男女平等
「……ということで、ジェンダーフリーの考え方が一般的になれば、性の違いにとらわれずに自分らしさを表現しやすい、大らかな社会へと変えていくことができます。そして……」
バングが逮捕、投獄されてから一ヶ月間、退屈な授業が進む中でフーリエは、ほとんど祖父の安否とトーアの書籍について考えていた。
なぜあの本を持っていただけで罪になったのだろう。そんなにあの本って駄目なモノなのかな……。
「ではフーリエ・ワスナ、今話したところの要点を簡潔に述べなさい」
突然の指名にフーリエは思わず席を立った。そして教科書のページをめくる。だが当然答えは浮かんでこない。
「す、すいません。分かりませんでした」
「聞いてなかったようね。分かりました、座りなさい。ではもう一度言います。この社会は……」
とりあえず教師が説明しているページは見つけたものの、フーリエの思考は再びバングとトーアの書籍の事に移っていった。
「どうした? 元気ないじゃん!」
授業も終わり、カバンの中を整理していた時に、ミグが肩を叩いてフーリエに話しかけてきた。
「ああ、うん……」
「ホントに、勉強ってつまんないよねー」
「ああ、うん……」
「フーリエって、さっきからそればっかりじゃん」
ミグはバシバシとフーリエの肩を叩く。
「はは」
乾いた笑いしか返せなかったが、その溌剌とした調子にフーリエはしばらく考えるのを止める事が出来た。
「ミグ、これから野球?」
「ううん。今日はバスケ。学校じゃ球技が出来ないから、体育館借りてチームに入れてもらってやってるんだ」
カバンを抱え、二人は校門へと向かう。
「そっかぁ、それも面白そうだね」
「フーリエもやってみる?」
「ううん、私にはスポーツは無理。それに、お母さんが勉強しなさいってうるさいから」
「あーあ、私もなんか最近親がうるさくなってきててさ」
「私たちの年頃って皆そうなんじゃない?」
「かもね!」
ミグはニカッと白い歯を見せる。
校門前に止まっているシビックが見えてきた。
「じゃあ、私はこれで」
「おう、じゃあね。また明日!」
手を振ってミグと別れた。
フーリエはシビックに近づいてドアをノックする。また新聞を読んでいたアベイダが微笑んてロックを解除した。
「いつもありがとう、お父さん」
「どうだった、今日の学校は」
「うん、まあまあ」
あやふやな答えにアベイダは吹き出しそうになりシートベルトをかけた。車はウインカーを出してスクールバスを追い越していく。コールフーズ前を通過して住宅街へと入っていくと、最近の二人の会話はいつも止まってしまう。そんな最近だったが、今日はアベイダが話しかけてきた。
「父さんはさ、知っていたんだ、あの本の事」
隣でフーリエが目を見開く。
「その事は母さんは知らなくて、どうやらそこから情報が漏れたようなんだ」
「それで……、それで最近、お母さんと仲が悪いの?」
「ははは、それは気にしなくていいよ」
「それよりも、なぜあの本は駄目なの?」
「ああ、多様性への配慮とかルッキズムとか訳の分からない理由で禁止なんだ。フィクションでファンタジーなのに、おかしな話さ。まあ、母さんの前ではこの話はしないほうがいい」
「うん、分かった」
車はスムーズに進み、家の車庫へと入っていった。
自宅のチャイムを押すと、やや遅れてカミルがドアを開けてくれた。
「ただいま」
「おかえりなさい」
いつもの挨拶だったが、フーリエが靴を脱いでいる時、カミルが右足を引きずりながら奥に消えていく。左肩も手で押さえていた。
「カミル、どうした?」
後から入ってきたアベイダが問う。
「うん、今週の仕事が鉱山で、ちょっと体を痛めてしまって」
「鉱山!? 鉱山労働で体を痛めたのか?」
「ええ、鉱山内で肩と足をぶつけちゃって」
「そんな、誰かと仕事交代できなかったのか?」
「ううん、男女平等社会だもの。文句は言ってられないわ。ただ、ごめんなさい。今日は私の当番だったけど夕食は作ってくれる?」
「ああ、もちろんだとも」
「私も手伝う!」
「ありがとう、二人とも」
その日の夜は、久しぶりに仲のいい二人を見れたと、フーリエは安堵した。
カミルは翌日も車で鉱山に向かった。本人は体調不良で休みたい所だったが、収監されているバングのための費用などもあるので、やむを得ない。足を引きずり、肩も大きく動かせないことから、仕事量は当然少なくなる。それでいて給料は他の労働者と同じだけの金額を貰った。
仕事が終わった頃、労働者の一人が現場監督に詰め寄る。
「カミルはあまり仕事できていないのに、俺たちと同じ給料なのか?」
近くで聞いていた女性作業員も、その話が耳に入り同じく詰め寄る。
「そうそう。カミルを手伝ったりして大変だった上に、生産量も落ちているのよ。休ませるべきじゃない?」
「いやぁ、怪我しているから仕方ないし、それに本人がどうしてもって言うから……」
現場監督も困り顔で答えるしかなかった。
「じゃあ、休ませてあげなさいよ。じゃないと差別ですからね」
「あ、うん……」
『差別』、『平等』という言葉に弱い社会では現場監督といえども、この意見に首肯する事しか出来なかった。
結局、ローテーションで回ってきた鉱山労働にカミルが顔を出すことは出来なかった。
約一年後、バング出所の日がやってきた。
シビックに乗ったフーリエ一家は、バングを迎えに行く。カミルがハンドルを握る車内は、どこのレストランに連れて行こうか、という話で盛り上がった。
「おじいちゃん、あまりにも食事が不味いって言ってたからね。なんでも美味しいんじゃない?」
後部座席から身を乗り出してフーリエが言う。
「そうだね、何か温かいものを食べて欲しいな」
「ちょっと高めだけど、ワストにしない? 何でも揃っているし」
「いいねぇ! あそこのスープは美味いし」
「出所時間が十一時って言ってたから、ランチに間に合いそうね」
久しぶりに明るくなった一家は、刑務所の前に到着する。併設された駐車場に車を停め三人は、やや緊張の面持ちで刑務所の門をくぐった。持ち物検査などされ、待合室に通される。
三十分ほど経った頃、ドアが開かれた。看守に促されたバングが、笑顔に涙を溜めてゆっくりと歩を進める。彼はこの一年でずいぶんと痩せていた。
フーリエが一番に駆け、バングを抱きしめた。そして四人とも抱き合う。
「すまない、迷惑をかけた」
涙声でバングは謝るも、フーリエとアベイダは頭を振る。冗談交じりでアベイダは答えた。
「大丈夫。別に身内から性犯罪者や殺人者が出たわけじゃないから、全然被害なんか受けてないよ」
「そうか、面接でも聞いていたが、皆が実害を受けなくて本当に良かった」
「おじいちゃん、何か美味しいものを食べに行こう!」
少し高くなったフーリエの頭をバングは優しく撫でる。
「うん、それを二番の楽しみにしていた」
一家四人を乗せた車はレストラン、ワストへと向かう。後部座席でフーリエはバングに寄り添う。バングはフーリエの肩を抱きながら、外を眺める。
「変わってないな」
「一年でそんなに変わらないよ、おじいちゃん」
「そうか……」
久しぶりに見る外をバングは慈しむように、しみじみと眺めていた。
ワストの店内に入る。予約していた席は窓際からは、ランチを求めて車がやや渋滞しているのが見える。
コース料理の焼きたてパンとサラダがテーブルに並べられた。
温かく美味しい料理に舌鼓を打ち感激するバングを、三人は優しく見ていた。
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