第1話

「息苦しいな。晴れた日はいつだって」

 思い返すと反骨精神を言い訳にした逃避行動以外の何でもない、非建設的な行為だったのではないだろうか?

 手に取ったこの本に向けたのは本当に劣等感だったのか? 違うな。

 傍からみたら建設的に見えるからこそ言い訳に使用していたんじゃないか? そうかもしれない。

 なら、あの情熱はまがい物だったんじゃのか? わからない。もし、そうだとしたら僕に、

「フリッツ、こんなところにいたのね。あら、読書中?」

「どうだろ、見てはいたかな」

 目をそらすために彼女の顔を正面から見つめて、苦しい笑顔を返す。指先から本は離れ、また作業台の上に孤立する。

「そう、農作業全部終わってるのに家にいないからどこにいるかと思って心配したわ。にしても、その本もずいぶん長いこと読んでいるわね。お気に入りなのかしら」

「あ、そんなも……――――――っ!」

 皮肉かと思って声を上げそうになった。

 ガキの頃から読んでるこの本の内容を暗記してないわけが無いだろう! そう思いかけて、僕の興味にユニーカがそこまで興味をもっていないことを気づき、なんとか留まった。

 長いこと読んでるって言うことはそれだけの長さで読み込んでないって事なんだから僕は、……だめだな。

 理不尽な怒りを抱え込みそうになって意味のないことを言い出しそうだ。ユニーカの言葉が、皮肉でないことを理解してもそうとしか受け取れない。

 そんな受け取り方以外は妄想と思いそうなほど、僕は卑屈になっているみたいだ。

「この本、中身を何度も読み返したよ。全て理解したし、いくつかの術は再現できた。だけど、この本の大半の術は僕にはできないことだった。基礎がどうしてもできないのに応用ばかり学んでも全部無駄だったという話さ。再現だって、もはや別物を陳列しただけだよ」

気持ちの良い天気でもこんな卑屈な言葉を言う自分が不快だ。気分が苦しくなる。

「そう、でも、できないことが分かったなら無駄とも言い切れないわ」

「無駄さ、時間の分は少なくともね。すまない、この話は、ちょっと」

「方向転換ができるもの、貴方はともかく私はそう思っているっていうだけ。はい、その本の話題はここでやめるわ。そうね、方向転換するなら魔力量に頼らない魔術を鍛える方向に絞ればいいんじゃないの? それこそ、錬気とかなら」

「昔やってた剣術のことか?」

「昔って……今も、やっているでしょう?」

「もうやらないよ。もういい」

 本当は無視していますぐこんな会話は終わりにしたかった。だが、返事を返さないという選択肢を即座に思い至れない。

「そう、ね。ここ数ヶ月、しばらくやってないからだいぶ鈍っているんじゃない? 今度、私と一緒に体を動かそうよ」

 ユニーカの前向きな態度にあからさまにゲンナリしてしまう。そんな僕の顔を見て彼女はその大げささに応じるように大きく心配そうな驚きで体を揺らす。

「ほら、道場に」

「それこそ無駄だよねッ!」

 皮肉ばかりをない混ぜにして笑いながら声を張ってしまう。掴みかけた彼女の手は僕に触れる前に空を掴み、所在もなく停滞する。

「武術が多少優れてるからって、本当に優れた錬気による身体能力には勝てない。それだけなら良いさ! 天才は軽々しく後から追い越していく。僕が考えて試した全部をすぐに自分のものにして、本物の中でも本物の天才にはそんな技量すら当てにならない圧倒的な差を見せつけられるんだ!」

 どうしてもヒステリックな、声を上げてしまった。

 自分の声に驚いて、できるだけ自分を落ち着かせるために声を絞る。

「ごめん、折れたよ。……心がさ、折れるよね? 心が折れてるからには高みは目指せないっていうか……、目指す気になれないってこと……。だからごめん、変に高い声を出しちゃったことは謝る。僕が悪い。そんなに熱くなる事じゃないのに……」

