召喚に失敗したと思われ放逐された聖女は、開き直って異世界を満喫するつもりが、あ

はちなしまき

第1話 王都編~聖女召喚

【王都編】


《一日目》


「この剣で! 君とこの世界を救って見せよう!」

 あたしは高々と剣を掲げて見せた。この場面のフィナーレだ。

 スポットライトがまぶしい。

 今回は会心の演技だ。

 あたしはふうっと息を吐きだし、カーテンコールに備えることにする。

 空気が変わる。光の中から出るときはいつものことだ。

 だが、何かが違った。

(あら? こんな舞台だったかな?)

 舞台装置がえらくリアルに見える。それに広い。

 あたしは、ゆっくりと周りを見渡した。

 あたしを囲むように並んだ、変わった装束の一団。

 その向こう側には、中世風の衣装で着飾り、立派な椅子に座った偉そうなおっさんと、何人かの側近風のやっぱりおっさん達。

 騒いでいる。何を言ってるのかわからない。異国語だ。

 みんな彫りが深い顔。少なくともあたしの国の顔つきではない。

 何が起こったのか、理解できず、あたしはパニックに陥りそうになった。が、あたしは緊張の度が過ぎると、逆に冷静になる性質である。

 舞台の緊張感をまだ解いてなかったあたしは、剣を偉そうなおっさんに向け、大音声で言い放った。

「ここはどこだ! なにが起きた? 説明せよ!」


        ♢ ♢ ♢


『まあぁた失敗したのか! 馬鹿者共があぁぁ! もう後が無いと言っただろうがあぁ! 聖女召喚の儀で何故男が出てくるのだあ!』

 国王ヨシュアは怒り狂って怒鳴った。

 ここサンクトレイル王国は危機に瀕していた。

 近年の干ばつによる飢饉。あわせて伝染病。次いで、人類の天敵である魔物の大量発生。

 だが折よく、召喚術に長けた魔導士が現れた。召喚術は非常に珍しく、国の危機にあってこれを救うために行使されると伝わっていた。

 逆に言うとこの世界では召喚術を行使する事態は本当に国の危機的状態と言えた。そして、この世界における召喚術の行使は実に二百年ぶりであり、サンクトレイルでは初であった。

 一年前、喫緊の魔物被害を減らすため、勇者召喚が行われた。

 ところが、召喚されたのはひょろい学者風の青年で、鑑定結果でも勇者称号はなく、それどころか、英雄称号すら無いハズレだったのである。

 英雄称号なら自国民でも多数の所有者がおり、騎士団の英雄クラスは平均で十はあるだろう。

 この時も国王ヨシュアは怒り心頭、さっさと召喚した青年を放逐した。

 召喚術はタダじゃない。膨大な魔力を必要とするため、貴重な魔石を大量に消費する。

 聖女召喚は更に喫緊となった飢饉と伝染病に対応するためである。

 サンクトレイルは国庫を空にする勢いでこの召喚に賭けていた。

 ところが召喚された者は男で、しかも無礼ながら剣先を国王にに向け、更に何やら無礼なことを叫んでいた。言葉は通じなくとも語気などで分かるものである。

 国王ヨシュアは首から上を真っ赤にして言い放った。

『この無礼者を追い出せ! 魔導士どもよ。貴様らは全員首だ! さっさと立ち去れ! 二度と顔を見せるな!』

 側近たちはこの熱しやすく短絡的な国王を何とか宥めるべく、思案していたが、先に宰相が進言した。

『お待ちください。よもや勇者召喚が行われたのではないでしょうか。召喚魔導士によると、勇者召喚と聖女召喚は非常に似ておるとのこと。鑑定で確認すべきでしょう。勇者鑑定を!』

