弾と関係しているのか」
「報道管理局によると、誤報、虚報をピックアップし、記者の特定を進めてきた。出頭命令がミサイル着弾の3日後、社長会議の翌日になったのはたまたま重なっただけという説明だ」
「出頭した方がいい。そこで誤報ではないと主張すればいいんだ」と警察庁キャップの興梠は言ったが、社会部デスクの井上は違った。
「出頭について簡単に言わない方がいい。そもそも誤報とか虚報とか内閣府が決めること自体、問題だ。特に大神に対する出頭命令はおかしい。誤報と認定された記事は毒物混入事件の『重要参考人浮かぶ』と『一問一答』だと考えられるが、法が施行される前のことだ。ただ、政権はなりふりなど構っていない。社長に異例の脅しをかけたように相当な覚悟できている。大神は逮捕されるのではないか。そのまま帰って来なくなる可能性だってある」
社会部長も続いた。「本記を書いた興梠が呼ばれるのではなく、大神が呼ばれたことがポイントだ。『孤高の会』を支えた日本防衛戦略研究所の不正を暴いた中心人物が大神であり、狙い撃ちされているとみた方がいい」
「俺は安牌だと思われているわけだ」。興梠は不貞腐れたように言った。
「そのなげやりな態度はなんだ」。社会部長が叱った。「そもそも夏樹が容疑者として浮上したことをお前にリークした人物は誰なんだ。警察庁の最高幹部の1人としか聞いていないぞ」と社会部長が怒りを含んだ強い口調で問い質した。
「蓮見だ」。興梠はぶっきらぼうに言った。通常はこのような会議の場でネタ元を明かすようなことはしないが、興梠は蓮見に対して頭にきていたのと、社内の風当たりが強いので自棄を起こしていた。
「蓮見だって。内閣官房副長官の蓮見か」
「そうだ。マスコミ規制法の責任者である蓮見だ」
参加者は誰もが信じられないという表情を浮かべた。末席に座っていた大神も驚いて椅子からころげ落ちそうになった。胡散臭い提案をしてきた大阪府警本部長が「政権で隠然たる力を持っている」と言っていた男だ。「大神の行動を逐次報告してほしい」と言ったのは本部長だったが、蓮見が把握しておきたかったのだろう。あの時点で底意を見抜いていた橋詰記者の鋭さに驚かされる。
「蓮見は、警察庁のOBであるが現職ではない。君からはシンパについて警察庁の大幹部と聞いている。俺を騙していたのか」。社会部長が追及した。大神も現職だと思い込んでいた。
「蓮見は警察庁警備局長の経験者で今でも警備局全体に強い影響力を持っている。それと、政治家も含めた会食の場で、蓮見が夏樹のことを話したんだが、その席に現役の警備局長も同席していた」
「その警備局長も、夏樹が重要参考人だと言ったのか?」
「いや、言っていない。警備局長は毒物混入事件について何も話さなかった」
「やっぱりお前は我々を騙していたわけだ。記者が嘘をついたらおしまいだ。あの記事のおかげでわが社がどれだけ批判を受けて、読者の評価を下げたかわかっているのか。大神は取り調べまで受けた。蓮見は、国会でもわが社に対して最も手厳しいことを言っていた。総理の信頼も厚く、次期総選挙で立候補が噂されている。政権に批判的な立場のうちの社をうまく陥れたことで評価をさらに上げたのではないか。興梠ともあろうものがまんまとはめられるとはな」。社会部長の怒りは収まらなかった。
「『あの記事のネタ元は蓮見だった』と書いたらどうでしょうか。自分からネタを提供しておいて、『誤報』だと国会で発言するとは信じられない奴だ。蓮見の信頼を失墜させるきっかけになるかもしれない」。普段冷静な井上が珍しく憤って提案した。
「やめてくれ、それはなしだ。テープもとっていないんだ。否定されたら終わりだ。それにネタ元を晒したらとんでもないことになる」。興梠が懇願するように言った。
「デジタルで流すという手もあるぞ。わが社はこれまで陥れようとする敵に対して、正攻法で対応してきた。『報道の王道を歩むべきだ』と言って十分な対抗措置をとって来なかったが、もうそんな時代じゃない。卑劣な行為に対しては、卑劣な方法でもなんでもいいから仕返しをすることを考えるべきだ」。井上は譲らなかった。
「ネタ元をばらすというのは、報道の倫理にもとる行為だ。一線を越える行為だ。そんなことをしたらほかの取材先との信頼関係にもひびが入る」と興梠が言うと、社会部長の怒りが頂点に達した。
「黙れ。信頼関係をぶち壊したのは蓮見の方だ。そして、お前の嘘のせいですでにとんでもない事態を招いた。興梠は、今日付で警察庁担当をはずす。嘘をつき、結果、会社に甚大な損害を与えたということで懲戒処分を検討する。処分が決まるまで、当分内勤をしていろ。蓮見のことを記事にするという井上の提案は劇薬だが、後でデスク間で検討してくれ」。社会部長が興梠に辞令を出すと、興梠は不貞腐れたように席を立って会議室から出て行った。
「それにしても、大神を逮捕するなり、闇に葬るならばこれまでにも機会があったはずだ。この前に事情聴取された時に身柄を拘束しなかったのはなぜなんだ」。ぎすぎすした雰囲気になり、脱線気味だった会議の流れを編集局長が元に戻した。
