レシピ2:風邪っ引きには卵粥
1
「黒沢くん。はい、ランドセルです」
「本当にごめんなさい」と真白はオレのランドセルを渡してくる。本当に散々な目に遭った。
どうにか遅刻はまぬがれたが、ポンコツ魔女っこのおかげで、ランドセルを真白の家に置いてきてしまうという失態をおかしてしまった。
そのランドセルも真白の師匠であるという黒ネコの魔法で、どうにかこうして手元に取り寄せられたが……。オレは心に強く誓った。金輪際、このポンコツ魔女っこには一切関わらないと。
そうだ。真白のせいで、今日は日課の朝自習ができなかった。一分でも遅れを取り戻さないとならない。一時間目の授業が始まるまで、あと八分ある。
早速参考書を開くが、真白はオレの席の前に立ったままだ。
「あのう……、黒沢くん」
「なんだよ」
オレは、真白を思い切りにらみつける。
「なにか用か?」
「ええと、そのう……」
これ以上、オレに関わるな。目でそう訴える。
なかなか続きを話さない真白に、数人の女子が近付いて声をかける。
「まほ子ちゃん。黒沢くんには話しかけない方がいいよ」
「どうしてですか?」
「どうしてって、だって、ねえ……」
「黒沢くん、人と話すの、好きじゃないみたいだし」
「ねー」と女子たちは声をそろえる。そうだ、よく分かってるじゃないか。見事にオレの思いを代弁してくれたものだ。
そうだ。オレに話しかけてくる人間なんて、関わろうとする人間なんて、このクラスには一人もいない。いや、この教室の中だけじゃない。この世界で誰一人としていないんだ。これで真白も、もう関わってこないだろう。これで今まで通りの、一人きりの日常に戻れる。
大体、オレはファンタジーが大嫌いなのだ。そんなファンタジーの塊である真白とは、一刻も早く縁を切りたい。
だが、残念ながら彼女とは同じクラスだ。その上、六年生はクラス替えがないので、小学校を卒業するまでの残り二年は、真白と同じ空間で授業を受けなくてはならない。
それだけで気は重いが、その内慣れるだろう。気にしなければいいだけの話だ。そう、気にしなければいいだけ……。
なのに。
「ねえ、まほ子ちゃん。さっきのアレ、なんだったの?」
「アレとは、なんですか?」
「だから、アレだよ。突然教室に現れたでしょう。黒沢くんと一緒に」
「ああ、アレですか。アレは魔法です」
「魔法……?」
真白はオレの時と同様、訊ねてきた女生徒たちに、堂々と自分は魔女っこだと名乗る。それを聞いたクラスメイトたちは、そろって、「えーっ!?」と驚嘆の声を上げた。
普通なら、そんなことを言われても信じられないだろうが……。その証拠を目の当たりにしたばかりだ。教室のあちこちから、もっと魔法を見せろだの、空は飛べるのかだの、様々な質問が飛び交い出す。
ていうか魔女だってこと、こんな堂々と言っていいものなのか? 普通は隠すものなんじゃないのか?
なのに真白は、律儀にも質問一つ、一つに丁寧に答えている。頭の中に、お花畑が広がっているような女だ。なにも考えていないのだろう。
なんて真白のことなんてオレには関係のないことだ。無視だ、無視。
わいわいと騒がしい中、オレは参考書に視線を戻す。
「おーい、なにを騒いでいるんだ。休み時間は終わったぞ、早く席に着け。では授業を始める。まずは、この間のテスト返しからだ。名前を呼ばれたら取りに来るように」
テストという単語一つで、先程まで騒々しかった教室の中が一瞬の内に静まり返る。緊張した表情で、一人ずつ教壇の前に出てテストを取りに行く。
「えー、今回のテストだが、満点だったのは一人だけだ。みんな、よく復習をしておくように」
「満点が一人だけって、どうせ黒沢のヤツだろ」
ひそひそと声が上がる。
こんな簡単なテスト、百点を採れて当たり前だ。すごくもなんともない。
「はうー……。日本のテストは、むずかしいですー……」
真白は、ひどく落胆とした声を出している。そんなに点数が悪かったのか? 簡単なテストだったろう。
授業が終わると、「黒沢くん」と真白がオレの前に立った。
「私にお勉強を教えてくださいー!」
「断る」
「えっ、どうしてですか!?」
「勉強は自分でするものだ」
「そんなこと言わずに助けてください! このままだと私、落第してしまいますー!」
真白は、ペラリと持っていたテスト用紙をオレに見せる。
「げっ……!??」
じゅっ……、十六点だと……!?