 最後は国王の言葉を挟む隙を与えず、魔導士に向けて言った。


        ♢ ♢ ♢


 何をするつもりだ? この人たちは。

 色々と話し合ってたみたいだが、何やら道具を用意してきた。立派な台に乗った大きな水晶である。

 身振りでそれに触れろと言っているようだ。

 ここで逆らってみても意味はなさそうなので、水晶に触れてみた。

 先に水晶を差し出した男は何やらぶつぶつと呪文のようなものを唱えていたが、水晶を見つめていた目を丸くして何かを言った。


        ♢ ♢ ♢


『なにも出ないだと! また英雄の称号すら無いのか! 何を召喚したのだ貴様たちは! 馬鹿者どもがあ! 無駄な時間を過ごした。別の対策を立てよ! 二度と召喚は行わん。改めて言う。魔導士どもよ。貴様らは全員首だ! そこな男と共にさっさと立ち去れ! 二度と顔を見せるな! わしは戻る!』

 国王ヨシュアは席を立ち、怒気も露わに立ち去って行った。

 側近たちはやれやれといった表情で、宰相が代表して魔導士たちに告げた。

『上意である。其方たちは早々に王宮から立ち去れい! すまぬな。些少ながら金銭を給付する故、次の仕事を探せ。』


        ♢ ♢ ♢


(ここはどこなの?)

 宮廷らしきところから、金銭らしきものを握らされて追い出され、素に戻ったあたしは途方に暮れていた。

 石造りの街並み。人々の服装。それは自分の所属していた歌劇団の舞台では中心的な時代、即ち中世ヨーロッパの印象に近かった。だが、断じて舞台の上ではない。そのスケールと現実感がそれを物語っていた。

 あたしは今の自分の姿に意識を向けてみた。男役の騎士の姿だが、舞台衣装なので派手派手しい。この中世風の街中でもちょっと浮きまくっている。通りすがりの人たちにジロジロと視線を向けられるのが感じられる。

 周りに意識を向けてみる。やはり言葉は分からない。聞いたこともない言葉だ。

 夢なのか? いや、こんな明晰夢はあたしの経験上未知のものだ。

 突然、背筋がゾクゾクしてきた。あたしの悪い癖だ。ピンチになるとワクワクしてしまう。思わず頬が緩む。夢だとしても、こんな機会はめったにない。ちょっと歩いてみよう。冒険は好物だ。


        ♢ ♢ ♢


 なかなかに広い街だ。住む人々は決して裕福そうではないが、荒んでもいない。街は賑やかさはないが、淀んだ風でもない。

 暫く歩くと、城壁にたどり着いた。どうやら街はこの城壁にぐるりと囲まれているようだ。

 城門で一先ず観察する。外に出るのは自由の様だ。中に入るにはお金を取られている。一番小さい硬貨二枚か。通行税だろう。

 宮殿で支給されたお金の入った袋を確認する。小さい硬貨十枚、中くらいの硬貨五枚、大きい硬貨二枚。この価値が今のところ不明だが、外に出て入ることはできそうだ。

 あたしは外に出てみた。この衣装のせいだろう、門番が怪訝な顔をして見ていたが、特に止められることも無かった。

 外は広大な草原だった。遠くに森が見える。人工的なものは遠くに柵らしきものが見える以外は一切ない。城壁を境にこれほどきっぱりと風景が変わるさまは中々に衝撃的だ。城壁の外では暮らせないのだろうか。

 だが街道にはぽつぽつと旅人の姿がある。危険そうには見えない。

 お日様は中天に差し掛かったところだ。明るいうちに街に戻れば問題ないだろう。

 森に向かって歩いた。やはりあたしは目立つ様だ。行き交う旅人が全員ジロジロとみていく。なかには声をかけてくれる人もいるが何を言ってるか分からない。あたしはにこやかに手を振って挨拶するばかり。

(ああ。インドに一人旅をした時のことを思い出すな・・・)

 街道は森を迂回して続いていたが、あたしは少し中に入って休憩することにした。入口付近なら大丈夫だろう。

 街道が見える木陰に丁度いい岩を見つけ、そこに腰かけた。

 街道を行く人達を観察する限り、周りに注意を払っている様子はない。やはりこの森も街道近くなら危険は無いようだ。

(随分とジロジロ見られてたな。衣装もだけど、顔も見られてたような。何かついてるかな?)

 あたしは化粧直し用のコンパクトをポケットから取り出し、鏡で顔をチェックした。

(ああ。忘れてた。これは見られる訳だ!)

