第104話

 前に授業で帰って来たのは三ヶ月前か、忙しく、もとより足取りの軽い我が師匠たるシシィに頼んで、宿題の添削の代役を託す。座学はともかく実技はもとより僕である必要もなし、同郷の子供たちの魔術の理解度を課題の正当率と自由文章の解答から性格でもないが感覚で分析して……苦手分野と同じだけの伸ばすべき得意そうな魔術の課題を出しておく、実技内容も今回半日かけて行軍隊が補給している間に少し時間を見て、そうだな。苦手分野の課題は一般的に覚えて困らない分野から手をつけさせて……

「フリッツ兄ちゃん今国で仕事しているんだってー?」

「あぁ、偉い人に気に入られて大変な役割を任されているよ」

「ユニーカ姉ちゃんから、主君をかえたの?」

「……いいや、彼女はビジネスパートナーさ。雇い主であっても僕の主人ではない。それに、僕はもうユニーカの家臣を自負するだけの役割すら放棄してモウマドを出たんだ。僕はもう、ユニーカを主君とは言えない」

「じゃあ、もうユニーカちゃんとは友達でしかないってこと?」

「どうなんだろうな? 今は、……それよりも強くなったな剣術はもう僕を超えたよ。あとは身体を鍛えて錬気の精度を上げれば半端な自称達人が何百人束になってかかっても勝てないだろう」

「マジ、本当!?」

「ほんと、ほんと、今の君の実力なら本物の達人以外じゃ相手にならないよ」

「やったー!」

 サラサラとノートに思いついた課題案を刻み、まるで師匠との交換日記のような気もするが、子供達と軽口をぶつけ合ってちょっとした図書館と貸した僕の所有する本を開放している自宅の一回で昼にもなると、実技も視終わってから苦手課題の難易度をどの程度下げるかを考えながら書き込んでいると、子どもたちの中で僕と比較的年の近い年長の女の子がお盆を持ってくる。

「フリッツさん、お昼ごはんは食べたよね?」

「……? まだ食べなくていいよ」

「はぁ、そう言われると思ってユニーカちゃんが手料理を作ってたよ。ほら、これ、私に持っていくように言われちゃったよ」

 そのきれいな板に乗るのは卵と、野菜と塩味の強いベーコンの焼いたものと……それら全てを挟んで食べることに適した切れ込みを差し込んだパンだ。たしかに、ユニーカが適当に作る時の気安いメニューだ。

「ありがとね。どうせなら、好きな女の子の手料理だったほうが嬉しかったよ」

「……貴方はまだ」

 そこにいる視点の先にいる彼女は呆れてため息をつく。


 ユーリが子どもたちを見送って手を振っているのを背中越しに送った視線を速やかに外して、洗ったばかりの食器の水気を拭いてカゴに並べる。

 後で返さないとならないと思っていると、響く聞き慣れてきた女の子の声。

「ユーリー! どこだよー?」

 マノンが声を上げてウロウロと畑の隙間で探す声だ。

「おーい! こっちよ―」

 窓先から手を振ってユーリが呼びかけると微笑みながら怒っているような語調の文句が返ってくる。

「あのね、あの時の私は薬で意識がほとんどないような状態だったし、こっちの言葉がまだ伝わらない状態でなにがなにやらだったんだから、『フリッツの家』って端的に結論だけ言われも場所が分かるものじゃないでしょう」

「え……、あ、その時って、本当に正気じゃなかったの?」

「私の記憶が確かなら、あのときは軽く幼児退行していたはずだが……」

 幼児退行するほどの、正気を奪う薬……か、

「それは……、たしかにそうだったわね」

「ところで、あの時の……いや、聞いても問題ない時だけ答えてくれ、どんな薬を使ってあんな状態になっていたんだ?」

 しまった。言いながら失言に気づいて言い訳をせざるを得なかった。聞いて良いことじゃないんじゃないかと、頭を下げると同時に考えながら答えられる。

「あ、いや、すまん」

「能力行使の際の……いや、頭は下げなくてもいいよ。あれは、自滅防止のための薬の副作用よ。なぜか、いつの間にか問題の症状が消えていたから今はそもそも薬が必要無いのだけどね」

「症状?」

「説明はしないほうが良いんだろうけど、私の居た場所ではフェーズ5症状と呼んでいた」

 フェーズ、……どこかで聞いた表現だな、帝国の魔剣持ってたやつが言っていたような。

「……ごめん」

「え、なにが?」

 今、シャノンはなにに謝った?

