第12話 恋しくなるのは



 夕方、栄尋と知柚は帰ってきた。ふたりは東京のとなりにある県の県庁所在地である縦浜たてはまを観光したようである。



「大観覧車に乗ったり、縦浜中華街で食べ歩きしたわ」



 知柚は子どもたちへのみやげを片手に、満足そうな顔をしていた。



「俺たちのことは気にせず、夜遅くまで観光していればよかったのに」



 澪史が言う。



「ううん、じゅうぶん楽しんだわ。いつか、縦浜には家族で行きましょうね。さあ、みんなで夕食をとりましょうか」



「うん」



 知柚の言葉に、亜佐飛はイスから立ち上がる。



「……」



 しかし、ソファに寝そべっている北登の顔に元気はなかった。



「北登、どうした?」



 栄尋が気にかける。



「僕、まだ家に帰りたくないけれど、そろそろお母さんの手料理が食べたい」



 北登は甘えた声で言った。



「……」



 亜佐飛と澪史はお互いの顔を見る。内心、亜佐飛も北登と似た気持ちで日々を過ごしていた。それは澪史も同じのようだ。



 現在の戸祭家はホテルで暮らしているようなもの。時に庶民的なものが食べたくなって、スーパーマーケットやコンビニエンスストアなどの弁当を家族で食べていたりしている。ホテルでの食事に不満があるわけではなくとも、子どもたちの舌は知柚手製の味を求めていた。



「うん。それは僕も思っていたよ」



 子どもたちだけでなく、栄尋も家庭料理に飢えているようだ。



 亜佐飛はスイートルームを思い出す。そこにはキッチンがあった。スイートルームなら、知柚も調理ができていただろう。だが、亜佐飛たちが現在泊まっている部屋はそうでない。ここがスイートルームでないということは、スイートルームに空きはないということである。



「ホテルの厨房かどこかのキッチンを使わせてもらったら?」



 澪史が言う。キッチンがあるのはなにもスイートルームだけでないということを、亜佐飛は忘れていた。



「私、千綺くんに聞いてみる」



 すぐに内線電話をかける。堂領家の四人の男子うち、電話でいちばん頼みやすいのは千綺だ。



 千綺はあわてて部屋までやって来た。



「亜佐飛ちゃん、気が回らなくてごめんね。スタッフルームのキッチンでよければ、どうぞ使って」



「やったー!」



 北登は両手をあげてよろこぶ。



 戸祭一家はすぐにスタッフルームまで移動した。亜佐飛はその途中、ひとりだけ抜けて、桂夏の部屋をたずねる。



「桂夏くん、夜ごはんはもう食べた?」



「まだだけれど」



「私のお母さんの作ったごはん、食べてみない? 娘の私が言うのもなんだけれど、お母さんの手料理はすごくおいしいの」



「えっ、食べる」



 亜佐飛の誘いに、桂夏は目を輝かせた。そのまま部屋から出る。



 亜佐飛は日頃のお礼もかねて、千綺、雷冠、鴻数にも呼びかけた。



「こんなに集まってもらえると、私も作りがいがあるわ」



 亜佐飛たちがスタッフルームに入ったのと入れかわりで、知柚はひとりだけ買い出しに出かける。スタッフルームは客室と違って飾りけがなく、質素な空間だった。ここは主に従業員が仮眠をとるための部屋で、あまり使われることはないらしい。



 亜佐飛たちの話が弾んでいた頃、知柚は戻ってきた。千綺に借りたエプロンを身につけて、キッチンに立つ。亜佐飛は知柚が調理する姿を久しぶりに見れたことに、うれしさをおぼえた。夏休みに家でそうめんを食べる日が続いても、そんな当たり前のような日々がいかに貴重であるのかを、この生活で思い知る。



「これぞ戸祭家らしいメニューにしてみたわよ」



 知柚が作ったのは焼きそばだった。人数分の料理をダイニングテーブルに置く。



「焼きそばですか、めずらしい。給食くらいでしか食べないですね」



 千綺が言う。



「えっ、焼きそばがめずらしい!? カップ焼きそばはつねに家にあるようなものじゃないの?」



 北登の質問に、堂領家の人間は全員きょとんとしている。話によると、四人とも人生でいちどもカップめんを食べたことがないそう。亜佐飛たちは驚愕した。



 知柚は堂領家の人間がふだん食べないようなメニューにしてよかったと、前向きに考える。一同は湯気の立つうちに焼きそばに箸をつけた。



「お母さんの作るごはんがいちばん!」



 北登はぱくぱくと食べる。



「うん! おいしい!」



 桂夏も満足そうに食べていた。亜佐飛は桂夏のほめように心がいっぱいとなる。千綺たちも知柚の焼きそばを絶賛していたけれど、亜佐飛の気持ちをだれよりもよくさせたのは桂夏の笑顔だった。



「ごちそうさまでした」



 食事を終えると、千綺、雷冠、鴻数は部屋を出る。



 桂夏もスタッフルームを離れようとした。亜佐飛はそこで桂夏と目が合う。



「じゃあ、おやすみ」



 時刻は午後七時十五分と、まだ寝る時間ではないけれど、今日はもう会うことはなさそうなので、夜の挨拶をする。



「亜佐飛、これ、やるよ」



 別れ際、桂夏は亜佐飛に券のようなものを渡した。亜佐飛はそこに書かれていることを読み上げる。



「一日デート券?」



「それを渡された人は渡した相手とデートしなきゃいけないんだ。亜佐飛、俺と一日デートしてくれないか?」



 桂夏は亜佐飛から目線を外し、ほほをかきながら言った。照れ隠しによる動作のようだ。



「うん!」



 亜佐飛は元気よくうなずく。だけど、本当はこう思っていた。桂夏となら、デートは一日だけでなく、何日でもかまわない――と。



「ちょっと待ったー!」



 その時、亜佐飛の背後から大きな声がする。



 亜佐飛はふり返った。声を出したのは千綺のようである。そこには雷冠と鴻数もいた。



「桂夏だけぬけがけはさせないぞ。お前が亜佐飛ちゃんになにかしようとしていることは、とっくに気がついていたんだからな」



 三人は亜佐飛のもとまで近づく。



「亜佐飛ちゃん、受け取って」



 それぞれ、亜佐飛に手作りの券を一枚ずつ渡す。どれも一日デート券と書かれていた。



「ここは四人で亜佐飛ちゃんを懸けたデート対決といこう」



 千綺が宣言する。



「ええっ!?」



 亜佐飛はびっくりとした。



「亜佐飛ちゃんとそれぞれデートして、亜佐飛ちゃんがいちばんよかったと思うデートプランを考えたやつの勝ちってことで」



「いいよ。やろう」



 だれよりも先に亜佐飛をデートに誘ったのは自分だというのに、桂夏はすんなりと了承する。正々堂々と勝負に受けて立つ、というような態度だ。



「け、桂夏くん――」



 亜佐飛はおろおろとする。自分のかわりに断ってほしかった、と。



「……どうせいつだって俺が勝つ」



 桂夏はぼそっと言った。嫌だと言ってはねつけることは簡単だけれど、ここで乗らなかったら、男としての面目がつぶれると考えたのだろう。

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