第23話 私だけのスイートな王子さま
九月中旬。戸祭一家と堂領家たちとの出会いから、一ヶ月が過ぎようとしていた。もとの暮らしに戻っても、亜佐飛と桂夏の関係は続いている。
その日の夜。亜佐飛が入浴をすませると、北登と栄尋は家庭用ゲーム機で遊んでいた。千綺たちにもらったゲーム機は、この家で毎日のように使われている。
澪史はソファに寝そべって、自分のスマートフォンを触っていた。
「はーあ。私も早く自分のスマートフォンがほしいな」
亜佐飛はつぶやく。スマートフォンを買ってもらうのは中学生になってから、との約束だ。仮に今あっていたとしても、現在の亜佐飛の年齢では桂夏と文字のやり取りはできないため、持つ必要性を感じられない。
数日後。亜佐飛はその日の学校の授業を終えると、家に帰った。
「ただいま」
「亜佐飛、手紙が届いているわよ」
これからプログラミング塾の仕事がある知柚は化粧をしながら言う。手紙の差出人は桂夏だった。現在の亜佐飛と桂夏の主な連絡手段は電話と手紙だけ。手紙を読むと、近況報告の後に、亜佐飛に早く会いたい気持ちがこれでもかとつづられている。
封筒の中には手紙の他に、二枚の写真が入っていた。
「あっ! これ、三人でひまわり畑で撮った写真だ!」
亜佐飛と桂夏のツーショット写真と、富士彦を加えた三人で撮った写真の二枚だ。
「桂夏くん、かっこいいなあ」
亜佐飛は写真の中の桂夏にうっとりとした。こんなにかっこいい男の子が自分の恋人だと思うと、そわそわとする。
「早く桂夏くんに会いたいなあ」
お互いに「会いたい」とつねに言い合っているものの、会いに来て、と自分から彼にまだ言ったことがなかった。会いに行きたいと思われるような女の子でいたい、という乙女心が亜佐飛にはある。
三日後。その夜、亜佐飛と桂夏は電話で話をする。亜佐飛はテストで百点を取ったことや、家や学校でおもしろかったことなどを桂夏に伝えた。
『まだそっちへ行けそうにない。もう少し待っていて』
「うん」
桂夏はずっと「待って」の一点張りだ。ふたりは一時間ほどで電話を切る。
「桂夏くん、まだかな――」
亜佐飛はくちびるをとがらせた。桂夏は本当は会いに来るつもりがないなどと、相手の言葉を疑っているわけではない。しかし、自分への自信のなさから、他に魅力的な女の子でも現れたのでは――と、ちょっぴり考えてしまう。
九月も残り数日で終わろうとしている頃、亜佐飛のもとに一通の手紙が届く。差出人は桂夏で、次の日曜日にそちらへ会いにいく、とのことだった。
「やったー!」
亜佐飛はその場でジャンプしてよろこぶ。同時に、桂夏との関係にいちどでも不安に感じてしまったことを、本人に会った時に謝らなければと思った。
日曜日。亜佐飛は家の最寄り駅で桂夏を待つ。
「亜佐飛!」
駅の出入り口から出てきた桂夏は亜佐飛を見つけると、笑顔で手をふる。
「桂夏くん!」
亜佐飛もベンチから立ち上がって、彼のもとまで駆けていく。
桂夏の背後には富士彦もいる。今回は彼が保護者として桂夏をここまで連れてきたようだ。
「坂和さん、久しぶりだね!」
「お久しぶりです、亜佐飛さん。また会えてうれしいです」
「亜佐飛ちゃん、俺たちもいるよ」
桂夏と富士彦の後ろから、ふたりの青年がひょっこりと現れる。彼らはフローリストの周太と士誠だ。
「丹上さんに、安良田さんまで!」
亜佐飛は桂夏だけでなく、自分の好きな大人たちとの再会にも感激する。
「亜佐飛、会うのが遅くなってごめんな。みんなの予定が合わなくて。それに――」
桂夏はそこで口を閉ざした。
「それに、なに?」
亜佐飛は言葉の続きを急かす。
「亜佐飛にふさわしい男になるよう、もっとかっこよくならないとと思って、美容院に行ったり体を鍛えていたり、自分をみがいていたんだ」
桂夏は照れた表情で、鼻をかいた。よく見ると、彼の髪型は以前見た時と少し違っている。
「桂夏くんはもうじゅうぶんすぎるほどかっこいいのに、私のためにもっとかっこよくなろうとしているなんて、うれしいな」
亜佐飛も桂夏にかわいいと思ってもらいたい一心で、日頃食べ過ぎないよう気をつけたり、毎日の髪の毛の手入れを欠かさなかった。しかし、それは目に見えない努力として黙っておく。
亜佐飛と桂夏の希望で、大人たちはふたりを駅からいちばん近い海岸まで連れていった。夏が過ぎた海辺は人が少なく、過ごしやすい。
亜佐飛と桂夏はラムネを片手に、石段に座る。富士彦たちは小さなカップルだけの時間を作ろうと、遠くにいた。
「私、桂夏くんに謝らなきゃいけないことがあるの。ふたりが会えなくなってからいちどだけ、桂夏くんは他に気になる女の子ができたんじゃないかって思ったりした。桂夏くんはだれよりも私のことを思ってくれているのに、疑ったりしてごめんね」
「亜佐飛がそれを悪く思う必要はないよ。会えない時間が続くと、不安に思うのは当然だ。それに、それほど俺のことを考えてくれているってことだろ。俺だって、亜佐飛と同じ学校の男子にしょっちゅう嫉妬しているよ。学校での亜佐飛が見れてうらやましいなって。そいつらの顔も知らないのに」
たとえ両思いでも、いつも気持ちが幸せというわけではないことを、亜佐飛だけでなく、桂夏も学んでいることだろう。
「私、学校の行事の時には写真を撮って、手紙と一緒に送るね」
亜佐飛と桂夏はお互いの気持ちを正直に伝えることで、関係性をより深めた。
「次は冬休みにうちのホテルに泊まりに来なよ」
「いいの?」
「次は別のホテルにしよう」
「ん? 別のホテルって、どういうこと?」
「うちのホテルは東京だけじゃなくて、大阪や名古屋みたいな地方都市にもあるんだ」
「ええっ!!」
亜佐飛はその事実にびっくりとする。全国各地で高級ホテルを経営しているとは、堂領グループはどれだけ大きなグループなのだろうと。
「今度は東京以外にしない? 亜佐飛、どこの都市がいい?」
桂夏はまるでどの色えんぴつで色をぬりたいか、というような口ぶりだ。
夏が好きな亜佐飛だけれど、冬が待ち遠しくなった。今年の夏みたいに、それはすてきな冬となるに違いない。スイートな王子がそばにいるだけで、どこにいようとも、甘いひと時というものは過ごすことができる。
(了)
ホテル・イングロッソのスイートな王子たち 束出晶大 @Mbappe_10
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