5
「オレの……、オレの、皆勤賞が……」
全ては、この女と関わったせいだ。朝のニュース番組の中で流れている占いを見ていないので分からないが、オレの今日の運勢は大凶だったに違いない。なんて占いも信じない主義なのだが。
今まで、遅刻なんて一度もしたことがなかった。もちろん学校を休んだことさえない。それなのに四年間積み上げてきた努力が、たった一日で終わってしまった。全て水の泡だ。
『あんな人が母親で、かわいそうに――……』
『どうせあの子も母親みたいに、ろくでもない大人になるに決まっている――』
そんな言葉の数々は、オレ自身の力で払ってきた。母親の世話なんか受けなくても、一人でなんでもこなしてきた。自分で起きて、家事もして。きちんと学校に通った。テストだって百点以外採ったことがない。
オレは、一人でだって生きていける。いいや、ずっと一人で生きてきたんだ。なのに自称魔女っこのせいで、その努力も……。
力任せに、ぎゅっと拳を握りしめる。肉に爪が食い込む。
『やっぱり。あんな母親の子どもだから――』
くすくすと嫌らしい嘲笑がオレの内側を支配する。くすくす、くすくす。追い払っているのに、消えそうにない。
一体どうしたら……。
下唇を嚙みしめていると、
「黒沢くん!」
突然真白が、ずいと顔をのぞきこんできた。
「なっ……、なんだよ!?」
「黒沢くん、今すぐ学校に行きたいんですよね? そういうことなら、私にまかせてください!」
真白は得意気に、胸をどんっ! と強く叩いた。なにが、まかせてください、だ。両親に頼んで、車でも出してもらうつもりか? だが、今から車で出発したとしても絶対に間に合わない。
だが真白は、特に親に頼みに行く素振りを見せない。それどころか、がさごそと、なぜかワンピースのポケットの中をあさり出した。なにをしているんだ?
「じゃっじゃじゃーん! 魔法のチョークですー!」
「はあ……?」
真白は、ポケットから出した白い棒――、チョークを天に掲げた。魔法のチョークなんて言っていたが、見た目はただの真っ白なチョークだ。
「ちょっと待っててくださいねー」
真白はそう言うと、チョークで床になにやら描き出した。大きな丸の中に六芒星が描かれていく。魔法陣みたいな模様だ。他にも文字だろうか。日本語でも英語でもない、だが字のようなものを書き込んでいる。
「よし、できましたー! さあ、黒沢くん。学校に行きましょう」
「はあ? 学校に行くって、おっ、おい……!?」
学校に行くって、どういうことだ?
つい反応が遅れてしまったオレは、真白に手首をつかまれ、ぐいと引っ張られた。魔法陣の中に足を踏み入れた瞬間だ。
「なっ、なっ……!??」
なんだ。足元が、床が、魔法陣が光り出した。まぶしいっ……!?
体が光に包まれていく。あまりのまぶしさに目をつむってしまう。
次第に光が収まっていき、閉じていた目蓋を開いていくと、
「なっ……!?」
なんだ、ここは……。
首を左右に振って周囲を見渡すが、先程までいた真白の家ではないことだけは分かった。
右を向いても左を向いても、目に入るのは生い茂った木々ばかりだ。ピーピピピやら、ホワワワワやら、甲高い鳥の鳴き声が響いている。ジャングルのような景観だ。
呆然としていると、「あれれー?」と間の抜けた声が耳をかすめた。横を向くと、ぐにゃりと眉をゆがめさせた真白が立っていた。
「おい……。これは、一体どういうことだ……?」
真白を見つめて訊ねると、
「魔法ですよ」
「魔法……?」
「さっき言ったじゃないですか。私は魔女っこだって」
「忘れちゃったんですか?」と続ける真白。できることなら一生思い出したくなかった事実だ。
「百歩譲って、真白が魔法を使ったことは認めてやる。だが、どうしてオレたち、ジャングルなんかにいるんだ……?」
「ええと、それはですね。本当は、学校に移動する魔法を使ったんですけど……」
「ですけど?」
「失敗しちゃったみたいですぅー……」
「また失敗したのか!」
「この落ちこぼれ!」ネコが真白に向かって怒鳴る。真白は、「ごめんなさーい」と情けない声を出した。
「こんな初級レベルの魔法もろくに扱えんとは!」
ネコは、ガミガミと怒鳴り散らす。ネコに怒られる人間なんて、世界中でこの女くらいだろう。
その上、真白は、
「ノワールさん、助けてくださーい!」
