第19話 保護者同伴のデート
八月三十日。夏休みも今日を合わせて残り二日。亜佐飛は朝食をルームサービスで済ませた後、机に向かっていた。
「できた!」
ノートを両手で持って、両腕を自分の頭より高くあげる。亜佐飛はついに自由研究を完成させた。もとは八月三十一日に終わらせる予定だったそれを、八月三十日の朝に完成させることができたのは、桂夏に早く見せたい思いがあったからだ。
「桂夏くんにいつ見せよう」
今日と明日、どちらにしようか迷う。いずれにしても、このノートに書いてあることをいちばんに読ませるのは桂夏なことにかわりない。
午後七時過ぎ。朝食の時間の前に、桂夏が亜佐飛たち家族のいる部屋をたずねた。亜佐飛は部屋を出て、廊下で彼と立ち話する。彼に見せるタイミングは今でない思って、自由研究のノートは持っていかなかった。
「亜佐飛、夏休みも明日で最後なんだから、今日は出かけないか? 亜佐飛の行きたいところを言って」
桂夏は持ちかける。
「うーん、そうだなあ」
亜佐飛は目線を上に、行くならどこがいいかと、一生懸命考えた。まだ行ったことのない夏らしい場所はあるのかと。
「あっ」
夏というものを考えた時、亜佐飛の頭の中にある花が浮かぶ。
「私、ひまわり畑に行きたい」
夏を代表する花といえばひまわりだ。亜佐飛は人生でひまわりを見たことはあるけれど、ひまわり畑に行ったことはなかった。
「ひまわりなら、今でも咲いている場所はあるだろうな。大人に調べてもらうよ」
「それと、海に行きたい。泳がなくていいから、浜辺を歩きたい」
亜佐飛はもうひとつの希望を言う。今年の夏はまだいちども海に行っていないというのが心残りだった。
「わかった。ひまわり畑と海な」
桂夏はにかっと笑う。そこでふたりは別れる。
亜佐飛は部屋に戻って、桂夏との会話の内容を話し、みんなで一緒に行こうと家族を誘う。
「今日ばかりは、桂夏くんとふたりで行ったら?」
けれども、知柚は亜佐飛が予想もしなかった言葉を返す。
「……えっ?」
「俺もそう思う」
澪史も知柚に同意した。
「保護者がいるなら、父さんたちはいなくても心配ないよね」
栄尋が言う。北登もめずらしく行きたそうにしていなかった。家族はこぞって、その外出は亜佐飛と桂夏のデートであるべきと、亜佐飛に気をつかっている。
亜佐飛はワンピースを着た。髪は知柚から三つ編みに結んでもらう。頭には麦わら帽子をかぶる。
集合場所はホテルの前となった。亜佐飛と桂夏はふたたび会う。
「……夏らしくていいじゃん」
桂夏は亜佐飛の姿に照れていた。
「亜佐飛、今日はこの方が保護者だから」
「よろしくお願いします」
桂夏の紹介とともに、男が亜佐飛に挨拶する。それは富士彦だった。
「坂和さん! コンシェルジュの仕事はしなくて大丈夫なの?」
「今日はお仕事がお休みの日なんです」
「そっか。坂和さんにもお休みの日はあるよね」
亜佐飛からすると、富士彦はいつもロビーに立っているイメージだ。彼も栄尋や知柚のような社会人であることを忘れていた。
「坂和さんが保護者だと亜佐飛がよろこぶと思って、運転手役を頼んだんだ」
桂夏が言う。
「うん、うれしい。でも、せっかくのお休みの日なのに、いいの?」
社会人にとって休日は貴重であることを、亜佐飛は両親をとおして知っている。その日、家族で出かける予定がなければ、父親の栄尋はリビングでごろ寝したりと、家でゆっくりと過ごしている印象だ。休日にホテル創業者の孫とその友人の相手では、仕事をしているのと変わらないだろう。
「『なんで私とデートしてくれないの?』って、恋人に怒られない?」
「恋人はいないので、大丈夫です。それに、こうしてふたりと出かけることができて、こちらこそうれしい限りなんですよ」
富士彦はにこにこと笑っている。ホテルの従業員と客の関係が、一歩外に出れば友人の関係となった。
亜佐飛と桂夏は車の後部座席に座る。富士彦が私服で、車を運転するというのは、亜佐飛からすれば新鮮に見えていた。
車が出発してから、およそ一時間後。亜佐飛たちはひまわり畑に到着する。そこはひまわりが一面に咲いていた。
「うわあ! きれい!」
亜佐飛は走って、ひまわりの近くまで行く。黄色い花のそれは見ているだけで明るい気持ちにさせてくれる。
「よかったな、亜佐飛」
「うん」
亜佐飛と桂夏は一緒にひまわり畑を歩く。富士彦はふたりより後ろにいて、つねに一定の距離を保っていた。
「今の亜佐飛はひまわり畑にぴったりの姿だから、絵になるよ」