 舞台メイクをしたあたしの顔は、平常においてはなかなか奇抜だ。

 どこか、化粧を落とせないかと、暫く周りを歩いてみると、綺麗な小川を発見。

 幸い、化粧負荷を下げるために、水で落とせる化粧品を常用していたので、ある程度は落とせる。付け睫毛は違和感がありすぎるので取り去った。

 ポケットを探って、簡単に化粧手直しできるアイテムがどれだけあるか見てみた。

(うん。足りない。)

 取り敢えず男装でなんとか違和感のないように修正を加えてみた。これでどうだろう。


        ♢ ♢ ♢


 青い空を見上げながら、暫くあたしは物思いに耽った。

 仮にこれが夢ではないとしよう。

 宮殿での出来事はあたしが別の世界に転移したものと仮定すれば腑に落ちることがある。

 異世界召喚? または中世ヨーロッパへのタイムスリップ?

これでもあたしは虚構の世界に生きることを生業にしている。不思議とそんな考えが頭に浮かんだ途端に受け入れている自分があった。

 でも、あるとすれば前者かな。中世ヨーロッパと考えるには雰囲気的に違和感が大きかった。行ったことが無いので根拠も曖昧なのだが。とにかく地球世界ではない気がしていた。

 召喚であるなら、宮殿であたしを囲んでいたのは召喚に関わる魔導士か。服装がいかにもって感じだった。逆にあたしのイメージする魔導士の姿に合致するのが不思議だ。

 そのあとに水晶に触れた。何かを計測する装置だろう。計測した魔導士はがっかりし、偉そうなおっさんは怒り狂っていた。

 ご期待にそえなかったのだろう。そのあとに追い出された訳だ。

 少なくともご期待にそえなかったからと言って、すぐに処刑するような危ない世界ではない様だ。良かった。いや。良くないが!

 あれこれと思いを巡らしていると、どこからか鳴き声が聞こえてくるのに気が付いた。

(猫っぽい? 犬っぽくもあるけど。助けを求めてる気がする。)

 耳を澄ますと、森をちょっと入ったところから聞こえてくるようだ。

 草叢をかき分け声のする方へ行くと、そこに足を怪我したうさぎが倒れていた。

 あたしはそれを見た瞬間、ここが異世界だと確信した。見た目はうさぎだが耳が異様に長く、それでいえ垂れてなく、尻尾が大きくて丸い。なんというか、イラストに描いたうさぎに近い。現実には見たことない。地球上の生物じゃないよね?

 あたしは様子を見るためにうさぎに近づいたが、うさぎはシャーっと威嚇してきた。猫かな? 

 だが、大分弱っているようですぐにぐったりとなったので、手早く身動きが取れないように持っていたスカーフで縛り、ケガした足を診た。

(折れてるな、これ。)

 野生のうさぎに対し、効果があるかどうか分からないが、枝で添え木をし、ハンカチで縛ってみた。


『ピロン! 聖女のジョブを解放しました。スキル〝治癒〟を獲得しました。聖女クラス1になりました。転生特典言語理解を獲得しました。転生特典ステータスボードを獲得しました。』

 頭の中でアナウンスが流れる。あたしは驚きのあまり固まってしまった。

(何これ! なんてテンプレな展開。やっぱり夢よね、これって。ある意味馴染が深すぎるもの。)

 地球世界ではこういった転生物の物語に定番な、スキルやらレベルやら。

 だったら、ステータスボードってアレかもしれない。ちょっと気取って剣(模造剣)を抜いて掲げ、あたしは言い放った。

「ステータスオープン!」

 目の前にステータス画面が広がって、あたしはびっくりしてこけそうになった。

 いや。半信半疑でも、一応予想していたにも関わらず驚くものは驚く。

(へぇ。物質的なものじゃないのか。向こうが透けて見える。)

 指先でつついてみたが、手ごたえはなくすり抜けた。

 表示内容は、


 名前 白鳥ゆり

 性別 女

 ジョブ・クラス 聖女・1

 スキル・レベル 治癒・1

 アビリティ 言語理解・ステータスボード

 称号 【聖女】 異世界のたらしめ


 なるほど、先ほど頭に流れた内容が見える。ここは本名が表示されるようだ。称号って何だろう。たらしめ?

