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「黒沢くんっ……!」

 目蓋を開けると、真白の顔が目の前にあった。だから、いつも近いんだよ。

 オレは声に出すより先に、ぐいと真白の肩を押した。

「よかったです、黒沢くんが帰って来てくれて! 本当に、本当に、よかったですーっ!!」

 真白は、わんわんと大声を上げて抱きついてくる。ええいっ、うるさい! やっぱり、あの世界にとどまっていればよかった。

 少しばかり後悔していると、

「一度ならず二度までも私の魔法を解くなんて」

 そんな声が頭上から降ってきた。顔を上げると、エムリスが冷ややかな顔でオレたちを見下ろしていた。

「あなた、どうして戻って来たの? あの世界は、あなたが望んでいた世界じゃない。それに今もまだ望んでいるんでしょう?」

 ゆらりとエムリスが近寄って来る。また魔法をかける気か?

 彼女はオレの前で立ち止まると、オレの顔に手をかざす。が、その手をオレは、思いっ切り振り払ってやる。

「そんな……。私の魔法が効かないなんて……!」

 エムリスは、初めて顔を崩した。人間らしい血の通った顔だ。

「お前には悪いが思い出したんだよ、大切なことを。生憎だが、オレはファンタジーが大嫌いなんだ! 魔法だなんだ、やりたいなら、よそでやれ。オレまでファンタジーに巻き込むなっ!!」

 腹の底から叫んでやる。だがエムリスは、オレの前からいなくならない。

「いいえ、人間の欲に果てなんてない。魔女は、ずっと人間どもの願いを叶えてきたんだから。そう、願うということは、呪うということ。それでも人間どもは、私たち魔女にすがってきた。自分の欲望を叶えるために。たとえ誰かの身を、あまつさえ、その身を削ることになろうとしても」

「確かにエムリスちゃんの言う通りです」

 真白の声が、エムリスのそれに重なった。

 エムリスは、ゆっくりと真白の方へ視線を向けた。

「願いとは呪いのようなもの――、魔術と呪術は似たもの同士です。ですが私は思うんです。そんな魔法を少しでも人々の幸福のために使えたらって。魔法は使い方によっては、呪いではなくなると思うんです」

 真白は、ふっと微笑を浮かばせ、凛とした調子で後を続ける。

「人は、時に弱さを見せます。そんな時、人は欲というものに囚われてしまうんだと思います。でも、それも生きているからです。生きているからこそ欲が生まれるんです。ですが人にはそんな欲に、そんな弱さに打ち勝つ力があります。そう、黒沢くんのように。

 だからエムリスちゃん。黒沢くんに、その魔法は必要ありません」

 真白が告げると、エムリスは、ふいと顔を背けた。そんな彼女の背中に向け、真白は、なおも口を開く。

「あの、エムリスちゃん。なにか食べていきませんか?」

「食べる……?」

「ここ、カフェなんです。カフェ・プランタンというんです。せっかく来てくれたんですから、なにか召し上がっていってください」

 真白は、ふわりと微笑む。この、脳内お花畑女め……。

 こんな得体の知れないヤツを自分から長居させるなんて、なにを考えているんだ? いや、なにも考えていないのだろう。

 エムリスは一寸考え込む仕草を見せたが、

「分かったわ。そこまで言うなら、おいしいものを食べさせてくれるんでしょうね」

 エムリスもエムリスだ。まさか本当に食べていくつもりなのか?

 エムリスは澄ました顔で、真白が案内したイスに座った。

「エムリスちゃん。なにか食べたいものは、ありますか?」

「あなたにまかせるわ」

「分かりました」

 真白は、「待っててください」と言うと、キッチンに向かった。

「おい、ノワール。いいのかよ、あんな得体の知れない女を長居させて」

「なに。あの程度の魔女、オレからしたら、たいしたことはない。まほ子よりは、よっぽど優秀なだけだ」

 ノワールは、「よっぽど」を強調させて言う。

 まあ、エムリスがなにかしようとしてもノワールがいる。コイツが阻止してくれるだろう。

 真白はエプロンを付けると、腕組みをした。

「さて、なにを作りましょうか。エムリスちゃんは、どんなお菓子がお好みなんでしょう」

「あの女に好きなものなんてあるのか?」

 オレには全く想像できない。なにを食べても、あの無愛想面は変わらない気がする。氷をガリガリかじっているイメージだ。

「そうですねえ……。あっ、そうだ。アレを作りましょう」

 真白は、なにか思い付いたのだろう。そう言うと早速冷蔵庫を開けた。

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