桂夏が亜佐飛の目を見て言う。
「本当?」
亜佐飛は両方のほほに手をあてる。
「ふたりとも、写真を撮ってあげますよ」
富士彦が後ろから言う。彼の手にはカメラがあった。
亜佐飛と桂夏は写真撮影のために体を寄せる。桂夏がピースサインをするようなタイプではないこともあって、亜佐飛も彼に合わせてまっすぐに立つ。
「坂和さんも一緒に撮ろう!」
今度は他の観光客に頼んで、三人の写真を撮ってもらう。大人の富士彦が中央となり、両隣のふたりの肩をだく。
ひまわり畑にじゅうぶんに満足した後は、次の目的地まで向かう。海岸へは三十分ほどで着いた。
「海だ!」
亜佐飛は今年の夏で初めて見る海にテンションがあがる。海水浴場ではたくさんの人が泳いだり、日光浴をしていた。海沿いには一般的に「海の家」と呼ばれる飲食店がある。
「しかし、暑いね」
亜佐飛はひたいや首の汗をハンカチでぬぐう。麦わら帽子をかぶっていても、不快感のある、嫌な暑さを感じる。夏が好きな亜佐飛でも、夏の暑さが好きというわけではなかった。これで過ごしやすい気温なら文句なしなのだが、人生、自分の思いどおりにはいかない。気温や天候となると、特に。
亜佐飛たちは砂浜を歩く。こもった熱が亜佐飛の足の裏につわってきた。砂浜をはだしで歩いたら、足の裏はやけどすることだろう。
「ふたりとも、あそこの海の家で休憩しませんか?」
富士彦が海の家を指さしながら、亜佐飛たちにたずねる。暑さがこたえていたふたりは賛成だった。みんなで海の家に入ると、富士彦は人数分のラムネを買う。
日陰となっている海の家だと、肌で感じる温度の感覚が下がり、一気に涼しさを感じた。
「私、向こうの席に座っていますね」
富士彦はふたりに気をつかって、ラムネを片手に、少し離れた席に向かう。亜佐飛と桂夏はテーブル席に向かい合って座った。
ふたりきりとなると、ふたりきりでしか話せないことを話したくなる。
「私、出会ってからいつも頼み事ばかり言っているから、桂夏くんの目にはきっとわがままな女の子に映っているよね」
亜佐飛は家でも学校でもひかえめな方で、自分の意見をそこまで主張しないタイプだ。いつもの自分をいちばん見てほしい人に見られていないことを、もどかしく思う。
「自分が頼み事をしているって、亜佐飛が思う必要はないよ。なんでもするからホテルに泊まってほしいって、亜佐飛は頼まれた側なんだから。それに、女の子はちょっとくらいわがままな方がかわいいよ」
桂夏は亜佐飛をからかうように、にやりと笑った。
「えーっ。やっぱり、私はわがままな人間に見えているんだ」
桂夏にわがままと思われているのは、亜佐飛としてはうれしくない。だけど、亜佐飛は本心だとわがままになりたかった。自分のことを好きになって、他の女の子には目をくれないでと、桂夏に言えるくらいに。
「なんでショックを受けているの? 俺、ほめているじゃん」
桂夏は亜佐飛がなぜ不満足をおぼえているのか、本気でわからなさそうにしている。
「……」
そこで別の視点が亜佐飛の頭の中で浮かぶ。わがままな性格は自分らしくないのではなく、本当はこれも自分の性格の一部だったのに、今まで眠っていただけなのかもしれないと。それが堂領家の御曹司たちとの出会いによって、目覚めたのだろう。亜佐飛は桂夏といる時の自分が嫌いというわけではなかった。
「夏休みの自由研究、今日の朝に完成させたの」
気持ちがすっきりとしたところで、話を変える。亜佐飛は持っていたトートバッグからノートを取り出す。
「えらいじゃん。見せて」
ノートが亜佐飛から桂夏の手に渡ると、桂夏は一ページ一ページ、じっくりと読んだ。
「すごい。うちのホテルのこと、上手くまとめられているな。うん、これは修正のしようがないくらい、完ぺきだよ」
「ありがとう。このノートを読んだのは、桂夏くんが最初だよ。最初に見せるのは桂夏くんって、決めていたから」
亜佐飛はテストで百点をとった時よりもうれしい気持ちになった。桂夏をあっと言わせようと、がんばったかいがあったと感じる。
「……八月もいよいよ終わりか。さみしくなるな」
桂夏はそう言って、ラムネのびんに口をつけた。
「そうだね」
「どんなに暑くても、ずっと八月でいいのにな」
「うん」
亜佐飛は人生でずっと夏祭りが毎日あればいいと思っていた。その願いは取り消して、八月が終わらない世界になるという夢を神さまには叶えてほしいと思う。
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