第22話 北海道北西部にミサイル着弾

 下河原総理の記者会見が午後4時から始まった。総理の執務室はこの日は、お台場の「メディアセンター」最上階だった。会見の模様は地上波テレビの大半が中継した。


  「みなさん、核シェルターを準備していますか。敵国からの核ミサイル攻撃に備えなければなりません。決して驚かそうとしているのではありません。総理大臣として世界で今起きている戦争、紛争を目の当たりにし、それぞれの国の首脳と会談を繰り返して得た確信です。核シェルターの普及率は先進国の中で日本は最下位です。危機感がなさすぎる。私は公約通り、日本国も近い将来核武装することが必要だと考えています。混とんとした世界情勢の中で、日本が自立していくために必要な『備え』なのです。強力な武力を持たない限り、常に『軍事大国』の威嚇に怯えていなければならない。軍事的弱小国であり続ける限り、いざという時の発言力はありません。果てには、滅亡が待っているのです。核シェルターを造っても、使わなくて済む国にしていくためには、日本が強国になることが必要なのです。次々に手をうっていかなければならない。時間がないのです。私だけが焦っていてもダメです。ぬるま湯に浸かっていてはいけません。私が推し進めていく政策への協力をよろしくお願いします。憲法を改正して、首相公選制への移行を進めます。そして近い将来、大統領制に移行し、多くの権限を集中させていきます。スピード感を持った政権運営こそが危機的な状況を打開するために最も大事なことなのです」


 下河原の演説は平易な言葉で、よどみなく続いた。憲法改正の必要性、防衛力、攻撃能力増強の重要性を説いた。

 「最後になりますが、強調したいことがあります。政権が推し進める政策に対して、抵抗する者に対しては、強い姿勢で臨みます。一部マスコミはありもしないことをでっち上げている。権力チェックではなく権力批判ばかりしている。そんなマスコミを規制する法律がようやく成立しました。その趣旨にのっとって、強力にマスコミ改革を進めていきます」


 30分にわたる演説だった。下河原は、河野が用意した原稿を全く見ずに、内容もほとんど変えていた。それでも流暢にわかりやすく国民に語りかけた。

 記者から次々と質問がでた。

 「戦時下に近い状況を想定して核武装など改革を進めていくということだが、話し合いによる外交交渉に重点をおくべきではないか」

 「核武装については、抵抗を感じている国民が多い」

 「報道は民主主義の根幹だ。報道を平時から規制するような法律は時代に逆行している」

 批判的な質問も出たが、下河原総理は余裕でかわしていった。

 最後の質問として、フリーライターがマイクを持ったその瞬間だった。

 突然、記者会見場に「ウーウーウー」と大きな警報音が鳴り響いた。

 「地震か」。誰もがそう思った。下河原も周りをきょろきょろして落ち着かない様子だった。

 紺色仮面を被った男が会見場に現れた。内閣府特別顧問兼国家安全保障局長の鮫島次郎だ。足早に壇上の下河原に近づき耳打ちをした。

 「なに、今、なんと言った?」。下河原の表情が一変した。眉を吊り上げ厳しい顔に豹変した。体が小刻みに震え出した。

 鮫島が再び、下河原の耳元で囁いた。下河原から会見で見せていた余裕の表情は消え去った。珍しい取り乱しようだった。


 「緊急事態が発生しました」。記者、カメラマンの目が一点に集中した。すさまじい緊張感に包まれた。

 「日本に向かって数発のミサイルが発射され、日本本土に着弾したという情報が入りました」

 「えー」という驚きの声が会場を包んだ。

 下河原が、震える声で続けた。

 「恐れていたことが現実に起きてしまった。落ち着いてください。しばらくお待ちください。情報の精度を確認した上で状況を説明します」。紺色仮面の鮫島がスマホの画面を見ながら、下河原に囁いた。最新の情報が刻々と入ってきているのだろう。

 