見間違いか? もう一度よく見るが、真っ赤なペンで書かれている数字は変わらない。そんな悲惨な点数を取るヤツ、生まれて初めて見た……。
真白は目にたっぷりの涙を浮かべさせて、
「留年したくないですぅー!」
と、わんわん泣き出す。
「日本は義務教育だから、どんなにバカでも留年はしないぞ」
「えっ、そうなんですか? はうー、よかったですー。安心しました」
はあ、と大きな息を吐き出す真白。単純なヤツ。大体、なにがよかったんだ。たとえ留年しなくとも、お前がバカである事実は変わりないのに。
「私、以前までフランスにいたんです。だから日本語は苦手で……」
そう言えば転校初日、自己紹介でそんなことを言っていたっけ。どうでもよくて、すっかり忘れていたな。
「やっぱり留年しなくても、もう少しお勉強ができるようになりたいです。ですから黒沢くん、やっぱり勉強を教えてください」
「断ると言っただろ。大体、なんでオレに頼むんだ」
「黒沢くん、とっても頭がいいじゃないですか。ものを学ぶには、できる人からがいいじゃないですか」
「だからネコに魔法を習っているのか?」
「ノワールさんは、とってもすごい魔法使いなんですよー」
ネコがすごい魔法使いだと? やはりコイツらの世界は分からん。理解に苦しむ。
「とにかくオレは忙しいんだ。他を当たってくれ」
「お家がお隣のよしみじゃないですか」
好きでお隣になったんじゃない。
真白は、オレの住んでいるアパートの隣の建物に住んでいるらしい。通りで家を出て、すぐに記憶を失った訳だ。
大体、お前が後から人のウチの隣に勝手に越してきたんだろうが。実は欠陥住宅だったとかで、早々に引っ越してくれないだろうか。
もしもオレにも魔法が使えたら、このポンコツ魔女っこを元いたフランスの地に送り返してやるのに……って、オレとしたことが、なにを考えているんだ。ファンタジーなんかオレとは無縁だ。そんな非現実的なことは考えるな。
ぶんぶんと頭を左右に振っていると、
「真白、お前、勉強が苦手なのか?」
「そうなんです。私、日本語の聞き取りや会話はできるのですが、読み書きが苦手なんです」
「だったら塾に通ったらどうだ?」
「塾ですか? なるほどー!」
瀬立は、ふふんと鼻息を荒くさせて言う。
「オレが通ってる塾を紹介してやろうか? まあ、オレが通ってる塾は、その辺の学習塾より月謝が高いし、なにより入会テストがある。選ばれた人間しか通えない所だけどな」
「えーっ。塾に入るのに、テストがあるんですかー!?」
「ははっ、真白も受けるだけ受けてみろよ。万が一にも受かるかもしれないぞ」
出た、瀬立の自慢だ。塾を紹介する気なんて、さらさらないクセに。
アイツの通っている塾は、とにかく月謝がめちゃくちゃ高い。瀬立の言う通り、万が一……、いや億が一、奇跡でも起きて真白が入会テストに受かったとしても、経済面で通い続けるのは厳しいだろう。真白の家の経済状況は知らないが。
にしても瀬立、相変わらず嫌味なヤツだ。金持ちなのを鼻にかけて、いつも周りの人間を小バカにしてばかりだ。
「はうー。日本の教育は厳しいです。これじゃあ私、いつまで経っても塾にも通えないですぅー……」
真白もバカにされていることに気付いてすらいない。ほんとーに瀬立のいいカモだ。
ったく……。
「塾なんて、自分で勉強できないバカが通う所だ」
「なっ、バカだって!? おい、黒沢。お前、自分が貧乏で塾に通えないから、ひがんでるんだろ」
「ひがんでなんかいるか。考えなくとも分かるだろ。勉強なんて塾に通わなくてとも自分一人でできる。他人に聞かなくとも、教科書や参考書に解き方が書いてあるんだ。それなのに、わざわざ高い月謝を払って人に習うなんて金の無駄だろ」
「ふわああっ……! やっぱり黒沢くんは、すごいですー!」
真白まほ子、ほんとーに単純な女……。その内、インキチ宗教団体にでもだまされて、高いツボでも買わされるんじゃないか?
目をキラキラとさせている真白を横目に、オレの口から勝手にため息が出てきた。
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