「大神は世間でも知られた報道界のスターです。1回目の事情聴取の時は、弁護士の助言で複数の報道機関に事前に連絡しておいた。そのため取材が入り、聴取そのものが世間の注目を集めた。法律も成立していない段階で、さすがに逮捕はできなかったのだろう。相当きつい人格攻撃を受けたようだが」と井上が説明した。
「法律が成立して、さらに『準戦時体制下』であるということで、1回目とは状況は変わったということだな」。編集局長が聞くと、社会部長が「政権の支持率は一気にあがった。やはり、国が侵略の危機に見舞われそうな時は、現政権の支持率が急上昇するというのは歴史が証明しているが、その通りになっている。マスコミ規制法についても成立当時は支持、不支持が半々だったが、おそらく今はだれも反対しない。『孤高の党』の思惑通りに進んでいるので危険度ははるかに増した」と話した。さらに、「そもそも、北海道に落ちたミサイルはどこの国が撃ち込んだんだ。いまだに明らかにされていないなどあり得ないことだ」と再び話が脱線した。
「政府による自作自演の可能性だってある」と井上が言うと、政治部長が 「まさか、そんな記事を書こうというのではないだろうな。それこそ動かぬ証拠を揃えなければ。そんな国家が関わる極秘事項を暴ける記者がいればなあ」と焦って言った。
「いるとしたら、大神ぐらいだな」と井上が言うと、それまで黙っていた大神が発言した。
「私は、毒物混入事件の真相に迫るべく取材を続けていますが、なかなか真相にたどり着けません。国家機密を暴くなど私だけの力ではとても困難で容易ではありません。それと、今回の出頭命令にも私は応じるつもりです。1回目の聴取の時は、人格そのものを傷つけるような言い方をされてまともに自分の意見を言えませんでした。今度は、しっかりと自分の意見を主張します。毒物混入事件に関するあの記事が『誤報』なのかどうかは意見が分かれるところですが、感触としては夏樹さんが混入したものではないと考えています。真犯人が現れていないので訂正やお詫びを書けないのは苦しいところです。ただ、夏樹さんでなければ誰なのか。背後で操っている人物はいないのか。その意図はなにか。複雑な背景があるはずです。それを突き止めなければなりません。橋詰記者も取材の過程で襲われた。私は真相を突き止めます。出頭して、取材の意味について説明します」
「そんなことを説明したって無駄だろう。ノーテンキなお嬢さん記者だ。相手は言論封鎖を狙い、その象徴として大神という著名なジャーナリストを摘発しようとしているんだ。逮捕ありき、もっと言えば抹殺されることも考えなければならない。俺の知人で、政権に批判的なドキュメンタリー番組を制作した遠山大和記者も行方がわからなくなっている」と井上が言った。遠山記者は、大神が警部補宅に夜回りした時に名前が出た人物だ。
「いずれにしても厳しい取り調べが待っているな」と編集局長がため息をついた。
「政治部としてはうちの部員に出頭命令がでれば、出頭させる。そういう法律ができてしまったのだから仕方がない。これに従わなかったら指名手配されてしまうだけだ。新聞社も捜索されるだろう。輪転機がとめられることになるかもしれない」と政治部長は弱気になって言った。
結局、出頭命令に応じるかどうか決まらずに、それぞれが情報を分析して、3時間後に再び集まることになった。
大神は出頭しようと決めていた。何より逃げるのが嫌だった。身に危険が及ぶことがあるというのは、記者を目指した時から覚悟していた。仮に逃げて手配されれば逃げおおせるものではない。逮捕されることになっても、裁判になれば、その場できちんと説明すればいい。もっとも裁判になるまで命があれば、の話ではあるが。
大神が社会部に戻ると同時に来客があった。
スピード・アップ社記者の伊藤楓だった。
会議室で2人になった。
「大神先輩に出頭命令が出たことはもちろん知っていますよね」。向かい合わせの席に着くなり楓が聞いた。いつも照れ隠しのようにおどけて話し始める楓だったが、いきなり真剣な表情で本題に入った。
「ええ。今、その取り扱いについて社内で打ち合わせしていたところよ。なんで私の出頭命令のことを楓が知っているの」
「うちの社は、政府系のメディアですからね。出頭を命令された38人の氏名をすべて把握しています。間もなく公表される予定です。大神先輩はどうされるつもりですか」
「私は出頭するつもりよ。記事になった経緯については答えられる範囲で説明する。なぜ訂正、お詫びを出せないかについても話そうと思っている」
「だめです」。楓が興奮気味に言った。「出頭したらだめです。今すぐ逃げてください」
「どういうこと? 私は逃げるつもりはないわ」
「おかしいんです。38人の出頭命令の前にも、マスコミ関係者は何人も取り調べを受けています。問題はその後なんです。帰宅していない人がいるんです。行方不明になっているんです」
