第19話 相棒橋詰の悲劇

 民警団精鋭部隊の存在を、橋詰が香月から聞いてから3日後の日曜日。

 地元商店街の秋祭りがあった。民警団員たちは手伝いに駆り出されていた。橋詰も朝から参加し、演芸会が開かれる舞台の設定をした。祭りが始まってからは、子供相手の的あてゲームを担当し、列をなす子供たちにボールを渡したり、景品を贈呈したりした。


 祭りが終わったのは午後7時だった。舞台の片づけも終え、いつものように、打ち上げが始まった。橋詰は香月の隣に座ったが、香月はぶすっとしていて機嫌が悪かった。どうも、秋祭りの後にバイトの女子大生と2人だけになろうと誘ったが断られたらしい。

 「あの子はおまえに気がある」。香月が唐突に橋詰に言った。

 「まさか」

 「いや、店でも料理を運んでくる時、お前の方をいつも見ている。料理も同じものを注文してもお前の方が量が多い」

 「そんな気のせいですよ。バイトの裁量で増量なんてできないでしょ」。橋詰は笑いながら言った。


 「気のせいではない」。香月は真剣だった。考え込んでいたが、意を決したように言った。

 「実は、今日の祭りにも誘ったんだ。『来ないか』って。そしたらあの女、なんて言ったと思う?」

 「さあ」

 「『橋詰さんも祭りの手伝いに行かれるんですか』と言ったんだ」

 「えっ、本当ですか」。困ったことになったと思った。

 

 香月はビール、日本酒を次々に注文しては一気飲みしていた。すでにぐでん、ぐでんになり酔いつぶれた。

 「今日は帰りますよ。香月さんもこれぐらいにしましょう」

 「てめぇ、逃げるのか。お前、いつ、あの子にちょっかいを出したんだ」

 「そんな、何もしていませんよ。それではお先に」


 橋詰は1人で逃げるように店を出た。自宅マンションに帰ってからそのまま着替えずにベッドに倒れ込んだ。朝からの慣れない作業はきつかった。そして打ち上げと続き、香月ほどではないにしても、橋詰も相当アルコールを飲んでいた。香月とはもう話をするのはやめようと思った。


 うとうとしたその時、インターフォンが鳴った。

 時計を見ると午後11時を回っていた。

 「誰だ、こんな時間に」。ベッドから起き上がって、インターフォンの画面を見た。 マンション正面の玄関前に立つ男の姿が映し出された。

 香月だった。酔っているのかと思ったが、神妙な顔をしていた。

 「開けてくれ」

 「こんな時間にどうしたんですか」

 「いいから開けてくれ。頼む」

 「また、からむんでしょ。すべては誤解なんですから。今日はこんな時間だし勘弁してくださいよ」

 「頼む、開けてくれ。謝りたいんだ。すぐに終わる」


 橋詰はやむなくボタンを押してマンション1階の正面玄関のドアを開けた。香月は3階の部屋まで上がってくるはずだ。自宅のカギのロックを外した。

 部屋の外で音がすると同時に、ドアが開いた。すると、覆面をした男たちがいきなりなだれ込んできた。

 「なんだ。お前たちは」

 橋詰は叫んだがいきなり、殴る蹴るの暴行を受け、廊下に倒れ込んだ。

 「ブンヤの兄ちゃん、何をこそこそ調べているんだ。香月みたいな気のいいバカをたぶらかしてパスワードまで聞き出してよ。精鋭部隊の内情を探りやがって」。覆面の男の1人が言った。

 「そんな」

 「調べはついているんだ。朝夕デジタル新聞社会部の記者橋詰圭一郎だろう。ブラックリストにも載っているぞ」


 橋詰はもう言葉を発する力が残っていなかった。それでも男たちの容赦ない蹴りが顔面や腹部を襲った。骨が折れるような音がした。男たちに抱えられるように部屋からマンションの玄関口まで連れ出された。

