2-4 抱きしめてもよいでしょうか

   §


 シンシアがゆったりとした足取りでアマルとセオドアを案内する。

 屋敷の本館から渡り廊下を通った先に、ガラス張りの小部屋があった。室内には丸テーブルと、囲むようにして四脚の椅子。どちらも猫足で洗練されたデザインだ。


「これが温室コンサバトリー?」

「えぇ。ガラス越しに植物を愛でながら、美味しい物を食べるのが、わたくしのささやかな楽しみなのです」


 アマルは外に広がる立派な庭に、ほぅ、と息を吐いた。花だけではなく、ただの木でも形が整っていて見ているだけで楽しい。蝶が舞ったり、鳥が何かをついばんでいるのも見えた。

 皇国サニアにはない景色と文化だ。平和な日々を取り戻せたのだと、改めて実感する。


 三人が丸テーブルを囲んで席に着いたところで、遅れて現れたエドワードが皿を供する。そして、皿の中央へ手のひらを向けた。

 アマルの視線が皿へ釘付けになる。

 茶色のシンプルな焼き菓子かと思えば、その間に白と赤が彩られていた。皿の余白には粉糖がかけられ、ミントの葉が添えられている。


「ショートブレッドに色とりどりのベリーとホイップクリームを挟んだケーキでゴザイマス」

「うわっ、かわいい……」


 アマルの呟きを拾ってシンシアが微笑む。


「焼きたてのスコーンも、後でクロテッドクリームと一緒に運ばれてきます。今日はゆっくりと楽しみましょう」

「すごい。なんだかお姫様になった気分だ」

「アマル様はお姫様ですよ?」

「え?」


 シンシアの隣に座ったエドワードから指摘される。

 しかしアマルは、一瞬、理解ができなかった。こほんとセオドアが咳払いをする。


「あ、あぁあー……セオドアと婚約したから、ってこと?」

「その通りです」


 エドワードとシンシアがにこにこと微笑む。

 アマルは少し気まずくなってセオドアへ顔を向けた。セオドアはセオドアで、何ともいえない表情になっていた。


「失礼いたします」


 そのとき、使用人が申し訳なさそうに温室へと入ってきた。

 エドワードに近づき耳打ちをする。さっとエドワードの表情が曇った。


「……」

「どうしましたか」


 今度はエドワードがセオドアへ耳打ちする。セオドアは流石に表情を変えることはなかったが、アマルへと体を向けた。


「……アマル。シンシア様。すみません、どうやら問題が発生したようで、今から騎士団へ戻らねばならなくなりました」

「あら……」


 シンシアが残念そうに眉を下げたところでエドワードが被せてくる。


「とりあえず一次報告は俺だけで行こうか? 今日が潰れたら次の休みがいつになるか分からないだろうが」

「私は第五騎士団の長です。そんな訳にはいきません」

「うん。セオドア、すぐ戻りなよ」


 アマルも残念ではあったが、セオドアの立場も知っているため、なるべく表情に出さないよう笑顔をつくった。


「あたしはシンシアに茶会の作法を教えてもらうから。ね、シンシア?」

「……。ありがとうございます。行ってきます」


 セオドアとエドワードが慌ただしく席を立ったことで、温室にはアマルとシンシアが残された。


「よろしかったのですか?」

「楽しみにしてたし、休みは休みで取ってほしいとは思うけど。それと仕事は別の話だから」

「……アマルは立派ですね」

「うーん、どうだろう」


 アマルは大きく伸びをする。


「セオドアがあたしを助けてくれたことで、あいつの人生が閉ざされてしまった部分はあるだろうから。あたしが邪魔になるようなことはあってはならない。ただそれだけだよ」

「アマルは殿下がとても大切なのですね」

「うん。あの人は、あたしにとって命の恩人だから」


 セオドアは命の恩人。それはアマルにとって嘘偽りない本心だった。

 シンシアはアマルを否定せず、ふわりと微笑みを浮かべた。


「紅茶が冷めてしまう前に味わいましょうか。アマルののお話を、ゆっくりと聞かせてください」

「そうだね。まずは……」


   §


 しかし事態は思わぬ方向へと動いた。

 第五騎士団の施設へアマルが戻ってくると、慌ただしさが普段とは違ったのだ。

 たまたま目が合った団員から執務室へ向かうよう言われたアマルは、走ってセオドアの元へ向かった。するとセオドアは、昼間とは打って変わって重装備に身を包んでいるところだった。


