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「はあ? 来てくれないって……」
「実は、お店を開店してから一週間ほど経ちますが、お客さんが全然来てくれないんです。どうしてですかね」
「どうしてって、ちゃんと宣伝はしてるのか?」
「へ? 宣伝ですか? えーと、えーと、宣伝って……」
「まさかしてないのか?」
真白は一寸考え込んだ後、「はい!」と元気よく答えた。
その満面の笑みに、くらりと一瞬意識が遠退く。この女の脳内は、どこまでお花畑なんだ……。
「宣伝もしてないのに、客が来る訳ないだろ!」
「でも宣伝って、一体なにをしたら……」
「チラシを配ったり、SNSで宣伝したりだろ」
「なるほど! さすが黒沢くんです」
なるほどでも、さすがでもない。普通に考えれば分かることだろ。それなのに真白は、パチパチと拍手をしている。バカにされている気分になってきた。
「おい、真白。この店の帳簿、見せてみろよ」
「へ? ちょうぼとは、なんですか……?」
「まさか付けていないのか?」
真白は、オレからノワールへと視線を移す。一方のノワールは、そっぽを向いている。しっぽが、ゆらゆらと揺れている。
「お前ら、今までどうやって店を経営していたんだ? 材料費は? 光熱費は? 一日の平均売り上げは?」
「ええと……、さあ?」
こてんと首を傾げさせる真白。
「そんないい加減さで、よく今まで生きてこられたな……」
能天気なんて単語で済む話ではない。本当に、どうやって生活していたんだ。
真白は、てへへ……と苦笑いをこぼす。
まあ、たとえ真白の家のカフェがつぶれようが、オレには一切関係のないことだ。いや、むしろ店がつぶれてしまえば、真白たちは引っ越すかもしれない。好都合ではないか。
あと何日もつか分からないが、精々残りの日々を楽しむんだな。
紅茶も飲み終わり、オレはイスから立ち上がる。
が。
「小僧、待たぬか」
ノワールが背中越しに声をかけてきた。瞬間、ぱっと白い光が店内に満ちた。
なんだ、この光は。また真白の魔法か……!?
一体なにが起こるんだ。警戒するが、なにも起こらない。いや、なにも起こらないんじゃない。真白の動きが接着剤で貼り付けたように、ぴたりと止まっている。真白だけでなく、壁にかかっていた時計の針もだ。
まさか時が止まっているのか……?
「左様。貴様と二人だけで話したいことがあってな」
止められた空間の中、ノワールがオレの前に進み出て言った。
オレに話したいことだと? 一体なんだ。
「小僧、お代を払ってもらおうか」
「はあ? お代って、なんのお代だよ。まさか、さっきの朝食のことか? なんだよ、金を取るつもりか? そっちが無理矢理食わせたんだろ」
「なに、そちらは特別に免除してやろう。本来は徴収したいところだがな。今、話しているのは、風邪を引いた時に使用した魔法薬の代金のことだ」
「魔法薬って、額に貼り付いていた葉っぱのことか?」
「左様。あの魔法薬は高級品で、一枚だけでも人間の貨幣で言えば、三百万ほどもする代物だ」
「なっ、三百万円だと……!? ふざけんな! なんで、たった葉っぱ一枚が三百万もするんだよ! 大体、オレが風邪を引いたのは、お前のポンコツ弟子が水をぶっかけたことが原因だろ!」
「貴様の日頃の健康管理がずさんだから、あれしきのことで風邪を引いたのだろう。人のせいにするでない」
このう……。どこまで横暴なんだ、このネコは……!
込み上げてくる怒りをどうにか鎮めさせていると、ノワールは言った。
「貴様には、ここで働いてもらう」
「はあ……?」
このネコ、今、なんと言ったんだ……?