 画面から意識を逸らすと、それはフッと消えた。

 ふと、うさぎを見るとこちらを見上げている。先ほどの攻撃的な雰囲気は霧散していた。

「ごめんね。放っておいて。もう一度足を見せてね。」

 うさぎを抱えると、おとなしくされるがままになっている。足を撫でると、指先から何かが流れるのを感じた。

 うさぎはぴくっと震えて、腕の中から抜け出した。

 あたしを見上げて〝みぃ〟と鳴いた。

『ありがとう』

 あたしにはそう聞こえた。てか、やっぱ鳴き声が猫っぽい。

 そしてうさぎは跳ねて森の奥に消えていった。足が折れていた筈だが。

『ピロン! スキル〝治癒〟レベル2になりました。』

(治癒で治ったのかな? あ。足縛ったままだ。う~ん。そのうちとれるでしょ。)

 ちょっと色々なことが起こりすぎだ。あたしはこれが夢の中の可能性を捨ててない。が、現実だった時のことに備えて街に戻ろう。先ずは食事と宿だ。

 そういえば、暫く食事を採ってない気がする。

 前の世界での公演時間は夕方だった。飛ばされたこちらは昼だったな。

 そう考えると無性におなかが減ってきた。

 ここまでは他のことに気を取られていて、何も考えていなかったようだ。いや。考える余裕がなかったということか。食べ物のことを思い出したのは、少し余裕が出てきたのかも知れない。

 今のあたしは、食事ですら冒険だ。どうか食べられるものでありますように!


        ♢ ♢ ♢


 城門に着くと、門番が話しかけてきた。

「お。さっき出て行った奴じゃないか。忘れ物かい? さっきの今でも通行料は取るぞ? 規則だからな。2シルだ。」

 あたしは驚いて目をぱちくりした。言葉が分かる。

「見たところその風体、外国人だな。言葉は分かるのか? 2シルだ。」

 再び門番はあたしに向かって指を二本立てて話しかけ、手を差し出した。

 あたしは頷いて、袋に手を入れて小硬貨を2枚取り出し、門番の手に乗せた。

 そしてその門番に向かって思い切って話しかけた。

「すいません。宿を探しているのですが、お勧めの宿をご存じであれば教えて頂けないでしょうか。」

 果たして通じるのだろうか。どきどきだ。

「おう! それなら、森のふくろう亭を勧めるね。安いし料理がうまい! この通りをまっすぐに行って、二つ目の通りを右に曲がってすぐだ。看板が出てるからわかるさ。」

「ありがとう! 訪ねてみます。」

「おうよ。お勧め料理は野鳩の炙り焼きだ。そこの親父と娘は知り合いなんだ。よろしく言っといてくれ。」

 あたしは再び礼を言って、手を振って別れた。

 言葉が通じるようになった。アビリティの言語理解のおかげだろう。ものすごい安心感が押し寄せて来た。

 先ほどまでの緊張感も捨てがたいが、がぜん楽しくなってきた。

 鼻歌も出るほどだ。教えてもらった宿に向かって歩を進めていたが妙に視線を感じる。

 前に城門に向かう道程でもジロジロ見られていたが、ちょっと雰囲気が違うような。

『ピロン! スキル〝愛歌〟を獲得しました。』

 なんだろう。スキルを獲得したみたいだが内容が不明だ。

(まあ、いっか。後で考えよう。)


        ♢ ♢ ♢


 お勧めの宿はすぐに見つかった。オシャレさは無いけれど、清潔そうだ。扉を開けるとカランとベルが鳴った。

「はいは~い。」

 奥からあたしと同じ年頃の女性が出て来た。見た目二十歳ちょっとに見える。金髪碧眼の綺麗な人だ。

「ようこそ! 森のふくろう亭へ。お泊り?」

 よかった。やっぱり言葉が通じる。あたしは頷いて応えた。

「この街は初めてで。門番さんにお勧めされて来ました。取り敢えず一泊と食事を。」

「まあ。門番といえばトニィかな。今度エールでもサービスしよう。その姿、外国の方? イケメンだねぇ。」

 イケメンとかいう言葉があるんだ。いや。言語理解のアビリティが仕事をしてるのかな? 

