第18話 花火大会



 八月二十八日。八月の第五日曜日の今日は斗南区で花火大会が開催されるらしい。毎年、百発の打ち上げ花火が上がるとのこと。斗南区に初めて来た亜佐飛はその花火大会に参加したことがなかった。今日はほかのことをさしおいても打ち上げ花火を見るつもりなので、それは今年初めて見る打ち上げ花火となる。そして、この夏に打ち上げ花火を見るのはそれが最初で最後となるだろう。



 朝、亜佐飛は千綺とふたりで会う。彼から花火大会についてのくわしい話を聞く。



「打ち上げ花火を見るために、このホテルに泊まるお客さんもたくさんいるんだよ」



 千綺が言った。



「へー。人ごみが苦手な人は、ホテルの部屋から見る方がいいだろうね」



 亜佐飛も部屋で見られるなら部屋で見るのがいいと思う。帰りの交通渋滞に巻き込まれることがないという点も魅力的だ。



「うちの家族も、毎年、ここから打ち上げ花火を見ているんだ。親は仕事中だったりで、そうでないことが多いけれど」



「桂夏くんも?」



「桂夏はそういうのに興味がないタイプだから」



「そっか」



 亜佐飛はしょんぼりとした気持ちとなる。けれども、桂夏が花火大会に興味がないということは、女の子と一緒に見たことがなさそうだと、前向きな気持ちになった。



「亜佐飛ちゃん、いつも桂夏、桂夏って。僕とふたりでいる時は、僕だけを見てほしいな」



 千綺は亜佐飛のあごを指ではさみ、顔をくいっと上にあげる。



「わっ」



 亜佐飛はその手をふりはらうように、顔をぶんぶんと左右にふって、拒む。千綺に触れられても、亜佐飛にある乙女心がどきどきすることはなかった。



「僕、今年の打ち上げ花火は亜佐飛ちゃんと見たい」



「うん、みんなで見よう」



「……できればふたりだけで見たかったけれど、初めての花火大会なら家族とも見たいよね」



「花火大会なら、浴衣を着たかったな」



 小さな声でそう言って、うつむく。亜佐飛は浴衣を着るのが好きだった。一年のうち、祭りの日でしか着ないのもあって、貴重に感じる。



「すぐに用意するよ! 僕も亜佐飛ちゃんの浴衣姿を見たいから!」



 千綺は言った。ふたりはそこで解散する。



 亜佐飛はすぐに部屋まで戻った。



「亜佐飛、今日はふたりでお菓子を作ろうか」



 知柚がにっこりとした顔で言う。



「お菓子作り?」



 亜佐飛は知柚がなぜそうしたいのかがわからなかった。知柚はそこで自分の娘にひそひそ話をする。



「あっ!」



 亜佐飛はそのわけを理解した。昼食の後、ふたりはスタッフ専用の部屋を借りる。亜佐飛は久しぶりの調理にはり切った。



 夕方。千綺に戸祭一家全員の浴衣を用意してもらう。亜佐飛に用意されていたのは青色の浴衣だった。知柚は花火大会がはじまる前に亜佐飛に浴衣を着させる。



 帯をきつくしめられ、亜佐飛はお腹まわりにきゅうくつさをおぼえた。でも、これぞ浴衣、と感じる。あこがれの姿となるためには、時にがまんも必要だと。



 知柚は着付けを終えると、亜佐飛の長い髪を後ろ頭でまとめた。ポニーテールを丸くまとめて、すっきりとさせる。



「亜佐飛お姉ちゃんって、首が長い」



 北登が亜佐飛を見て、正直な感想を言う。戸祭家は遺伝から、首が短い者がいない。父親の栄尋と母親の知柚のどちらに似ても、子どもたちの首は長く生まれただろう。亜佐飛はどちらかというと自分の首を気に入っていた。でも、首が短く生まれたとしても、自分はそれを気に入っていたと感じる。



