3-2 裏切りの樹の下で

   §


 宮殿の広間では今日も香が焚かれ、弦楽器が奏でられている。

 紗幕の前では皇子が弦楽器に合わせて笛を吹いていた。優雅な合奏に、付き人たちも恍惚とした表情を浮かべている。

 一方で、紗幕の内側では、女帝イーヴァがつまらなさそうな表情で煙管キセルをふかしていた。

 ようやく口角を上げたのは待ちわびた客人が登場したからだろう。

 イーヴァは手を払う仕草で皇子を脇に下げさせ、口を開いた。


「思いのほか早かったのぅ。己の立場を弁える気になったか?」


 紗幕が引かれる。

 シファは薄く透けるヴェールを被ったまま、謁見の間の入り口で片膝をつき、両手を合わせた。


「竜の里のシファが、イーヴァさまに拝謁はいえついたします」

「今さら堅苦しい挨拶など必要ないわ。早うこちらへ来い」


 イーヴァが手招きする。

 シファはすっと立ち上がり背筋を伸ばすと、静かに女帝へと近づき、紗幕の内側に入らない程度の距離で腰を下ろした。


「ふふ。世界を統べること、すなわち、聖樹、聖剣、聖竜を手中に収めること。子どもの頃は夢物語くらいにしか考えていなかったが、いざ好機が巡ってくると、意外と冷静になれるものよ」


 イーヴァが侍女へ煙管を渡して、玉座の肘置きに体重をかける。

 シファは表情を崩さず言う。


「ひとつ確認したいことがございます。竜巫女アマルは、本当に亡くなったのですか?」

わらわを疑うとでも言うのか」

「亡骸を見ずして信じるのは愚者のすることです」

「残念ながら竜巫女は魔獣に骨ごと喰いつくされてしまったのだ。なんと嘆かわしいことよ!」


 ぐっ、とシファは拳を握りしめた。

 その行動に気づいた女帝は愉快そうに目を細める。


「妾は、そなたのを、知っている」


 ねっとりとした絡みつくような口調で、女帝がシファに語りかける。


「こちら側につけ。悪いようにはしない」

「……」

「シファを黒瑪瑙の間へ案内するように」

「……。承知しました。おい、こっちだ。ついてこい」


 皇子が顎で行き先を示した。シファは女帝へ頭を下げると、皇子に従う。


(……ボロが出ずによかった……)


 ――実際には、シファのふりをしたアマルが。


 竜笛に近づける可能性の高いシファ役をアマルが引き受け、宮殿の内部に詳しいシファが、シファとして堂々と宮殿内を調査する。

 それが双子の計画だった。

 子どもの頃はよく取り替え遊びをしたものだ。当時ぶりに、アマルは染料で泣きぼくろをつけている。


 誰もが頭を下げたまま動かない廊下を、皇子とアマルはどんどん進んで行く。

 とはいえ女帝の前でシファのふりをし続けるには限界があったので、早々離れることができたのはよかった。

 先導する皇子は振り返りもしない。どうやら『黒瑪瑙の間』というのは地下にあるらしい。


(シファのふりをしていなきゃ、後ろからぶん殴ってやるのに)


 降りるにつれて奥からひんやりとした空気が流れてくる。階段の途中で皇子が壁にかかっていたランタンを取り外して、手に持った。ぼんやりとした頼りない明かりだが、ないよりはましだ。


 皇子の後ろから、アマルは目を凝らす。しかし先は真っ暗で見えない。

 ほんの少しだけ不安がよぎりはじめた。

 女帝の口ぶりが、元々、シファを仲間に引き入れようとしていたように感じられたからだ。


(いや、信じよう。助けてくれたのはシファだ。敵ならば参道で再会した時点で捕まっている……!)


 無言の皇子に続いて、足元を確かめながら降りていくと、ついに階段の終わりに辿り着いた。皇子が懐から鍵のようなものを取り出す。

 鈍くきしむ音の後、扉が開いた。


「着いたぞ」


 鈍色の薄暗い空間は、経験したことのない高すぎる天井のおかげでやけに広く感じられた。

 天井に貼りついているのは木の枝のようにも見える何か。それらが曲線を描きながら何本も柱のように床に降りている。


(ここは……!?)


