ミグと発覚
翌日、リールは頭に包帯を巻き、ネットを被っていた。自身その姿があまりにも情けないようで、いつものような勢いがない。
これで治まってくれるといいけど。
登校してきたフーリエは、リールに謝ることはなかった。自分の正義というものがあったからだ。
そんなフーリエに休み時間、クラスの女子の一人、ミグ・インガスが話しかけてきた。
「ねーねー、フーリエ。昨日、格好良かったじゃん」
「えっ」
普段、会話しないミグからの賞賛にフーリエは驚いた顔をした。
「やるじゃん、って言ったの」
「そう……?」
「私も、ちょっと見かねていたのよね。ちょっとガツンと言ってやろうかって!」
その声の大きさは、リールにも聞こえているのでは、とフーリエは不安に思った。
「うん……、どうしても放って置けなくて……」
そんな小声のフーリエに、ミグは横から体をぶつけるように肩を抱いてきた。
「いいねぇ、いいねぇ!」
溌剌とした言動にフーリエは圧倒されそうになった。
鬱陶しいから、と自ら理容院で短くオーダーした髪型がとても似合っているようにフーリエは感じた。
現にスポーツでも男勝りで、野球やラグビーでもピンチヒッターとして男子の間でも重宝されていた。そんな女の子から懐かれたことにフーリエは不思議に思った。
「おーい、ミグ。野球やらねぇ?」
教室の戸口から男子が叫ぶ。
「あー、やるやる! じゃあ、またな!」
と、フーリエの肩をバシバシ叩いて走っていった。
元気だなぁ……。
小さなため息をついてフーリエは、その背中を見送った。
ランナーを三塁に置いた五回裏。一点差のバッターボックスに立ったのはミグだった。休憩時間のため、これが最後の回だ。
「おいワンダ! 敬遠しろ!」
ベンチから仲間の指示が飛ぶものの、ワンダには自信があった。
今日こそは止めてやる。
ミグは構えたバットの先を振りながら挑発している。
「へいへい、来いよー!」
これなら打てないだろう……。
ストレートで真っ向勝負したかったワンダだったが、彼は最近覚えたばかりのカーブを選択した。しっかりとしたモーションで手から放たれたそのボールは、ストレートよりも遅いスピードで大きく弧を描く。
いつものようにストレートが来るかも、と思っていたミグだったが、彼女はそれに柔軟に対応した。ワンテンポ遅らせてバットを振る。振り出したバットはスナップをきかせて加速し、バットの芯に上手くボールを当てた。心地よい音がグラウンドに響く。
「あっ!!」
驚きの声をだしたワンダだったが、時はもう遅かった。
使い古された土まみれのボールはぐんぐんと飛距離を伸ばし、フェンスを越えた。
「よっしゃー!」
ガッツポーズでゆっくりと塁を回るミグ、膝をついてマウンドを拳で殴り悔しがるワンダ、喝采とため息の漏れる両ベンチ。ホームを踏んだミグは仲間に迎えられ、ハイタッチで歓喜をぶつけ合う。どこにでもあるだろう小学校の休憩時間だった。
それを校舎の窓から教頭のランサーマルが見ていた。
白髪交じりの髭を擦りながら、特にピッチャーマウンドで悔しがるワンダを見ていた。
勝負事は負けた方が傷つく。人が傷つく、ということは現代のイデオロギーに反する事だから中止にした方が良いかもしれない……。
負けたことがバネになり将来のモチベーションとなっていこくとなど考えない社会は、ゼロか百かしかの考え方しかできずに、翌日からグラウンドでの球技中止をランサーマルは決定した。
翌日、休憩時間に机で本を読んでいたミグにフーリエは話しかけた。
「今日はどうしたの? スポーツしないの?」
「グラウンドでの球技は禁止だってさ」
口を尖らせながらフーリエを向いたミグは吐き出すように文句を言った。
「ただ遊びたいだけなのに何でなんだろうな……」
フーリエがトーアの本を読み始めてから一年が経とうとしていた。彼女はバングがいる時にしか部屋に入れないため、まだ片方の本棚の三分の二しか消化できていない。バングがいる時は、いつも彼の部屋に籠るフーリエに母、カミルは疑問に思っていた。
「フーリエ、おじいちゃんの部屋でいつも何しているの?」
トーアの本の事は内緒にするようにと言われていたフーリエは、目線を逸らす。
「えーっと……」
言葉を探るような素振りだったフーリエにカミルは疑念が募りつつも答えを待った。
「えーっとね、本を借りて読んでいるの」
何か言い訳を考えていたが、トーアの本であることを隠して表面だけを伝えた。
「そう、どんな本?」
「ただの小説……」
「それで最近、難しい言葉も覚えてきたのね。良い事よ」
そう笑顔で紅茶を啜る母親に対し、彼女は後ろめたい気持ちになった。
ある日の夜、フーリエはまたしてもバングの部屋で漫画を読んでいた。その漫画は日常系のもので、彼女は声を出して笑っていた。その笑い声にバングもつい笑顔になり、再び小説に目を落としながらコーヒーを啜る。
だがちょうどカミルがバングの部屋横の廊下を通ろうとする時に、フーリエの笑い声が扉を通して漏れる。
何をそんなに笑っているのかしら……。
先日のフーリエの様子といい、今の笑い声に疑問をもったカミルは、入ってはいけないと言われていたバングの部屋のノブをゆっくりと回し、少しだけ扉を開いて中の様子を見た。すると色々な漫画が並んでいる本棚を見つけた。
あれは漫画……しかもあのサイズはトーアの物。トーアの漫画は禁止されているはず。
それが本物かどうか、もう一座目を凝らしてみるも、彼女はトーアの漫画だと確信した。
そんな、お義父さんがトーアの漫画を持っているなんて。だから私をここに入れたくなかったのね。