 「北海道だ。3発とも北西部に着弾した。森林地域のようだ。いずれにしても、非常に危険な状況です。国民のみなさん、十分に警戒をしてください。核シェルター、鉄筋の建物、厚いコンクリートの陰などに避難してください。政府からの情報に細心の注意をはらうように」


 下河原は壇上を降りて消えた。報道陣はハチの巣をつついたような騒ぎになった。会見を中継していたテレビはそのまま緊急特番に切り替わった。しかし、情報が少なすぎてアナウンサーが「ミサイルが北海道北西部に着弾した模様。国民のみなさん、今すぐ安全な場所へ避難をするように」と繰り返すばかりだった。

 防衛大臣、外務大臣、官房長官らによる「緊急事態大臣会合」が招集され、北海道での状況についての報告と分析、今後の対応がリモートで話し合われた。

 記者らの持っているスマホが一斉に鳴り響いた。全国瞬時警報システム(Jアラート)が作動したのだ。全国民への警報だった。ミサイル着弾の情報と安全な場所への避難の呼びかけだった。元来は、ミサイルが飛来するという情報がキャッチされた段階ですばやく発出されるものであるが、すでに北海道に着弾した後の連絡となった。ミサイルが撃ち込まれたことは、本当に起きた現実であることを誰もが確信した。


 30分ほどして、下河原総理大臣が再び会見場に現れた。

 「日本全土に非常事態宣言を発令します。危険が迫っています。国民のみなさんは屋内に避難するように。外出は避けてください。現在把握しているところでは、北海道の北西部の山中に3発のミサイルが着弾しました。巡航ミサイルと思われます。日本海からオホーツク海方面の海上から発射された模様ですが、詳しくは調査中です。いかなる攻撃に対しても対応できる態勢をとります」

 質疑に移った。鮫島特別顧問が司会を務め、下河原総理が直々に答えた。

 「被害状況を教えてください。死傷者はでているのでしょうか」

 「今のところ、死傷者の情報は入っておりません。大規模な山火事が発生しており、消火にあたっています」

 「どこからの攻撃なのか。『ノース大連邦』なのか、『北方独国』なのか。それとも別の国か」

 「現在、確認を急いでおります」

 「事前に察知できなかったのか」

 「その通りです。痛恨の極みです」


 「同盟国の『ウエスト合衆国』、『南方民国』からの情報はないのか」

 「同盟国とは連絡を取り合っています。発射地点は海上です。正確な場所については確認を急いでおります」

 「ミサイルがどの国からの発射なのかわからないというのはどうしてなのか」

 「潜水艦からの発射の可能性があります。周辺諸国には連絡を取りましたがどの国も北海道に向けてのミサイルの発射を否定しました」

 記者に対して、いつも傲慢ともいえる態度をとる下河原総理だが、今は丁寧な受け答えに終始した。

 「敵国がさらに攻撃してくる可能性は」

 「もちろんあります。そのためにも最大限の態勢を取ります」

 「戦争になるのか」

 「可能性は十分にあります」

 「どういう態勢を取ったのか」

 「これ以上のミサイルが飛来すれば撃ち落とせるように万全の対策を取ります。さらに自衛隊の戦闘機がスクランブル発進し、いつでも攻撃態勢に入れるようにしております。どのような事態になっても国民の安全を守るための態勢を敷いております」

 「防衛だけでなく、攻撃できる態勢も取っているということか。敵基地攻撃も準備しているのか」

 「すぐにでも敵基地攻撃が可能な態勢を取りました」

 「具体的に説明してほしい」

 「詳細は極秘事項になります」

 「被害者は出ていない模様とあるが、現場周辺は今どうなっているのか」

 「周辺の広い地域を立入禁止にしました。現在、消防のほかに、自衛隊の応援部隊も出動し、広い範囲で消火活動を進めております。陸上、上空とも立入禁止なので注意をお願いします」