「行方不明? 逮捕されたということ?」
「逮捕ではない。そんな手続きは踏まれていない。どこかで監禁されているのか、拷問されているのか、まったくわからない。とにかく出頭命令に応じるのは危険です」
「拷問って本当なの?」。橋詰も報道記者が襲われる事件を調べていた。いずれも「民警団」が加害者側だった。法施行後は、政権が表に出てきて堂々と弾圧していくと言うのか。自ら手を汚すことにためらいさえもなくなってしまったのか。
「誤報というのはあくまで呼び出すための口実です。その後は政権に従順になるように転向させるのです。誓約書を書かせると聞いています。書いた人は帰宅が許される。書かない人は行方不明になる。独裁者が支配する専制国家では当たり前になった光景ですが、それを参考にしているかのようです」
「そんなバカな。裁判も受けられないなんて、日本は民主国家なのに」
「民主国家から専制、独裁に変わっていく過渡期なんです。大神先輩は楽観的すぎます」
「具体的に何かをつかんでいるの?」
「見たんです、『ターゲット・リスト』を。河野さんが作成に協力したリストを」
「報道機関の記者のブラックリストね」
楓はなんで大神が知っているのかと驚いた表情を浮かべた。大神が河野と別れるきっかけになった文書だ。河野が作成に加担し、大神の名前を書きこんだ。あれから月日が経った。より精緻なものになっているのだろう。
「それともうひとつ。各社に記者として送り込まれているスパイのリストもありました。とにかく、私を信じてください。逃げてください」。伊藤楓は政権の中枢に近いところにいる。その言葉には説得力があった。
「わかったわ。社内の打ち合わせが2時間半後にあるからその場で諮るわ」
「そんな悠長なことを言っていたらだめです。権力側に情報を漏らしている人間が必ずいるんです。そうだ、大神先輩の周辺に、アルファベットの頭文字が『K・Y』という人はいますか」
「さあ、すぐには思いつかない」
「その人が、朝夕デジタル新聞に送り込まれた権力側のスパイです。権力側に社内の状況を逐次報告しているんです。リストにはアルファベットしか書かれていなかった」
その時だった。大神の携帯が鳴った。
司法を担当する社会部デスクの「山本和夫」からだった。3年前に途中入社で入ってきた。
「K・Y」だ。大神はぞっとして瞬間、固まった。
(次回は、■大神 山奥で一人ぼっち)
★ ★ ★
「暗黒報道」目次と登場人物
目次
プロローグ
第一章 大惨事
第二章 報道弾圧
第三章 ミサイル大爆発
第四章 孤島上陸
第五章 暗号解読
第六章 戦争勃発
第七章 最終決戦
エピローグ
主な登場人物
・大神由希
主人公。朝夕デジタル新聞社東京社会部の調査報道を担 当するエ ース記者。30歳独身。天性の勘と粘り強さで' 政界の不正を次々と 暴いていく。殺人集団に命を狙われる中、仲間たちが殺されたりして苦悩しながらも、「真相の究明」に走り回る。
・下河原信玄
内閣総理大臣、孤高の党代表。核武装した軍国主義国家を目指す。
・後藤田武士
元大手不動産会社社長。大神の天敵。
★朝夕デジタル新聞社関係者
・橋詰 圭一郎
東京社会部調査報道班記者。大神の1年下の最も信頼している相棒。
・井上 諒
東京社会部デスク。大神の上司で、大神と行動を共にする。
・興梠 守
警察庁担当キャップ。
★大神由希周辺の人物
・河野 進
「スピード・アップ社」社長。下河原政権の広報・宣伝担当に就任。大学時代の大神の先輩で婚約者だった。
・岸岡 雄一
「スピード・アップ社」のバイトから取締役へ。子供の時から「IT界の天才」として知られる存在。
・伊藤 楓
インターネット会社「トップ・スター社」を創設した伊藤青磁の長女。大神に憧れて記者になる。
・鏑木 亘
警視庁捜査一課警部補。夫婦とも大神のよき理解者。大神が時々夜回りに通う。
・永野洋子
弁護士。大神の親友でよき相談相手。反社会的勢力の弁護を引き受けることもある。
・田島速人
永野の夫で元財務官僚。総選挙で当選し、野党「民自党」副代表になる。
★下河原総理大臣周辺の人物
・蓮見忠一
内閣官房副長官。元警察庁警備局長。報道適正化法(マスコミ規制法)制定の責任者。
・鮫島 次郎
内閣府特別顧問兼国家安全保障局長。下河原総理の指示で、最新鋭のミサイルとドローンの開発にあたる。いつも紺色仮面を被っている。
・江島健一
民警団大阪代表から、民警団本部事務局長になる。
・香月照男
民警団員。精鋭部隊入りを目指している。
★事件関係者
・水本夏樹
スーパー美容液を売るマルチ商法の会社経営者。会社倒産後、姿を消していた。
・水本セイラ
水本夏樹の一人娘。知能指数が際立って高い小学3年生で、謎の多い少女。
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