 玄関脇の植木に香月がもたれかかっていた。

 「香月さん、助けて」。声を振り絞って呼びかけた。しかし、酔って眠ってしまっているようで反応はなかった。橋詰はそのまま道路の横を流れる川に投げ込まれた。

流されているのをたまたま通りがかった人が見つけて救助され、病院に運ばれた。


 「橋詰が襲われ瀕死の重傷を負った」

 連絡を受けた新聞社の幹部や同僚が未明から早朝にかけて次々に病院にやってきた。大神はこの日は東京にいた。警察庁から2度目の出頭要請が来た場合の対応を協議するために社会部長に呼ばれていたのだ。タクシーで駆け付けた。

 「無事でいて欲しい」と願ったが、橋詰は意識不明で重体のままだった。

 橋詰が深い眠りに入っている病室の前で、橋詰の母親が顔を覆って泣いていた。父親が駆け付けた人に状況を説明していた。


近くに背の高い女性が立っていた。大神に近づいてきた。

 「大神さんですね。橋詰さんから大神さんのことはよく聞いています。ご活躍ぶりを話しては『自慢の先輩なんだ。俺もなんとか役に立ちたいんだ』と言っていました」

 女性は橋詰の婚約者だった。近く籍を入れて半年後に結婚式を挙げる予定だという。

 「まさかこんなことになるなんて」。大神はそれ以上、言葉が出なかった。

 「大神さんと2人でお話がしたいのですがいいですか」。2人は病室の前から離れて、1階のフロアの長椅子に座った。


 「実は、病院には私が一番先に着いたんです。緊急手術した直後でした。その時は、橋詰さんはまだ意識があったのです。でも話すことはできなくて。メモ用紙とボールペンを渡すと、彼は必死に文字を書きました。ご両親と私宛と思われるメモを受け取りました」。婚約者はそこで言葉に詰まった。涙が溢れだしていた。何度目なのだろうか。すでにくしゃくしゃになっていたハンカチで涙をぬぐいながら続けた。

 「橋詰さんの意識がなくなる直前に最後の力を振り絞って書いたメモがこれです」

大神が受け取った。

 

「せんぱいのこと、そんけいしていました。たのしかった。いっしょにしゅざいできなくなることがざんねんです。みんけいだんのせいえいぶたい。しんそうのきゅうめい、おねがいします」


 ミミズのような字で書かれていた。力がはいらなかったのだろう。

 大神の目から涙があふれてきた。そしてたまらず大声を出して泣いた。

 「このメモは大神さん宛のメモではないでしょうか」

 「そうだと思います」。なんとか声を振り絞って言った。

 「みんけいだん」は「民警団」で間違いないだろう。「せいえいぶたい」は「精鋭部隊」なのだろうか。

 「大阪での橋詰君との最後の取材は民警団でした。東京に戻ってからも取材を続けていたのでしょうか」。大神が婚約者に聞いた。

 「私はわかりません。ただ、日曜日に会えないかと誘ったら、祭りの手伝いに駆り出されていると言っていました」

 「ありがとうございます。貴重な情報です」。大神は感謝した。


 橋詰が襲われた事件は男女関係のもつれから起きたとされた。香月が交際していた女性に橋詰がちょっかいを出したことでけんかになり、川に落ちたことになっていた。香月が傷害容疑で逮捕された。

 「酔っぱらってよく覚えていないが、橋詰が俺の女を横取りしたから痛い目に遭わせるつもりだった。こづきあっているうちに川に落ちたようだ。ただ、よく覚えていないんだよな」と香月は供述したらしい。


 「そんなバカな。婚約者までいるというのに」。大神は練馬署に行き、副署長に訴えた。

 「確かにこづきあっていたというのは疑わしい。一方的に激しくやられている。香月は空手の有段者だ。奴の手足は危険な凶器だ」と副署長は言った。

 「女を横取りしたなんてあり得ません。民警団の精鋭部隊による計画的な犯行です。集団リンチです。徹底的な捜査をお願いします」。大神は強く訴えたが、副署長は「香月が自供しているからな。酔っていたから、供述はあいまいではある。君が言う線も調べてはみる」と言った。やる気は感じられなかった。


 橋詰の意識は戻ることはなかった。手術から2日後、死亡した。

 相棒だった橋詰が死んだ。大神のショックはあまりにも大きかった。

 地方総局から同じ時期に東京本社社会部の所属になり、調査報道班で共に働いた。いつも一緒に仕事をした。なにか仕事を頼むと、必ず「勘弁してくださいよー」と返ってくる。だが、仕事の中身をきちんと説明すると、真剣な眼差しに変わる。そして、自分の役割に納得すると、取材はいつも完璧にこなした。憎まれ口をたたき合った。橋詰が彼女にふられるたびにはやしたてたりもした。