「首は私より北登の方が長いよ。小さな頭が首に乗っている感じだもん」



 準備がととのうと、亜佐飛は部屋を出た。このホテル生活に慣れていても、浴衣を着ているだけで、いつもと気分は大きく違う。



 亜佐飛は北登とともに、ロビーで堂領家の御曹司たちと会った。そこに桂夏の姿はない。



「亜佐飛ちゃん、かわいい!」



「浴衣、似合っているよ!」



 千綺たちは亜佐飛の浴衣姿をべたぼめする。彼らも浴衣を着ていた。



「あれ? 桂夏くんは?」



 北登がたずねる。



「準備に時間がかかっているみたい。ちょっと遅くなるって」



 亜佐飛たちはロビーのソファに座って、桂夏を待つことにした。



 鴻数が自分の話をしている途中で、澪史がやって来る。その数分後、栄尋と知柚も一階までおりてきた。



「さすがは亜佐飛ちゃんのお母さん。浴衣姿、とっても似合っていて、すてきです」



 千綺は立ち上がって、ほめる。知柚はほほに手をあてて「ありがとう」と言う。思ったことをすぐ口に出せるのが彼のいいところだと、亜佐飛は思った。亜佐飛の好みでなかっただけで、学校ではさぞかしモテているに違いないと。



 その時、桂夏がやって来る。桂夏も浴衣を着ていた。亜佐飛はいつもと違う彼の姿にどきどきとする。



「浴衣、似合っているじゃん」



 亜佐飛は桂夏に言われた。おめかしをしたのは桂夏のためでもあったぶん、心がうれしくなる。



「桂夏くんも浴衣を着たんだ」



「毎年、着ないんだけれどね。亜佐飛が着るって聞いたから、それに合わせた」



「亜佐飛、そろそろみんなにあれを渡してもいいんじゃない?」



 知柚が亜佐飛の耳に自分の口を寄せて、こっそりと話す。知柚の持っているカバンには、目的のものが入っている。



「今日はみんなに渡すものがあるの」



 亜佐飛は千綺たちに小さな袋をひとりずつ差し出す。昼間、亜佐飛は知柚と一緒にクッキーを焼いていた。



「これ、亜佐飛ちゃんの手作り?」



 雷冠はきらきらとした目でクッキーが入った袋を見つめている。



「こんなに貴重なクッキー、食べるのがもったないよ!」



 鴻数が言った。



「ううん。そんなに日持ちしないから、早めに食べて」



「そうだよ、食べないのは亜佐飛ちゃんと亜佐飛ちゃんのお母さんに失礼だ。みんな、一枚だけ食べてみよう」



 千綺の案に、他の三人も同意する。四人はそれぞれ袋を開けた。



「おいしい! サクサクだ!」



「本当に!」



 雷冠や鴻数はその味に感激している。



「こんなにおいしいクッキーは、今まで食べたことがありません」



 千綺は目を閉じたまま食べていて、感動した気持ちを上手く言葉にしていた。



「へー。亜佐飛って、料理上手なんだな」



 桂夏はあいかわらずほめ方がストレートでない。



「料理上手と言えるほど、料理はそんなに作ったことはないよ。お菓子も、クッキーしか作ったことがないもん」



 亜佐飛はひかえめな態度でいる。「桂夏くんは料理上手な女の子の方がいい?」とは聞けない。



「みんな、いつも私たち家族に色々としてくれてありがとうね。そのクッキーは、ほんのお礼」



 亜佐飛は四人に向かって言った。そして、にっこりと笑う。



 それから、一行は外に出た。打ち上げ花火が上がるまで、花火大会の会場のふんいきを味わう予定だ。



「今日は俺がみんなの世話役だから」



 子どもの中で最年長の澪史が誇らしげに言う。会場では、子どもは子どもどうしで遊びたいだろうという大人たちの配慮により、知柚と栄尋とは少し距離をおいての行動となった。



 会場は亜佐飛たちのように浴衣を着ている人ばかりだ。そこには食べ物やおもちゃなど、いろんな屋台があった。たこ焼きや焼きそばのようなソースを使った料理のおいしそうなにおいもただよってくる。亜佐飛は夕飯をちゃんと食べたというのに、そこにいるだけでお腹がすいてきた。