ショックを隠し切れず、カミルは扉をゆっくりと閉めた。そして足音を立てずにその場を離れた。
その様な秘密を胸に閉じ込めたまま数日過ぎたカミルは、午前中スーパーに買い物に行こうとドアを開けた時、庭いじりをしていた隣の住人、サブリナに声をかけられる。
「あら、こんにちはカミルさん。今日はコールフーズに行きました?」
「あ、こんにちは。これからですけど」
「今日はサーモンが特売ですよ。早く行かないと売り切れるかも」
「あ、そうなんですか……」
「どうかしました、カミルさん?」
「あ、……いいえ」
逡巡したカミルは、胸のしこりを取りたいがために聞いた。
「あのぅ、仮にですよ」
「はい?」
「仮にトーアの漫画を持っていたら、どれぐらいの罪になりますか?」
「トーアの漫画……、そんなもの持っていたら、一年ぐらいの実刑でしょうねぇ。多分」
「実刑……」
いつもと様子が違うカミルをサブリナは訝しんだ。
「誰か持っているんですか?」
「あ、いえ! ちょっと聞いてみただけです。それでは私もコールフーズに行かなくてはいけませんので」
挙動不審なカミルに手を振ったサブリナは、庭いじりを続けた。その後しばらく中腰で雑草を取っていたので、一回立ち上がり腰を叩いた時、フーリエの家のカーテンが揺れているのに気づいた。滅多に開けていないその窓が開いていたので、揺れるカーテンの隙間から中を見てみると本棚が見えた。
「本棚……」
さほどコンテンツの無いこの社会で本棚があることが珍しかった。サブリナは、いけないと思いつつも、ついつい中を覗いてしまう。すると一般には売られていないようなサイズの本が多いことに気づいた。背表紙の文字は見えない。
さっき、カミルさんはトーアの漫画がどうのとか言っていたような……。
訝しんでいたことを思い出したサブリナは、もう少し中が見える位置に移動した。するとやはり見たこともないサイズの背表紙が並んでいる。眉をひそめたサブリナは庭いじりを途中に部屋の中へと入っていった。
娘を迎えるために仕事を途中で抜けたアベイダ・ルートは、小学校校門にシビックを停めていた。アイドリングしたまま彼が今朝読み損ねた新聞を見ていると、コンコンとドアが叩かれる。彼はドアのロックを解除した。
「ありがとう、お父さん」
「おう、今日も何だか機嫌良いな」
「うん、早く帰ろう」
フーリエは素早く乗り込み、すぐにロックをかける。
「友達とかとは遊ばないのか?」
「ううん、今日はおじいちゃんがいる日だから、早く帰らないと」
「そうか」
周囲を目視してアベイダは発進する。停留しているスクールバスを追い越し、車は加速していく。
「最近、おじいちゃんの部屋に入り浸りじゃないか」
「うん……」
最近のフーリエの語彙力や表現力の上昇を褒めつつ、景色はコールフーズ前を通り住宅街へと移ろっていく。すると自宅前に警察車両が三台止まっていた。近所の住人も遠くから見ている。
何事だろう。
アベイダは警察車両の後尾に車を停め、二人は降りて家へと駆ける。
駆けていく途中、フーリエは警察車両に乗せられたバングを見つけた。
「おじいちゃん!」
その声にアベイダも気づき、警察車両の窓を開けようとした時、近くにいた警察官に制された。
警察車両の後部座席に座るバングは微かな笑みを浮かべながら首を振る。そして二人が見たものは自宅から運び出される多くの段ボール箱だった。女性の警官が重そうに運んでいる。
何かを悟ったアベイダは、その場に力なく崩れ落ちた。
非力だから大丈夫だと判断されたのか、窓を叩いて声を上げるフーリエを警官は止めなかった。
「おじいちゃん、おじいちゃん! 一体どうしたの!?」
やがて段ボールは運び出され、バングは一緒に連行された。
すすり泣くカミルに、呆然と立ち尽くすアベイダ、歩道で座り込み号泣するフーリエを置いて警察車両は発車していった。
初公判はすぐに行われ、バングは罪を認め即判決。
禁書所持で禁固一年の罪となった。
休日の今日はカミル一人で差し入れを兼ねてバングの面会に来ていた。
アクリル越しに家族の話などでカミルは出来るだけバングの心の支えになろうとした。だが話は、やはり事件の話になる。
「虫干しの為にカーテンを窓を開けていたのだが、多分それを誰かに見られたのかもしれんな」
優しい目でバングはカミルを見つめて漏らす。
その言葉に絶句し、カミルは口を手で押さえ涙を流し始めた。
「どうした、カミル」
「いいえ、多分、私がいけなかったんです。あの日の午前中、隣のサブリナさんにトーアの本について聞いてしまったんです」
どうして――、という言葉が出かかったが、バングは驚きの表情のまま固まってしまっていた。
「実はその前にお義父さんの部屋にトーアの本があるのを知ってしまったんです。それがずっと胸につっかえていて、つい……、ごめんなさい!」
涕泣しながら謝るカミルをバングは責めなかった。
「いい、気にしなくて。それに違法行為をしていたのは私だ。サブリナさんも責めてはいかんよ」
「はい……、はい、ごめんなさい」
「それよりも、ここの飯は不味い。早く暖かい御飯が食べたいものだ」
「ええ、出所したときは、ご馳走を用意して待っています」
「楽しみだ、それを聞いただけでも、ここで頑張れる。皆にも元気でいると伝えてくれ」
「はい、はい……」
「カミル・アメリさん、面会終了の時間です」
看守に促され、カミルはバングに頭を何度も下げながら部屋を出ていった。
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