述懐
彼との会話は弾んだ。三回目のデートまでは政府関係者がついて回ったが、四回目から二人で会う事になった。
会う場所は彼の家、ベンレックにある。
高級住宅街じゃない。やはり弁護士をやっているだけはある……。
彼の住所は聞いていて、カーナビに従って進むと、着いた先は豪華なマンションだった。
すごい。
車を駐車場に停めたフーリエは、その建物を見上げる。硬い唾をのみ込み、不審者がられないようにゆっくりとエントランスへと向かった。男性と思われるコンシェルジュの前を通り、オートロックに一三0五と打ち込みコールボタンを押す。
「はい、ディヴィラです。フーリエさん、すぐ開けますね」
「あっ、はい! お願いします」
オートロックのカメラに向かって、お辞儀をしてしまった。恥ずかしい思いでコンシェルジュを見るも、仮面で表情が分からない。開いた自動ドアをくぐって、そそくさとエレベーターホールへ向かった。
「五号室、五号室……」
広い通路をフーリエは呟きながら、目的の部屋を探す。そして五号室のブザーを押した。するとすぐに扉は開かれた。
「どうぞ、いらっしゃい」
笑顔のディヴィラが迎えてくれた。仮面は外している。眼鏡をかけて端正な顔をしていた。
「仮面、外しているんですね」
「ええ、自分の家の中ですから」
玄関に入り扉を閉めると、フーリエも仮面を外した。
「フーリエ・ワスナです。本当に初めましてですね」
「思っていたよりも美しい方で安心しました。でも大丈夫です。今日、何かしようなどとは考えていません。私の生活を知っていただきたかっただけなので」
広い廊下を先行くディヴィラは歩きながら語る。
本当に紳士な人だと、フーリエは感心した。
ハズレくじではなかった。
外観に見合う広いリビングに入り、ディヴィラにソファーに座るよう促される。
「コーヒーでいいですか? あなたはいつもコーヒーを頼んでいたから」
「あ、はい。ではそれで」
しばらくするとドリップコーヒーの良い香りが室内に広がる。その香りを楽しみながらフーリエは部屋の様子を覗った。花柄の凹凸がある白い壁紙に家具は少なく、棚の上には所々小物が置いてあるぐらいで簡素な佇まいだった。
「何もないでしょう」
トレーにコーヒーを乗せたディヴィラがやってきながら笑顔を向ける。
「ええ、でも綺麗に整理されていて、男性の一人暮らしとは思えません。男性の部屋に上がったことはないのですが」
「ははっ、そうですか」
目の前にコーヒーとシュガーポット、ミルクポットが置かれる。そのポットのデザインもシンプルながらお洒落な意匠をしていた。
自分の前には何も置かず、ディヴィラは斜向かいのソファーに腰かけた。
「単刀直入に言います。このままでは、おそらく結婚ということになるでしょう。あなたはそれでもいいのですか?」
出されたコーヒーカップで手を温めながら答える。
「ええ、私もしばらく考えてました。でも今の政府の指示でしたら仕方ありません」
その言葉にディヴィラは溜息をつく。
何か間違った答えだったのだろうか……。
「正直に言います。今まで三回会って、あなたを信頼していると思ったから言う事なんです」
背筋を正してフーリエは続きを聞く態勢を整えた。
「私は反政府組織の一員なのです。今の制度はあまりにも本来の自由というものを軽視している。差別や多様性という言葉に怯え、何か問題があればすぐに抑圧する。この体制が本来の人間の姿とは思えないのです」
フーリエに正面から見えない風が吹いた。このような考え方を持っている人がちゃんといたんだという衝撃と共に、それは彼女の目を覚まさせた。
「私は弁護士という仕事を通じて、この国がどれだけ歪んでいるか訴えてきたつもりでした。しかし、大きな流れはとどまることを知らない。そのような仮面までつけて、異常が普通になって、また過剰な異常を生み出し、また塗り替えていく。この国が好きだからやってきているのですが、今はかなり疲弊しています。正直なところ」
フーリエにも思い当たる節はあった。トーアの漫画を押収されたバング、若いのに精神的に成熟させられる前に性転換させられたミグ、そして彼女の知らないところで犠牲になったシェズ。
「ええ、確かにこの国は窮屈だと思います。もとからいる人はそう感じてないのかも知れませんが、私は窮屈に感じます」
「あなたはトーアという国をご存知ですか?」
いきなりトーアの名前が出てきたので、フーリエは身じろいだが首肯する。
「あの国は島国で歴史も長いせいか、実に調和がとれている。良い国だ、と思います」
「はい、私もあの国の本を読んだことがあります。とても……、魅力的でした」
「単一民族のおかげもあって、魅力的なコンテンツが醸成され、それが生活における厳しさとのクッション的役割をしている。多様性の弊害を受けていないと感じます。多様性の考え方はたしかに政治的に『正しい』のかもしれません。ただそれでは本当の多様性が生まれない、私はそう思っています。多様性一辺倒になっては逆に個性が突出した鋭いものが生まれない、と思いませんか?」
「はい、それは思います。トーアの漫画は登場人物が魅力的で、本当に面白かったのを覚えています。あれこそファンタジーだと思います」
二人の会話は弾んでいた。
フーリエも過去を思い起こし、ディヴィラの話に賛同の色を見せる。二時間程の会話で、フーリエの中に着々と育っていたステラトリスに対する怨念のようなものが燃え始めていた。
「今までの話は、あなたを信頼しているからこそ話したことです」
「ええ、大丈夫です」
カーテンから差し込む日光に橙が混じるようになってきた。
「もういい時間ですね。ご両親が心配するといけない、駐車場までお送りします」
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