 そういえばずっと男装姿だ。この世界の危険度がまだわからないから、男と思われた方が都合がいいだろう。女と疑われた様子もない。あたしは仕事モードに意識を切り替えた。

「そう。遠くから来たんだけど、ここら辺はよくわからなくて。色々と教えてくれないかな。」

「うん。いいわよ? 今食事の仕込み中だから。そうねぇ。夕食後でいいかしら。一階のこの奥が食堂になってるから、そこで。今日はお客さんが少ないから丁度いいわ。」

「ありがとう。助かる。」

「いいえ。じゃあ、一泊と食事は夕食と朝食でいいかしら? 合わせて八シルね。」

「ええと。これ。」

 あたしはお金をカウンターに広げた。

「ああ。サンクトレイルのお金って、ちょっと特殊だものね。いいわ。教えてあげる。」

 どうやら小硬貨が一シル小貨。中硬貨が五シル中貨。大硬貨が十シル大貨と言うらしい。数え方は十進法で、馴染のあるものだ。

よく見ると小さく数字が刻印されているらしいが読めない。

 特殊なのは五シル中貨。他国は大体十進法の単位で硬貨があるらしい。中間の五の単位で硬貨があるため、外国人は大概戸惑うらしい。

 因みに一シル以下にも銭貨という硬貨があり、ルシル銭貨として流通している。所謂小銭である。

「じゃあ、これ。五シルと三シルで八シル。」

 一緒に硬貨を渡すとちょっと驚いた顔をされた。

「あら。計算速いわね。ちょっと待ってね。五、六、七、八。確かに。ええと。」

「ボクはマシロ。旅の途中。」

 思わず芸名を名乗ってしまった。すると宿の女性は、にっこりと微笑んで言った。

「わたしはルアン。この宿の娘。お父さんがここのオーナー。よろしくね。部屋は二階の一番奥。あと一刻くらいで夕食だから降りてきて?」

「えと。一刻って、どのくらい?」

「ええっ? あなた一体どこから来たの? まあ、いいわ。準備できたら呼びに行ってあげる。」

 ルアンは驚きながらも、すぐに受け入れ対処してくれた。色々な客を相手しないといけない宿娘の応対能力だろう。


        ♢ ♢ ♢


 部屋はこじんまりとしていたが、清潔に整えられていた。

 ベッドにバサッと転がると、今日の出来事が蘇ってきた。色々なことが一遍に起こったのでキャパオーバーだったようだ。感情が麻痺していたと思う。

 こうして落ち着いてみると、じんわり冷汗が出てくるのを感じる。

 突然飛ばされて、向こうの世界でのあたしの存在はどう扱われているだろう。

 父さん、母さん、弟に何も言えずに失踪したことになっただろうことに悲しみを覚えた。

 一人住まいのマンションのことや、先日買ったばかりのお気に入りの服のことや、来週おいしいものを食べに行こうと約束した親友のことなど、とりとめのないことを思い出し、少し涙が出た。

(いや。ここが夢の中だということが否定された訳じゃない。明日、目が覚めれば・・・)

 ここが現実世界とすると元の世界に帰れるだろうか。

 しかし本能が無理だと告げる。

(まあ。いいか。明日になればわかること。)