 橋詰が婚約していたことは聞いていなかった。結婚してからびっくりさせようと思ったのだろう。とても落ち着いた素敵な女性だった。橋詰が誇らしげに自慢する姿を見たかった。

 一体、誰が橋詰をこんな目に遭わせたのか。怒りが込み上げてきた。本当に香月なのか。なぜ橋詰が標的になってしまったのか。


 婚約者から、橋詰の取材ノートを見せてもらった。きれいな字でぎっしりと書かれていた。

 民警団についてのメモだった。橋詰が民警団に入団していたことを初めて知った。入団後の出来事が整理されて書かれていた。

 「なんで私に言ってくれなかったの」とノートに向かって叫びそうになった。橋詰は民警団が疑惑の多い組織だとして取材を続けていたのだ。江島の取材がきっかけだったのだろう。完璧な取材だった。マスコミ規制法の対応に追われていた自分が情けなくなった。

 そして橋詰は死んでしまった。どうしようもない無力感にとらわれた。


 大神はその夜、新宿の居酒屋にいた。

 ビールに日本酒にと相当飲んで酔っ払っていた。

 向かいの席には、永野洋子が座っていた。永野は山手組系暴力団の弁護を担当することもある。酒は誰よりも強かった。

 「まさか、橋詰君がね。一体なにがあったの?」。永野が聞いた。

 「民警団の実情を把握するために入団していたようです。民警団には闇の精鋭部隊があるらしい。取材で危険な組織であるという秘密を突き止めたので殺された可能性があります。なんで民警団に入る時に相談してくれなかったのか」

 「大神記者はいつも忙しくしているからね。民警団について核心部分を突き止めてから報告しようとしたのでしょう。それにしても民警団という組織は気味が悪いわね。組織の実態はつかめているの?」

 「よくわからない。全国各地でばらばらに結成されていっているようです。民警団の全国総会が開催されることが決まったというニュースは見ましたが、日時、場所は未定となっていました。毒物混入事件で容疑がかかった夏樹さんのマンションの所有者は民警団大阪の代表でした。もう一度会って民警団のことを詳しく聞いてきます」

  「その男も気を付けた方がいいわね。安易に会いに行ったりしたら危険よ。相手からしたら『飛んで火にいる夏の虫』みたいなものでしょう。とにかく、敵が狙う本命は、あなたよ。あなたにも危険が迫っていると考えた方がいい」


 「私はどうなってもいい。記者を辞めようと思っています。取材した夏樹さんが亡くなり、もっとも信頼していた橋詰記者も殺されてしまった。彼を民警団の取材に誘ったのは私なんです。責任は私にあります。だから、もう記者は続けられない。取材する気力もわかない。私1人ではなにもできません」

 「何を言っているのよ。しっかりしなさいよ」。永野は強い口調で言った。

「大神由希がやらなくて誰がやるのよ。泣き言いうのも大概にしなさいね。あなたが殺したの? 橋詰君をあなたが直接殺したのだったら、辞めるしかないわね。死刑になるしかないわね。そうじゃないでしょ。橋詰君は三角関係のもつれで殺されたんだって。冗談でしょ。真犯人は逃げているのよ。背景をさぐるのよ。突き止めなさいよ。橋詰君も『真相を究明してくれ』って書いていたんでしょ。命を賭けて取って来たネタを今後の取材に生かしていく。それがあなたの責任の取り方よ。辞めるなんていつでもできるから。私も自分なりに情報を取ってみるわ」

 永野は相当きつい調子で大神を叱った。大神は「真相究明」という言葉にビクッと反応し、少しだけ酔いが醒めた。


 「さあ、帰るわよ。タクシーで送って行くから。落ち込むのは仕方ないけど、しっかり立ち直ってね。しばらく休んだ方がいいかもね」。永野が大神を担ぎ上げて店を出た。

 午前零時を回っていた。


(次回は、第三章 巡航ミサイルが着弾し大爆発■大神の元カレは内閣府顧問)

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