「いいのよ熱くなっても」

「僕のことなんてもういいだろう?」

「……そんな真似できないわ」

「これ以上迷惑をかけられない」

「なにをいまさら!」

 怒らせて、しまった。

「ごめん……」

「いや、そんなつもりじゃっ! ゼフテロもコニアも……別に、裏切ったわけでもないのに」

「……あぁ? あぁそうか、そう。だったな、最初から二人にとって僕はどうだっていい相手だったんだって今ならわかるけどさ。裏切るも何もなかったって、僕だって本質的に自分のこと以外なんて考えたことすらないんだから別にいいよ」

「フリッツ貴方いい加減にしなさいよ!」

「だったら僕はどうしたら良かったんだよ!」

 顔を覆って俯いていじける僕を見て、呆れるか見限るでもして欲しかった。そうしたら僕もユニーカを裏切る決意ができるのだから。

 声を上げたのだから怒ったのだと思ったんだ。食って掛かるつもりで向き合った顔はなぜか悲しげで、……自分の矮小さがますます腹立たしくなる。

「……フリッツには、そうね。たぶん、休む時間が必要みたいね。……そうだ! 昔話してた夢を実現したらどう? 今ならなんだかんだで時間とお金に余裕があるんだから、二年や三年自由に、ほら」

 気を遣った対応、それだから僕はへりくだるしか道を探せなくなるだろうが。

「……夢、僕のか?」

「ぇ、えぇ、ゼフテロもコニアもまだ一緒に居た頃に貴方が話した。強くなりたい理由のそれよ! それで魔術の勉強してるって」

「……。すまない、なんの話だ?」

「え、なに? 覚えて」

「ごめん、わからないんだ」

 一拍、おいて誤り直す。

「ごめん、本当に覚えていないんだ」

 当惑する僕にユニーカは、一瞬悲しそうな顔をして、次の瞬間ワナワナと震え出し、口を開いたと思ったが何か言葉を発する前に冷静になり、言葉を探す。

「ごめんなさい。……! なんのことか、えっと、思い出せないけどっ、えっと! そうだなたぶん、あぁ、英雄がどうこうって話だったよね!?」

 呆れられたのか、言葉は探してくれはするが何も言ってくれない。なんで、こんなに怖いんだ。呆れられたかもしれないと感じるのは、ユニーカは何度か逡巡を巡らせて、言いそうになって言わないを繰り返した。その重い言葉を紡ぐ。

「――――……ぃゃ、全然違うわ。……あの頃、貴方はそんなこと願ってなかったわ」

 一拍おいて、息を吐かれる。

「フリッツは昔、夢を語るくらいには楽しそうだったけど」

 なんの、話だ? 怒られているんだよな?

「昔? いまも楽しくはあるよ。好きにやらせてもらってるし、気楽で」

「そういう風体に見えないわ。だって、今もこの瞬間は我慢してるよね?」

「何を? 何か我慢してるように見えるのかな、誤解させるような真似をしているなら正すから、教えてくれれば」

「ダメだッ!」

 否定を意味する言葉で紡がれる悲鳴に驚き、木々の隙間に隠れていた鳥たちが一斉に羽ばたいて、森も悲鳴に頷くようにざわめく。

「ダメってなにが……」

「そうやって、取り繕って! 我慢しようとしないでって言ってるの!」

「そう言われても、……そうだな。僕も父と同じようにユニーカの一族を守って行きたいと思っている。そう考えてる以上は上下関係が生まれないとならないのだから」

「なんで……! 嘘よ! 貴方は誰よりもそんなことを考える性格じゃないのに!」

「なんでって、そのために父は開墾のときについてきたんだから」

「貴方はその父親から息子として扱われたの!? 貴方は義務を継がないといけないほどの愛情を与えられたのかって言ってるのよ!」

 心配から怒声の連続に一拍、言葉に詰まる。しかし、すぐ詭弁に気づき、感情に押しきられないように目をそらす。目の端に恐怖で熱くなる雫が垂れないように目を大きく開いて整える。