 再び、持ち前の楽観主義に支配され、ぼーっとしてるうちにウトウトとしてしまったようだ。

「マシロ~? 夕食準備できたわよ。」

 ドアをノックする音と同時に、あたしを呼ぶ声が聞こえた。

 あたしはハッと意識を戻した。この世界の住人はかなりフレンドリーなようだ、知り合って間もなくても名前呼びが普通なのか。

 いや。ルアンが特別なのかもしれない。だが、ここは合わせてみよう。あたしはドアを開けるなり髪の毛を掻きあげながら言った。

「やあ、ルアン。もう一刻が経ったのかい? ちょっと疲れていたようで、ウトウトしてしまったよ。さておなかがすいたな。食事が楽しみだよ。」

 顔を合わせたルアンは目をぱちくりしている。

「ねえ。あなた、モテるでしょ。この辺りじゃ、あなたのようなタイプはなかなかいないわね。」

「え~ そうかな?」

 はい。そこそこファンがいました。殆どが女性でしたが。


        ♢ ♢ ♢


 食事はどれもおいしかった。門番さんに感謝。

 何の肉か分からない肉の香草焼き、見たことのない色鮮やかな野菜のサラダ。ドレッシングがマッチしていておいしい。とろっとしてまろやかなスープと、香ばしい焼きパン。

 あたしは瞬く間に平らげた。よっぽどおなかがすいていたらしい。

 空になった器を何気なく眺めていると、ルアンがスープとパンのお替りを持ってきてくれた。

「ありがとう! 女神様!」

「何言ってるの? おもしろい人ね。」

 異世界でも人間の味覚は変わらないんだなあ。おいしいものはおいしい。この世界の人の味覚が特殊だった場合を、今更のように考えた。考えると恐ろしい。本当に助かった。

 今度はゆっくりと味わいながら食べ、一息ついたところで、ルアンがグラス二つと、瓶を一本持って席にやって来た。

 他の泊り客は既に引き揚げている。

「ふふ。あなたとのお話楽しそう。これはわたしのおごりね。約束だから何でも訊いて? わたしに分かることなら何でも教えてあげる。」

 ルアンは店の自慢のお酒と言いながら、二つのグラスに注いだ。

 ちょっと舐めてみるとおいしい。香りも実にフルーティだ。果実酒かな。

 この国はサンクトレイルという。国王の名はヨシュア。口が悪く、すぐ怒り、何をするか分からない王様で多くの民に恐れられている。

 ああ、あのおっさんか。その人物像にあたしは心当たりがあった。

 しかしながら、他の国の王のように、すぐに人を処刑したり、民を弾圧しないところが、一部の有識者層には支持されているようだ。

 確かにあたしは何か不興を買ったみたいだったが、追い出されて終わりだった。

 あまりにも常識的なことは訊けないから、慎重に言葉を選んで訊ね、ルアンの言葉から類推した世界を考えてみた。


        ♢ ♢ ♢


 この世界での国という概念は、ここサンクトレイルのように、城壁に囲まれた都市を中心に成り立っており、いくつかの都市と小規模な街を点で結んだ範囲を国というらしい。

 即ち、国の大きさや国力というものは都市や街の数に比例する。

 何故、都市や街が城壁に囲まれているかというと、陽が落ちると城壁の外では魔物が跋扈する世界になるからだった。

 昼は魔物が殆ど活動せず、動きも鈍いため、普通に移動できる。隣の都市や街は殆ど一日で移動できる場所にあった。

 農業や家畜の放牧は広い土地が必要なため、どうしても城壁の外になる。一応は囲ってあるものの、街の城壁ほど堅固なものではない。魔物は増えすぎると、食料を求めて畑を荒らし、家畜を襲うようになり、挙句は城壁を越えたり、昼間でも活動するものが出てくるという。

 夜の移動は危険なので、旅人にとって夜は必ず城壁の中にいる必要がある。

 今日、何気に外に出て行ったあたしは、それを聞いてちょっと冷汗が滲んだ。何も知らずに、外で夜を過ごしたかもしれない。

 この世界にはジョブとにクラス、スキルにレベルという概念がある。ジョブは神様によって与えられ、そのジョブに関連する職に就くことが成功の早道という考えであるようだ。

 スキルはそのジョブを助ける能力。クラスはジョブの階位。レベルはスキルをどの程度使いこなせるかの尺度。

 殆どの一般の人は自分がどんなジョブやスキルを持っているかを知らない。鑑定する道具があることは認知されているが、王家でも所有していることが稀で、それの所有は力の象徴でもあった。他には教会の本山にあるものしかない。

 宮殿では鑑定の魔道具らしき水晶に触れさせられた。サンクトレイルって結構大きな国なのか?