「遠征に出ることになりました」

「遠征?」

「この百年間、姿を現すことのなかった異形の魔物が、辺境に出たという報せを受けました。第五騎士団は斥候せっこうの役目も担っています。……しばらく戻っては来られないでしょう」

「あたしも行く。聖竜が助けになってくれると思う」


 セオドアは首を横に振った。


「それはできません」

「どうしてだよ」

「アマルは皇国サニアへと向かってください。どうやら、あちらでも同様の状況が発生しているとのことです」

「……!」

「我々はこれから広場で出発式を執り行い、そのまま辺境へと向かいます」


 ぐっとアマルは拳を握りしめる。覚悟を決めるのにためらいは必要なかった。

 そして懐から取り出したのは、金色に透けた鱗だ。


「セオドア。これを」


 セオドアは鱗を受け取り、まじまじと見つめた。


「これは……まさか、聖竜の鱗でしょうか?」

「うん。皇国サニアでは生涯かけて守ると決めた相手へ金の鱗のレプリカを贈るんだ。でも、あたしの場合は、本物。遅くなったけど受け取ってほしい。きっと、ううん、必ずセオドアを守ってくれる」

「……ありがとうございます」


 神妙な面持ちのままセオドアは鱗を懐へとしまった。

 それから、アマルに向かい合う。


「アマル」

「なんだ?」

「ひとつお願いがあります」

「分かった。何でも言ってくれ」

「抱きしめてもよいでしょうか」

「……へ?」


 想定外の申し出に、アマルは拍子抜けする。


「も、もちろん! どうぞ!」


 それから慌てて、臨戦態勢と言わんばかりに両腕を伸ばした。


「失礼します」


 鎧越しに、セオドアは、そっとアマルを抱きしめた。


(……そういえば、聖樹の下では、あたしから抱きしめたんだっけ)


 記憶の片隅に追いやっていたというのに、不意に思い出し恥ずかしくなる。それでも、アマルは両腕をセオドアの背中へと回す。

 ぎゅっと抱きしめて、目を閉じる。


(お日さまの。セオドアのにおいがする。いいにおいだ。……好きだなぁ)


 ぱちりとアマルは瞳を開けた。


(そうか。あたしは、セオドアのことが好きなんだ)


 そして、自覚すると途端に恥ずかしくなってくるものである。


(うわぁぁぁ。あたしってば何やってんだろう!?)


 しばらくの間、セオドアもまた無言だった。やがてゆっくりと体を離したとき、セオドアの蒼い瞳は僅かに潤んでいた。

 アマルは平静を装い、セオドアを見上げる。


「こ、こんなのでよかったのか!?」

「はい。は、また、帰ってきたときに」


 眼鏡を外し机の上に置くと、セオドアは部屋から出て行った。


「この先、って?」


 アマルは主の去った部屋でぽつりと呟いた。我に返り、慌ててバルコニーへと飛び出す。


 空はいつの間にか重たい雲に覆われていた。眼下の広場では、既に隊列が完成している。

 ……遅れて現れたセオドアが列の先頭に立つ。

 第五騎士団は少人数で構成されている。全員、アマルの顔見知りだ。そして全員がどことなく緊張しているのが、遠くからでも見てとれた。


 一段高い壇上に国王が現れる。


「第五騎士団、団長、セオドア・ロキューミラ」

「はい」


 セオドアが一歩前に進む。


「第五騎士団にはこれより辺境にて魔獣の発生状況の確認及び討伐を命ずる。辛うじて有史に残る魔獣の生態については全員把握しただろうが、現在、どのように変化しているか各々の目で確かめ、駆逐し、全員が生還すること。以上」

