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 頭の中が、白いベールのようなものに包まれている。ふわふわして、ぼうっ……とする。

 朦朧とする意識の中、なんだかいい匂いが漂ってきた。なんの匂いだろう。

 目蓋が自然と上がっていき……。

「あっ、黒沢くん! よかったですう、目を覚まされたんですね」

 ずいと真白の顔が近付いた。

 近い、近い。離れろ。手で真白のことを払い除ける。

「黒沢くん、大丈夫ですか? すごい熱が出たんですよ。魔法草の効力で、熱は下がったと思いますが……」

 オレの額に、タオルと一緒に葉っぱが貼り付いていた。これが魔法草というものだろうか。少し気怠いが、大分気分は楽になった。

 辺りを見回すと、よく見知った光景が目に入る。オレの家の中だった。

「ごめんなさい。黒沢くんのお家に上がらせてもらいました」

 真白は、オレのランドセルの中から家の鍵を出したと言う。

 なんで。どうしてこの女は、オレなんかを看病しているんだ? 放って置けばいいだろ。

 あれだけ散々、冷たくあしらったのに――。

 この女の頭の中は、本当に空っぽなのか? それとも神経が鈍いのだろうか。

「あのう、黒沢くん。お家の人は、いないんですか? お仕事ですか? 帰りは遅いんですか?」

「いない」

「へ? いないと言うのは……」

 真白は、目をきょとんとさせる。

「父親は知らない。オレが生まれた時からいなかった。母親は水商売。その上、昼間はパチンコにでも行っているんだろう」

「そうですか……」

 こういう反応には慣れている。さげすむヤツ、勝手に同情し出すヤツ。どいつもコイツも関係ないだろ、放って置け。

 別にオレは一人でだって生きられる。父親も母親もいなくても、今までずっと一人で生きてきたんだ。こんな風邪くらい、なんともない。

 そうだ。

「どういうつもりだ……?」

「へ? どういうつもりとは?」

「オレなんかに構って、感謝されたいのか? そうだよな。人間、自分よりみじめな立場のヤツの世話を焼いて、優越感に浸りたがるもんな。だがな、余計なお世話なんだよ。これ以上、オレに関わるなっ……!!」

 ぜい、はあと荒い息が漏れる。喉の奥が痛い。ひりひりと痛む。

 オレは、こういう生き方しかできないんだ。こうやって生きてきたんだ。これで、さすがにこの女も帰るだろう。今更、誰かの手にすがりつくつもりはない。

 さっさとオレの前から消えろ。他のヤツらと同じように。

 なのに真白は、なぜか座り続けている。それどころか、にこりと笑みを浮かべさせた。

「黒沢くん、吐き出してしまいましょう」

「は……?」

「思っていること、全部、全部吐き出してしまいましょう。すっきりしますよ」

 なんなんだ……。なんなんだ、この女は……!?

 今まで、こんな人間、見たことがない。いや、真白は魔女っこだから人間ではないのか……? なんて、そんなことは、どうでもいい。こんなに悪態をつかれているのに、なんでこの女は、顔色一つ変えないんだ。なんでオレの前から、いなくならないんだ?

 思っていること、全部吐き出せだって? 思っていること……。

「……けんな……。ふざけんな……、ふざけんな、ふざけんな、ふざけんなっ……!! みんな、勝手なことばかり言いやがって! あんな女が母親で、かわいそうだと? お前らには関係ねーだろっ! あんな女とオレを一緒にするな!! オレは、ただ静かに暮らしたいだけだ。邪魔すんじゃねーよっ!!」

 はあ、はあ……。

 息が苦しい。喉の奥が高度な熱を帯びる。ひりひりと、ひどく痛む。だが……。

「どうですか? すっきりしましたか」

 真白は、清々しいほど満面の笑みを浮かべさせる。

「もやもやがたまった時は、吐き出してしまうのが一番です。黒沢くん、たまには一休みしませんか? 黒沢くんが一生懸命なのは分かります。でも、たまには体を休ませてあげないと、今日みたいに、また倒れちゃいますよ?」

「オレは、何年もこの生活を続けているんだ。もう慣れてる。風邪を引いたのは、お前が水なんかぶっかけたからだろう……!」

「はううっ!? ごめんなさい……」

 真白は、体をネズミのように小さくさせる。

「本当に、ごめんなさい……。あっ、そうでした! 黒沢くん、お腹、空いていませんか? 卵粥を作りました。鶏肉にお豆腐、ネギと具だくさんですよ。それからチャービルは、ビタミンやミネラルが豊富で、解毒作用があります。体の毒素を排出してくれて、血行の促進もしてくれます。元気になりますよ」

 オレの前に、ずいと器が出される。お粥にごま油がたらしてあるのか、ふわりと香ばしい匂いが鼻をくすぐった。

「別に腹なんか……」

「しっかり栄養を摂らないと元気になれませんよ。はい、あーんしてください」

「これくらい自分で食える!」

 真白の手からレンゲをひったくる。くそっ、子ども扱いしやがって……。

 レンゲで一口分をすくい取ると息を吹きかけ、よく冷ましてから口に入れる。

「どうですか、食べられそうですか? 無理しないで食べられるだけでいいですよ。でも、うまくできてよかったですー。日本風のお粥は初めて作ったので、上手にできるかドキドキでした」

 真白は、ふう、と一つ息を吐く。

「日本の人は体調が悪い時、お粥を食べるんですよね。フランスでもお粥は食べるのですが、リ・オレといって、ミルクとお砂糖が材料の、デザート感覚の甘いお粥なんです。私は大好きなんですが、日本の人で好きな方は、あまりいないみたいですね」

 ……コイツ、本当に料理だけはできるんだよな。他のことはポンコツだけど。

 器の中身が空になると、オレは、また横になる。

「黒沢くん。頭のタオル、温くなっちゃいましたよね。取り替えましょう」

 真白は立ち上がり、氷水を入れた洗面器を持って戻って来る。

 が。

「きゃあっ!?」という悲鳴とともに真白の体が傾いていき、そして。ばっしゃーん……。

「はううっ……、また失敗しちゃいましたーっ!」

 ……やっぱり、このポンコツ魔女っことは即刻縁を切ろう。

 びっしょりと濡れた布団の中、オレは、そう心に強く誓った。

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