「そんなことは関係ない。僕はそのために居るんだ。家族の話は別のこと」

 ユニーカは力強く首を横に振る。

「関係なくない。貴方は父親の葬儀もした。責務を終わらせた。私達は対等な関係になるべきなのよ。子供の頃みたいに、家族みたいな」

「無理ではないか? もう」

「無理?」

「僕にはそれしか残ってないんだから、ユニーカとの主従を捨ててしまったら、僕はなんのために苦しんでまでモウマドに残ったことになるんだよ」

「ほら、苦しんでいるって! 言ってることがめちゃくちゃだよ。他人のことなんて考えたことがないないんていいながら、他人を優先した考え方をして苦しみを我慢して嘘をつくのは」「だって! 楽だろう!? 全部捨てて旅立つより現状に満足するほうが」

「…………っ!」

 驚きなんだろうか、怒りなんだろうか? ユニーカにどちらともつかない表情を向けられて、僕は言葉を、ダメだ。吐き捨てた唾は飲めない。

「ぇ、あー、えっと、すまない。いや、なんだ? いや、そういや、なんていうか、違っ……その、適当なことを言い過ぎたっていうか……」

 口を開いた。ユニーカの口で怒られると思うと、彼女の声より先に意識すらせずに頭を下げてしまう。

「ごめんなさい」

「……だから、なんでまた、謝るのかな。フリッツ、貴方はそうやって、下に着こうとするのよ。悪いことなんてしてもいないくせに」

 そんなの、優しくされるから以外にあると思っているのか? 何も言えない。言ってしまったらこれ以上に裏切れなくなるから、

「ごめん、頭を冷やしてくる」

 そう言うと踵を返して弓術訓練場へ向かって歩いて行った彼女の背を見て、自分も熱くなりすぎてたかもしれないと猛省し、胸の奥の恐怖を必死でなだめる。

 自分も頭をスッキリさせた方が良いのかも知れない。

「悪いことなら、いっぱいしてきた」

 父の死後、葬儀以外で何かを考える時間もなかったのだから、なにか、自分を見つめ直すような行為が必要なのかもしれない。手の中にあるあのとき感じた鈍く生暖かい感覚が僕の罪悪感を思い出させる。それに、

「夢……か」

 忘れてしまっているが、僕には夢があったらしい。元々それが理由で魔道の学術書を読み漁り、身につかない魔術と剣術を学び強くなろうとし始めたような気もする。そういえば、なにか、昔自分で言ったような気がする。

「まったく心当たりがない」

 力を求めた理由を忘れてしまったのは、強くなろうとするほど余裕が無くなる事態が起きたからなのはなんとなく想像がつく。想像がつくからこそ、夢と夢を忘れた理由のつながりが無さそうなのもなんとなく理解できる。

 これまで必死に努力していたら、なにかと自信を失うような出来事が起きた。

 自分が理解した魔道を勉強会を開いてまで説明して、理解させた火炎系統の魔術を僕以外の全員が使えるようになったのは……本当に辛かった。説明できるほど深く理解してるのに、自分だけ使えないのは、

 錬気は比較的スムーズに習得できたのに、覚えたてで力で勝ってはずなのにゼフテロやコニアに剣術で負け、すぐに剣術抜きの単純な力でも押し負けるようになったりとかもあったな。結局僕は剣術以外の技の知識だけ詰め込んで試合形式を自分にとって都合のいいものを使えるようにする誤魔化しを繰り返してやりくりした。

 オリジナルの魔法を開発してはゼフテロに自慢して、教えたらすぐに習得するから自分でも使えない、理論上動くが面倒臭さの割にそこまで強くない過剰な術を開発してふっかけてもマスターされたときは思い詰めた。

 コルネリア姉さんの腕力は……あれは、うん。いや、なんというか

「才能がなかったんだろうな。僕には」

 そうやって無理やり自分を納得させる言葉を吐き捨てると、山菜でも取りに行こうかと立て掛けた鍬を携え、物置小屋で鎌に持ち替えて野山に向かう。


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