今度はネコに泣きつき出す始末だ。昔、たまたまテレビで見かけたアニメの、ワンシーンのようだ。メガネをかけた情けない少年が、ネコには見えない自称ネコ型ロボットに泣きついているシーンが彷彿とされる。ネコに泣きつく人間も真白くらいだろう。ネコを頼ったところで、どうなる訳でもないというのに。
一方のネコは、ふんとそっぽを向く。
「自分で責任を取れ。これも修行だ」
「ふええ……。そうですね、分かりました。頑張りますぅ……!」
真白は手の甲を使って涙をぬぐう。
って、ちょっと待て。
「修行だと……? まさか今、オレがこんな辺境の地にいるのも、真白の修行とやらに巻き込まれたからなのか……?」
黒ネコは間髪入れず、「左様」と返答した。
「なっ……、ふざけんなっ……! なんでオレが真白の修行なんかに付き合わないとならないんだ。大体、さっきからお前、ネコのクセに生意気だぞ。何様のつもりだ!?」
「何様って、そうですね。ノワールさんは、お師匠様ですね」
「はあ? お師匠様だあ?」
「そうです。ノワールさんは、私のお師匠様なんです。私が一人前の魔女になれるよう、魔法を教えてくれているんです」
黒ネコが師匠だと? 魔女の世界は、随分と変わっているんだな。また頭が痛くなってきた……。
って、だから、そんなことはどうでもいい。魔女の師匠がネコだろうと、オレには関係のないことだ。
それよりも、これで完全に遅刻確定だ。いや、遅刻程度で済んだらマシだったろう。こんなどこかも分からないジャングルの地に放り出されて、今日中どころか、一生家に帰れるかも分からないんだ。
ははっ……。まさか、こんな辺境の地で人生を終えることになるなんて。思ってもみなかった。
オレの人生設定では、中学・高校は特待生制度のある私立の学校に進学。高校卒業後は渡米してマサチューセッツ工科大学で学び、その後、プリンストン高等研究所に勤めてミレニアム問題を全て解き明かすはずだったのだ。
こんなポンコツ魔女を……、いいや、他人を少しでも信用してしまったオレがバカだった。当てにするんじゃなかった。
「黒沢くん、ごめんなさい。でも大丈夫です。今度こそ魔法を成功させて、学校に着いてみせますから」
真白はチョークを握り直すと、
「もう一度、やってみます!」
しゃがみ込んで、また地面に魔法陣を描き始めた。
「やってみるって……。そんなこと、百パーセント無理に決まってるだろっ!」
そう吐き捨てると真白は、
「そんなこと、ありません!」
彼女にしてはめずらしく声を張り上げた。
「どうして百パーセント無理だと言い切れるんですか?」
「どうしてって、そんなの……」
「やってみないと分からないじゃないですか。百パーセント不可能なことなんて、世の中にはありません!」
真白は立ち上がるとオレの腕を引っ張って、
「さあ、今度こそ学校に行きますよ!」
「どうせまた変な所に飛ばされるんだろ。今度は雪山か、砂漠か。それとも海底の底か!?」
「学校ですってば! いっきまっすよーっ!!」
「うわあーっ!?」
思い切り魔法陣に飛び込む。先程と同じように、まばゆい光に包まれる。
やがて光が収まっていき、ゆっくりと目蓋を開かせていくと……。
「やりましたー! 黒沢くん、始業前に、ちゃんと教室に着きましたよ!!」
真白の声に促され、周囲を見回すと見知った光景が広がっていた。机が整然と並んでいて、クラスメイトたちが、ぽかんとした顔でオレたちのことを見ていた。時計を見ると、八時十四分を示していた。
ウソだろ……。この女、本当に、本当に不可能を可能にしたのか……?
横を向くと真白は、
「間に合いましたー」
と大きく息を吐き出した。
「どうですか、黒沢くん。百パーセント不可能なことなんてないでしょう?」
真白は、にこりと微笑みかける。
本当に不可能を可能にしたのか? オレがずっと信じていた数字を覆したのか? こんな、へらへらしてばかりいる女が……?
子どもみたいに喜んでいた真白だったが、突然、「ああっ!?」と声を上げ、
「黒沢くん、大変です!」
ぐいと困り顔を近付けてきた。
「なっ、なんだよ!?」
「ランドセル、お家に忘れてきちゃいました」
「あ……」
真白は、へらりと苦笑いを浮かべる。彼女の足元では黒ネコが、ふっ、とあきれたような声を出した。
この、ポンコツ魔女めっ……!!
そう心の中で叫んだのと同時、キーンコーンと始業を告げるチャイムの音が無情にも校内中に鳴り響いた。
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