「亜佐飛ちゃん、食べたいものがあったら言って。僕たちも、亜佐飛ちゃんが食べたいものを食べるから」



 千綺が言う。桂夏、雷冠、鴻数もうん、うんとうなずいていた。千綺たちはいつだって亜佐飛を主役としてくれる。



 亜佐飛は屋台を見た。いつもならかき氷を選ぶところだけれど、それはもうホテルですでに食べている。悩んだ末、りんごあめを選んだ。



「りんごあめって、夏祭りでないと食べる機会がないもんね」



 これには北登もよろこんでいる。亜佐飛たちの様子を、栄尋と知柚は少し離れた場所から笑顔で見守っていた。



 打ち上げ花火が上がる前に、亜佐飛たちはホテルへと戻る。一行はバルコニーから、夜空に上がる打ち上げ花火を見た。



「うわあ、きれい!」



 花火は夏の夜の風物詩だ。紅色や緑色、紫色など、色んな種類の花火が東京の夏の夜空をいろどる。亜佐飛は高級ホテルから見る打ち上げ花火に心を動かされた。



「うん、実にいい眺めだね」



 栄尋はイスに座って、缶ビールを飲んでいる。大人の彼にとって至福の時、といった感じだ。



 亜佐飛は桂夏のとなりにいた。正確には、亜佐飛が桂夏のとなりを選んでいた。



「打ち上げ花火なんて見てもしょうがない、って思っていたけれど」



 次の打ち上げ花火のプログラムがはじまるまでの間に、桂夏が話し出す。亜佐飛は彼の言葉に耳をかたむけた。



「となりにいる人しだいで、こうも魅力に感じるとは」



 あたりは暗くて、人の顔色がよくわからない。けれども、なんとなしに伝わってくる照れから、桂夏のほほは赤くなっていることだろう。



「そうだね」



 亜佐飛はほほに手をあてる。うれしさで、顔は熱くなっていた。



「亜佐飛、ふたりで抜け出さないか」



 桂夏はうむを言わさず、亜佐飛の手を取って、部屋を出ようとする。亜佐飛は彼の強引さにどきどきとした。



 桂夏はエレベーターを使って、最上階まで上がる。彼が向かった場所は非常階段だった。人が遊んだりするための場所でないそこにはだれもいない。部屋のバルコニーと比べて、せまくもある。



「おしゃれな場所とは言えないけれど」



「ううん。いいよ」



 桂夏とふたりきりになれた亜佐飛に不満はなかった。



 さっきより高いところから見ているのもあって、花火は前より大きく見えた。なにもないおどり場けれど、ここが亜佐飛の特等席となる。いつだって、桂夏のとなりが亜佐飛の特等席だ。



 夏が好きな亜佐飛は、毎日あってもいいと思えるくらい、夏祭りという行事がとても好きだった。今年の夏はひと味違う。この花火大会が今までいちばんいいと思える。



 白い打ち上げ花火が何百発も上がったところで、花火大会は終わった。



「みんなのところに戻るか」



 桂夏はドアのノブを持って、建物の中に入ろうとする。



「桂夏くん、これ、よかったら」



 亜佐飛は持っていた巾着からあるものを取り出す。



「クッキー? クッキーなら、さっきももらったけれど――」



 桂夏をふくめた四人に渡したクッキーは市松模様で焼いたものを渡したけれど、そのクッキーだけはハートの型でとって焼いている。ハートの形をしたクッキーを渡すのは桂夏だけと、亜佐飛は決めていた。



「桂夏くんの分だけ、特別に多く焼いたの」



「ありがとう。うれしいよ。もらったクッキーは全部食べる。紅茶に合うだろうな。あっ、でも――」



「ん? どうしたの?」



「俺だけクッキーをもらったの、千綺たちには内緒にした方がいいな」



「……」



 ふたりは見つめ合って、声に出さずに笑う。ふたりだけの秘密がふたりの関係をより深めた。



「亜佐飛、夏の終わりも近いけれど、このホテル生活に後悔はないか?」



 建物の中に入って、桂夏が廊下を歩きながらたずねる。



「う、うん――」



 亜佐飛は首をたてにふる。しかし、本当は後悔というものがあった。桂夏にはそれを言えずにいる。



「花火、来年も一緒に見ような」



 桂夏が言った。それはまさに、花火大会の日に亜佐飛が桂夏からいちばん言われたい言葉そのものだ。



「うん!」



 亜佐飛は元気よくうなずく。そして、決意した。この夏が終わるまでに、桂夏に思いを告げようと。

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