「拝命いたします」


 ざっという音がして、一斉に団員たちが敬礼をする。

 すらりとセオドアが聖剣を鞘から引き抜いた。曇天にも関わらず、剣は強く光り輝く。

 

 アマルは息を呑んだ。

 応じるように、首元に提げた竜笛を取り出して静かに吹く。風が巻き起こり、アマルの目線の高さ――第五騎士団の頭上へ金色の竜が姿を現した。

 それに気づいた団員たちが頭上を、そしてバルコニーに立つアマルを見上げた。

 アマルは大きく息を吸い込んだ。


「竜巫女アマルが告げる! クラド王国第五騎士団は辺境にて全魔獣を討伐し、無事に帰還すると!」


 アマルに予言の力はない。それでも、言葉には力が宿ると言われ、皇国サニアでは強い言葉を使ってきた。今こそ、発揮するときだ。


 周りが聖竜に注目するなか、セオドアだけはアマルを見上げていた。一瞬視線が合うも、すぐにセオドアは国王へ向き直る。


「竜巫女、そして聖竜の加護がある限り、我が王国が敗北することはないでしょう」


 厳かな宣言に、団員たちは沸き立つ。誰もがセオドアを信頼している。彼の言葉は団員たちにとって唯一無二なのだ。

 アマルは、それをよく知っている。

 やがてセオドアたちが馬と共に出発し、最後の一人が出ていくまで、アマルはバルコニーからじっと見守っていた。

 アマルには想像もつかない。魔獣とは何か。そして、それがどれだけ危険な存在なのか。

 だから、信じるしかなかった。第五騎士団の無事を。


 ……ゆっくりと執務室の扉が開く。

 入ってきたのは、国王とその側近だった。


「陛下?」

「竜巫女よ。そなたの加護に心から感謝する」

「あっ、頭を下げないでくれ!?」


 側近だけではなく、流石のアマルも慌てて両手を振った。


皆目かいもく見当もつかないのだ。何事もないことが最善なのは事実。しかし、愚息が選ばれし者である以上、送り出さない訳にはいかない」


 国王の言葉に、アマルは瞬きを繰り返した。表面上の発言とは思えなかったのは、渋い表情をしていたからだろう。


(セオドアと陛下は、仲が悪いんじゃ、なかったのか?)


「ひとつ訊いていいか? 陛下は、セオドアのことをどう思っているんだ?」


 国王の後ろで側近がぎょっとしたが、国王は背中越しに察したらしく、軽く手を挙げて側近を制した。


「国王というのはおかしな立場よ。すべての頂点に立ちながらも、恣意的な言動は一切取れぬ」

「つまり、セオドアのことが大事なんだな」


 問われた一国の主は、肯定も否定もしなかった。


「戻ってきたら、そう言ってやりなよ。国王じゃなくて父親として」

「そなたはどうなのだ」


 え、とアマルは声を漏らした。


「愚息のことを、どう思っているのだ?」

「……そうだな。次に会えたら、ちゃんと言うよ」


 ――好き、だって。


 すると外から風が吹き込んでくる。バルコニー近くまで聖竜が接近していた。


「……なんと美しい」


 国王が言葉を漏らす。その言い方は、セオドアとそっくりだった。

 アマルは国王へ背を向けた。風でまとめた髪が後ろへなびく。バルコニーに立つと、聖竜の頬へ両腕を伸ばした。


「あたしもあたしのやるべきことを果たすよ」


 慣れたものだ。アマルは踏み込むと、聖竜の頭に飛び乗る。

 ふわりと上昇。捕まる場所がなくても落ちることはない。聖竜と竜巫女の関係とはそういうものなのだ。

 あっという間に、アマルと聖竜は、クラド王国から離れていく――

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