 教会で鑑定してもらうことは可能だが、本山のあるミレアム教主国までいかなければならず、多額のお布施が必要になる。それまでしてジョブやスキルを知ったからといって、生活を変える訳ではないので、一般人にはあまり関係ないという認識。

「ねえ。聖女ってなにか知ってる?」

 あたしはジョブにある聖女のことについて訊いてみた。ジョブというからには職業だろうか。

「聖女? ああ、古い物語に出てくる伝説の救世主様ね。昔、世の中が戦乱や疫病の蔓延で人々が苦しんでいた時代に天から遣わされ、世の中に平穏を取り戻したらしいわ。聖女様が歩くと枯れた野に緑が蘇り、その息を吹きかけるだけで病がたちまちに治るって。本当にいたかどうかも分からないけどね。おとぎ話でしょ。そうそう。救世主といえば、勇者様もいるわね。やっぱり戦乱や魔物の大量跋扈の時代に現れると伝説があるわね。大体世の中が不穏になるのは、なにもかも一緒に来るらしいから勇者様と聖女様は一緒に語られるわね。二人のロマンス物語もたくさんあるわよ? なに?興味があるの?」

 一気に語るルアンを前に、あたしは変な汗をかいていた。

 やっぱり普通じゃなかった!

「実は古い伝承について調べていてね。この旅の目的も物語の収集なのさ。」

「あら。そうなのね。剣なんか提げてるから、てっきり冒険者かと思ってたけど。」

 出ました! 冒険者。あるんだやっぱり。

「そうだ。それ訊こうと思ってたんだ。さっき見せたのが全財産でね、路銀が尽きかけてるんだ。この国の冒険者システムを教えてくれないかな。」

「あ~。わたしも詳しくないけど。そうね。まず冒険者組合に行って、受付で訊いてみた方がいいわね。組合は前の大通りを城門と反対側に行くと大きな建物があるからすぐわかるわ。看板も出てるし。」

「実は文字読むのが苦手で。看板わかるかなぁ。」

「大丈夫、大丈夫。この国の人たちも自分に必要な文字しか覚えてないし。だから分かるように絵もついてる。ほら、この宿の看板もベッドの絵が付いてたでしょ? あなたのような外国の人も分かるようにね。」

 なるほど、外国人は文字や言葉が違うってことか。これは使えそう。いざとなったら、無知なふりをしよう。

「あとは、そうだな。物価について知りたい。いくらで何が買えるのかって相場。」

「そうね。国によって物の値段が違うっていうし。ここの宿賃食事付きで八シル頂いたでしょ? このグレードの宿として値段的には少し安い方かな。下は一シル二シルで泊まれる宿もあるけど、当然それなりのグレードになるわ。そうね。よく買うもので言った方がイメージつきやすいかな。パンが一個五十から百ルシル。あのモロフが一個百から百五十ルシル。」

 ルアンが離れたテーブルにあるカボチャに似た外見の野菜を指さして言った。

「それから。えと。魔石が大きさにもよるけど五から十五シルね。お隣のサンドレア国ではすごく安いって聞いたことがあるわ。採掘所があるからね。」

 魔石! また馴染みのあるキーワードが出ました。ということは魔法もあるのかな?

「へえ。もし見せられるなら魔石見せてくれない? 大きさを見たいな。」

「うん。ちょっと待ってね。うちは料理するからコンロ用の火魔石をたくさん使うんだ。」

 そう言うとルアンは厨房の中に入り、両手に収まるくらいの赤い石を持ってきた。

「これが十シルくらいかしらね。大体この大きさだと三か月くらいもつかな。」

 あ。暦のことも訊きたい。けれど、さすがにそれは不自然かな。さっきは一刻の長さを確認できなかったし。

 まあ。すぐに困ることもないだろう。

「いろいろ教えてくれてありがとう。助かったよ。また教えてね。」

 あたしはとっておきの営業スマイルで、ルアンにお礼を言った。

「っ・・ あなた、それやめた方がいいわよ? トラブルの匂いしかしない・・・」

「え? なんのこと?」

 ルアンはあたしの顔を見つめ、少しため息をついて言った。

「まあいいわ! 今度はあなたの国のことを聞かせて? わたしこの国の外に出たことないのよ。」

 そう言われたので、あたしは昨日まで公演してたはずの歌劇の物語を、異国の話として語った。

 ルアンは顔を紅潮させて話に聞き入り、あたしは興にのって語ってその日の夜は過ぎて行った。

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