オレはノワールに訊き返す。
「貴様は、この店の経理をしろ。それであの魔法薬の件はチャラにしてやろう。貴様は数字を扱うのが得意なのだろう。貴様にとって経理など簡単な仕事であろう。それに貴様は、まほ子の修行に役立ちそうだ」
「役立つ? どういう意味だ」
「まほ子は貴様も知っての通り、落ちこぼれだ。その原因は、よく分かっている」
「なんだ。原因が分かっているなら、対策しようがあるじゃないか」
それなのにノワールは仏頂面のまま、じっとオレを見つめている。な、なんだ、その意味ありげな視線は……。
「対策できるのなら、なにも問題などない。原因が分かっていても対策しようがないから心底困っているんだ。魔法とは負の力だ。悲しみや苦しみ、妬みや憎しみ、怒りといった感情をエネルギーに変換して使うものだ」
なるほど。確かに脳内お花畑女には、そんな感情は無縁だろう。特に怒っている真白など全く想像がつかない。真白がポンコツ魔女っこの理由が、よーく分かった。
「真白には魔女になる素質が全くないということか。だったら話は簡単だ。そのことを本人に言って、さっさと魔女になることをあきらめさせればいいだろ」
「言っていないと思っているのか」
ノワールは深いため息を吐いた。そのため息は全てを物語っていた。
確かに以前、真白に一人前の魔女になるのをあきらめた方がいいと言ったことがあるが、アイツは全く人の言うことを利かなかった。
「まほ子は救いようがないほど魔女に向いていない。魔法の腕も全然上がらない。だが、まほ子が貴様のために魔法を使った時は、なぜか成功率が高くなるのだ」
「ちょっと待て。成功率が高いだと……? あれのどこが成功率が高いんだよ!」
「なに。まほ子の魔法は、十遍に一度、成功すればよい方だ」
十回に一回……。頭が、くらりと大きく揺れた。アレでも、まだマシな成功率だったとは。信じられん。
「貴様のために、まほ子が魔法を使っていけば、早く上達するだろう」
「つまりオレに人柱になれというのか?」
「そういうことだ」
ノワールは、さらりと言い切る。
なにが、そういうことだ、だ。どこまで悪どいネコなんだ……! いいや、コイツはネコじゃない。ネコの面を被った悪魔だ。
「交渉成立だな」と悪魔のささやきが低く響き渡る。この性悪ネコめ、今すぐにもダンボールに詰めて捨ててやる! それか保健所に通報して引き取ってもらおうか。
どちらにしようか考えている間にも魔法が解けたのか、動き出した真白が、ずいとオレの方に身を乗り出してきた。
「お願いします、黒沢くん! このカフェは、とっても大切なお店なんです! 守らないといけないんです!!」
「安心しろ、まほ子。小僧から、我々に協力したいと直々に申し出があった」
「えっ、本当ですか? 黒沢くんが協力してくれるなら安心ですー!」
真白は、大げさなほど喜んでみせる。
オレのこの顔を見て、よくもそう喜べるものだ。この女も、実は魔女ではなく悪魔だったのではないだろうか。
「それでは、新メンバー・黒沢くんが加わってくれたことですし、早速作戦会議を始めましょう! お題は、『どうやったらお客さんが来てくれるでしょうか』会議ですー!」
真白は腕を組み、うんうんとうなり出す。考えるなら、もう少し静かに考えろよ。
「あっ、思い付きました!」
真白は、パンッ! と手を叩いた。
「百円セールなんてどうですか? きっと、お客さんがたくさん来てくれますよ」
「バカっ! そんなことしたら原価割れするだろうが」
「げんかわれ……? えーと、どういう意味ですか?」
「百円なんかで売ったら、材料費の方が利益より高くなる。つまり売れば売れるほど赤字になるってことだよ」
「えーと、それは、いけないことなんですか?」
「いけないに決まっているだろ。赤字が続けば店がつぶれるだろ」
「つぶれるって、なくなっちゃうってことですよね? えー!? それは困りますー!!」
困る程度なら苦労はないな。この女、どこまでバカなんだ……。いや、バカという次元さえ通り越している。
こんな調子では、あと三日でつぶれても不思議ではない。本当に店を守る気があるのか?
「うー。百円セールの他に、いいアイディアが思い浮かびません。やっぱりチラシ配りがいいですかね」
「とは言え、チラシを刷るのだって大変だぞ。まずはチラシのデザインをしないとならないし、なにより印刷代だ、金もかかる」
「はうー……。チラシを作るのも大変そうですね。うーん……。あっ、そうです! てっとり早く宣伝するには、目立つことをすればいいと思うんです」
「それは、そうだ。宣伝は目立ってなんぼだからな」
「そうですよね。ですから花火なんてどうですか?」
「は? 花火……?」
「そうです。花火を打ち上げたら、ばばーん! と目立てると思うんです」
「はあっ!?」
コイツは、なにを言い出すんだ。どこまでバカなら気が済むんだ、いい加減にしろ!
確かにコイツの言う通り、花火を打ち上げれば、いやでも目立つだろう。だが、こんな町中で花火なんて打ち上げたら、どうなると思っているんだ。火事どころでは済まないぞ。
それなのに真白は、いつの間にか店の外に出ていた。その手には魔法のチョークが握られていて、地面に魔法陣が描かれていく。
「いっきまっすよー!!」
オレが止める暇もなく、真白のかけ声に合わせ、ひゅーと火の玉が天に向かって上がっていった。パーンッと軽快な音の後、空いっぱいに巨大な花が咲き誇った。
そう……、空に咲いたのは、花は花でも火の花ではなく花そのものだった。ひらひらと大量の花びらが地に向かって降り落ちてくる。
「なあに、この花びら? どこから降ってきたのかしら」
「わあっ、とってもきれーい!」
ひらひらと降り続ける花びらに、ざわざわと辺りは騒然となる。
「はわわっ、うまく花火が打ち上がらなかったです。失敗しちゃいましたー」
「また失敗したのか、このドジ! いつになったら魔法の腕が上達するんだっ!!」
ノワールが雷を落とす。だが今回は真白の魔法が失敗したおかげで、どうにか命拾いできた。それに一応の目的は果たせそうだ。ぞろぞろと店の周りに人だかりができていた。
真白は、天を見上げている人々に向かって叫んだ。
「みなさーん、ぜひカフェ・プランタンに来てくださーい!」
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