第11話 たまにはふたりで
次の日の朝。ホテルのレストランで朝食をとった後、亜佐飛は家族とともに部屋で過ごしていた。夏休みの宿題に黙々と取りかかる。ふしぎと、それは自宅でやるよりはかどっていた。
「亜佐飛、桂夏くんが来たよ」
その途中、澪史に言われる。ドアをノックする音に気がつかなかったほど、宿題に集中していたようだ。亜佐飛が玄関まで向かうと、そこに桂夏はいた。
「おじいちゃん、いいって」
桂夏が告げたのは昨日亜佐飛が彼に頼んでいたことである。
「ありがとう!」
亜佐飛はよろこぶ。堂領家はさすがだと思った。
亜佐飛は桂夏を部屋の中に入れる。ふたりは知柚と栄尋のもとへと近づいた。
「お父さんとお母さん、今日は一日、ふたりでゆっくり過ごして」
亜佐飛がふたりに向かって言う。今日は日曜日。栄尋も知柚も仕事は休みだ。
「ふたりで、って、どういうこと?」
知柚はぽかりとしている。
「この間、お父さんだけこのホテルのプールで泳げなかったでしょう? その時、思ったの。この夏の間、一日だけでも、お父さんとお母さんがふたりで過ごしてほしいなって」
「俺たち堂領家からの、ささやかなプレゼントです。すでに車は手配してあります。行きたい場所があれば、どこへでも担当の者に向かわせます」
桂夏が言った。
「えー、でも……」
知柚はためらっている。子どもたちのことが心配なのと、子どもたちをさしおいて遊ぶということに気が引けるようだ。
「俺らのことは心配しないで。俺が長男として、ふたりを守っておくから」
澪史がそう言って、亜佐飛と北登の肩をだいた。澪史は亜佐飛から前もって知らされていなかったけれど、両親のために自分がどうするべきかを察したようである。
「たまにはふたりで独身時代のように戻りなよ」
北登がにかっと笑う。
「もー、北登ったら」
知柚はほほに手を当てて照れる。
「そうだよ、お母さん。こんな機会、めったにないよ」
亜佐飛は言った。これを逃せば、共働きの栄尋と知柚がふたりで出かけられる日は当分来ないだろう。
「じゃあ、お言葉に甘えて。みんな、ありがとうね」
知柚と栄尋はそこで視線を合わせた。ふたりはすぐに出かける準備をする。
「桂夏くん、亜佐飛をお願いね」
部屋を出る前に、知柚が言った。兄の澪史ならともかく、桂夏とは同い年なのに、と亜佐飛は思う。
「任せてください」
桂夏は亜佐飛の肩をだく。
「わっ」
亜佐飛は桂夏に触れられるとは思わず、どきっとした。同じ行動をされても、家族の澪史の時はなにも感じなかったのにどうして、と亜佐飛は自分の気持ちに戸惑う。
大人ふたりがいなくなると、部屋は静かとなる。亜佐飛は親がいなくても心細くなかった。それほどホテル・イングロッソという建物とその従業員に信頼と安心感をおぼえている。
「自分のお父さんとお母さんをよろこばせることができるなんて、亜佐飛がうらやましくあるよ。旅行をプレゼントだなんて、堂領家だったら、息子の俺がするまでもないもんな」
桂夏が亜佐飛に言った。
「そんなことはない。なにもプレゼントは旅行だったり、高価なものだけとは限らないよ。そうだ、自分のお父さんとお母さんに肩たたき券をプレゼントしてみたら?」
「肩たたき券?」
「知らない? 肩をたたいてもらえる権利の紙のことだよ。その券をもらった人はね、券をあげた人から肩をたたいてほしい時に券を使うの。そうだ、今から実際にふたりで作ろうよ!」
亜佐飛と桂夏はリビングスペースのテーブルに座る。亜佐飛は手本となる肩たたき券を作ってみせた。紙とペンさえあれば作ることかできるのが、肩たたき券のいいところだ。
「私もお父さんとお母さんにプレゼントしようっと」
亜佐飛はこの時まで肩たたき券のことをすっかりと忘れていた。こうしてまた親に渡すことができるのも、桂夏のおかげだと思う。
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