 「報道機関として現場撮影にヘリを向かわせました。正確な場所を教えてください」

 「ヘリによる撮影はやめてください。引き返すように。危険です。一帯を飛行禁止区域に指定します」

 「現場を撮影できないということですか」

 「非常事態なのです。不用意に近づくと敵と見なし、撃ち落とす可能性があります。現場の映像は自衛隊が撮影したものを間もなく提供します。自衛隊を北方に集結させます。マスコミのみなさんも会見で出た情報だけを正確に流すようにしてください。くれぐれも国民を惑わすようなことはしないように」

 間もなく、山林が燃えている映像が防衛省のホームページに流れた。

 テレビ局は早速その映像を取り込んで流した。ミサイルが着弾したのは山中で、周囲に住宅はなかった。第二次世界大戦の終戦後、日本にミサイルが落とされた初めてのケースとなった。


 世界中で戦争、紛争が起きていても、国民はどこか他人事だった。傍観者だった。だが、遂に日本も戦争に突入するのか。戦争の当事者になってしまうのか。テレビとネットのニュースが、ミサイル着弾のニュースだけになった。


 パニックになっているのは会見場だけではなかった。日本中のあちこちで騒動が巻き起こっていた。企業は社員に帰宅を促した。社長らは、災害時の対応マニュアルを取り出して、いざと言う時の対応を確認したが、戦争を想定したものではなく、なんの役にも立たなかった。駅には人が殺到した。帰宅困難者が多数出て大混乱に陥ることがすでに予想された。

 誰もが一体どうすればいいのか分からず茫然とし、家にいる者はテレビにくぎ付けになり、外に出ている者は、スマホにかじりついた。


 下河原は、会見場を離れて「メディアセンター」最上階の執務室に戻った。鮫島も続いた。下河原はソファにどっかりと座り、深々と息を吐いた。

 「今のところは計画通りに進んでいると言っていいのか」

 鮫島は「ヒヒヒ」と奇妙な声を出した後、「はい、計画通りです。総理の演技力は見事でした。慌てふためく様子は迫真でした」と言った。時々、小刻みに足を震わせている。下河原はその動作が気味悪く、気になって仕方なかったが気付かないふりをした。

 

 「だが、大丈夫なのか。『巡航ミサイルが発射された地点が不明』ということについて、『おかしい』という見方がでてくるぞ。『どこの国からの攻撃なのか』についても当然のことながらたびたび聞かれる。防衛大臣のところには、同盟国から問い合わせが殺到している。平和の国ニッポンが攻撃されたとして、想定を超える反応が世界中で起きている。これからはさらに突っ込んだ質問が集中するぞ」


 「大丈夫、心配無用です。すべてが想定内です。明日には、北海道近辺の排他的経済水域外の海上からの発射と発表します。場所もある程度特定します。どこの国でも航行できる場所です。ミサイルを発射した潜水艦が所属している国については不明を貫きます」

 「よく某国はミサイルの発射を了解したな」

 「それは、総理の外交交渉が的確に行われてきたからでしょう。緻密な打ち合わせを繰り返し、1秒たりとも狂いはありません」

 「それにしても混乱の極みだな。政府が重要なことを隠していると評論家連中が騒ぎだしそうだ。マスコミを締め付けないといけない。勝手に動かれるとまずい」

 「『国民の危機意識を揺さぶれ』というミッションは完遂できます」

 「確かに『具体的なアクションを起こせ』とは言ったが、実際にミサイルを北海道に撃ち込むとはな。そこまでは俺も考えてなかった。まあ俺が模範としている独裁国家は国民をだますためになんでもやっているから、どうってことないけどな。とにかく情報管理を徹底しろ。この『北海道Gプロジェクト』の実情を知っているのはごく限られた者だけだ。漏らした奴は死刑にすると言っておけ」

 「わかりました」


 「やっかいなのが報道だ。調査報道ってやつだ。独自の視点で権力の裏側に迫ってくる。なによりマスコミ対策が大事だと、専制国家の君主たちから口酸っぱく言われ続けた。国民に真実なんて知らせる必要はないのだ。とにかくマスコミを押さえろ。そのために、マスコミ規制法を成立させたのだ。あの法律を使えば、なんでもできる。権力に盾突く奴は極刑にでもできる。蓮見に言って、目障りな記者を一刻も早く排除しろ」