「いえ、なんでもないわ」

「えぇ、必要もなかったわ」

 僕じゃないユーリに、謝った? なぜ、いや、違うか? どういうことだ。


 「シャノン、なにか変だったか?」

「え」

「……なんで謝られたのかなって、いや、ユーリにだけ謝ったのか? いや、あまりそういう話をすることをしないように言っていた僕が悪いんだから、別に」

「あぁ、うん、ごめん、気にしすぎたかも」

 ササッと開いた記録紙に書くべき報告書をメモ程度に記入し終わらせて後はこれに関してをシシィか本人と相談して、進度に合わせた結論を決めるとして、机の端っこに固定されたペン立てにペンを戻して、インクが乾かないように瓶の蓋を閉めると、話を戻したくなった。

「シャノンもいるが別に二人きりじゃないと言えないってわけじゃないし、まぁ、いいか、ユーリこれだけは分かって欲しい」

「なに?」


 乾きそうになる唇を舌先でまだ乾いてないことを確認して言い切る。

「好きだよ。ユーリ……心から、愛してる」

 一拍、窓の向こうの森の木々が風に吹かれて揺られる音が騒がしいほどの静かさが流れると、シャノンが慌てて、いや、驚く。

「え、エッ! 二人ってそういう関係だったの!?」

 首を横に振ったユーリから本当に悲しそうな息づいかいとため息が溢れる。

「それはダメだよ。フリッツ、私と貴方は同じ世界にいられないことは、貴方が一番知っているでしょう?」

「……あぁ、そうだな。だけど、どうしても、伝わってほしかったから」

「お互いに知ってしまったら辛くなるだけなのに?」

「矛盾している自覚はある。そんなに情熱があるなら送り返そうとなんてするべきじゃないって、でも、そうするのが一番不幸が少なくて済む道だって信じているから、そう、例えるなら淡水の魚と海水の魚は共に生きるのは、……自然じゃないんだってのは、もう分かっている」

「そう、送り返すことが不幸をなくすための行動で、その不幸を避けるために自分の幸福は諦めるって言うの? それこそ不自然なことじゃないの?」

「…………あぁ、だろうけど、言いたくなってしょうがなかったんだ。これまでも何度か言っているつもりだったけど、ちゃんと伝わっている気がしなくてさ」

「なんで……っ、そういうことを!」

「僕はこれから戦わないといけないんだ。そんな覚悟だけはしている。それだけとても、強い誰かもわからない誰かたちと、全てを賭して戦う予定が……あぁ、あるんだ。あるはず……」

「ごめんなさい……貴方の、そういう見通しの甘いところは嫌いで仕方がなかった」

「……見通しを立てたこと、ないもんな、なにが見通し甘いって言われてるかも、分かんないや」

「ごめんなさい、思い出の人……貴方を忘れない」

「ありがとう……そうだな、『ありがとう、愛しの人……君の思い出の片隅にいさせてくれるならそれだけで幸せだ』と返そうか」

 あぁ、そうだ。これから、預言者の目論見を邪魔して、コンクエスタ―に対処して、みんなを帰るべき場所に返せば、きっとその不幸を無くした先にみんなの幸せがあるって信じて

「二人とも……お互いが好きなのに?」

「あぁ、好きでもだ」

「うん、好きだからよ」

 シャノンは顔が青くなる。

「いやいやいやいや、それなら、短い時間でも一緒に……」

「「ダメだ」よ!」

 赤くなる。シャノンの表情から怒りの色がこぼれ出る。

「二人共、おかしいよ!」

 シャノンの悲鳴にも似た怒りの声に僕らは、答えを窮する。たしかに、変な会話になっている自覚があったから。

「えっと、シャノン、なにか、いや、えーっと」

「ジークフリートは感情の話をしているのに、ユーリは自分の感情を答えずに一般論しか話してないし、その話に納得してたら、詩の交換みたいな意味不明な今の受け答えでわかったような態度をして割り切ったふりをして……! 二人共、お互いのこと好きなのじゃないっ! なにのに、なんで!? ジークフリートは諦める? ユーリは本音を言わないんだよ!?」

 そんなことを言われたら、答えられる言葉はこればかりだ。

「ごめん……、僕は、反論の仕方が判らないんだ。ただ殺そうとするのは違うと分かるけど、元の場所に戻そうとしたいって理屈にどうしても……納得してしまうんだ。僕が」

「なんでっ! したいことをして人を集めたんじゃないの!?」

「シャノン、もういい」

「ユーリだって! 一緒にいたいからついてきたんじゃないの? 何も残さずに帰ることが思い出になればそれで良いって言うつもりなの!?」

「僕のしたいことは、本当は、納得できない理不尽をぶん殴りたかっただけで……」

「私には……。私も……ごめん、外の空気を吸ってくる。きっと私も戻ったら戦うつもりなの。その話は貴女も聞いたでしょ? だから、きっといつか、選んだ道が違った時はシャノンとも戦うかもしれない覚悟は決めているの、だから、お願い私達に」

「戦う!? なんだって、私はユーリと同じものを望んでいるのに」

「お前はフェイズ5克服者だろうがっ!!」

 その怒りに満ちた、ユーリの声にシャノンは

「…………っ!」何も言えなくなる。

「ごめんなさい」

 そう言って、涙を堪えながら乱暴に玄関を飛び出して開けっ放しでどこかへ小走りに向かうユーリの背中に僕は何か言いたかったはずなのに、なにも言えなかった。


 ◆ 

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