 アマルは頭上を見上げ、瞬きを繰り返した。

 空気が澄み渡っている。指先まで力が漲ってくるようだ。

 自然とアマルは先に足を踏み入れた。しかしその瞬間、皇子が壁から伸びている紐を引いた。


 がんっ!


 大きな音を立てて檻が下がってきた。アマルは肩越しに勢いよく振り返る。

 閉じ込められたのは明らかだった。


(罠……!)


 にやにやと、皇子が下卑た笑みを浮かべている。明らかに閉じ込めたのがアマルだと分かっている表情だった。


「ここはいつ来ても薄気味悪い場所だ。一秒たりともいたくない。こんなところに閉じ込められるなんて、考えるだけでも恐ろしい。ははは!」


 アマルは一気に血の気が引いていく。皇子だけのせいではない。その後ろに、が現れたからだ。

 信じたいと願っていた、人物が。


「そうでしょうか?」


 三人目――シファが口を開いた。


「聖樹の根。実に美しい根だと思いますわ。それに、これがあれば何でも作れます。たちどころに病が治る薬だって可能でしょうし、聖剣だって作り放題ですわ。勿論、

「……シファ」


 アマルはヴェールを乱暴に取り外すと、背筋を伸ばした。

 拳を握りしめる。それから、シファを真っ直ぐに見つめた。


「やっぱり、とは思わない。思いたくない。あたしはお前を信じていた」

「はっはっは、傑作だなぁ! どうだ、実の妹に裏切られる気分は!」


 不遜な態度で、皇子がアマルへ指先を向けた。


「お前はあたしを恨んでいるんだよな。今も」

「おい! 人の話を聞け!」

「さて、どうでしょう。少なくとも、わたくしの望みが決して叶わないということは、お姉さまもよーくご存じでしょう?」

「おい! お前たち! 私を置いて話をするな!」


 シファが口元を右手で隠して、くすくすと微笑む。


(あぁ……。


 シファの微笑みは妖艶で、ぞっとするくらい静かなものだった。

 しかしアマルは心が落ち着いていくのを感じていた。

 真の望み。アマルには、が何か分かっている。そして、アマルでは絶対に叶えることができないということも。

 アマルは唾を飲み込んだ。


「それで、どうするつもりだ。あたしのことを」

「単純な話ですわ。お姉さまにはこの場で死んでいただき、聖樹の養分となっていただきます」

「簡単に死ねるかは分からないぞ」

「そうですわね。わたくしたち竜の一族は、少しだけ丈夫にできていますから。そのときはそのときで苦しんでもらいましょう。……それでは、永遠にさようなら」

「……」


 アマルは抵抗することなく、ふたりが扉を閉めるのを見つめていた。

 二人の足音はどんどん遠ざかって行く。


 やがてアマルは独りになった。


「……」


 根に近づくとそっと手のひら全体で触れる。

 がさついた、それでいて滑らかな感触がある。アマルはこの手触りをよく知っている。地上で、触れた。まさしく聖樹の一部なのは疑いようがない。

 急ごしらえの場所とは思えない。

 恐らく女帝は長い時間をかけて計画を練っていたのだ。聖樹を手中に納めるための計画を。


(だから、シファはあたしに託したんだ)


 シファには子どもの頃から癖がある。

 嘘をつくとき、真実を隠すとき。口元を右手で隠すのだ。

 いつからなのだろう。皇族と通じたふりをして、シファは機会を窺っていたに違いない。


 ヒントは十分すぎるくらいにもらった。アマルは、金のスティックを髪から外す。


(今の竜笛を諦めて、新しい竜笛を削る。聖竜を解放する)


 できるかどうかは分からない。それでも。

 スティックを額に当てて、瞼を閉じる。


(あたしにしかできないことだ)


「ごめんよ。ちょっと痛いかもしれないけれど」


 ――そしてアマルはスティックを聖樹の根に勢いよく刺した。

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