 下河原の頭の中に、一瞬、1人の女性記者の姿が浮かんだ。


 下河原はタバコを1本吸い終わったところで立ち上がった。

 「今日の俺の出番はここまでだ。あとは任せる。しばらく休ませてくれ」

 下河原はそう言うと、すたすたとその場を離れて奥の仮眠室に入った。鮫島の不気味な笑いを見ると気分が悪くなる。何とも言えない異臭もした。あいつは一体何を食っているんだ。2人だけで長くは話したくなかった。

 ミサイル着弾についての記者会見は断続的に続いた。官房長官、防衛大臣、鮫島が対応した。

 翌日、ミサイルが発射された場所についての発表があった。北海道の西方沖、日本海の排他的経済水域外からだった。しかし、どこの国からの発射かについては説明がなかった。核は搭載されていなかった。山林火災が発生したが半日かかって消火された。死傷者はいなかった。

 国民の不安は一気に高まった。核シェルターの設計、建設業者への注文や問い合わせが殺到した。

(次回は、■「独自取材の禁止」を通告)


★      ★       ★

小説「暗黒報道」目次と登場人物           

目次

プロローグ

第一章 大惨事

第二章 報道弾圧

第三章 ミサイル大爆発 

第四章 孤島上陸

第五章 暗号解読 

第六章 戦争勃発 

第七章 最終決戦

エピローグ


主な登場人物

・大神由希 

主人公。朝夕デジタル新聞社東京社会部の調査報道を担 当するエ ース記者。30歳独身。天性の勘と粘り強さで' 政界の不正を次々と 暴いていく。殺人集団に命を狙われる中、仲間たちが殺されたりして苦悩しながらも、「真相の究明」に走り回る。

・下河原信玄 

内閣総理大臣、孤高の党代表。核武装した軍国主義国家を目指す。

・後藤田武士 

元大手不動産会社社長。大神の天敵。


★朝夕デジタル新聞社関係者

・橋詰 圭一郎 

東京社会部調査報道班記者。大神の1年下の最も信頼している相棒。

・井上 諒   

東京社会部デスク。大神の上司で、大神と行動を共にする。

・興梠 守   

警察庁担当キャップ。


★大神由希周辺の人物

・河野 進

「スピード・アップ社」社長。下河原政権の広報・宣伝担当に就任。大学時代の大神の先輩で婚約者だった。

・岸岡 雄一

「スピード・アップ社」のバイトから取締役へ。子供の時から「IT界の天才」として知られる存在。

・伊藤 楓

インターネット会社「トップ・スター社」を創設した伊藤青磁の長女。大神に憧れて記者になる。

・鏑木 亘

警視庁捜査一課警部補。夫婦とも大神のよき理解者。大神が時々夜回りに通う。

・永野洋子

弁護士。大神の親友でよき相談相手。反社会的勢力の弁護を引き受けることもある。

・田島速人

永野の夫で元財務官僚。総選挙で当選し、野党「民自党」副代表になる。


★下河原総理大臣周辺の人物

・蓮見忠一

内閣官房副長官。元警察庁警備局長。報道適正化法(マスコミ規制法)制定の責任者。        

・鮫島 次郎

内閣府特別顧問兼国家安全保障局長。下河原総理の指示で、最新鋭のミサイルとドローンの開発にあたる。いつも紺色仮面を被っている。

・江島健一

民警団大阪代表から、民警団本部事務局長になる。

・香月照男

民警団員。精鋭部隊入りを目指している。


★事件関係者

・水本夏樹

スーパー美容液を売るマルチ商法の会社経営者。会社倒産後、姿を消していた。

・水本セイラ

水本夏樹の一人娘。知能指数が際立って高い小学3年生で、謎の多い少女。


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