第4話 仲直りのしるし



 午後五時。戸祭一家が部屋で過ごしていると、部屋のドアをノックされた。そこは亜佐飛が対応する。千綺と思って出たら、そこにいたのは桂夏だった。



「どうして私が泊まっているのがこの部屋だってわかったの?」



「千綺に聞いた。聞かなくても、俺は創業者の孫だから、なんでもできる」



「ああ」



「あの、ちょっといいか」



 桂夏は亜佐飛を連れ出そうとする。ふたりは廊下に出た。



「さっきは悪かった」



「なにが?」



「お前呼ばわりしたこと」



「いいよ」



 亜佐飛は桂夏に謝られてもクールにふるまっているけれど、心の中はうれしい気持ちになっていた。



「これからは亜佐飛って呼ぶよ」



「う、うん」



 桂夏に呼び捨てされて、どきどきとする。



「亜佐飛は自分の名前に誇りを持っているんだな」



「そうよ」



 亜佐飛は威勢よくふるまう。桂夏の前だと、なぜかここですなおに「うん」と言えなくなる。



「あっ、そうだ」



 亜佐飛はいったん部屋の中に入った。



「見て。千綺くんにもらったの」



 桂夏に花束を見せる。



「またあいつは――」



「いいの。うれしかったから」



「千綺の、女の子にそういうことがさりげなくできるところはうらやましい。俺は女の子の気持ちを考えるのは苦手だから」



 桂夏はあさっての方向を向く。本人の言うように、女子に尽くす桂夏の姿は、亜佐飛にも想像できない。



「花束もすてきだけれど、私は道ばたにひっそりと咲いているような花が好き。そういう花を学校の行き帰りに見たら、元気になるの」



「ふーん――じゃあ、俺が言いたいのはそれだけだから」



 そこでふたりは別れた。



 夜。亜佐飛は入浴を済ませてから、部屋のベッドに寝転んで、知柚と話していた。



 その時、部屋のドアをノックされる。時刻は午後八時四十七分。もしかして、と思いながら亜佐飛がドアを開けると、そこにいたのは予想したとおりに桂夏だった。彼はハア、ハアと息を切らしている。



「夜にごめん。これ、やるよ」



 桂夏は消しゴムよりも小さなものを亜佐飛に差し出す。それは四つ葉のクローバーだった。



「わあ!」



 通常みられるクローバーが三つ葉なことから、四つ葉はめずらしいものとされている。亜佐飛は初めて見るそれに感激した。



「どこにあったの?」



「うちの庭」



「これを見つけるために、わざわざ家に帰っていたの?」



「まあ、車で送ってもらえばすぐだから」



 桂夏はハンカチでひたいの汗をぬぐう。幸運のしるしを亜佐飛に早く渡そうと、ここまで走ってきたようだ。亜佐飛の胸がきゅんとなる。



「花じゃなくてごめん。花を摘むのは抵抗があって。せっかく咲いたのに、人間に摘まれる最期なんて、かわいそうだと思ったから」



 桂夏が言う。



「そうだね」



 桂夏は心が優しいと、亜佐飛は思った。



「四つ葉のクローバーって、私、自分で見つけたことがない。お母さんに押し花を作ってもらおうっと」



「押し花?」



「このままだと枯れちゃうでしょう? 草花をぺっちゃんこにして、乾燥させたのが押し花」



「へー。じゃあ、俺はこれで。おやすみ」



 桂夏はその場を去ろうとする。



「あ、それと」



 けれども、すぐにふり返った。



「うちのパジャマ、似合っているじゃん」



「えっ!?」



 桂夏の言葉で、亜佐飛は思わず自分の姿を見る。パジャマ姿を家族以外の人間に見られるというのは、はっきりとした理由がなくても恥ずかしい。亜佐飛の顔が真っ赤になる。



 桂夏と別れて、亜佐飛は部屋の中に戻った。



「お母さん、見て! 四つ葉のクローバー」



「あら、それはめずらしいものを手に入れたわね。外で見つけてきたの?」



「桂夏くんっていう、千綺くんのいとこの男の子にもらったの。これ、押し花にして」



「いいわよ。でも、それには材料や道具がいるわね」



 知柚の言葉は亜佐飛をはっとさせる。この部屋が家のような居心地でも、家とは勝手が違うということを、つい忘れがちだ。



「……千綺くんに頼もうか」



 亜佐飛は内線電話で千綺にそれをことづける。このホテルで特別なサービスを求めることに抵抗がなくなっていた。



「亜佐飛ちゃん、僕を頼ってくれてうれしいよ」



 千綺はすぐに押し花に必要なものを持ってくる。



 知柚が押し花を作っている間、亜佐飛は自由研究用のノートを開く。テーマは「ホテル・イングロッソについて」。現在家族で泊まっている部屋の感想や、宿泊客のふんいきなどをつづる。



「一階にはコンシェルジュさんがいて、やさしく対応してくれます、と」



 あの時、迷子の少年をコンシェルジュのもとまで連れて行かなければ、千綺とは出会わなかっただろう。そうなると、桂夏と話すこともなかった。いいことをしたら自分に返ってくるというのは本当かもしれない、と亜佐飛は心の中で思う。



「一階に花屋、と」



 忘れないうちに今日目で見たものをノートにまとめる。花束に使われたすべての花の名前を書き、絵を描いた。



 亜佐飛はそこで自分の本当の思いに気がつく。千綺にもらった花束よりも、桂夏にもらった四つ葉のクローバーの方がうれしかったと。だけど、これが千綺にもらったのが四つ葉のクローバーで、桂夏にもらったのが花束だったら、花束の方がうれしかったはずだ。亜佐飛にとって大事なのはなにをもらったのかでなく、だれにもらったかだった。



「亜佐飛、押し花ができたわよ」



「うん!」



 亜佐飛はいったん書くのをやめて、知柚のもとまでかけ寄る。



「うわあ! お母さん、すごい! ありがとう!」



 知柚は押し花のしおりを作ってくれていた。



 亜佐飛はそのしおりをノートのページにはさむ。毎日ノートを開けば、そのしおりを自分の目で見られるということだ。亜佐飛は毎日しおりをはさむページが異なるよう、一日に最低二ページは書くことを夏休みの目標とした。

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