シェズ・ベルリア
十九歳になったフーリエは、国内の大学へと進学していた。割と古いキャンバスだったが、フーリエの成績と通学時間を考えての選択だった。その中でも割と新しい校舎で彼女は授業を受けていた。
ミグとはあれ以来会う事はなかった。噂ではミグが両親を訴えたとか、遠くに引っ越して何か手術を受けたとか、級友から不確かな情報しか入らなかった。
頬杖をつくフーリエの前には、教壇に立つ女性が熱く社会史を語る。
「……そして十六世紀から始まった大西洋奴隷貿易を皮切りに、私たち黒人は虐げられてきたのです。確かに改革運動は何度も起きましたが……」
授業の半分以上が政治的正しさや平等を謳う授業だった。
ただ差別的な内容の為か、受講しにきた学生の半数ほどは不快感を露にしボイコットしている状態だ。フーリエとしては精神的に弱いと感じざるを得ない。
もう何度も聞かされている事なのに……、私は何をしに大学に来ているんだろう。
彼女の不満は募るばかりだった。時折、かつて読んだ漫画や小説を思い出す。
あの困難な状況から、自らを磨き、足掻き、弱い立場から乗り越え、自分の正義を通す勇ましき勇者譚。でも今を生きるこの社会は、なぜ体験したこともない被害を自分たちが受けたかのように教え、いつまで被害者意識を植え付けるんだろう。もっとその先の未来を見据えた授業をするべきではないのか。私たちは今を生きているのに。色々なモノの捉え方を教えるのが本来の勉学なのではないのか。自由な社会と言いつつも全然自由じゃない。
器用にペンをクルクル回しながら授業は続く。その時、隣にコッソリと人影が現れた。
「ここ、いいかしら」
どうやって忍び込んだのだろう。
その黒いボブカットの女生徒は屈託のない笑顔で訊いてきた。
「ええ、どうぞ」
「ねえねえ、今何ページ?」
「四十三ページよ」
「ありがとう」
その女性徒は白いオシャレなワンピースを着ていた。恐らく中々のハイブランドだとフーリエは見抜いた。
「もう出欠は終わったわよ」
その女生徒は一瞬唖然としたものの、再び笑顔で答える。
「いいのいいの。私は自由だから」
『自由』という言葉を平然と使う、その女生徒を半ば感心の目で見ていた。
こんな子がまだいたんだ。
講師の退出と共に生徒も立ち上がる。フーリエは昼食をどこでとろうか考えてなかったので、気まぐれ的に先ほどの女生徒に聞いた。
「ねぇ、あなた、お昼は何食べるの?」
「ランドミールで。あなたも一緒に食べる?」
突然の誘いに少し驚いたが、フーリエは笑顔で返事した。
「いいね」
ランドミールは少し値は張るが彼女の誘いに乗ることにした。
「私はフーリエ・ワスナ。あなたの名前は?」
「私はシェズ・ベルリア。ルーシーと呼んで」
「……じゃあ、ルーシーは、どこに住んでいるの」
「ベンレック」
「ベンレックですって? 高級住宅地じゃない」
「んーん。その中でも大した家じゃないわ。あなたは?」
「私はアルトー」
「近くじゃない、いいなぁ。私は車で往復一時間ぐらいかかるわよ」
「そりゃあ、そうでしょうね」
バッグを持ちながら校舎を二人して歩く。木漏れ日が気持ちいい季節だった。
「午後も講義でしょ。ランドミールまでは私の車で行かない? シビックだけど」
「ありがとう!」
構内に止めてあるフーリエの車に二人は乗り込んだ。
「わぁ、綺麗にしてるじゃない。好きよ、あの国の車」
「そう? ありがとう」
車が動き出すなり、シェズは聞いてきた。
「ねぇ、あなた、大学の授業って面白い?」
何か値踏みされているかのような質問だったが素直に答えた。
「ううん、あんまり」
裏門を出て、幹線道路へと車は向かう。車内はシェズの香水の良い匂いが漂っている。会話が途切れたら気まずいのでカーオーディオをつけた。無難なポップソングが流れてくる。
「だよねー、私もあんまり。何か圧迫感みたいなものを感じて」
「わかる!」
今までのフーリエの気持ちを代弁してくれるような口調で答えたので、彼女は思わず笑顔になって答えた。
二人して笑う。フーリエも久しぶりに馬が合いそうな人に出会えて嬉しさを感じていた。
「ねえねえ、ランドミールでは何がおススメ?」
「私はねー。いつもサラダとポップコーンシュリンプ、食べて白身魚かチキンかな」
「へー、ビーフが美味しいって聞いていたのに」
「私、ダイエットしているの。ファットフォビア(肥満嫌悪)とかたまに言われるけどね」
「あー、私も言われるー」
「良いじゃんねー、着たい洋服があるんだから、それを目標に体型作りして」
「ホントホント」
私も子供の頃に見たトーアのあの黒髪の女性に憧れて髪を伸ばしている。髪の色は元々黒だったので染めなくてよかった。その……、胸はもう少し欲しいけど。
「そのワンピース、どこの? アストレ?」
「わー、よくわかったね」
「私もそのブランドの服が欲しいの。アルバイトしようかと思っているんだけどね」
「確かにちょっと高いよね。私はお母さんに買って貰ったけど」
やはり裕福な家庭の家なんだ。でも話が合いそう。
幹線道路をしばらく走ると右手にランドミールが見えてきた。
私もサラダとチキンにしよう。
二人の会話は弾み、フーリエは話が合う友達が出来て、その日は機嫌よく家まで帰った。カーオーディオから流れるポップソングが彼女の心をなお弾ませた。
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